戻ってきたら、人々が寝静まった蓮花塢を月明かりが淡く照らす。昼の喧騒はすっかり息をひそめ、ときおり風が木々や揺らす音だけが響いている。
そんな夜、江澄は私邸の奥深く、湖に突き出るように建てられた四阿にひとり佇んでいた。
「……静かだな」
こぼれ落ちた声は誰に聞かれることもなく、蓮の花芽がちらほらと出始めたばかりの湖面に消えていく。
ここしばらくは邪崇の報告もない。本当に静かで穏やかな夜だ。江澄は改めてそう思った。
そうして己の手の中に納まる横笛をそっと見下ろす。
――鬼笛陳情。
夷陵老祖の名とともに語られ、恐れられるそれは、今は雲夢江氏のもとで保管されている。より正確に言うならば、江澄自身が管理していた。
瑕疵がないことを確認した江澄は、広げていた手入れ道具を手早く片付ける。誰もいない場所でおこなわうこの作業はもはや習慣となっていた。
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