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    fs_raku

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    学怖 七人目の語り部が夢主

    シナリオ分岐条件
    ・六話目に風間を選び『風間さんは僕の守護霊?』エンドを見る。
    ・六人の語り部の話の中で、一度でも岳端或太の名前が出るルートを通る
    ・七話目に入った直後、『休憩する』を選択
    以上で特殊シナリオが発生する

    新聞部に潜むUMA ……六人目の話が終わった。七人目はまだ一向に現れない。
    「坂上君さあ、どうするの? このままぼんやりしているわけ? せっかく僕の話で冷ややかになった空気が、しらけちゃうじゃないか」
     風間さんは髪をいじりながらそんなことを言う。
     確かに、風間さんの語った六話目で場の空気は冷えた。もちろん、怖かったからじゃない。とんでもなくしょうもなかったからだ。
    「僕はきみの守護霊なんだよ」なんて、ばかばかしいにもほどがある。「すごぉい、良かったね! 坂上君」と福沢さんは手を叩いて笑っていたし、荒井さんは無言を貫きこそすれ、小さく息をついて呆れているようだった。突飛な話に巻き込まれた僕はすっかり恥ずかしくなり、メモを取る手が覚束なくなるくらいだったのだ。
    どうしてこの人は、あんな毒にも薬にもならない……いや、毒まみれの話を披露して、平然といられるのだろう。僕だったら、申し訳なさすぎてずっと顔を伏せているぞ。
     まだ見ぬ七人目のことも心配だが、風間さんの話をいったいどうまとめるべきか、僕はそちらの方に思考が逸れていた。正直、僕の記者としての力量では無理だ。どうあがいても、風間さんの語った前世占いをきちんとした記事に仕上げられる気がしない。
    「す、少し休憩しませんか。皆さん、お話して疲れたでしょう。その間に、七人目が来るかもしれませんし」
    「とは言ってもよ」
     不服そうな声を上げたのは新堂さんだ。
    「俺たちはもう自分の役目も終わったし、帰るだけだぜ。休憩なんざ、家でゆっくりするよ」
    「けど……」
    「けども何もねえだろ」
     確かに新堂さんの言う通りだ。ここで六人の足を止める意味はない。明日、日野さんには事情を話して、七つ目の話はまた今度に……。
     その時だ。新聞部の部室の扉が、音を立てて開いた。全員の目がそちらを向く。
    「おおっ、こんな時間までまだ残っているとは! 感心、感心」
    「が、岳端先輩!」
     入ってきたのは、同じ新聞部の二年生、岳端或太さんだった。僕を含めた七人をぐるりと見渡すと、いつもの如く、機嫌の良さそうな足取りで空いている椅子に座る。風間さんの隣だ。
     風間さんは心なしか、落胆したような、億劫そうな顔をして呟いた。
    「おいおい、もしかして七人目ってのはきみかい?」
    「え? 違いますよ、風間先輩。僕はただ、可愛い後輩君がしっかり役目を果たしたのか、見に来ただけなんです」
     なんだ。僕も先輩が七人目だと期待したのに、違うのか。
    「お二人は知り合いなんですか?」
    「いや、別に」
    「坂上君。きみが僕の可愛い後輩であるように、僕は風間先輩の可愛い後輩なのだよ」
     首を振る風間さんとは打って変わって、先輩は大きく頷いてみせた。ちぐはぐな反応、どちらが正解なのだろう。
     ……はっきり言って、僕は普段から岳端先輩が何を考えているか、よくわからない。可愛がってくれるのはありがたいが、部活のことで質問しても、少しピントがずれている答えが返ってくるし、記事は結構いい加減だし、頼りになるとはとてもじゃないが言えない人だ。
     僕は先輩によってもたらされた新たな雰囲気に、早くも不安な気持ちになっていた。新堂さんの言うとおり、さっさと帰っていれば良かったとすら思う。
    「ふむ、ふむふむ」
    「ああっ、先輩! 勝手に見ないでくださいよ」
    「何を照れることがある、坂上君。インタビューのメモなんて、みんなの目に触れるものじゃないか。明日、日野先輩にこれを見せるんだろう? 日野先輩には見せられて、僕には見せられないと言うのか?」
    「いえ、そんなことはありませんけど」
     言っている間にも、先輩は僕の手から引ったくったメモ用紙をぺらぺらと捲り、中身をチェックしている。うう、目の前で読まれると、なんだか恥ずかしい。
    「ふーん、よくメモできているね。多分。よくわかんないけど。特にこの風間さんの話、実に恐ろしいな。これはきっといい記事になるだろうね」
