ルシファーの盛大な勘違いについて2 それから幾日か過ぎた日の夜。
いつものように一人でシャワーを終えたアラスターは、ベッドに座るルシファーに手招きされて表情を固くした。ルシファーはそれを見逃さなかった。やはりまだ警戒されている。
なるべくいつも通りを心がけて手を差し出す。
「アル、おいで。マッサージをしよう」
アラスターの肩が僅かに下がる。付き合ってから定期的に手足のマッサージをしていた甲斐があった。警戒が解けたようだ。
分かり難いが、だからこそ些細な変化を見逃さないよう、ルシファーは恋人の様子を備に観察した。
「今日は肩周りをやってみようと思うんだ」
アラスターは怪訝な顔をした。手足のマッサージは日常的に行っているが、それ以外は一度もしたことがなかったのだから、怪しむのは当然だ。
突然いつもと違うことを提案したのには理由がある。これはルシファーの作戦だった。将来アラスターとセックスする為の。
以前ベッドに押し倒した時に思ったのだが、アラスターは肌の触れ合いに慣れていない。そもそも他者からの接触を極端に嫌っている男だ。初恋だとか処女だとか以前に、慣れてなくて当然だった。
なのでまずは、マッサージを通して肌に触れられることに慣れてもらおうとルシファーは考えた。元々、手足に触れることは受け入れてくれていたのだ。肩に触るのもきっと大丈夫……な筈だ。
内心不安を抱えながら、アラスターの反応を待つ。
『……そうですか。ありがとうございます』
アラスターは数秒間を空けたが、いつもの調子でベッドに乗り上げた。心の中でガッツポーズを取るルシファー。
いそいそとタオルを広げるルシファーの前で、アラスターは背を向けてパジャマのボタンを三つ外した。ルシファーが贈ったアイボリーのパジャマがスルリと肩から滑り落ち、肘辺りで留まる。
「えっ」
ルシファーは思わず声をあげた。
いつもは服に隠れている細い首が、普段は滅多に見れない項が、なだらかな弧を描く肩が、目の前に無防備に晒されている。ルシファーの目は釘付けになった。
『ルーシィ?』
不思議そうに首を捻って振り返るアラスター。ルシファーは慌てて目を引き剥がし、枕元にタオルを敷いた。
「やり難いから寝転んでくれ」
アラスターから物言いたげな眼差しが向けられる。だがルシファーの頭から足まで視線を巡らせた後、納得した様子でうつ伏せになった。恐らく身長差が理由だと察したのだろう。ちょっと複雑な気持ちになるルシファーだった。
(と、とりあえずは受け入れてくれたし、それで良しとしようじゃないか、私!)
自分で自分を慰めながら、ルシファーはオイルを掌に広げた。
湯上りの柔らかな肌の上を、オイルを馴染ませるようにゆっくり掌を滑らせる。手が触れた一瞬だけ体が強張ったが、すぐに力が抜けた。寝転ぶアラスターの横顔に嫌悪感や不快感は見当たらず、ルシファーは密かに安堵の息を吐く。
とんでもない食の嗜好をしているアラスターだが、不思議とその肌は滑らかで触り心地がいい。しかも魔の黒い部分になると少し肌質が変わる。ルシファーの肉体が天使と悪魔の性質が混ざり合っているように、アラスターも人間と悪魔が混じり合った体をしているのだ。
(是非とも全身隈なく確認したい……! どこからどこまでが悪魔の部分で、どこからが人間なのか……胸以外にもフワフワはあるのかとか……知りたいことがいっぱいあるぞ!)
だが、急いては事を仕損じる。今はマッサージを通じて肌の接触に慣れてもらうのが先だ。
(お楽しみは最後にとっておくものだからな!)
ルシファーは肌にオイルを馴染ませた後、少し力を込めて掌に圧をかける。思ったよりも強い反発があり驚いた。
だがさもありなん。アラスターは人前では常に姿勢正しく背筋を伸ばし、慇懃な態度を崩さない。相対する者がどれだけ下劣であろうと品性がなかろうと、決してその姿勢を変えることはなかった。
誰にも隙を見せようとしない、ピンと張った糸のような状態を日常的に続けているのだから、そりゃあ肩も凝るだろう。
(まぁ、それが私の前では、こんなふにゃんふにゃんになる訳だが)
ルシファーは目下の恋人を見下ろす。
リラックスした様子で体の力を抜いて、ルシファーのすることに身を委ねている赤い悪魔。そこに普段の貼り付けた笑顔はない。自然に上がった口角が、如何にルシファーに心を許してくれているかを表している。
(これは私だけの特権だ)
アラスターの気が緩んだ姿が見れるのも、素肌に触れられるのも全て、恋人であるルシファーだけだ。
ルシファーは優越感に浸りながらマッサージを続けた。
*
数分後。ルシファーは後悔し始めていた。
『んっ……』
アラスターの微かに開いた唇から、吐息混じりの声が漏れる。普段聞くことのない、気の抜けた声だ。
『んあっ……』
凝った部分を強く押すと、また声が漏れた。マッサージの効果で血行が良くなったのだろう。アラスターの横顔は桃色に染まっていた。
ルシファーは無言で、特に凝り固まった箇所を親指で強く押す。アラスターの体が強張り、赤い指先が枕を強く握り締めた。
『あっ、そこ……気持ちい……ッ』
息を詰まらせ、ノイズ混じりにうっとり囁くアラスター。ルシファーは真っ赤な顔で歯を食いしばった。
(……私は今、マッサージをしてるんだよな?)
自然とそんな疑問を抱いてしまう。
(何でそんな色っぽい声を出すんだ! いつもそんな声出してなかっただろ!)
ルシファーは苦悩した。正直、胸が苦しい。興奮で心臓が破裂しそうだ。なんなら股間もちょっと危うい。
股間部を一瞥してみたが勃ってはいない。ちょっと危ないが、ギリギリ、後一歩の所でなんとか踏み留まっている。だがそれも時間の問題だ。
(……これを、アルが慣れるまで続けるのか?)
無理だ。こんなにも艶っぽい恋人を前に我慢を続けるなんて不可能だ。アラスターのポテンシャルを侮っていた。あわよくば全身マッサージできたらいいな、なんて呑気なことを考えていた数時間前の己が如何に愚かだったか。
『アァッ……ル……シィ……ッ!』
ルシファーは黄金の涙を流した。