「やっべ……」
もう一つだけ……とカボチャ型のバスケットに突っ込んだ手が空を切り、空却はやっちまったと頭を掻く。
悪あがきとは思いながらもカゴをひっくり返して数回振ってみるが、当然何も出てこない。ハロウィンイベントで参加者に配るため、バスケットの中いっぱいに詰め込まれていた大量のお菓子たちは一つ残らず消え去っていた。
渡されたときにはこんなに配りきれるのかと思っていたのだが、見積もりが甘かったようだ。お決まりの『トリック・オア・トリート』の呼びかけのない者にまで積極的に配って回り、さらにちょこちょこつまみ食いをしていた結果、うっかりイベント終了前にお菓子を切らしてしまったのだった。
一緒にお菓子配りを担当している十四と獄の方に目を向けると、その周囲には何人か仮装している人たちの姿が見える。彼らはまだお菓子を配っているようだった。
「……まあ、イベントもそろそろ終わるし、まだあいつらが配ってるし……隅っこの方にいりゃあ誰からも声をかけられねぇだろ」
声をかけられたとしても、イタズラなんてちょっとくすぐられたりとかそんなもんだ。たいして問題にならねぇと思いながらも、やっぱりイタズラされるのは御免だ。周囲の様子をうかがいつつ、こそっと建物の影へ向かって歩き出したところで、見計らったように背後から『あの言葉』をかけられた。
「トリック・オア・トリート!」
「うぉっ! ……って、一郎じゃねえか」
一瞬身構えた空却だったが、すぐに緊張を解く。そこに立っていたのは、狼男の仮装に身を包んだ一郎だった。マブダチの一郎ならイタズラもなしで見逃してもらえるかもしれない。
「トリック・オア・トリート」
「あー……悪ぃが、菓子はもうねぇんだよ」
空却は手に持っていたバスケットをひっくり返してみせ、中身が空であることをアピールする。
「そうか、そいつは残念だな」
そう言った一郎の声に滲む寂しげな響きに、空却はそんなに菓子が食いたかったのかと少し罪悪感を抱いた。――言葉と声に反し、その目が本物の狼さながらに鋭く光っていることには気付かずに。
「悪いな、どうしても菓子が欲しけりゃ十四と獄が――」
「じゃあ、イタズラしねぇとな」
「は? ――って、うぉっ!?」
不穏な空気を感じた空却が十四と獄に向けていた視線を戻すと、思いのほか近くに一郎の顔があって心臓が止まりそうになった。いくらダチでもこれはビビる。吐息も触れようかというその距離感に、さすがの空却も数歩後方に下がって距離を取る。
「何逃げてんだよ? そういうルールだろ」
そう言いながらじりじりと迫る一郎。その迫力に思わず空却もさらに一歩二歩と後ずさるが、すぐに背中が壁にぶつかり退路を断たれてしまう。声を掛けられないように建物の影近くに来ていたのが徒となった。
空却は一郎なら見逃してくれるだろうと考えていたが、それは甘かった。なにせ一郎はこのときを虎視眈々と狙っていたのだから。
イベント好きな空却は張り切ってハイペースで菓子を配って回るだろうし、さらに食い意地がはっているので、つまみ食いでもしてイベント終了前にお菓子を切らしてしまうだろうことは予想済みだった。そうなると空却はトリック――イタズラを選択するしかなくなる。
さて、どんなイタズラをしてやろうか。幸いそこは建物の影になっていて、うまいことイベント参加者たちの死角になっている。わざわざ空却自らこんなところへ移動してきてくれて、ツイていると言わざるを得ない。
思い通りに獲物を追い込んでいく高揚感に、一郎は本物の狼さながらにペロリと舌なめずりをする。
「……あ!」
「あ?」
とうとう壁際に追い詰めたというところで、空却が何かを思い出したというように大きな声をあげた。虚を突かれた一郎がぽかんと空却の行動を見つめていると、何やらガサガサと上着のポケットを漁りはじめた。そしてポケットから出した手を一郎のほうへ突き出す。
「ほれ、手ぇだせ」
「おお……」
言われるがまま手を差し出すと、そこへ何かが載せられた。それは高級そうな包み紙に包まれたお菓子だった。
「ほれ、ご所望の”とりーと”だ!」
「な、何で……」
「始まる前に獄が依頼主からの差し入れだっつって拙僧と十四によこしたんだよ。助かったぜ」
ほれ、まだあっから遠慮なく食えよ! とさらに一郎の手のひらに2つ3つと載せていく。
そこで、イベント終了のアナウンスが流れた。
「お、終わったみてーだな。さっさと戻ろうぜ!」
「ああ……そうだな……」
天国さん……!
空却の後をうなだれとぼとぼとついて歩く一郎は、心なしか耳もしっぽも垂れ下がって見えた。その様は狼というより、大好物を前に待てを食らってしょぼくれる犬にしかみえないのだった。