大魔道士のカミングアウト 4 恋愛相談。
弟子の台詞を聞いたマトリフの脳内にいくつかの顔が浮かんだが、続いた台詞でその全てが除外されることとなった。
「あ、因みに相手は男なんで」
マジかよ。マトリフは思った。
「マジかよ」
そのまま声にも出てしまった。唖然とするマトリフにさらなる追撃が襲いかかる。
「んでもって人間でもなかったりする」
「……ポップ」
「ん?」
「ちょっとそこ座れ。正座」
「……わかった」
マトリフの真剣な声に、ポップは一瞬怯んだがギュッと胸元を握りしめる手に力を込めて、勇気を出して一歩を踏み出した。
「オメーは部屋から出ていけガンガディア」
「……」
不満をありありと表す顔をしてガンガディアはそれでも言われた通りに身体を起こしてマトリフから離れた。寝室の出入り口に向かう途中でポップとすれ違う。その時、
「私に聞かれるとまずい内容かね?」
「!! ……さあ、どうだろうな」
不意にガンガディアに問いかけられたポップは苦笑気味に答えた。
「無関係ってわけじゃあないかもな」
「相手は男、人間ではない、となれば私の意見が参考になる可能性もあるのでは?」
「……」
「おいガンガディア!! 余計なこと」
「いや、いいんだ、師匠」
「ポップ?」
斜め後ろに立つガンガディアを肩越しに振り返り、その大きな背に向けてポップは声をかける。
「アンタ、口は堅い?」
「必要であるならば、そのように」
「う〜~ん……おれとしちゃあ師匠の恋人なんだから信用したいところなんだけど」
「難しいかね?」
「正直、まだ」
「フッ……、素直でよろしい。では私は声が届かない場所で待機しておくことにしよう。マトリフ、話が終わったら大人しく休んでもらうぞ」
「早く行け」
しっ、しっ、と手で追い払う仕草をするマトリフに、ガンガディアは困ったように目尻を下げて、今度こそ部屋から出ていった。
入れ替わってポップがベッドの傍らに歩み寄り、言われた通りにその場で正座する。
「……で、なんだ? 恋愛相談? 誰と、誰の?」
「……うん。恋愛……だと思うんだけど、相談したいことがあるのは本当で。おれと……その……あの……」
「……」
「えっと……」
「早く言え」
「うぅ〜~っ」
それができたら悩んでない、そもそも本当は言うつもりなんてなかったのに、とぶつぶつ呟いて顔を両手で覆ってしまったポップにマトリフは拍子抜けして肩を落とした。笑みを浮かべていた先程の弟子の様子にはなにやら凄みがあり思わず気圧されてしまったが、正座というより床にペタンと座り込んでメソメソしている姿はよく知る甘ったれでまだまだ子供のままの弟子だった。
「とりあえず、話せることを話せ。何があった?」
名前が言えないとなるとポップとマトリフの共通の知人である可能性が高い。
その考えに至ったマトリフは無理に聞き出すことは止めた。そもそも恋愛相談など、自分自身がまともな恋愛を経験したことがないというのに、役に立つような助言ができるとは到底思えない。それを思うと読書が趣味で最近はどうやら著者人間の恋愛小説をもカテゴリに含めているらしいガンガディアの方が確かに少しは参考になるのでは。
そこまで考えてマトリフは目を据わらせた。思考を遮断する。自分に対するガンガディアの言動を思い出したからである。
「師匠……」
可愛い弟子の声にだけ耳を傾ける。マトリフはゆっくりと頷き、先を促した。
「実は、一年くらい前に破邪の洞窟へ行った時に、最深部で行き倒れてた奴を拾って、それからずっとそいつと一緒に暮らしてるんだけど」
「待て」
話し出して10秒ですでに情報量が危うい。マトリフは眉間に寄った皺を指先で押さえた。
んぐっ、とポップは続く言葉を飲み込んだ。形の良い眉をハの字にしている。
「初耳だぞ」
「うん、初めて言った……ごめん」
「他に知ってるヤツはいるのか?」
「ラーハルトとヒム……一緒に破邪の洞窟行ったから」
「そうか。……続けろ」
「あ、うん。それで、えっと……いろいろあって、さっき……いきなりそいつに告られて……キスされた」
「いろいろの中身を端折りすぎだっ!!!」
一瞬目眩がしたのは気のせいではないだろう。マトリフは行き場のない衝動をベッドの上を手でバシバシ叩くことでなんとか逃がそうとするが残念ながらその程度のことではおさまらない。一発殴りたくなる。可愛い弟子だが、それはそれ、これはこれ、である。
――ゴツン!!