    「はあ……」
     恐ろしい? 風間さんの話が? 先輩、別の話と勘違いしているんじゃないだろうか。それとも、怖いと感じる基準が相当ずれているのだろうか。
    「おい、部活動なら後でやってくれや」
    「そうね、私たちはそろそろ帰らせてもらうわ」
     新堂さんと岩下さんが言う。荒井さんや細田さん、福沢さんも、そろそろ席を立ちたそうだ。風間さんは興味がなさそうに、時計の針をぼうっと眺めている。
    「でも、メモを見る限りまだ七人目は来ていないんですよね? 日野先輩、呼ぶの忘れちゃったのかな? まったく、仕方がないなあ。これじゃあ七不思議が完成しないじゃないか。
     よし、それじゃあ一つ、僕が怖い話をしましょう」
    「せ、先輩がですか?」
    「おうともさ」
     先輩はいそいそと両手をすり合わせている。どう見てもやる気満々だ。
    「良かったね、坂上君! これでちゃんと記事が書けるじゃないか」
     細田さんが丸い顔を綻ばせた。
     ……まあ、確かにそうだ。七人目が現れない以上、先輩に話してもらうのが一番ありがたい。新堂さんや岩下さんも、それならと改めて椅子に座り直している。
    「ええと、それじゃあ……お願いします」
     僕が頭を下げると、先輩は得意気にこほんと一つ、咳払いをした。
    「……これは、僕が実際に体験した話なんだけれどもね……」

     これは僕が実際に体験した話なんだけれどもね。
     僕がまだ初々しい、華の一年生だった頃の話だ。坂上君も知ってのとおり、僕は都市伝説やUMAの類が好きでね。そう、ツチノコ。特にツチノコさ。あの踏みつけられたヘビのような、なんとも言えない愛らしいフォルム。まだ誰も捕まえたことがないという希少性。小さい頃、初めてその存在を知った時から、僕はすっかりツチノコの虜になっていてね。小学生の頃なんかは、いつかこの手で捕まえてやると、虫あみを片手にほうぼうを走り回ったものだよ。うん、さすがに今はそんなことをしていない。
     だって、必要なくなったからさ。
     話が脱線している? 怖い話をしてくれ? いやいや、まあ待ちなさい。最後まで話を聞いて。
     きみは僕の記事を読んだことがあるね、坂上君? もちろん、新聞部の記事にはすべて目を通しているだろうな。先輩が書く文章にはノウハウと旨味成分がたっぷりと詰まっているから、しっかり勉強するつもりで読むように。で、僕の記事だけど。そうそう、UMAのことばかり書いているだろう。ツチノコはもちろん、ビッグフット、スカイフィッシュ、チュパカブラ……。ま、何しろ新聞部のUMA担当だからね、僕は。その刊のテーマやら特集やらは、僕にとっちゃどうでもいいのさ。
     なに、そんなにオカルトまがいのことばかり書きたいなら、オカルト研究会に入ればよかったのに、だって? 何を言う、坂上君。だってあそこ、なんかややこしいじゃないか。入部人数に制限があるとかなんとか、選ばれた人しか入れないとか……。それに、僕は日野先輩の後輩として学生生活を捧げると決めたから。新聞部という選択肢しかなかったんだよ、僕には。
     で、そんなUMAのことばかり書いている僕だけど、一年生の頃はそうでもなかった。購買のパンの人気ランキングだとか、運動部の誰それが県大会で優勝したとか、そういう一般的な話も書いていた。もちろん、UMAのこともたまには書いていたよ。何しろ、彼らは僕の人生だからね。
     そんなウブだった僕が、どうしてUMAの記事しか書かなくなったのか? 今回は、その顛末を話そうと思う。

    「お前、本当に好きだな、ツチノコ」
     ことの始まりは、日野先輩が部活中にそう話しかけてきた時だった。ツチノコの目撃場所をまとめた記事を、僕は熱心に練っていた。
    「ええ。だって可愛いでしょう?」
    「可愛いのはいいが、そう頻繁に書かれるのはな……年に一度の企画ならいいが、読む方も真新しさがなくなるだろう」
     日野先輩は二年生の頃からすでに部長の風格をまとっていたよ。言うことが的確なんだよな。もちろん坂上君も知ってのとおり、今も変わらず部長の風格をまとっているけど……実際は副部長なんだから、なんかおかしいよね。多分、ほとんどの人が勘違いしちゃうと思うんだよ。日野先輩が部長だって。
    「でも、僕はこういう話が書きたいんですよ。記者が楽しんで書いている記事の方が、読者も楽しめるんじゃないでしょうか」
    「なら、もっとお前らしい記事にしたらどうだ? すでに誰かが調べた内容じゃなく、お前が実際にツチノコを探した体験を書いた方が、ぐっと面白くなるんじゃないかな」
     ああ言えばこう言う生意気な後輩に、なんと優しいアドバイス。なんて出来た先輩なんでしょう。面倒な後輩を適当にあしらっただけかもしれんがね。
