湖面の月①日差しの暖かな昼下がり、ラベンダーベッドにたたずむ邸宅の庭の隅で、リオはしゃがみこんでいた。園芸鋏片手に、伸びすぎたかぼちゃの蔓を一本ずつ丁寧に剪定していく。余計な葉を落とすのは、その分の栄養を実に行き渡らせるための大事な作業だ。日の当たり具合を確かめながら、サクサクと切り落としていく。さくりさくりと作業をすすめ、切り落としたはずの手応えが妙に軽くて視線を落とせば、手の中の園芸鋏がバラバラになっていた。
「あれ?うわ…」
確かめてみれば、刃が折れたという訳でもなく、2枚の刃を繋ぎ止める金具の部分が割れてしまっているようだった。毎日手入れをしてはいたのだが。自分がグリダニアにやって来てからずっと使っていたし、花やら枝やらをたくさん切っていたから、寿命なのかもしれない。
「修理、できるかなあ…」
ひとまず今日は急ぎの依頼もないので、グリダニアに出て、旧市街の商店街まで足を伸ばす。
「修理のご依頼ですか?」
「は、はい。この鋏なんですけど…」
壊れた鋏を修理屋に渡す。彼は2つの部品に別れてしまった鋏を何度か手のなかでひっくり返すと、残念そうに首を振った。
「兄ちゃん、こりゃだめだ。刃を留めるリベットが折れてるし、その拍子に留め穴がゆがんでる。悪いことは言わねえから買い換えな」
「な、直せませんか…?」
留め具が外れてしまっただけだからすぐに直るだろうと軽く考えていたため、予想外のことを告げられて戸惑ってしまう。
「うーん、普通の鋏ならいいが、これは園芸用の特別なやつだから、俺じゃちょっとなあ。直すならこいつを作った鍛冶屋のとこか、リムサ・ロミンサの鍛冶師・甲冑師ギルドに持ち込むしか」
「そう、ですか…」
ひとまず返すよ、と手元に戻ってきた鋏を胸に抱え、とぼとぼと商店街を引き返す。この鋏は、自分がまだグリダニアに来たばかりで、園芸師としてもようやく1人前の仕事ができるようになった頃に買った物だ。ギルド共用の錆びかけたハチェットや鎌ばかり使っていたのを見かねたギルドマスターが、これできちんとしたものを買いなさいと多めにお金をくれて、その額の中で買えるいちばんいい道具達を買いそろえたのももう数年前だ。
愛着が、ある。仕事の相棒として日々使い込み、丁寧に手入れをしてきた。持ち手の革の部分も綺麗な飴色に変色して、手に吸い付くようになじむ。だから、代わりの物を買った方がいいと言われてしまってショックだった。
マーケットボードを見上げて代わりになるような園芸鋏の出品がないかと探してみるが、浮かない気分のせいか目が滑るばかりだ。今日はひとまず諦めて、リムサ・ロミンサを訪れることも視野に入れようとため息をついたところで、あの、と声をかけられた。
「その鋏…私が修理しましょうか」
振り返った先にいたのは、自分と同じ年頃のミコッテの男性。後ろでひとまとめにされた長い銀髪と整った顔立ち、氷のような色合いの瞳に気圧されて、間の抜けた声が出る。
「え、あ…、直るんですか?」
綺麗な人に予想外に声をかけられた驚きと告げられた内容に、そんな風に聞き返してしまう。
「あ…いえ、できるから声をかけてくださったんですよね…。でも、いいんですか…?」
もし本当に修理してもらえるのならありがたい話だ。どうして自分なんかに声をかけてくれたのだろう。どこかで会っただろうかと記憶をさらうが、心当たりがない。
「私はワ・セレス・ティアといいます。先ほど修理屋でのやりとりが聞こえて、つい」
「あ、俺は…リオ・ト・ジェイルといいます…」
いきなり降ってわいた都合のいい話に、自分も自己紹介をしながら、こんなことがあっていいのかと呆けてしまう。自分が返事をしないのを怪しんでいるからだと思ったらしい、セレス、と名乗った男性はさらに続けた。
「ああ…お代はいただきますけどね」
「は、はあ…」
「工房まで来ていただければすぐ直します」
