血に代わるモノ 後悔、という行為は下らない。そんなことをしている時間があるのなら次の一手を考えるべきだ。我が主のため、立ち止まっている暇などないのだから。
と、いうのがこれまでのオレの自論だった。のだが……今、オレは大いに後悔している。身から出た錆というものを。この状況、どう逃れたらいい。
「さあフェンリッヒ、お前も一緒に考えろ! お前が言い出したことだ」
「いえ、ですから、あれはその場限りの狂言……演技に過ぎなかったと、あのときにも申し上げたではないですか」
「もちろんそれは理解している。しかしだ、いつの日か実際にあのようなことが起きないとも限らない。そのことに俺は気がついてしまった」
「実際に、ですか」
オレを猛烈に後悔させているのは、先だってのオレの些細な策略――閣下の目の前で死んだフリをするという、その愚かなる行いについてだ。
正確に言えば死ぬフリというよりはこれから死のうというフリである。今際の際の望みとして、ヴァルバトーゼ閣下に我が生き血を飲んでもらおうとしたのだが、閣下の約束への強いこだわり、強情の前に失敗した。
目に見えた失敗ではあった。が、それがこうして今になってオレを窮地に立たせている。
「閣下が望むのであれば、わたくしは閣下の前で命を落とすことは決して」
「しっ」
すっと近づいてきた閣下の細い人差し指が、オレの口を塞ぐ。その閣下の目の色を見て、失言だったと気がついた。
「確約のできないことを口にするな」
その真剣な目だ。
「仮にその約束が破られたとして、苦しむのはわたくし一人です」
「バカを言うな。そんなわけがないだろう」
唇に当てられていた指が、そのまま下って首筋に添えられる。オレの首元を押さえつけるために少し背伸びをする閣下を、息を呑んで見下ろした。
どう言い逃れしようと、失言は失言だ。
「……わかりました。以後このようなことは口にしませんし、まして約束などいたしません。これでこの話は終わりです」
オレは首に添えられた閣下の手のひらに己の手を重ね、重く頷いた。
そう、これで話は終わりだ。どう考えてもこれはそういった流れへと落ち着いたはずだ。
が。
「いや待て。何も終わってはおらんぞ」
……駄目だ。閣下の強情を別な話題に逸すことができない。
「俺は確かにお前が死ぬ前に暴君の力を取り戻し、再びその目に焼き付けてやらねばならないッ」
「まだ死にませんよ」
「備えあれば憂いなしッ! しかし知っての通り俺は血を断っている。故にお前の血でもって力を取り戻すことはできない」
「もちろん力を取り戻していただきたいのは山々ですが、まず前提が……」
「そこで血に代わる魔力の源を検討する必要がある」
「つまり――イワシですね」
まったくこれは不本意だが、イワシなんぞよりももっと閣下に相応しいモノがある、明らかにあるのだが、さらにそれ以外のモノを閣下がご提案なされるぐらいならいっそ――まだ、マシだ。
「もちろんイワシは素晴らしい! 我が魔力の源として、これ以上のモノはない! それは疑いようもない世界の真理と言って差し支えないだろうッ! 俺だけではない、悪魔・天使・人間・異星人にアンドロイドその他なんでもイワシを食らうべきだ! が! 待て。お前の望みにはもう一つ条件があっただろう」
「そ、そんなこと言っておりません」
「そうだ、まだ言っていない。しかしあのときお前は言ったのだ! 『わたくしの血を』と。それがかつての恩返しになる、と」
確かに、概ねそのようなことを言った。しかしそれも含めての狂言で、オレの本心では……いや、本心、ではあるが……。
「つまりこの場合俺が口にするのはイワシではなくお前でなくてはならない」
「血でよろしいのでは?」
「断固として却下する! さあお前も考えろ! 俺はお前のいったい何を口にすればいい!」
そもそも本題はそこではなく、こちらとしては閣下に暴君の力を取り戻してもらえさえすればいいのだ。そのためにはオレの血で無くとも、別な者の血……いや、だが閣下の約束を翻させるのは限りなく難しい。そうなるとイワシか、オレ以外の何を、口にするだと?
「魔力を取り戻すための条件としては、血に近いモノの方がいいだろう。お前自身のエネルギーが強く籠もったモノだ」
閣下は、至極、真面目に検討しておられる。オレ以外、というのは絶対にありえない。それだけは避けたい。だがオレの血液に代わるもの、というのは。オレの脳裏にいくつか浮かび上がっているモノは、それは……まさか閣下のお考えがそのような所へとたどり着くとは到底思えないが。だがだからといって簡単に諦めるお方ではない。
明らかにこの状況はマズい。絶体絶命だ。