また君を好きになる/綾鷺目を覚ますと、見知らぬ人が心配そうな顔で僕の顔を覗いてきた。
「未鷺…もう大丈夫なのか?」
確か僕は、突然気分が悪くなって倒れたんだったか、誰かが僕の名前を呼んで…保健室に運んでくれた所までは覚えている。
しかし、この凄く親しそうに話しかけてくれる彼のことは覚えていない。
多分彼は僕のことを知っているだろうが、それでも僕が…彼のことを知らないのはどうしてだろうか…?
彼があまりに嬉しそうにしているものだから「誰ですか?」なんて聞けるはずも無く、僕は話を合わせることにした。
「…うん。心配かけてごめんね?」
「あんまり無理するなよ。」
そう言って彼は僕の髪を優しく撫でた。
ざわつく心と…それでも何故か心地の良さに罪悪感を覚えた。
彼を傷つけない様に思い出すには…どうすれば良いだろうか?
「大丈夫か?」
気分が悪くなって倒れた事は覚えているのに、どうして気分が悪くなったのか思い出せない。
思い出したくない、心の底にしまったトラウマを引っ張り出されたかの様に気持ちが悪かったのは確かで…。
「凄く…気分が悪かったのは確かなんだけどよく覚えてない。」
「……そうか。」
彼は僕の顔をじっと見てから瞳を閉じた。
多分…彼は僕が倒れた訳に気づいたのだろう。
「僕が倒れた訳、心当たりあるの?」
「二番目の魔物……お前のクラスの、討伐されたんだ。」
二番目の魔物。
僕が受け持っているクラスの優しくて世話焼きな良い生徒。
彼は過去の僕みたいに自分が魔物であることに悩んでいた。
だから、どこか自分と重ねている所があって…守りたいと思っていた。
でも結局、自分は偽善者にしかなれないのだとまた思い知らされる。
「…そう…なんだ。」
彼は心配そうに僕の顔色を伺ってくる。
大丈夫…とはとても言えないぐらいには気分が悪い。
「あぁ、僕は大丈夫だよ。僕なんかより彼の方が心配だ。」
「お前はそうかもしれないけど、僕はお前の方が心配だよ。また無理してるだろ?」
どうやら彼には僕のことがお見通しの様で、相当の仲だったことが分かる。
容姿から見てこの学校の用務員であることは分かるけど、未だに名前は思い出せない。
「本当に大丈夫。僕よりも彼のことを心配してあげて。」
「未鷺、大丈夫だって僕の目を見て答えろよ。」
彼の瞳は真っ直ぐに僕を捉えていて、自分の不安な気持ちすらも見透かされている様で逃れられなかった。
「…魔物の事で倒れたのは確かだけど、その時の事を覚えてないからとりあえず今は大丈夫。」
魔物のことよりも多分、目の前の彼を思い出せないのが最も重大な問題だ。
「…覚えてないって、…それ大丈夫じゃないだろ。」
「誰かが助けてくれたんだけど、それすらも覚えてなくて…。」
「ここまで運んだのは僕だ。未鷺が倒れたって聞いて急いで駆けつけたんだよ。」
「そうだったんだ…ありがとう。」
礼を言うけど、彼の顔色は曇っていった。
多分、僕の異変に少しずつ気づき始めているのだろう。
「それじゃあ僕は…。」
彼から逃げるように"帰るね"と、言おうと思ったけど…何故か家が想像できなかった。
実家暮らしでは無かったはずだけど、…僕はどこで暮らしているのか検討もつかない。
「流石に一人は心配だから一緒に帰るぞ。車は僕ので良いか?」
僕の聞き間違いでなければ今彼は「一緒に帰る。」と言った。
普通なら「送る。」と言うところで…僕が気にしすぎか、それとも一緒に住んでいるのか。
「……うん。」
彼についていけば全てが分かること、何も聞かずに彼の車に乗って家まで帰る事に。
車に揺られること数分後、…僕たちは家に着いた。
結局、僕は彼と一緒に暮らしていることが分かった。でも、それ以外彼については何も分からなかった。
スマホのメッセージ欄を見るけれど…いまいちピンとくるものが無く、でもひとつだけ分かったことがあった。
それは…僕は"綾人"という人物と付き合っていることだった。
「なぁ、本当に大丈夫か?前から言ってるけど、何か隠してることがあるなら教えてほしい。一人で抱え込むなよ。」
「……。」
素直に「君のこと、何も覚えていない。」って言えたらどんなに楽だったか。
…でも、元より僕は自分の抱えている悩みを打ち明けられる程オープンにしていないし、彼にもそれができていないと言うことはつまり…彼とは心を開いていない関係だったのではと思う。
