月明に対して往事を思ふことなかれ 妖怪達に人間ブームが来たらしい。聞けばブームと行っても真似事、ごっこ遊びの延長のようなものだった。
あの夜猫又たちが店を開いていたのを見ていた妖怪たちが自分たちもと言い出したのが発端で、人間たちのやっている夏祭りのように夜店を開きたいという願いに金のにおいを敏感に感じ取った猫又の親分が元締めとなって彼らが見えかつ話のわかる老いた神主に話をつけ、小規模な納涼祭(のような集まり)をするので是非お二人もと使いに出された雑用係の猫又が僕らのもとを訪れたのは数日前だ。
手渡された"満月祭"と達筆な字で書かれ肉球の判を押された一枚のチラシを2人覗き込む。はて、この日は満月ではなかったような。
聞こうとしても既に猫又はおらず、まぁいいかと暑いだの面倒などと口にするKKの腕を引きワクワクしながら開催日当日の夜道を歩く。妖怪たちのお祭りなんて滅多に起こらないだろうし、特別な催しに恋人と思い出作りが出来るのだ。ワクワクしないわけがない。
人目線で見れば神社としては規模こそ小さいものの顔見知りと言えるほど見知った妖怪から見たことのない妖怪まで、結構な賑わいを見せていた。本殿までの通りの左右、小さな社まで含めるとざっと10近くの出店が立ち並んでいる。小規模な集まりとはなんだったのか、妖怪のために開かれた本格的な祭りと言っても差し支えがなかった。
まずは主催者たる猫又の親分に挨拶だと神社の入り口にかけられた、満月祭とかかれた垂れ幕の写真を記念に一枚撮ってから社務所に向かう。散らかさず朝には元通りにすることを条件にここを貸し出した神主は帰宅したようだ。控え室の様な区画にそろばんを鋭い爪で器用に弾きながらにまにま笑う親分と雑用係の猫又がいた。
「こんばんは、今夜は楽しんでくださいよお」
肉球を合わせながら雑用係が愛想良く話しかけてくる。
「お招きありがとうございます。そのつもりです」
夜店には人間の食べ物もありますし、打ち上げ花火は流石に用意できませんでしたが色々準備しましたので。
綺麗に二又に分かれた尻尾をゆらゆら揺らした2匹にさぁごゆっくりと見送られる。
「夜店回るんだろ?とりあえず時計回りにぐるっと回ろうぜ」
文句を言っていた割にKKも楽しむ事にしたようだ。妖怪が沢山いてはしゃいでいるのかもしれない。いつもは人前では照れて嫌がるけれど、はぐれないようにとそっとKKの腕に触れた手が振り払われることもなかった。
夜店は様々なもので溢れていた。猫又が言った通り焼きそばやたい焼きのような、見慣れた自分たちも食べられそうなものから蜥蜴の黒焼きなど妖怪向けのものまで。食べ物以外にも射的やくじ引きなどと書かれた屋台も見られる。見覚えのない妖怪を見つけるとあれはどこそこの地方の妖怪だとKKが教えてくれた。皆思い思いに楽しんでいて、つられたのかKKもすっかりご機嫌だった。
『おや祓い屋じゃないか。奇遇だな』
しかし屋台の中側からひょっこり顔を出した黒を基調とし白のラインの入った衣装に、白い鳥避けのような模様の覆面を身につけた人型の存在が視界に入ると途端に苛立ったような表情に逆戻りしてしまう。彼には一度だけ会ったことがある、KKが祟り屋と呼んでいた3人組の、僕たちに話しかけてきた他2人とは少し違う服装の人だ。笠を脱いで袖を肘まで捲っているが、同じ格好だったのですぐにわかった。
「こんなとこで何してやがんだよ」
『見て分からんか?店を開いている』
猫又に許可はとってあるしショバ代も納めてあるぞ、一本どうだ。彼の目の前のクーラーボックスには瓶の和歌コーラや缶ビールが氷水にぷかぷか浮かんでいて、飲み物を売っている様だった。テントに貼り付けられた段ボールの切れ端には円と冥価の2種類が書かれてあり、怪しいところは見当たらない。尚も食ってかかろうとするKKを宥め純粋に喉を潤したい気持ち半分お詫び半分で小銭を取り出し瓶の和歌コーラを注文する。
『ありがとう。よく冷えているからな』
濡れた瓶をクスリのタタリヤとプリントされた手拭いで拭き取り、栓を開け手渡される。小銭と交換しつつ今日はお一人ですかと尋ねると他の店を開いていると指を刺された。
『お前もどうだ祓い屋』
「あ?あーくそ、じゃあビールくれ」
『ビールでいいのか?こんなのもあるぞ、ほら、伊豆の狒狒上製の猿酒だ』