大きなたんこぶのできた頭を擦りながらポップは涙目で文句を言っている。それらを聞こえない振りをしてマトリフは溜息をついた。手に持った杖を再びベッドサイドに立て掛ける。
「告られたってことは、お前らはまだ付き合ってるわけじゃねーんだな? 相手の片想いか? お前はそいつをどう思ってんだ?」
矢継ぎ早の問いかけにポップは、うぐぅ、と唸る。
「……付き合ってない。そもそもアイツが本気でおれのこと……す……好きなのかも……正直分かんねえし。おれの気持ちなんて……それこそ分かんねえよ」
「バカヤロウ」
マトリフは頭痛までしてきてこめかみを押さえる。前々から思ってはいたがポップは他人の恋愛事情にはすぐさま察するに至るのに自分が絡んだ途端に一転して鈍感になってしまう。それで大魔王との大戦時には盛大に拗らせてしまっていたというのに。それに関してはまったくレベルアップしてはいないようだ。
マトリフでさえガンガディアの気持ちに気付いたのだ。かなりの時間を要してしまった。随分と遠回りをしてしまった。それでも、ふたりは同じ想いを共有して、互いのぬくもりに触れ合いながら生きることができるようになった。
「嘘や冗談でそんなことを言うようなヤツの言葉に動揺して困ってわざわざオレに相談しに来る時点でお前の気持ちなんざもう決まってんだろう」
「相談するつもりで来たわけじゃなくて」
「あ? じゃあなんでオレのところに来た?」
「どうやら無意識でルーラしたっぽい」
「……お前、告白されたのはさっきって言ってたな? そいつとちゃんと話し合ったのか?」
「……びっくりして、咄嗟にルーラで」
「逃げてきたのか?」
「だっ、だっ、だって……!!」
仕方ねえだろおおお!!と、わっ、と泣き出すポップにマトリフは呆れて物も言えなくなった。
早々に積みたくなる案件を前にマトリフは頭を抱えたくなった。今すぐ帰って相手とちゃんと話してこいと言いたいところだが、この調子では無理そうだ。
「難航しているようだね」
「!! ガンガディア……」
マトリフとポップが同時に声のした方へと視線を向けた。出入り口にはガンガディアがなんとも複雑な表情を浮かべて立っていた。その手にはコップが乗った盆がある。
「子供の泣き声が洞窟内に響き渡っていてさすがに落ち着かないのでね。少し邪魔するよ。茶でも飲んで一旦落ち着いたほうがいい。私ならすぐに退出しよう」
「いや、ナイスタイミングだ。年の功があるとはいえオレはやっぱこういう相談は苦手だ。おい、ポップ、こいつにはオレから堅く口止めしておくからよ。恋愛小説の知恵でもいいから参考にさせてもらえ」
別になげやりになったわけではない。断じて。マトリフは肩を竦めてふたりを見遣る。どちらにせよ難航していると言われればまさにその通りなのだ。
「……師匠がそう言うなら」
「ふむ。少し聞こえてしまったのだが、相手のもとから即行ルーラで逃げ出したのだとか?」
「う゛っ……」
「成程。だが、かわいいものだと私は思うがね」
「え?」
「私が初めて大魔道士に口付けた時にはバギマでふっ飛ばされた挙げ句にベタンで押し潰されてしまったよ」
なにか言い出したガンガディアにポップはぽかんとした。
「へ?」
「考えてもみたまえ。感動の再会と共に柔らかく温かい最愛の人の唇に触れることができた直後に硬く冷たい地面と口付ける羽目になってしまったその時の私の気持ちを」
いや考えたくないんだけど、というポップの呟き。そんな青年の黄色のバンダナがふいに揺れた。ビュッ、と顔の横を高速で通りすぎていった物体がガンガディアの顔面に直撃する寸前で大きな手によって受け止められる。
「また君は。杖は殴るものでも投げるものでもないのだがね」
「前言撤回だ。今すぐ出ていきやがれ」
「まったく……弟子が君の真似をするようになったらどうするつもりかね」
「安心しろ。こいつはオレと出会う前からとっくに杖で敵に殴りかかってたって話だ」
安心できる要素はまるでないが、もはや性質なのだろう。似た者師弟といえば聞こえは良いが。
「オレが餞別代わりにくれてやったばかりの輝きの杖で純血の竜の騎士に直接殴りかかろうとしてたと聞いた時にはさすがのオレもバカかと思ったぜ」
「仕方ねえじゃん……それくらいしか出来ることなかったんだから」