彼といつからの付き合いかは知らないけれど、僕が覚えている限り…今まで本当に人を信用したことなんて一度もない。
だからきっと…彼のこともそういうことなんだろう。
「少しは僕を頼れよ。」
「…大丈夫、少し疲れただけだから。今日はもう寝るよ。」
きっとこれ以上彼に気を遣ったらいつかボロが出る。伝えぬまま思い出そうだなんて無謀にも程があるけど、…それでも頼れない僕は、何も伝えないままやり過ごそうと思う。
翌日…ではなく夜。多分寝入ってから1時間後ぐらいだろうか。
とても嫌な、思い出したくない思い出が夢に出てきて…夢なら覚めればいいと思った所、誰かに呼ばれて目を覚ました。
目の前がぼーっとして、歪んで見える。そして、体が熱くびっしょりと汗をかいているようだった。
多分僕は…熱があるのだとすぐに分かった。
「相当うなされてたみたいだけど大丈夫か…って熱い。熱があるな。」
彼の手が僕の額に乗ると、少しひんやりして気持ちよかった。
「ちょっと待ってろ…熱冷まし持ってくる。」
そう言って部屋を出て数分後、熱冷ましのシートと汗拭きタオルを持って帰ってきた彼は、タオルで優しく僕の汗を拭ってくれた後にシートを額に貼ってくれた。
僕は滅多に熱を出す事がなかったし、どちらかと言われれば看病することの方が多かった。
でも、熱を出せば母を独り占めすることが出来て…とても好きだった。
弟妹もその日だけは僕に優しくしてくれて、僕がわがままを言っても誰もが許してくれた。
母が優しく手を握ってくれた事は…今でも忘れられない。
しかし、今目の前にいるのは僕が忘れてしまった彼。
彼もまた母のように優しく僕の手を握ってくれた。
何故だろうか…とても安心しているし、少しだけ鼓動が速くなった。
「き…は、………なの?」
熱で意識が朦朧とし、辛く声にならない声を発して聞いてみる。
「喋るな、僕はここにいるから。」
そう言って髪を撫でてくれる彼の手は大きく、優しくて心地がいい。
僕は彼に撫でて貰うのが、…好きだった。
だって…こんなにも満たされた気持ちになる。
「おやすみ、未鷺。」
彼の優しい手と声音ですっかり安心した僕は、再び眠りについた。
朝、目を覚ますと横には僕の手を握ったまま眠りについた彼の姿があった。
一晩中…僕が熱に魘されないように側にいてくれたのだろうか。
「君は…誰なの?」
ずっと側にいて僕の世話を焼いてくれるこの人は、…一体誰なのだろうか。
「…んん。…ふぁ…、…おはよう未鷺。熱はもう下がったのか?」
目を覚ますなり僕の額に手を当てて熱を確認し、平熱だと分かると彼はふっと微笑んだ。
「うん…ありがとう。嫌な思い出を夢に見てたんだ。誰も僕を必要としなくなったあの日のことを…。」
そういうと彼は顔を少し歪ませたけれど、慰める
かのように僕の髪を優しく撫でてくれた。
「偽善者(僕)一人居なくなったところで、周りは何も気にしないのに…どうしてこんな簡単な事にも気付けなかったんだろう。」
「そんな事ない。僕は…お前がいなきゃ生きていけない。昔のことは何もしてやれなかったけど今は違う。こうして誰よりも未鷺の側で、話を聞いて支える事ができる。だから…。」
どうして彼はここまで僕のことを思ってくれるのだろうか…、少し考えて思いついた結果。もしかして彼が"綾人"で、僕たちは恋人関係なのかもしれないということ。
「うん、分かってる。ありがとう。」
礼を言い終えるぐらいか、彼は突然僕に口付けをした。
急で驚いたけど…嫌な気はしなくてドクンッと胸が波打ち、徐々に顔に熱が帯びるのが分かる。
彼の名前と共に忘れてしまったこの感情の名前、今なら分かる気がする。
この感情の名前はきっと…。
「未鷺、愛してる。」
「うん…僕も愛してるよ、綾人。」
また僕は綾人に恋をする。
君はどんな時でも僕を怒り支えてくれたんだ。
きっと何度君を忘れても、君が僕を好きで居てくれる限り…また僕は君を好きになる。
僕が君にしてあげられたことなんて数えるぐらいしかないのに、…なんで君は僕を好きになってくれたんだろう。
「ねぇ綾人、…綾人に話さなきゃいけないことがあるんだ。」
僕たちがどうやって出会い、どんなことをしたのか答え合わせをしよう。
綾人のことを忘れてしまったことを伝えたら、…「なんで頼ってくれなかったんだ。」って君はまた僕を怒るんだろうな。
それでもいい…そうやって僕は、僕をこんなにも想ってくれる人が目の前にいるんだって…その度に思えるから。