ルームツアー アダムにより崩壊したハズビンホテルは、ルシファーの手によって再建された。正確にはチャーリーやエンジェルなど、ホテルのメンバーも手助けしたが、大部分はルシファーの手によるものだ。
以前より電飾も多く派手な見た目になったホテルには、ちゃっかりルシファー専用の部屋も作られていた。林檎の形をした可愛らしい外観の部屋だ。ルシファーの部屋だと、ひと目でわかる。
その部屋と正反対の位置に、新しいアラスターの部屋はあった。元々アラスターが増設したラジオ塔があった位置だ。
黒と赤で作られた、自身をモチーフにしたデザインの部分を見つけた時、アラスターは目を丸くした。まさか、あのルシファーが、自分の部屋を作ってくれているとは思いもしなかったのだ。しかも、こんなにもアラスター専用と分かりやすい外観で。
アラスターは一人、新しい部屋に続く扉の前に立っていた。漂う木材の香りに目を細める。
真鍮のドアノブには細かく模様が掘られており、よく見ると牡鹿の角を模した物だった。この分だと、ルシファーの部屋のドアノブは林檎か蛇が刻まれていることだろう。ハスクは猫だろうか。チャーリーやヴァギーはどうだろうか。考えながら、指紋一つないドアノブを捻る。
室内は、当然ながら以前とは様変わりしていた。アラスターは部屋の中心に立ち、ぐるりと室内を見渡す。
『……これは──』
「新しい部屋はどうかな? ベルボーイ」
いつの間にか、ルシファーが部屋の入口に立っていた。開いたままのドアに背中を預け、得意げに口角を吊り上げている。
「君の趣味なんぞ知らんからな。適当だが、住めはするだろう。どうだ?」
ルシファーは意地の悪い笑みを浮かべながら、掌を泳がせる。
新しいアラスターの部屋は、他の部屋と比べてくたびれた雰囲気があった。柱や梁などの基礎の部分は真新しいが、置いてある家具や小物はどれも使い古した物ばかりだ。これらは、ルシファーが城の倉庫から引っ張り出してきた物だった。あの忌々しい男には、埃を被った中古品で十分だ、と。
さて、どんな反応が返ってくるだろうか。ルシファーはストロベリーヘアの後ろ姿を注視する。怒るか、呆れるか、はたまた別の反応を見せるのか。いずれにせよ、嫌がらせが成功すればなによりだ。
『──素晴らしい!』
しかし予想に反して、アラスターは喜色満面だった。
「はっ?」
驚きのあまりルシファーの体から力が抜ける。その様子に気付いているのかいないのか、アラスターはラジオパーソナリティらしい滑舌のよさでまくしたてた。
『テーブルも椅子も棚も、全て私好みです! ああ、このテーブル、よく使い込んでいますね。色に深みがある。細かな傷はありますが、塗装は剥がれてはいない。とても丁寧に年月を重ねてきたのでしょう。陛下、これらはどちらから?』
「あ、ああ。私の城からだ。倉庫に眠っていたのを持ってきたんだが……」
『それはそれは!』
アラスターは大袈裟に驚いてみせて、隙のない仕草でルシファーを振り返った。
『流石は地獄の王。趣味がよろしい』
ルシファーは絶句した。アラスターに褒められたからではない。否それもなかなかに衝撃的だったが、それよりも。
彼の笑顔は初めて見た。いつもの貼り付けたような、口角を上げただけの不気味なそれではない。純粋に喜びだけが顕になった笑顔。
(そんな顔もできるのか)
なんだか見てはいけない物を見てしまった気がして、ルシファーは襟ぐりに指を引っ掛けて唾を飲み込む。首元は少し汗ばんでいた。
その間も独りで喋り続けていたアラスターは、そのまま螺旋階段を登って二階に向かう。
驚いたことに、二階はラジオブースになっていた。自室と同じく赤いガラス張りの壁からは、ペンタグラムシティが一望できる。
今度こそはと、ルシファーも真っ赤な背中を追いかけた。
「あー、その……ゴホン! チャーリーがな、『アラスターは前のホテルに自分のラジオブースを作っていたの』と言っていて……私としては知ったことではなかったんだが、変に増設されてホテルの外観を損ねるのもよくない。生憎スタジオについてはよく知らんから、機材は瓦礫に埋まっていた物をそのまま使った。使えるかどうかまでは知らんぞ。必要なら自分で直せ」
これならどうだ。ルシファーは腕を組んでふんぞり返った。
どうやら家具はアンティーク品が好みらしいが、機器類はそうもいかないだろう。倒壊で付いた様子の傷や破損は勿論そのままだ。一部完全に壊れただろうという物もあったが、それも放り込んでおいた。おかげでブース内は綺麗な内装とボロボロの機材が一緒くたの奇妙な空間になっている。
(さあ、どう出る?)
アラスターは無言だ。何も言わぬまま、機材に付いた傷を指でなぞった。ゆっくりと、一つ一つを確かめるように。
『……ええ。ええ、勿論です。感謝しますよ、ルシファー』
赤い眼がルシファーを横目に捉えて緩やかに弧を描く。囁くようにそう言われて、ルシファーの膨らんだ胸がみるみる萎んでいった。鼻歌を歌いながら機材の状態を確認しているアラスターを後目に頭を抱える。
(何故だ! 何故うまくいかん)
ルシファーは知らない。アラスターが自身の生きた時代を愛し、死後に発展した技術を嫌っていることを。
なにせ、まだ会って二回目の男である。しかも、可愛い一人娘に対して馴れ馴れしい怪しげな罪人。好き嫌いや趣味嗜好なんて知るはずもないし、知りたくもなかった。
影から使い魔を次々に喚び出し、自身も魔術を駆使しながら機材の修理に勤しむアラスターは、それはそれは楽しそうだ。赤い耳がしきりにビルピルと揺れている。
(耳……そうか、アレは耳だったのか。髪じゃなくて。……そういえば、コイツは何の悪魔なんだ?)
ようやく初歩すら踏み出せていないことに気付き始めたルシファー。その頃には機材の修理は完了し、アラスターは蛇目のクッションを整えながら椅子に座った。
『さて、それでは早速、ホテル復活記念の放送を始めましょう! ルシファー、こんな素敵な場所を作って頂いたお礼です。特等席で私のラジオを聞く権利を差し上げますよ』
──ただし、放送中はお静かに願いますね。
そう言って茶目っ気たっぷりにウインクした赤い悪魔。ルシファーが慌てて口を出す前に、オープニングの音楽が流れ始める。アラスターが指を鳴らすと、緑の光と共に「ON AIR」の電飾が窓の外に現れた。
『みなさま、それではラジオの時間です!』
滔々と喋り始めるラジオスターの勢いに呑まれて、中座を諦めたルシファーは結局、静かに放送を見守ることとなった。
──後日。ルシファーの部屋には物が一つ増えた。部屋のインテリアに合わないそれを見付けたラジオデーモンは、それはそれはご満悦だったという。