さっき大鬼が一口飲んで昏倒した、碌でもねぇもん勧めてんじゃねえよ。KKが一方的に嫌っているようだが2人の中々に小気味良いやりとりをBGMに振り返ると確かに笠を屋台に吊った残り2名が妖怪たち相手に商売をしている。
1人はポイを手に持ち、ここから中は見えないが大きなトロ舟に妖怪が楽しそうにポイを操っている。屋台には荳峨≠縺溘∪魄ォすくいと書かれていて何が何だかわからないが、金魚すくいのような物だろうか。
もう1人は串に刺されたテニスボールサイズの白く丸い何かを焼いている。屋台には莠斐▽鬆ュ魄ォ眼焼とある。人が食べていいものなのだろうか?塗られているらしい醤油の香りがなんとも香ばしい。
喉は潤せたし、次は何か食べたいなと美味しそうな匂いをさせるその屋台に向かおうとして、腕を掴まれる。振り返るとKKが缶ビールを飲みながら首を横に振っていて、説明はされなかったがあれは食べてはいけないのだと理解した。どれほど美味しそうでも読み取れない字で書かれている上自分より怪異に詳しいKKの言う事は聞くべきだろうし。やめておこう。
「やや、これは大粒で美味そうですな」
「分かりますか。今日のためにたんと太らせましたから」
大きなギザギザの歯が目立つ見たことのない妖怪と祟り屋さんが話している。通り過ぎざまにちらりと見た白い何かはどこからどう見ても眼球で、心臓が飛び跳ねる。ひやりと背筋に冷たいものを感じながらKKにくっついて軽く会釈をして足早にそこを通り過ぎた。
年甲斐もなくはしゃいでいる自覚はある。照れ臭さを誤魔化すために暑いだのと嫌がるフリはしたものの、目に入れても痛くないほど可愛い恋人がこんなにも楽しそうにしているのだ、当然だろう。
しかし同時に苦いものが腹から込み上げてくる。いい思い出というものは未来で悲しみに変わる事もあるからだ。暁人にも心当たりはあるだろう、あの夜追いかけた般若の最後の足掻き、後悔や苦悩で足止めをせんと眼前に並び立てられる暁人の過去の記憶の中にあった祭りの風景を思い出す。今日この日があの記憶に並ぶ日が来るかもしれないと考えて、飲み終えたビールとは別の苦味に顔を顰めた。
しかしきっと、そうなったとしても。暁人は乗り越えていくのだろうな。俺なんかよりもずっと強いから。
染みのように心に広がった暗い気持ちを有耶無耶にするように缶を握りつぶす。いつの間にか側から離れていた暁人へ視線を向けるとたくさんの妖怪たちに寄ってたかられあの時のヤツらだろう、マレビトから守ってくれて助かった。コレをやろう、これも食え、おやお前が噂の奴かなどと矢継ぎ早に話しかけられては焼き鳥の串やフランクフルトや焼きそばの入ったパックを押し付けられて狼狽えながら、どこまでも人当たりが(この場合妖怪当たりか?)いいため強く拒絶できずちょっと待ってね、順番にとどんどん両手が塞がっていく。そろそろ助け船を出してやろうか。
与えられた好意を無碍に出来ない暁人を眺めながらふっと漏れ出た笑いに混じった呆れは、暁人へ対してか自分へ向けたものなのかよく分からなかった。
年齢や身に降りかかる苦労を感じさせるクマのある眼の奥に見えた暗い淀みに、また悪い方に思考を向けているなとすぐに気づいた。伊達に捻くれたおじさんの相棒兼恋人を長いことやってない。
KKが袋を貰ってきて僕の手から食べ物を受け取り僕らが食べられないものはその辺の子達に渡している。その間集まってきた妖怪たちになぜ満月祭なのかと尋ねてみると答えは返ってこなかったが、
「空を見てみるといいよ」
とKKにこんがり揚がっているのにビクビク動いている何かが入った容器を渡された座敷童子に言われる。本殿の裏とかいいんじゃないかと鬼が続け、じゃあ折角だしと葉っぱに包まれた数本の三色団子を持たされ何だかわからないまま手を振る妖怪たちに手を振りかえし本殿の裏にKKと共に向かった。
「これは…」
本殿の裏についてすぐ、美しくも不思議な光景が目に入った。本物の月を隠すように黒い雲が空をうっすら覆い、その手前にまんまるとした大きな大きな満月が輝きながら浮かんでいる。本来の月とは違いとても近くにあるようで、しかしずっと遠くにあるようにも見え、不気味さの中に見え隠れする神秘の美しさにため息をつく。
「幻覚で満月を浮かび上がらせてるわけか」
「そんな事できるんだ…妖怪って…」
