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    てんかず。むらむらしてる天馬に連れこまれる一成の話

    #てんかず

     あ、テンテン、目がやばい。
     夜八時すぎ、自室を尋ねてきた天馬を見た瞬間、まずそう思った。夜もふけた外廊下に立っているというのに、紫のまなざしは獲物を見つけた野生動物のように強烈で、瞳は内側から発光しているようにぎらぎらと照っている。
     この様相が意味することを知っているのは、おそらく寮内では自分だけだ。とりあえず周囲をさっと見渡し人が居ないことを確認しながら、後ろ手でドアを閉める。
    「あー、テンテン? 今日撮影じゃなかったんだっけ」
     直視するとまずそうなので、目を泳がせながら尋ねた。少し前に聞いた話では、今日までドラマの撮影でスタジオにほぼ缶詰状態だったはずだ。もしかして欲求不満とか? しばらくしてなかったもんな、なんて思いを巡らせていると、首元に痛いほどの視線を感じた。
    「……テンテン?」
     おそるおそる名前を呼ぶと、急に腕を掴まれる。手のひらの熱っぽさにどきっとしたのもつかの間で、「来い」と引っ張られた。
    「えっ!? ちょ、どこ行くの?」
     確認している間に隣を通り過ぎたので、天馬の自室ではないことは明らかだった。じゃあどこに? まさかこのままテンテンちに連行だったりして。まさかね。ていうか、テンテン全然喋んないんだけど。何で? 何かあったのかな?
     つんのめりそうになりながら歩いて、連れこまれたのは一成がよく制作に使っている倉庫だった。現在仕掛かり中のものはないから、入り口近くのスペースはぽっかりと空いている。
     そこに押し込まれて呆然としていると、扉の閉まる音と錠の落ちる音がほとんど同時に響き、一成ははっと振り返る。窓から差し込む薄明かりだけが頼りで、天馬の表情はよく見えない。
    「えっと……テンテン?」
     すると、再び腕を取られて壁に押しつけられて、どきっとする。
    「か、壁ドン? なんて……」
     間抜けにも上擦った自分の声が室内に響き渡って恥ずかしい。天馬が何も言わないから尚更だ。
     え、どうしよう。これ、結構マジなやつ? このままここでする気だったりする? いつものテンテンなら絶対そんなことしないけど、今日はなんか余裕ないっぽいし。いやいやいや、流されちゃマズいって――頭の中で理性が警報を鳴らしている。しかし、天馬が近づいてくると、鼓動がその音をかき消すように耳の奥で大きく跳ねて、どくんどくんと騒ぎ出した。
    「一成……」
     すぐ傍で熱っぽくささやかれて困った。そんな声出さないでよ。視界もだんだん暗がりに慣れてきているし、直視したら絶対負ける。目を逸らしながら迫り来る肩を押し返そうと手を置いた、そのときだった。天馬の顔が肩口にぽすんと乗ったのは。
    「え?」
     あれ、てっきり襲われると思ったんだけど。戸惑いながらとりあえず背中を軽く抱き留める。シャツ越しに伝わってくる体温は抱き合うときと同じ熱さのような気がするけど、何も起こらない。これは一体どういうことなんだろう。
    「……今日、撮影があったんだ」
     それまでほとんど喋らなかった天馬が急に口を開いた。しかも、このタイミングで仕事の話ときた。意図が全く読めないが、とりあえず相槌を打つ。
    「あ、うん。言ってたね」
    「ラストシーンの撮りだった。誰かが少しでもミスしたら崩れるような緊迫した雰囲気で、長い間カメラが回ってた。予定では何回か撮るはずだったんだが、歯車がぴったり噛み合って、一回で綺麗に終わった」
     言葉にすればそれだけの説明で終わってしまうけど、大変な撮影だったんだろうということは伝わってくる。すごいじゃん、よかったね、の意味で背中を軽く叩いてやった。
    「そっか。よかったねん」
     でも、それとこれと何の関係が。
     疑問を察したかのように天馬が不意に顔を上げ、一成を見つめる。
    「良かったんだ。本当にすごかった」
     まなざしの光は先程よりも獰猛さを増していて、知らず喉が鳴った。見つめ返してはいけないとわかっていたのに吸い込まれる。目を逸らせない。
    「それで良すぎて……その熱が引かなくて」
    「あ、そゆこと……」
     ようやく合点がいった。一成にも覚えがある。舞台に立ったあと、いい芝居が出来てアドレナリンとドーパミンがどばどば出たのか興奮が別の方向に向かうことがある。ありていにいえば欲情する。今の天馬はまさにその状態なんだろう。