     確かに、日野先輩の言うことには一理ある。そう思った僕は、ツチノコを探しに行くことに決めた。この目で本物を見て、血の通う生きた記事にするのだ。
     だが、どこを探せばいいだろう? 子供の頃から家の近所はもちろん、おじいちゃんおばあちゃんの田舎に行った時には山道をくまなく見てみたりもした。けれど、そう簡単に見つかるもんじゃないだろう。見つからないからこそのツチノコだもの。伝説上の生き物だからこそ、みんなの注目を集めて止まないのさ。すぐに見つかったら、それはもうツチノコじゃないね。ツチノコ以外のツチノコ、ネオ・ツチノコだ。
     僕が迷っていた、その時だ。部室で先輩の……えっと、どうしよう。坂上君の知らない先輩だな。うん、その先輩ってさ、もう新聞部にはいないんだよね。知らない名前を出しても面白くないよなあ……。じゃあ仮名を使って、朝比奈先輩ってことにしよう。当時は二年生の、朝比奈先輩。本当は別の人だけれどね。臨場感を持たせるための、一匙のフィクションってやつさ。
     ……どうしてもう新聞部にはいないのかって? なんならもうこの高校にもいないよ。いやいや、卒業したわけじゃない。理由はあとで話すから。
     で、僕が迷っていた、その時だった。朝比奈先輩が話しかけてきたのは。
    「ツチノコを探しているんだって?」
     日野先輩から聞いたのか、朝比奈先輩は開口一番にそう言った。
    「実はさ、僕も見たんだよ。ツチノコ。もちろん本物さ。興味あるだろう?」
     僕は驚いたよ。朝比奈先輩ったら、突然そんなことをさらりと言うんだもの。本当だったら、世紀の大発見だよ。さっきも言ったけれどさ、ツチノコがそう簡単に見つかるわけはないよね。すぐに見つかったら、それはもうツチノコじゃ……このくだりはもういい? 坂上君、先輩の話を遮るのはやめたほうがいいよ。僕だから許してあげられるけれどもね。
    「い、いったいどこで見たんですか?」
    「この学校の近くに、小さな森があるだろう。そこさ。たまたま通りかかった時に、小さなツチノコがあの森へ入っていくのを見たんだ。あれは早々忘れられるもんじゃないね」
     確かに、あの素晴らしい生き物を見ることができたなら、二度と忘れられないだろうね。朝比奈先輩の話を聞いて、僕はすっかり興奮したよ。舞い上がったとも言うね。なにせ人生の大半をかけて追い求めてきたツチノコが、ぞんがい近くにいたんだもの。青い鳥はいつだってそばにいるんだよ。童話ってのは、どんな時代のものでも核心を突くものだね。
     貴重な情報をくれた朝比奈先輩に、僕は何度も何度もお礼を言った。なんていい先輩を持ったんだろうと、自分の強運に感謝もした。朝比奈先輩は、なんてことなさそうな顔をしていたよ。
     次の休日、さっそく僕はくだんの森へと向かった。その日のことは、今でもよぉく思い出せるよ。一学期の終わりかけ、気持ちよく晴れた日でね。雪男みたいなもわもわとした入道雲が、遠くの方にぽっかり浮かんでいた。
     僕は久方ぶりに虫取り網を携えて、わくわくを心に秘めたまま、その森の入り口をくぐった。でもね、正直ちょっとした嫉妬もあったんだ。だって、僕より先に本物のツチノコを見た人がいるなんてね。同じUMA好きならともかく、朝比奈先輩はそんな片鱗をちっとも見せなかったから。僕の記事にも興味を持ってくれたこと、なかったし。そんな朝比奈先輩が、なんでツチノコを発見できたのか、甚だ不思議でならなかったよ。浪漫って言うのは、もっとも熱心に追い求めた人の手に与えられるものじゃないか。
     もしかして、嘘だったんじゃないか? 僕はようやくその可能性にたどり着いた。朝比奈先輩には、幼気な後輩をからかって心の乾いた部分を満たす、そういうちょっぴりアレな趣味があるのかもしれない。
     嘘か真か、ツチノコを見たという情報は、全国各地、今までごまんとあるんだよ。知っているかい? 特に岐阜県では目撃された数が多いんだ。実際に死体が見つかったなんて話もある。気候が適しているのか、それとも何か謂れがあるのか……定かではないけれど、きっと岐阜はツチノコにとって住みよいところなんだろうね。今度の夏休みは、岐阜まで行ってみようかなあ。ツチノコが好む地の空気感というものを、ぜひとも味わってみなくちゃね。
     話を戻そうか。朝比奈先輩の言うことが嘘じゃないにしても、見間違いだという可能性は大いにある。
     来たばかりだけど、帰ろうかな。僕は悩んだよ。小さな森だと行っても、やっぱり危険は付き物だ。何かあってからじゃ遅い。遭難してしまう可能性も、十二分にある。どうするべきか……。
     ねえ、坂上君。僕はどうしたと思う?

