閉じた世界 補完(途中)孫息子のカキツバタが帰って来ることが決まった。それも、知らず知らずのうちに募っていた沢山の誤解を解いた末に。
あの子が学園に入ってから五年間。顔を合わせるのは大事な会合やアイリスに関する記念日ばかりで、年末年始から当人の誕生日さえ自分から帰省してくれることは一度だって無く。その上会っても目が合わず碌な会話もしていなかった。それがどれだけ辛く悲しく苦しかったか。
そんな孫が、帰って来る。合意の上で戻ると言ってくれた。なんとめでたきことだろうか!
彼の両親に当たる娘夫婦とずっと気に掛けてくれていた執事はそれはもう大喜びで、アイリスも「私だけ仲間外れにさせない!」といつも嫌がる事務仕事を一気に片付けて集まった。ここまで一斉に集合したのはカキツバタが産まれた日以来かもしれない。なにせ一族の集まりでさえ誰かしらが欠けていたのだから。
私はスマホロトムの向こうでてんやわんやする家族に、水を差すかもしれないがカキツバタが帰省に至った訳を伝えた。……本来なら先に話すつもりだったのだが、娘に「孫と一緒に帰る」と言った瞬間にはもう家全体家族使用人全員に情報が行き渡ってしまったようなので……大事な点だというのに遅れてしまった。
「カキツバタは現在目が不自由になっている。心身を休める為に一先ず三日の滞在を決めた。構いたいのは分かるが、ストレスになり兼ねないゆえ程々にしてやってくれ。特にポケモン勝負は可能な状態でないと思われる。……アイリスよ、聞いているかい?」
『カキツバタなら大丈夫だよおじーちゃん!絶対怪我させないから!』
「そういう問題ではありません。そもそも療養なのだから無理をさせてはいけない」
『むーっ!』
「アイリス、返事は?……きみはお姉ちゃんだろう?」
『…………はぁい』
「うむ、よろしい」
あの子は義姉であるアイリスによく懐いている。彼女の誕生日や彼女に関わるパーティにはちゃんと出席しているのでそれは明らかだ。……反抗期か、最近は少々ツンケンしているようだが。どうあれバトルに誘われたら喜んで応じてしまうだろう。先手を打って言い付けておいた。
「それから……あの子になるべく優しくして欲しい。いつものように厳しくはしないでやってくれ」
次にそう伝えると、「矛盾してませんかお義父様」と義息子からの指摘が。そう言われるとは思っていた。
なので首を横に振り、あの子が私達の見えない場所で一族から受けていた仕打ちを伝えた。全て聞いたワケではないが、陰湿な嫌がらせをされていたと。有る事無い事吹き込まれていたのだと。だから我々に期待するのを止め、学園に篭っていたのだと。
当然アイリスも娘夫婦も使用人も激怒する。「その輩の名前は!!」と普段は温厚な執事が叫ぶので、何名かが震えていた。
「そこまでは聞き出せなかった。それに優しくまだ幼いその口から語らせるのは酷だ。これから調査する」
一族はともかく使用人は入れ替わりが激しい。暫く前には町が氷漬けにされる事件があり、ソウリュウを離れた者も多い。もうあの子を害する者は殆ど去った後かもしれないが。
それとこれとはまた別だ。然るべき報いは受けさせる。もう二度とあの子を苦しませない。
なるべく激情を隠して淡々と告げれば、アイリスも皆も協力すると声を上げた。カキツバタと面識の無い新参者も「胸糞悪過ぎます」と怒りを露わにして手伝う意を表明する。
これならば特定は早そうだ。有難い話である。
「しかし、カキツバタは最低三日は居る。せめてその三日間は……甘やかしてやりたい。怒りは分かるが、その為にあの子を蔑ろにしないと約束してくれ」
『勿論です!』
『お任せあれ!』
『お父様こそあの子をほったらかしにしないでくださいよ?』
『私も出来る限り家に居るね!最近はチャレンジャーも少ないからなんとかなるよ!』
「ありがとう」
……最も許し難いのは、悪意を持ってただの少年を傷付けた狼藉者達だ。寄って集って、身内でなかったとしても到底赦せる所業ではない。