「古今東西、幻術を使う妖怪ってのはそれなりにいる」
KKもこの月に見惚れているのだろうか、こちらをみる事もなく感心したような顔をして妖怪の名前をいくつかあげる。
「満月祭ってこれかぁ。色々用意したってこれの事だったんだね」
「祭りも月見もいっぺんに出来るとは、妖怪のやることはスケールが違うな」
ぽつりぽつりと言葉を交わし、やがて話すことがなくなってもその場から動こうという気にはなれず、2人並んで手すりに腰掛けて時間も忘れて紛い物でも美しい、静かに輝きを放つ月を見上げた。
紛い物の月、人でない者たちの集まり。今ここにいる自分たちも本当に現実に存在しているのか、日常をとりもどし人の営みの輪に戻って、あの夜を過去の出来事として語り合える今になっても。
僕らは今ここで生きている人間だと断言する事はできるのだろうかと、ふとした折に考える事がある。あの日確かに僕はバイクで大事故を起こしたしKKは般若に命を奪われた。それなのに戦いを終えれば凛子さんや絵梨佳ちゃんが、麻里が戻ってきて。KKだって消えなかったから、余りにも全部が上手くいって、上手くいきすぎてしまって。般若という共通の敵を倒した為皆とは疎遠になってしまったが、元気にやっていると聞いている。幸せすぎて怖いというやつだろうか。
そしてそう言う事を考える時は決まってKKの心も揺らいでいるのだ。さっきのKKの暗い瞳を思い出す。魂が結びついたからかな、KKが悲しいと僕も悲しい。
KKは先の話をするのもされるのも嫌がる。家庭を失い命を失い、失ったものばかりが転がる過去に囚われて、それが増える事に怯えてる。
貰った団子を一本つまんでKKの口元に持っていく、気づいたKKの月明かりに照らされた瞳に僕が映って笑ってしまった。僕もおんなじ目をしてたから。
ねぇ、KK。僕ら一つになったから似たのかな、一つにならなくても似てたかな。
「こういう祭りもいいけどさ、普通の祭りも今度行こうよ」
「今の自分祭りなんかやってたか?」
もぐもぐと咀嚼しながらKKは答える。
「今じゃないよ、来年の夏とか。もしかしたら来年もこのお祭りやるかもだし」
咀嚼がゆっくりとまる。
「…ばぁか、来年くらいいい奴見つけてそいつと2人で行けよ」
なるほど、それが悲しみの原因だったか。そうなってほしくないのにそうなってしまえと、自分の未来は恐れるのに彼は僕の未来に破滅願望めいた望みを抱いている。
「そんな日来るはずないだろ?」
手すりに置かれた、古傷がついた手に自分の手を重ねる。
「綺麗な月だね、KK」
KK僕はね、似た者同士だけどアンタみたいに優しくないから、そんな望みを叶えてあげるつもりなんてないんだよ。だから未来の話もするし、先に進むのが怖いならその手を引っ張ってでも連れていく。明日や明後日、ずっとずっと先にだって。
僕と歩いている今を、KKにとっての温かい過去に塗り替えるために。
今目に映るものや、取り巻いているもの。自分たちすら紛い物で、ある日突然全部が霧の中に溶けてしまっても。
アンタがそこに居さえすれば、僕はもう何だっていいんだ。
「キスしてよ」
お願いしたけど自分から唇を重ねる。だって僕らは似たもの同士で、KKが拒まないのを知ってるから。
「…月が綺麗だな」
観念したようにKKがぽつりと呟いた。あぁ、嬉しいな。明日は何も予定がないし今日はめいいっぱい夜更かしよう。
「KKが好きな入浴剤、買ってあるんだけど」
にっこり笑ってそう告げると、意図を汲んだKKがぐぅと唸る。
「買い出しの予定だったじゃねぇか」
「午後からでいいでしょ」
いやなの?首を傾げると嫌なわけねえだろと立ち上がる。いつもより早歩きなKKを追いかけながら、お腹がきゅんとするのが分かった。お互いお腹いっぱい食べて体力もまだあるし、今夜はいっぱい愛してもらおう。
歩きつつ足元を見ると月が幻覚だからか、自分たちから伸びているはずの影は何処にも見当たらなかった。KKも気づいているだろうけど、何も言わなかった。でも不安になってここから出た後本当の月を見て確認するなんて事もする必要はない。僕らはお互いがそこにいれば、それでいいんだから。
さぁ帰ろう。楽しい夜だったね。
2人並んで、妖怪たちに挨拶しながら同じ歩幅で同じ場所に帰っていく。
幻の月が僕らを照らしている。
_____