届く、思い。「あ”~~ねみぃいいい…」
教室の席に座るラギーの背後から声が聞こえる。
わざわざ振り向かなくても、それが彼の恋人、エースのものであることはすぐにわかった。
「お疲れ」
エースの隣に座るデュースが労いの言葉をかける。
「まーじーで疲れた…今日はお茶会ないしオレもうこのまま帰って寝ても許されるんじゃない?」
エースの声は明らかに疲れを含んでいるとラギーは思った。
「当番でもあったんスかね?でもエース君はそういうの要領よくこなしていそうだしなぁ…」
午後一番の授業が始まるまでまだ少し時間はある。
ラギーは再びエースとデュースの会話に聞き耳を立てた。
「今日のエースは災難続きだったからわからなくもないが…こんなの寮長に聞かれたら叱られるぞ」
デュースのたしなめるようなコメントにエースは盛大な溜め息をこぼした。
「はぁ~~…ほんっと頑固だよなぁあの人…誰かさんとそっくり…」
そこまで言った途端、エースの腹がくぅぅと鳴る。
それは小さな音だったが、ラギーの耳にはしっかり届いていた。
「結局昼飯食いも損ねたし…あぁ~腹減った~疲れた~」
お茶会がないならば、夕飯までの腹拵えは難しそうだ。
「お気の毒様…」
ラギーが小さくぼやいたと同時に、トレイン先生が教室に入ってきた。
「…さぁて、お勉強お勉強」
ラギーは一瞬何か考える素振りをしたが、すぐ授業に向き直ったのだった。
※※※
授業後、デュースと分かれたエースにラギーは声をかけた。
「エースく~ん、だいぶ参ってるみたいなのにこれから部活ッスか?」
ラギーの声にエースはのそ、と振り返る。
「ラギー先輩…そーなんすよ~今日だけはどうしても外せなくて…」
要領のいいエースなら休む口実などいくらでも作れそうだが、それをやらないということはジャミルかフロイドと約束があるのだろうとラギーは察した。
「あららお気の毒様。部活終わったらよしよししてあげてもいいッスよ~」
ラギーが小さくシシッっと笑うと、エースはそっと近寄り上目遣いでラギーを見る。
「…今が、いい…あとでもしてほしいけど…」
ラギーは一瞬で顔に熱がこみ上げるが何とか平然を装う。
「っエース君、やけに積極的じゃないッスか…まだ昼間ッスよ…?」
取り繕うようなことを言いながら、ラギーはエースの頭を軽くポンポンと撫でた。
「ほら、そろそろ時間じゃないスか?部活終わったら、頑張ったエース君にオレが直々にごほーびあげるッスから…いってらっしゃい!」
エースは少し名残惜しそうにラギーから離れるフラフラと部活へ向かった.
そんなエースの背中を見送ると、ラギーはくるりと背を向け、足早に歩きだした。
※※※
部活へ向かったエースを見送ったラギーはその足で大食堂へ向かった。
この時間ならば、厨房には調理場のゴースト達が後片付けや翌日の仕込みをしているはずだ。
「こんちわーッス」
ラギーが厨房に向かって声をかけると、作業をしていたゴースト達がラギーの方を振り返った。
「やあラギー君。こんにちは」
「こんにちはラギー君」
「ラギー君じゃないか、いらっしゃい!」
営業時間外にも関わらず、やってきたラギーをシェフゴースト達は暖かく迎えた。
「マスターシェフの時はお世話になりました」
「いやいや、それはこっちの台詞だよ。前回は君から学ばせてもらう場面が沢山あったからねぇ!」
ラギーはマスターシェフを何度か受講していることもあってか、シェフゴースト達と仲が良い。
「それで、今日はどうしたんだい?」
野菜の下拵えをしていたシェフゴーストが声をかけてきた。
マスターシェフでラギーと一緒にキッシュを作ったゴーストだった。
「実は…その野菜くずを譲って欲しいッス…面取りしてるってことは、メイン料理の付け合わせかなんかに使うんスよね?更に…」
ラギーはそう言うとすん、と小さく息を吸い込む。
魚介類の臭いが微かに感じ取られた。
続けて火にかけられている鍋に視線を向ける。中で大き目に切られた野菜類が浮いているのがちらりと見えた。