     てことは、やっぱりここでしちゃう感じ? 普段のテンテンなら絶対ありえないけど、今は頭のネジがぶっ飛んでいるっぽいもんな。いや、でも倉庫はちょっと。背中痛そうだし、明日は学校行かなきゃいけないんだよね。抜いてあげるならアリ? どうだろ。空気もこもるよね。絵の具の臭いもたまに残ってるし。
    「おい、話聞いてるか?」
     見事に聞いていなかったので、一成は慌てて取り繕う。
    「えっ!? あ、あー……。倉庫はちょっーとマズいんじゃね? あとオレ、明日は大事な授業があって」
    「バッ、こんなところでするわけないだろ!? やっぱり聞いてなかったな!?」
    「あ、そうなんだ。じゃあどこ行くの?」
    「うちしかないだろ。でも……いい」
     学校あるんだろ、とつぶやく顔は険しくて固く、少し拗ねているようだった。でも、ぎりぎり残った理性で強がろうとしているらしく、「悪かったな」と身体を離した。
    「テンテン」
    「いいって言ってんだろ。今のは全部忘れろ」
    「でもさ」
    「いいから!」
     ことさら強く言って、背を向けてしまった。あーあ、拗ねちゃった。けれど、もういいと言うくせ、倉庫から出て行こうとする気配はない。だったら素直になればいいのに、なんて苦笑しながら無防備な背中に飛びついた。
    「ちょっ……、一成!」
     焦る天馬に体重を預けると、紫の目が激しくまたたいた。
    「っ、離れろ! 離れないと……」
    「離れないと?」
     鸚鵡返しすると、余裕のない表情が殊更ぐしゃりと歪み、強引に引き剥がされた。あ、やばい。壁に押しつけられながら、天馬が部屋を訪ねてきたときと同じ感想が頭をよぎる。でももう遅い。
    「ん……っ」
     荒く唇を塞がれ、普段よりも行儀悪く舌が入ってくる。その熱さにどきっとした。ほんとにむらむらしてるんだ。
     発情をぶつけるようなキスを受け入れながら、一成はそっと瞼を開ける。獣じみた紫の目はぴったりと閉じていて、黒いまつげが息継ぎに合わせてふっと揺れて、煌々と輝いている。
     それに気を取られていたら、舌の表面を擦られて背筋が震えた。あ、やばいかも。天馬の腕を掴むと、粘膜をなぞる動きがより大胆になって、気持ちよくなってきてしまった。意識するともう止められなくて、一成も応えるように舌を絡めたのだが。
    「うわっ」
     始まりと同じく力任せに押し退けられた。不満たっぷりに天馬を見やると、向こうも似たような目で一成を責める。
    「ちょっと、テンテン?」
    「おまえが悪いんだからな!?」
     どうやらキスを咎められたと思ったらしい。言い訳染みた物言いに笑ってしまった。
    「そうじゃなくてさ、途中で無理やり止めるんだもん。ひどくね?」
    「え? でもさっき、学校あるって」
    「あー、それはここでするのかなって思ってたからさ~」
     はっと見開かれた瞳を覗き込むと、天馬が息を呑んだ。
    「近い……」
    「さっきはもっと近かったよん」
     額がぶつかるすれすれの距離で睨まれた。さすがにこれ以上は悪ふざけがすぎるだろうとオレンジ頭をぽんぽんと撫でる。
    「いいよ、テンテンち行こ」
    「……ほんとにいいのか?」
     誘ったくせにどうして迷うんだろう。
    「あんなに強引にちゅーしたくせに~」
    「あれはおまえが悪いんだろ!」
    「だとしても、オレはテンテンのキスでその気になっちゃったから、責任取ってもらわないと。ていうかここに連れこんだのもテンテンっしょ」
    「はあ? オレのせいに――いや、オレのせいか……」
     真面目に納得してるさまがおかしい。
    「ふはっ、マジですげー目してたよん。オレ、マジでここで食われちゃうのかなって……」
    「だから、するわけないだろ。ここに来たのは……」
     言葉の続きの代わりに手をぎゅっと握られた。
    「テンテン?」
     見つめてくるまなざしは勢いを失なってない。このあと、家に行ったらどうなっちゃうんだろうとどきどきしてくる。
     すると、天馬がふっと顔を逸らした。
    「おまえ、顔がやばい……」
     ぼそぼそとつぶやくので、一成もそっと教えてやった。
    「……テンテンだって相当やばいよ」
    「マジかよ」
    「マジマジ」
     熟れた瞳を見つめて返して笑った。どうしよう、めちゃくちゃキスしたい。でも、そんなことをしたら最後、ここから出られなくなりそうだ。天馬も同じことを思ったのか顔を逸らし、「井川が来るから」とぼそぼそつぶやいた。
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