ハッキリとは答えられなかったが手まで上げられていたと確信を得た。あの子の痛みは計り知れない。
しかし、私は私自身も許せなかった。なにも知らず、本当のあの子を見ようとせず、厳しく接し続けていた私達にも……非はある。見限られて当然だ。
償わなくてはいけない。私達の為ではなく、あの子とあの子を大切にしてくれている友の為に。祖父も、父母も、姉も、きみの味方だと教えなくては。
もう、「要らないだろ」とは、「期待するのは止める」とは言わせないように。
それから、イッシュに着く予定時刻とゼイユくんからミクルのみが送られてくるのでレシピ等の準備をして欲しい旨を伝えて、通話を終えた。
間も無くカキツバタの検査も終わり、現在分かる限りの結果も伝えられて詳細は後々と連絡先を渡して、ソウリュウに戻っても問題無いことを伺う。
「では行くとしようか」
「…………うん」
自身と孫の荷物を持ち、手を差し出した。……一向に掴まれず数瞬落ち込みかけたが、見えていない所為で気付いてないのだとハッとする。
「手を繋いでも?」
「……繋がねえと流石に歩けねえよ」
「それはすまない」
おずおずと右手を出されるので、驚かせないよう、痛まないようそっと掴む。
「うぅー、やっぱ恥ずい……キョーダイめ……」
「私は嬉しいよ」
「んんんーーーー」
五年という時間は短くない。ギクシャクして顔を赤くする孫は、単に恥ずかしいだけではないのだろう。
それでも今更放すつもりは無い。細い手をしっかり握り、「行こうか」と一言告げてから歩き出した。ゆっくりと、冷静に、転ばせてしまわぬよう気を付けながら。
「キョーダイ達は?」
「先に空港に行ったそうだ。見送りたいと」
「ンな大袈裟な……」
「そうだろうか。心配するのも無理ないと思うよ。きみがいつまで学園を離れるかまだ分からないのだし……どうやら私はハルトくんにあまり信用されていないらしいからね」
「言ってて恥ずかしくねえのか」
心から呆れられて、つい笑う。私も孫も表情は乏しい方なのだが、今ばかりは素直だった。見えていないのが惜しい。
「家に帰ったら先ずはなにをしたい?お風呂かい?ご飯かい?」
「別に……やりたいこととか無いし、出来ないだろ」
諦めたように溜め息を吐かれ、胸が痛む。
目が見えないとは相当怖いことだろう。悪化までしてしまったようだから、なるべく好きに過ごさせたいのだが。
確かに制限は多過ぎる。なんでも叶えてやりたいけれど、軽々しく言えばむしろ傷付けてしまいそうだ。
「ジジイこそ、なんかねーの?オイラのことは気にしなくても、…………」
「……では、私にポケモン達を紹介してくれまいか。数日とはいえ共に過ごすのだから」
気まずそうに目を伏せるので、きみのポケモンと挨拶したいと要望した。カキツバタは「そら見せるけど」と面食らう。そんなに意外な提案だろうか。
「そんな当たり前のことじゃなくてさ。もっと、こう」
「きみが我儘を言えないのに何故私が言うのだ。気を遣っているなら、それは不要だよ」
「………………ごめんなさい」
しまった、つい叱るような言い方を。
本気でしょんぼりとする孫に慌てて、怒ってるワケではないと伝える。
「ただ、他人のように気遣うのは止めて欲しい。きみは病人なのだ。遠慮もしないでくれ」
「………………でもさあ」
「……大丈夫。どんな我儘でも、見放したりしない」
今度こそ、間違えないようしっかり伝えた。
カキツバタは目を見開き、なにやらもそもそ口を動かす。
「なんだい?」
「……まだ、わかんねーから、かんがえとく……」
私は、「分かった」と頷いた。三日以内に一つでもお願い事が出ればいいが。
「そろそろタクシー乗り場だ。足元に気を付けなさい」
「う、ん」
ともかく、空港行きのタクシーがある乗り場に着き。私達はイッシュを目指して飛び立った。
ソウリュウシティの家に着いたら直ぐに家族達が飛び込んでくるのだろう。そう未来を想像して、見事に当たるのであった。