cherish　スミスが風邪を引いた。職業柄、体が資本なので健康には人一倍気を使っていても、引くときは引いてしまうのが病というものだ。
　じっとりと汗ばんだ白い肌がどこもかしこも真っ赤に染まっている。平熱が高い分、数度上がっただけで高熱になる体はその身をどれ程苛んでいることだろう。
　気休め程度ではあるが額に貼ってやった冷却シートもすぐに温くなる。これは、面倒でも冷やしたタオルを小まめに変えてやる方が楽だろうかとイサミが考えていた時だ。
　薄く開いた瞼がイサミの姿を捉えた。苦しげに眉が寄り、唇が開く。
「イサミ」
　小さく名前を呼んだ声は憐れなほどに枯れていた。耳のいいイサミでなければ聞き落としていたかも知れない。
　大方、移るから離れていて、とでも言う気なのだろう。自分が損なわれるよりも、イサミが損なわれることを恐れる男だから。
　お陰でイサミもこんなに苦しんでいるスミスを前に、変わってやりたいと思えない。イサミが苦しむ姿に、その何倍も苦しむスミスを見たくはないから。
　まあ、だからと言って離れてやる気はさらさらない。看病に当たって手洗いうがいと除菌は入念に、当然マスクもしっかり着用しており、風邪予防の栄養ドリンクを飲んでおいた。これだけ入念に対処してもうっかり風邪が移ったというなら、悪いのはスミスでもイサミでもなく凶悪なウイルスのせいである。
　イサミの名を呼んで以降、腫れた喉が張り付いて上手く喋られないらしいスミスの口元にストローを持って行ってやる。コップの中身はスポーツドリンクだ。味覚が正常に働いているかどうかは不明であるが、少しでも口がさっぱりしたらいいとほんの数滴、レモンを絞ってある。
　スミスの視線がストローとイサミを交互に行ったり来たりして、やがて諦めたようにストローに口をつけた。いつもは豪快に動くスミスの喉仏が控えめに動くのがなんだか切ない。
　コップの中身はあっという間に空になった。どうやら想像以上に乾いていたらしい。
「もう少し飲むか？」
　声をかけてやるとスミスは首を横に振って、今度こそしっかりと、イサミを咎めるように眉間に皺を寄せた。
「移るから……」
　そこで言葉が切れたのは、どう言えば穏便にイサミを部屋から追い出せるかを考えているせい。出て行って、では好意を無碍にしすぎている、看病は不要だ、と言える健康状態ではない。いつもの陽気さの裏に隠した切れ者の姿はどこにもなくて、本当にとことん弱り切っているのだとイサミは実感する。
　やがて、スミスが選んだ言葉は「移したくない」の一言だった。もぞもぞと布団を頭まで被り、出来るだけイサミから逃げようとしている。
　馬鹿だなぁ、とイサミは思う。
　もしもお前が逆の立場だったら？　お前はそんな一言で部屋を出ていくか？　熱くて苦しくて、本当は寂しくて、誰かに――愛する人に傍にいてほしいと思っている奴の傍から、離れられるのか？
「スミス」
「っ」
　布団をはぎ取り、風邪由来の林檎みたいな顔を剥き出しにする。イサミッ、と上擦る声が喉に引っかかり、スミスが可哀想なくらいに咳き込んだ。
　本当なら背中をさすってやりたいところだがそれは出来ないので、代わりに優しく胸を撫でてやる。スミスの呼吸が落ち着いたところで身を乗り出して、自分のマスクをずり下げた。
「い、イサミ⁉」
　冷却シートの上から額に、次いで右頬に、更に左頬に、高い分面積があるせいか、そこにも小粒の汗が乗った鼻先にも。一か所ずつ素早く、けれど丁寧に唇を落としてすぐさまマスクを元に戻した。目を丸くして呆然とイサミを見上げるスミスに笑いかけてやる。
「唇は熱が下がってからな」
　暗に、唇にして欲しけりゃさっさと治せと告げてやる。
「好きだよスミス」
　だから観念して大人しく看病されていろと濡れた前髪を撫でてやれば、風邪由来ではない熱でスミスの赤さは増した。