     そう、その通りだ。僕は帰らなかったよ。ここまで来て、何を迷うことがある。嘘だろうが、見間違いだろうが、はたまた本当だろうが……どちらにせよ、僕がこの目で確認しない限り、ツチノコがいるかいないかはわからないからね。進むっきゃない。
     そう思い直して、僕は森を進んだよ。
     森の道は、鬱蒼と茂る木に覆われているせいで、昼間なのに薄暗くてね。先程まで暑かったのに、涼しいくらいだった。ツチノコ探しには絶好のロケーションさ。ああいう涼しい場所をツチノコは好むんだ。僕の期待は高まったよ。
     虫取り網とコンパス片手に、僕は森の中をしばらくずんずんと進んだ。もちろん、草葉の陰にいつツチノコの影が走るかわからない。最深の注意を払っていた。少しでも樹々が擦れようものなら、すぐさまそちらを振り返った。
     けれどね、やっぱりそう簡単に成果は上がらなかったよ。せめてツチノコがいる痕跡だけでも思ったけれど、地面には蠕動の痕すら見つからない。そもそも、動物の足跡すらその森にはなかった。
     なんだか、生きているものがいる気配がないんだよ。
     そう気づいた時には、すでにそこに足を踏み入れてから一時間は経っていてね。僕はちょっぴり薄ら寒い気持ちになった。
     相変わらずなんの手掛かりもないし、僕は途方に暮れていた。木々に邪魔されて、太陽がどこにあるのかいまいち判別がつかない。代わり映えのない景色が続き、涼しいというよりかもはや冷ややかな空気が肌を舐める。
     それでも僕の足は止まらなかった。なんだか僕の意思とは反するように、森の奥へ奥へと進んでいく。辺りにはよりいっそう樹々が繁り、いよいよ薄暗くなってきた。
     しばらく行くと、唐突に開けた場所に出た。森の中に、ぽっかり空いた広間のような空間があってね。閉塞感から解放されて、僕は少しほっとしたよ。
    「……おや?」
     けれどもさ。そこにはすでに先客がいたんだよ。それも大勢ね。
     初めは人間かと思った。でもね、シルエットがぜんぜん違うんだよ。僕は一瞬の判断で、近くの茂みにさっと隠れて彼らのことを伺った。
     僕は驚いたよ。よく見ると、広間には大きなけむくじゃらの動物や、巨大なトカゲのような生物が何匹もいたんだ。そうだね、ざっと十匹くらいかな。そいつらはみんな二足歩行で立っていて、広間の中央に集まって、何やら井戸端会議でもしているかのようだった。ひそひそ話している声が、茂みに隠れた僕まで届いていたんだよ。ぐるりと輪を囲むようにしているから、そいつらの顔までは見えない。
     けれど僕は確信したね。彼らは伝説のUMA、ビッグフットや雪男、チュパカブラたちだって。そう、ツチノコだけじゃない。この森はUMAたちの楽園だったのさ。
     その時、僕はつい……。

     そう。よくわかったね、坂上君。
    「おーい、きみたち! 僕も仲間に入れておくれよ!」
     僕は茂みから飛び出して、大声で彼らのもとへ駆け寄ったのさ。
     そりゃあそうだろう? あの夢にまで焦がれた生き物たちが、僕の目の前にいるんだもの。それも、あんなにたくさんね。声を掛けない方がおかしいってもんさ。きっとあの状況になれば、誰だって僕と同じ行動をするよ。それほど素晴らしい光景だったんだから。
     なに? 証拠の写真は、だって? いやはや、まったく近頃の若者は。すぐデジタルの力に頼ろうとするんだから。わかんないかな、この瞬間の胸のときめきが。取材用カメラを持って行っていたけれど、写真を撮ろうなんて考え、到底浮かばなかったね。だってそんなの野暮さ。大野暮さ。
    「僕と友達になってくれよう!」
     突如現れた僕に、UMAたちはひそひそ話をぴたりと止めたよ。
     まあ、僕だって友人と話しているときに突然ツチノコに話しかけられたら、驚いて話すのをやめるものな。彼らの反応は当然だったよ。まだ顔すらこちらに向けてくれないほど、彼らは警戒していた。
     そんな時はどうすべきか。自分は怪しいものじゃないって伝えるべきだよね、うん。
    「僕は岳端或太! えっと、今年高校一年生になって、それで……」
     でも、続きの言葉は言えなかった。
     UMAたちがね、一斉にこちらを向いたんだ。その顔が、あんまりに予想外でさ。
     雪男もビッグフットもチュパカブラも、本で見た顔とまったく違う。坂上君さ、テングザルってわかる? そう、真っ赤な顔で、テングみたいに大きな鼻がぶら下がっている猿。こっちを向いたUMAたちは、みんなそんな顔をしていたんだ。
     なんだか、UMAのきぐるみを着た人たちが、揃いも揃って同じ仮面を被っているみたいだったよ。もしかして、コスプレパーティをしているんじゃないかと思ったくらい。けどさ、森の奥深くでわざわざそんなこと、するかな? おかしいだろ。あれは人間じゃなかったね。それに、そいつらが仮面をつけているんじゃないってことは、すぐにわかった。
     そいつらさ、僕を見ると、一斉ににぃっと笑ったんだ。目を細めて、顔が裂けているんじゃないかと思うくらい、口を弓なりに歪めてね。
     思っていたのと、ちょっと違う。僕はつい、その場に固まってしまった。
     やつらはその笑顔まま、森のさらに奥へと駆け出して行ったんだ。空中に浮いているんじゃないかと思うくらい、足音一つ立てずにね。
     僕はしばらくぼうっと突っ立っていた。今のはいったいなんだったんだ? 僕が知っているUMAとは、まったく違う。もしかして、誰も知らない生命体? 僕の心臓はうるさく鳴っていたよ。
     きみならどうする、坂上君?