「しかもその後メガンテ使いやがったお前はどうしようもねえ大馬鹿野郎だ」
――今、室内の温度が確実に下がった。
「……」
返す言葉もなくてポップは押し黙った。この話題を持ち出されるとポップは完全に不利になる。初めて事の次第を知った時のマトリフの反応を思い出してポップは深く項垂れた。
「話が脱線しているようだが」
ポップに助け舟を出したわけではないがガンガディアがそう口を挟んだことで結果的には本題に戻ることになりポップはホッと息をついてマトリフは舌打ちをした。
元はと言えばガンガディアが話を脱線させたのだが。それを指摘するとまた話が脱線することは分かりきっていたのでマトリフは腕を組んで溜息をついた。
「いろいろの詳細については今はいい。今度ゆっくり聞かせてもらうさ。とにかく現状の問題だ。そいつはお前と一緒に暮らしてるって言ってたが、何処にいる?」
途端、ポップはギクリと身を強張らせた。マトリフはそんな弟子を睨み付ける。
ポップには複数の住処がある。故郷ランカークスの実家、パプニカ城勤めだった時に借りた部屋、そして研究施設だ。因みにマトリフの住処である洞窟も数に入れたら怒られたポップである。
身体的成長の緩やかさを自覚してからは実家にはほとんど帰ってはいない。魔族の鍛冶職人とその弟子が暮らす近所の鍛冶工房へ赴くことは度々あるが、両親とは久しく会ってはいない。今後も会えるかどうか定かではない。
「まさか、あの研究施設で匿ってんじゃねえよな?」
「……ごめん、師匠」
頭を下げる弟子にマトリフは今度こそ積んだと思った。もはや恋愛相談なんて生ぬるい話ではなくなった。
「お前のことだ。言えねえ理由があったんだろうが……さすがにそれはオレに話しておいてほしかったぜ」
「ごめんなさい……」
秘密の研究施設。公には決して出来ないそれは、ふたりの異質な身体変化に関する研究である。ポップとマトリフ、そして片手で足りる程度の一部の者しか知らない、トップシークレット。
そのはずだったのだが。
「人間じゃねえと言ってたな。成程……少なくともお前の事情を理解できるヤツってことか」
「うん。そこは安心していいよ。竜の血も、禁呪法も、全部知ってる奴だから」
「……」
マトリフとしては警戒心が強いわりには変に抜けてるところもある弟子が騙されて心身ともに傷付けられてしまうことがないかと心配でたまらないのだが。件のメガンテ事件のすぐ後にハドラーとザボエラの闇討ちに合っていた弟子のことを思い出してマトリフは苦い顔をした。
「どうしたね? マトリフ」
「なんでもねえよ」
ガンガディアは研究施設を知る内のひとりだ。聞かれて困ることはないが、出ていけと言ったのにまだ室内に留まっている様子を見ると退室する気は無いようだ。マトリフは諦めた。
ふと闇討ちふたり組を脳裏に思い浮かべながらなんとなしにポップに問いかける。
「もしかしてそいつは魔族か?」
ヒュッ、と掠れた音がした。
目に見えて動揺したポップに、マトリフは瞠目する。どうやら軽率にビンゴを引き当てたらしい。頑なに相手の名前を言おうとしないポップ。けれどマトリフを前にすると気が緩んでしまう、気を許してしまうことがよくよくある。メガンテを使ったことを白状させた時も、アバンのしるしを光らせることが出来ないことを話せずにいた時も、こんな顔をしていた。本当は縋りたいのだろう。話してどうなるわけでもないと分かっていても、それでもポップにとってマトリフは確かなよすがなのだ。
そんな弟子の心の隙をつくように、マトリフはカマをかけてみた。自分とガンガディアの関係と、ポップとその相手の関係とが、酷似している可能性を見出した。自分の深読みだったのなら、それでいいのだ。
マトリフは、問うた。
「まさか、そいつも元魔王軍だったとか言うんじゃねえだろうな?」
勘違いだったのなら、それで――
「元魔王軍っていうか……元魔王っていうか」
刹那、室内が凍りついた。
実際には氷漬けになったわけではない。その場にいる者たちの概念である。
しまった!!とばかりに咄嗟に両手で口を塞いだポップだが、もう遅い。一気に血の気が引いて顔面蒼白になった。
ガンガディアは驚愕している。師弟のやりとりですぐに察するに至ったのだ。
そして、マトリフはといえば、たっぷり30秒間固まっていたかと思えば、ふらりとよろめいて、卒倒した。