翡翠の鷹が見る夢は 愛してる。
愛してる、キミのことを、昔から、ずっと。
『俺』の事を呼ぶ彼の声はとても必死で。それがたまらなく愛おしいと思ってしまうのは果たして『俺』の感情なのか、『私』の感情なのか。
この夢を幾度となく幼い頃から見ていた。それがいつの話なのか皆目見当がつかないが、それでも大切なのは変わりがない。
「また、あの夢」
今際の話なのかいつも自分を呼ぶ彼の顔は見えない。それでも覚えているのは彼の愛用している香水の香りだけが鼻腔の奥に燻っている。あの男は、一体、誰なのか。
「誰だ、」
その夢のあとはいつも泣いている。悲しいのか寂しいのか、いつもその幻影を追いかけていて、なんだかいつもより疲弊してしまうのだ。自分自身あまり夢を見る方ではない。この夢以外にみる夢などはないかのように、これ以外は起きても覚えていないのだ。
この夢で覚えている事と言えば、この中の『ジブン』はいつも高慢で気高く、好き嫌いもはっきりしていた。また、性別も『今』と異なり、男である。今ですらすらりとした見た目だが、ガタイの良さは勝てるわけがない。自分が男ならこんな感じなのだろう、と眺めることも少なくない。
それに自分の意見をしっかり持っており、なによりいつもの自分なのだ。そんな自分の姿をいつも少し高いところから眺め、観察することが多かった。その時の自分と何人か見覚えのあるメンツ。そして一人だけ、顔が朧げな『奴』がいる。顔がはっきり見えないが特徴的な金髪が夢の中の自分にも今の自分にもなんとなく安心感を覚えてしまっている。
『アルハイゼン! ほら、早く行くぞ!』
『五月蠅い』
『なんだと~!』
こんなにやかましいのに、彼の顔と名前が、彼とのあったであろう思い出が、思い出せない。
そうしていつもは自分の血だまりと必死そうに名前を呼び、愛を囁く彼の顔を思い出せ
ないまま、跳ね起きるのだ。
「嗚呼、まったく」
気分が悪い。
「アルハイゼン! すまん、これを五番に運んでくれるか」
「ああ」
バータイムにもかかわらずなんだか忙しない店内は、今日はアルバイトの人数が少ないらしい。
すまん、と両手で謝ってくる店長に仕方ないと言えばその代わり早めに上がれるように手配すると言われた。どうにも彼女にも顔色の悪さがばれてしまったらしく、始まる前に本当に大丈夫かと念押しされるレベルだ。そんなに分かりやすかっただろうかと、ほとんど動かない表情筋をムニムニとつまむと、彼女は笑って『付き合いが長くなってきたからな。』という。先ほどもセノに言われた気がするそれは、なんだか心の奥を温かくさせる。
「おねえちゃん良い体してるね~」
「……当店は接触をお断りしている」
「いでででででで」
いつもはバーカウンターから出ない自分が出てくるのは珍しいのだろう。酔っ払いが絡んでくるのもお手の物なのだがいかんせん線が細いせいかよくセクハラまがいの事を受けることがある。残念ながら護身術は一通り父から受け継いでいるのでいなすのもお手の物である。
「こぉらお客さん」
「げぇ! マスター助けてくれよ馴染みだろ、いでででででで」
「うちの看板に手だししたらぶっ飛ばすって言ったよな~?」
「ごめんごめんごめんごめん!」
「はぁ、すまんアルハイゼン、手、離していいぞ」
「……そうか」
ひねった手を離してやれば酔いがさめたらしいお客はしょんぼりしながら頭を下げた。店長が言うなら別に自分はどうでもよかったので軽く会釈をすればすぐにバーカウンターへと戻った。
「大丈夫だったか?」
「ああ」
「すまんな、あと一時間したら上がりでいい」
「いいのか?」
「ああ、帰りがけに一件、デリバリーを頼みたいんだが大丈夫か?」
「ああ」
「助かる、帰りの道なりによれるから」
と、ぽんと頭を撫でられる。今日はなんだか皆から頭を撫でられる日だななんておもいながら小さくうなずいた。
***
それから一時間後、使い捨てのランチボックス二つ分が入ったビニール袋とメモを渡され軽く説明を受けた。
「おそらく二日くらい篭ってるから死んでるかもしれん」
「……は?」
「嘘嘘、腹すかせてる建築デザイナーの野郎だよ。帰りの道なりに少し大きめな家、わかるか?」
「……」
「マップアプリで見ながら行きな、代金は適当につけとく。で、これはアンタの」
「……私の?」
「ああ、軽めに食べられるモンにしたから。最悪冷蔵して明日食いな、まかない」
「わかった」
「じゃ、お疲れさん……」
そう言って送り出される。その時の顔が、なんとも言えない表情をしていて、どうにも忘れられそうにないだろう。