     僕もきみと同じだ。彼らを追い掛けたんだよ。
     こんなところでぼんやりしている場合じゃない! 僕は気を持ち直すと、彼らの後を追って行った。だって、そうだよね。ここで帰ったら、UMA好きの名が廃る。新聞部としても失格さ。日野先輩に、なんて言われるかわかったもんじゃない。
     必死に走って、走って、すっかり喉が枯れるほどだった。いくら追い掛けても、彼らの姿はまったく見えない。
     もう一度だけでいい。あの赤っ鼻を、あの不気味な笑顔を、また見たい。今度は物怖じせずに近づいてみせる。友達になってみせる。汗で服がびっしょりになっても走り続けた。けど、だめだった。彼らはもうどこにもいなかったんだよ。
     僕はもう泣きそうになってね。またとないチャンスを、どうして棒に振ってしまったんだろう。一生に一度のことだったのかもしれないのに。どうして。
     足がもつれて、ついにその場にへたり込んだ。もうすっかりへとへとでね。たった数時間前にやって来たのに、すでに三日はさまよっているんじゃないかと思えるほど、体は疲れ果てていたよ。なんとか立ち上がっても、もう二度と走れそうにないんだ。それに、とんでもなくお腹が空いていた。今まで感じたことのないほどの空腹感だったよ。空腹というより、飢餓に近かったね、あれは。まるで何日も飲まず食わずで走り回っていたようだった。
     確かにちょっと頑張りすぎたけど、そんなことってあるかい? 数時間前にお昼はきちんと食べてきた。日頃から慢性的な運動不足というわけでもない。おかしかったよ。この森全体に、エネルギーが吸い取られているようにすら感じた。
     二、三歩歩いただけで、僕は倒れたよ。それほどまでの疲労感、とてつもない飢餓。周りにはもちろん、誰もいない。どうしようもないよね。ここで気絶したら、きっと死んでしまう。親には出掛けると言っただけで詳しい話はしていないし、なんといっても森の奥深くだ。助けが来るとは到底思えなかった。
     重い体を引きずって、僕は気合いだけで前へと進んでいった。倒れては立ち上がり、倒れては立ち上がり、その繰り返し。
     この状況でも、僕はまだUMAを諦めていなかったんだ。自分でも驚くほどの執念深ささ。もはや死に向かう他ないのだから、最後の悪あがきのつもりでもあった。死ぬ前にもう一度、彼らに会えたら……。僕はもう、自分が生きて帰られるとは思っていなかったよ。家に帰るだけの力、体のどこにも残っていないんだもの。でも、やっぱり彼らはどこにもいない。
     もう、ここでおしまいか。そう覚悟した時だったよ。木に覆われた道とも言えない道の先に、何かが見えたんだ。
     ねえ、それはなんだったと思う?

     そう、その通りさ。よくわかったね。
     僕が見たのは、ツチノコだった。あれは紛うことなくツチノコさ。それも、アルビノのツチノコだよ。目撃されるツチノコって、たいがい茶色に縞々模様、くりくりとした黒い目っていうのが特徴なんだけど、その子は違った。真っ白な美しい体、赤々とした血のような目。神々しかったよ。まるで死の間際にルーベンスの絵を目の当たりしたのかと思うほどだった。
     ついに、ついに見つけたんだ。朝比奈先輩の言ったことは本当だったんだ。
     僕は疲労感もすっかり忘れて、喜びに打ちひしがれていた。UMAたちには再会できなかったけれど、もう死んでもいいと思えるほどの幸福だったよ。なんて、なんて幸せ者なんだろう……。僕は泣いちゃいそうだった。実際、ちょっぴり泣いていたように思う。
     そのツチノコがさ、何かを食べているんだよ。草葉に隠れて見えないけれど、なにか大きなものを、もぞもぞもぞもぞ食べている。
     僕は最後の力を振り絞って近づいた。そして……。
    「うわあっ! あ、朝比奈先輩……!」
     そう、ツチノコが食べていたのは、朝比奈先輩だったのさ。真っ青な顔して、ガリガリに痩せ細った姿のね。
     朝比奈先輩がもうとっくに死んでいることは、見ただけでわかったよ。中途半端に開いた目はもはやどこも見ていなかったし、だらりと垂れ下がった舌は、おかしな色に変色していた。それにね、首がちぎれていたんだよ。ツチノコが長い舌を使って舐めている、先輩の喉の辺り。そこがね、まるで踏み汚された雪のように、茶色くぐずぐずになっていたんだ。なんだかそこだけ腐敗が早く進んでしまったみたいだった。
     ツチノコは僕の叫びも意に介さず、朝比奈先輩の融けた喉を舐め続けていたよ。よく見れば、その子はまるまると太っていてね。それに、見事なまでに真っ白だったから。朝比奈先輩の死体を見てしまったショックがあるというのに、僕はツチノコのことを、おいしそうだと思ってしまった。おまんじゅうみたいだな、と考えてしまった。きっとそれくらいお腹が空いていたんだな。極限状態になってしまった人間の考えって、どう転ぶかわからないよね。
     しかも、やっぱり可愛いものって食べたくなるじゃないか。口に含みたくなるじゃないか。そうでしょ?