彼の言葉をそのまま受け取るのなら、とてもありがたい話だ。買い換えるか、次の週末まで待つしかなかったものが今日直るというのなら、多少お金を多く取られたっていいくらいだった。幸い、幻術師としての務めと園芸師としてこなしている仕事のおかげで、ある程度の蓄えはある。
「あ、あの…お願い、します。修理、してください」
迷った末、少し高い位置にあるセレスさんの顔を見上げてしっかりとそう答えると、彼は綺麗な顔を柔らかく緩めて微笑んだ。
じゃあ、と歩き出した彼の案内に従って街を出て、居住区画へ移動する。彼の工房なのだという建物はラベンダーベッドを横切る川を渡る橋のすぐ目の前にあった。自分が暮らしている邸宅から、ほんの数本先の場所だ。
「知りませんでした…。こんなところに修理屋さんがあるなんて」
「宣伝もしていないので」
天窓の光の差し込む店内で、セレスさんが作業するのを待つ。机に並べられた色とりどりの瓶や壁一面に本の収められた棚を眺めていると、ほとんど待った気もしないうちに終わりましたよ、と声がかかった。差し出された園芸鋏は留め具が直っているだけではなく、普段の手入れでは行き届かない細かな部分の汚れや錆まで綺麗になっていて、文字通り新品同様だった。
「すごい…本当に、本当にありがとうございます…!」
鋏を両手で握りしめて、頭を下げる。ここまで丁寧な仕事をしてくれたというのに、彼が提示した値段は街の修理屋とほとんど変わらない金額で、むしろ申し訳なくなってしまった。
「これだけでいいんですか…?」
「ええ」
「でも…」
「何かあったら、また来てもらえれば、それでいいですから」
「…、また、来ます。絶対…!」
何度も頭を下げながら店の外に出ると、日がすっかり傾きかけていた。ふわふわとした心地のまま帰宅し、もう作業するには辛い明るさなので庭のエッグプラントの蔓の剪定はあきらめて温室で作業することにする。伸びすぎた葉切り落とし、満開を過ぎた花は摘み取って。早速活躍することになった園芸鋏はしっくりと手になじんで、花の世話はあっという間に終わってしまった。寝るには少し早い時間なので、作りかけていたドライフラワーのリースを仕上げることにする。ぱちん、ぱちんと余分な茎を切り落としながら、手の中にある鋏を修理してくれた人に想いを馳せた。
初めて目があった時、冬の湖のような人だと思った。その宝石のような淡い青の瞳もそうだけれど、しんと静かで、ひんやりとして、どこか人が入り込むことを拒むような、そんな気配があったから。でも、自分に向けられる笑顔や声は、言葉こそ少ないものの柔らかく優しいもので。不思議な人だ。どうして、他人を拒みながらも他人に優しさを差し出せるのだろう。
考え事をしているうちに出来上がったリースを箱に入れ、花や葉の切れ端を片付ける。今度道具が壊れたらまた行ってみよう、と心に決めて、布団に潜り込んだ。
*
「また、来ます。絶対…!」
ドアが閉まり1人になった店内で、思わず息をついた。見ず知らずの他人に自分から声をかけて、あまつさえ道具の修理を提案するなんて、らしくないことをしたとは思う。けれど。
けれど、修理屋の前で立ち尽くしていた後ろ姿が。
まあるく切りそろえられた、深い夜の色の髪の毛。柔らかに下がる肩の線に、一瞬、もう二度と会えないはずの母が立っているのかと錯覚してしまったのだ。
動揺を押さえ込みながら耳をすませれば、そもそもその人物は男で、年齢も自分より若いくらいで。ちらりと見えた横顔も母とは全く似つかなかった。
でも、壊れた鋏を握りしめて、しょんぼりと耳を垂れさせている姿を見たらなんだか放っておけなくなってしまって、声をかけた。
修理のために受け取った鋏も、丁寧に手入れしながら毎日使われているのが伝わってきて、好感が持てた。
素直にぴこぴこと動く耳と尻尾と、大きな丸い瞳に、うさぎか鼠みたいだな、なんて感想を抱きながら修理を進めて。綺麗になった鋏に目を輝かせて頭を下げる素直な様子に、眩しいものを見ているような心地になった。
彼は、またこの店に来てくれるだろうか。そんな考えに耽りながら、自分の愛用するガンブレードの手入れをして、夜が更けていった。