***
歩きながらマップアプリの音声案内通りに向かえば、本当に帰り道に一軒の大きな家があった。建築デザイナーと言われてもあまりピンとこないが、この家のデザインは何とも洗練とされている。初めて見るにもかかわらず、一抹の懐かしさを覚えてしまった。それが何故なのか少し首をかしげながら、チャイムを押すと少しの沈黙の後にジジッと電子音が流れ、内蔵されたカメラのようなものがこちらを覗きこんでいる。
『……どちらさ、ま、ですか』
「カフェバーイアーフの、アルハイゼンといいます。店長からのお届け物です」
なんだろう、この声になぜか、聞き覚えがあるような気がする。なんでかはわからない、でも、聞き覚えがある。
『…………っ、……イアーフ、ああ、いま、いく』
「……はい、」
ブツリ、と音声が途切れたかと思えば今度はバタバタとした足音が近づいてくる気配を感じる。そろそろここの家主であろう人間が出てくるだろうか。そう思いながら待っていると、不意に重たいドアが開いた。
「……あ」
そこにいたのはいたく綺麗な男だった。
きれいな金髪とルビーの瞳。それに似つかわしくない目元に浮かぶクマ。電話越しとは全く違う綺麗な低音が鼓膜を揺らす。自分より十五センチほど背の高いこの男は店長の彼氏か何かだろうか。
「おつかいに、よこされたのか?」
「はい、これです」
少しくたびれたように笑う彼に店長から預かったデリバリーの品を渡すと軽く中を覗いた。
「うまそうだ」
「店長作らしいので」
「……ああ、ディシアの飯はいつも格別だからな、」
わかる、なんて小さく頷けば彼はまたゆるりと笑みを浮かべた。
「アルハイゼン、さんだったか」
「……はい」
「僕はカーヴェ、建築デザイナーをしている」
「建築、」
「ああ、まだまだ駆け出しだけどね。さて、近くまで送ろう、駅でいいかな?」
「え」
突然の申し出に目をぱちくりさせれば当たり前だろう?というふうに首を傾げた彼が言葉を紡いだ。
「こんな夜にデリバリーしてくれたわけだし、夜道は危ないからね」
こういう男がモテるのだと思う。
「どこまでがいいとかあるかな?」
「……駅まで、」
「了解、上着を取ってくるから、中で待っててくれ」
なんて言いながら奥に入っていくカーヴェと名乗る男を玄関で待つと先程の装いから少しだけよそ行きに着替え、ジャケットを羽織ってライオンのモチーフがついた鍵をクルクルと回しながら出てきた。
「……ライオン、」
「ん? ああ、思い出の品、なんだ」
「そう、…………っ、」
思い出の品、そう聞いた刹那の事。頭の中にノイズが走る。なにか、思い出せと言わんばかりのその雑音は今朝からずっと抱えていた頭痛をやけに刺激していく。
「アルハイゼン?」
「…………いや、なんでもない」
「? そう、か? じゃあ行こうか、」
なんてサラリとエスコートをされ、少しあっけにとられながらもついていくと彼はまた微笑み、さり気なく車道側を歩き、歩幅も自分にあわせてくれる。あまりにも完璧な所作に悪態をつきたくなるほどだ。
「好きな食べ物は?」
「味がいいものなら、なんでも」
「……そうか」
「ディシアのご飯はわるくない」
「同感だ。自炊はするのかい?」
「たまに」
「そうか、普段は何を?」
「一駅先の大学で、院生を」
「へぇ、僕は専門だけでたから大学はわからないけど、楽しそうだ」
「……まぁ」
適切な相槌、尽きない話題。普段あまり会話の必要性を感じていないからこそ、その会話が何とも心地良く感じる不思議。
「すまない、話し過ぎた」
「いや、かまわない」
「ならよかった! "また"、二個差なんだな」
「? また?」
「いや、なんでもないよ」
そうやって笑う彼は何となく寂しそうだった。なんとなくいたたまれないのはなぜだろう。
「ぁ、ここでいい」
そう言って歩道橋の方に行こうとすれば不意に手を掴まれてしまう。
「もうすこし、改札まで」
「…………わかっ、た」
取られた手は彼の体温が伝わり、なんだか。熱い。何より、くらがりの彼は必死そうであまりにも拒否ができなくて。早く、彼から逃げろとなんだか警鐘を鳴らされているような気がするのに『私』と『俺』がそれを拒絶する。あとすこし、もう、もう少し。
どうしても、この空間が、心地いい。
そう感じた刹那、鼓膜の奥からそこしれない声が聞こえた。
『アナタのココロの声を聞いて』
その声はある意味自愛に満ちた声で。
「、ぇ、」
なんの声だ、なんの声なんだ。
「アルハイゼン?」
カーヴェの声が遠く感じる。気持ちが悪い、頭が痛い。視界が、グラつく。
「アルハイゼン!」
階段を踏み外した、そこまでは覚えている。
カーヴェの必死そうな声が、揺れる鼓膜に響いていく。
嗚呼、本当に、ツイテナイ
Tobecontinued…