     だから、食べちゃった。うん、そのツチノコを。
     朝比奈先輩の死体に夢中になっているその子を、僕は鷲掴みにした。まったく抵抗することなく、あっさり捕まってくれたよ。そのまま丸呑み、一口でごくりさ。ツチノコはつるりと僕の喉を滑っていった。
     その喉越しの、たおやかなこと。まるで極楽浄土に浮かぶ雲を一飲みした感覚だった。なめらかで、あたたかく、爽やかで、それでいて味わい深い。この世のもとは思えない味さ、坂上君。きみにも味わってもらいたいくらい、ツチノコはたいへん美味しかった。
     心と体、その両方から力が湧いてくるようだったよ。いや、実際そうだった。あんなに死にかけだった僕の体から、ほとばしるほどのエネルギーが生まれてきたんだ。そのまま一週間でも二週間でも走り続けられるくらいにね。
     僕はツチノコに助けられたというわけさ。命の恩人……いや、恩UMAだね。すっかり元気になった僕は、ツチノコへの感謝に涙を流しながら家へと帰ったよ。体がもう軽くて軽くてね。その日の夜は、興奮と元気でほぼ一睡もできなかったな。ああ、僕はなんて素晴しい体験をしたんだろう、ありがとうツチノコ様、ありがとう……ってね。
     それからというもの、僕はツチノコへの感謝を忘れないために、毎回敬意を払って記事にしているというわけさ。いい話だろう?
     はい、これで僕の話はおしまい。良かったでしょ?
     ……え、なに? 先輩の死体はどうなったって? どうして先輩はそこで死んでいたのか、だって?
     さあ、知んないよ。興味なかったから。でも、先輩はそれから行方不明ってことになっちゃったよ。おおかた、僕みたいに迷い込んであそこで餓死しちゃったんじゃないかな。
     というか坂上君、今の話で気になるのがそこってどういうこと? もっとほかにあるでしょ、ツチノコのこととか、謎のUMAのこととか。本当に彼らはいたんですね、感動しました! とか。よりにもよって死体の話ってさあ、まったく……。


    「す、すみません。お話ありがとうございました」
     ぶつぶつ言い続ける岳端先輩に頭を下げる。確かにUMAのことも気になるが、それより朝比奈さん……じゃなくて、知らない先輩の死体の方が僕は気になるよ。他の六人も、心なしかそこをツッコミたそうな顔をしている。
     岳端先輩の言う通り、彼は新聞記事にUMAのことしか書かない。というよりほとんどツチノコばかり、たまに別のUMAといった具合だ。朝比奈さんはツチノコだらけの記事を見るたびに頭を抱えてなにか言いたそうにしている。日野先輩はもう諦めているのか、今回もよく書けているな、なんてほとんどスルーと言っていいほどの反応だ。それにこんな事情があったとは。いや、決して岳端先輩の話を信じているわけではないけれども。だってこんな話、荒唐無稽すぎる。風間さんの話とは別ベクトルで胡散臭い。
    「これで無事、七不思議を聞くことができました。皆さん、遅くまで本当にありがとうございます」
     言いたいことは色々あったが、仕切り役である以上、とりあえず僕は終わりの言葉を述べた。ぺこりと頭を下げると、細田さんや福沢さんから拍手が飛んでくる。
    「じゃあ、記事になるのを楽しみにしているぜ」
     新堂さんはそう言って、さっそうと部室をあとにした。
     岩下さん、荒井さん、細田さん、福沢さんも、それぞれ僕に労いの言葉を掛けてから帰っていった。初めはどうなることかと思ったけれど、やってみればなんとかなるものだ。話してみると、意外とみんな気さくで優し……くはなかったかもしれないが、協力的に話してくれた。それだけで充分だ。
     風間さんはまだ椅子に腰かけ、僕と岳端先輩を交互にじろじろ眺めている。
    「えっと、風間さん? 帰らないんですか?」
    「そこのきみは帰らないの?」
     僕の言葉を無視して、風間さんは岳端先輩に言った。
    「僕は坂上君の後片付けを手伝ってから帰りますよ。頼れる先輩ですからね」
    「ふうん、そう。じゃあ僕もお暇させていただくよ。せいぜい頑張ってね、坂上君」
    「はい、遅くまでありがとうございました」
     頭を下げると、風間さんは振り返ることなく帰っていった。なんだったんだろう。僕に……いや、岳端先輩になにか言いたいことがあったのか? 先輩が来てから、ちょっと雰囲気が違っていた気がするけれども。
    「改めてお疲れ様、坂上君。いやあ、大役だったねえ。疲れたでしょ? さっさと後片付けして、帰ろうか」
    「すみません、こんな時間に手伝いに来てくださって」
    「いやいやあ、一年生に任せっぱなしなんて、日野先輩も人が悪いよねえ」
     立ち上がるや否や、先輩はパイプ椅子を手際よく片付けていく。普段は何を考えているかわからなくて不思議な先輩だったけど、思ったよりもずっと後輩思いのいい人じゃないか。
     先輩が周りを整理してくれている間、僕は机の上に散らばったメモやみんなが使ったコップを片付けていた。
     岳端先輩が来てくれていなかったら、今頃どうなっていただろうか。まだ見ぬ七人目がいつ来るかと待ち続け、他の六人はしびれを切らして帰っていく……そんな最悪な終わり方だったかもしれない。先輩のおかげで、本当に助かった。今度からは先輩のツチノコの記事、しっかりと読もう。
     それにしても、ツチノコか。先輩、さっきの話でツチノコを食べたって言っていたけれど、正直にわかには信じがたい。見つけたなんて話だけでも嘘くさいのに、しかも食べただなんて。おまけに、証拠の写真も何もなし。先輩のことは見直したけれど、さすがにすべてを鵜呑みにはできないよ。
    「先輩が食べたのって、本当にツチノコだったんですか?」
     片付けながら、ふとそんな言葉が口をついて出た。
    「…………なんで?」
     僕の背後で片付けをしていた先輩の動きが、ぴたりと止まった気配がした。
     周りの空気が、一瞬でゼリーのようにべたついた重みを持つ。振り返ろうと思ったけれど、なんだか首がうまく回ってくれない。
    「なんでそう思ったの?」
    「な、なんでって……それは……」
     だってツチノコなんて、いるわけないじゃないですか。そう言いかける前に、先輩の生暖かい吐息が僕の首筋にかかった。振り払おうとしても、体が動かない。動けない。
    「僕の言うことが嘘だって言うの? 僕が信じられないって言うの? ねえ、坂上君。UMAや都市伝説の生き物は、人間に信じてもらわないと死んでしまうんだよ。坂上君が疑ったから今、どこかでかわいそうなツチノコが一匹、命を落としたかもしれない。こんなに広い世界だもの。不思議な生き物が、どこかにいたっておかしくないだろう?」
     先輩の声は、次第に悲しみを帯びてきていた。すん、と鼻を啜る音が聞こえる。
     確かに、世界はまだまだわからないことだらけだ。未知の生物がどこかにいたって、何もおかしいことはない。それに、せっかく来てくれた先輩の話を疑うのも失礼だったかもしれない。
     僕はなんて答えればいいんだろう?

    「……し、信じます。僕は先輩のことを、ツチノコの存在を信じますよ」
    「そっかあ、良かったあ! 坂上君は優しい子だね」
     先輩の声が、いつものようにぱっと明るくなる。途端に体を襲っていた緊張感が解けて、僕は床にへたりこんでしまった。
    「おやおや、大丈夫?」
    「あはは、すいません。やっぱり疲れていたんでしょうか……」
     先輩が差し出してくれた手を握った、その時だった。
    「うわあっ!」
     先輩の手は、固く冷たい鱗にびっしりと覆われていたのだ。
     僕は慌ててその手を振り払った。蛇のようになめらかで継ぎ目のまったくない鱗は、とても作り物とは思えない。本物だ。先輩の手には……いや、手だけではない。両腕中が、もはや人間のものではなくなっていた。
    「いやだなあ、そんなに驚くことないじゃないか」
     そう言う先輩の目は、真っ赤に変色していた。顔にまで広がった鱗は、蛍光灯の光を受けてちろちろと不気味な色を放っている。
     僕はあまりのことに腰が抜けて、すっかり立てなくっていた。逃げたいのに、逃げられない。そんな僕を、先輩の細く割れた二つの瞳孔がじっとりと見下ろしていた。
    「実はね、坂上君。ツチノコを食べたあの日から、僕も不思議な生き物になってしまったんだ。きみが僕を信じてくれて、嬉しかった。信じてもらわないと、僕も弱ってしまうからね」
     先輩が一歩一歩、近づいてくる。ふるえて動けないままの僕は、なんと無様だろうか。
     先輩は僕の上に覆いかぶさると、先の割れた長い長い舌を、ちろりとのぞかせた。
    「やっぱりきみは凄くいいなあ。僕はずっときみに目をつけていたんだよ。だってずいぶんおいしそうだからね……」
     先輩の舌が、僕の頬を這いずり回る。氷の刃のように冷たく、舐められたそばからびりびりとしびれる感触がした。
     だめだ、食われる! 僕はぎゅっと目を瞑った。すると……。
    「ぎゃあっ!」
     僕に乗っかっていた先輩が、突然吹き飛んだ。おそるおそる目を開けると、先輩は壁を背にし、顔を抑えて苦しそうにしている。
    「やれやれ、どうせこんなことだろうと思ったよ。やっぱり人間じゃなかったんだな」
    「か、風間さん!」
     そこにいたのは、帰ったはずの風間さんだった。風間さんの長い足が、先輩の顔を思い切り蹴り抜けたのだ。
     風間さんは呆れた顔で僕を見ると、未だに動けない僕の腰を掴んで、一気に引き上げて立たせる。あんまりにも軽々しくやるものだから、僕は自分が幼稚園児にでもなった気分だった。
    「どうして戻ってきてくれたんですか?」
    「言っただろう、僕はきみの守護霊様だよ。嫌な予感がしたら、きみを守るために戻ってくるに決まっている」
     茶化すのではなく大真面目にそんなことを言うものだから、僕もつい真剣に「ありがとうございます」と返してしまった。まさかこの人、本当に?
    「あれ? あれあれあれ? 風間先輩だ。あれ?」
    「ひっ……!」
     僕はつい悲鳴を上げてしまった。立ち上がった岳端先輩の顔は、半分ほどどろりと溶けていたのだ。踏みつけられた雪のように、茶色くなった皮膚がぐずぐずと垂れ下がっている。片目が床に落ちて、不快な音を立てて辺りに飛び散った。
    「おかしいなあ……こんなつもりじゃなかったのになあ……」
     ぶつぶつ呟く先輩は、もうどこからどう見てもまっとうな人間ではない。覚束ない足取りで、こちらへゆっくりと向かってくる姿は、まるでゾンビだ。
    「もう諦めなさいよ、きみ。ほら、帰った帰った」
    「帰る? あはっ、あははは、ふざけるなよ。僕はこの日をずぅっと待っていたのに」
    「往生際の悪いやつだな。もう無理だろ」
     風間さんは、冷たく言い放った。
    「だって僕は信じてないよ、お前のこと」
     う、と先輩の動きが止まる。その隙を狙って、風間さんが腕を伸ばした。辺りがだんだん白く染まっていく。眩しくて目が開けていられなくなる。自分の輪郭すら見えなくなる。そして……。
     気がつけば僕は、家のベッドで眠っていた。

     それから一週間が経った。僕は七不思議の集会を記事として形に残すため、ほとんど毎日部活に追われている。あの日の出来事は、夢じゃなかった。語り部六人分の怖い話がメモにあり、岳端先輩の語った七話目もちゃんと覚えている。その後起きたことも、もちろん忘れることができない。忘れたくても、忘れられない。
    「おっ! 坂上君、今日も熱心だねえ。先輩として感心、感心」
     だって岳端先輩、普通にいるし。僕の真横で、僕が書く記事をじっと見ているし。
    「先輩、近いです……気が散ります……」
    「おっと、ごめんね。坂上君ったらおいしそうだから、つい」
     そう言って長い舌をちろりとのぞかせるのである。なんでだろう、こういうのって普通、もう二度と会わなかったり、先輩が当然転校して行方不明になったりするものじゃないんだろうか。
     岳端先輩は、あの集会の次の日もけろっとした顔で僕の前に現れた。もしかして、あの恐ろしい先輩は偽物だったんじゃないかと思ったけれど……僕の予想は見事に裏切られた。先輩は、
    「昨日は痛かったよ、しくしく……」
     なんて言ってきたんだから。僕はつい「すいませんでした」なんて頭を下げてしまった。
     それからというもの、岳端先輩は今まで通り僕に接してきている。周りの部員たちは、彼の正体にまったく気付いていないようだ。日野先輩も朝比奈部長も、いたって普通に岳端先輩に話しかけていた。
    「おや、坂上君。ここ、字が間違っているんじゃないかい? まったく、そんなのでちゃんとした記事が書けるのかねえ」
     僕を挟んで岳端先輩とは反対の位置、風間さんがにやにや笑いながら指摘する。まったくもう、この人は本当にうるさいんだから。
    「おい風間、お前、また来たのか? どれだけ暇なんだよ」
    「いいじゃないか、日野。僕がいた方が、この部室も華やぐってもんだろ? それに、僕は坂上君の守護霊様だからさ。お守りしてやらないといけないんだよ」
    「なんだそりゃ」と日野先輩は笑い飛ばした。なんだそりゃ、は僕が言ってやりたい気分だよ。
    「風間先輩がいること、僕は賛成ですよ!」
    「そうだろう、そうだろう」
     しかも岳端先輩と風間さん、普通にしゃべっているし。僕は部室で頭を抱えたくなった。なんだか、厄介な悪霊二人に同時に取り憑かれたような錯覚を覚える。なんなんだろう、この空間。僕は大きく溜め息をついた。
    「こら、幸せが逃げるぞ、坂上君。守護霊の僕が、そんなことを許すと思っているのかい?」
    「不幸せはだめだよ、坂上君。肉がまずくなるからね」
     ああ、平穏だった学生生活を返してほしい。もう二度と戻ってこないだろう何も知らなかった日々を思い返して、僕は机に勢いよく突っ伏した。
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