「明日の日替わりは魚介系ッスよね?汁物も鍋の中身から察するに具材が大きめのスープ。その献立だと野菜くずは使いにくいんじゃないかなあと思うんで捨てちゃうくらいなら、と思ったんスけどどうッスか?」
ラギーは一気に言うと、シェフゴースト達の反応をうかがった。
静かに聞いていたゴースト達は感心したように各自小さくうんうんうなづいている。
「さすが!ラギー君は鋭いねぇ!」
「明日の献立も考慮に入れた上で、少しでもフードロスをなくそうとする姿勢が本当に素晴らしいよ!」
シェフゴースト達は完全にラギーの話術に魅了されている。
ラギーはこれまでのマスターシェフを経て、彼らが好印象を抱きそうな言い回しは大体把握しているのだ。
「もちろん、この野菜くずは君が好きに使って構わないよ。でも、何に使うんだい?もしかして、また君のところの寮長に何か頼まれたのかな?」
ラギーはこれまでレオナさんの夜食を無人の厨房でこっそり作ったことが何度かあったが、いつの間にかゴースト達にバレていたのだ。
曰く、朝来たときに食材が昨晩よりも少なくなっているのはよくあることだし、ラギーが使った後はいつも綺麗に片付けられていたので黙認していたそうだ。
ラギーとしては証拠隠滅のつもりで綺麗に片付けていたのだが、彼にとって都合よく解釈してくれたのだからとその体を貫いて現在に至っている。
「今日はレオナさんじゃなくて、オレの…後輩に差し入れッス。お昼食い損ねてるのに午後の授業終わったらそのまま部活に行っちゃったんスよ。終わる頃にはへとへとになってるだろうから、部活が終わるまでに何か作って持って行ってあげようかな~って…」
「素晴らしい‼」
ラギーの話にゴースト達が感嘆の声をあげる。
「自分の寮長だけでなく後輩も気にかけてあげるなんて、ラギー君は思いやりがあるんだねえ」
エースとの恋人関係をごまかすつもりでラギーは後輩と言っただけなのだが、シェフゴースト達がまた都合よく解釈してくれたようだ。
「ラギー君としては、ランチを食べ損ねたその後輩君にはお腹いっぱいになって欲しいよねえ…?そういえば、今日は他にも処分しなきゃいけないものがあったような…」
野菜の下拵えをしていたゴーストがそう言いながらほかのゴースト達に目配せをした。それを見たゴースト達が何かを察したように近くをごそごそしだす。
「あ~そうだったそうだった!小さなひびが入って食堂には出せない卵があったんだった!」
「うっかりしていたよ。このパイシート、冷凍期間が長くて風味が落ちちゃってたんだった!」
あれよあれよという間に、ラギーの元には卵やパイシートのほかにしなびているらしいほうれん草、見栄えが悪いので使えないらしいベーコンの端っこ、多く仕入れて持て余していたらしいキノコに中途半端に余っていたという生クリームにチーズ、そして野菜の下拵えで生じた野菜くずが集められた。
ゴースト達は全てわけあり食材だと言い張っていたが、野菜くず以外はどう見ても痛みや傷のない普通の食材だった。ゴースト達がラギーのために気を利かせてくれたのだろう。ラギーは一瞬どうしたものかと考えたものの、ゴーストならば下心もないだろうと彼らの好意に甘えることにした。
「こんなに…いいんスか⁈ありがとうございま~す!」
ラギーの耳がそわそわと動く。短い尻尾も心なしか落ち着きなく揺らいでいるようだ。そんなラギーに、ゴースト達はにこにこしながら頷く。
「たまたま処分しようと思った食材を提供しただけさ、気にせず使うといいよ」
野菜の下拵えをしていたゴーストの言葉に、ほかのゴースト達もうんうんと頷いている。
「この材料だとキッシュが作れそうじゃないか!この前の復習のつもりでまた作ってみたらどうだい?」
ゴーストの提案にラギーは頷くしかなかった。
「そうっスね。せっかく材料が体よく揃ってるし、部活終わるまでには完成させたいんでキッシュがいいかな…作業台の隅使わせてくださいッス!」
ラギーはそう言うと、材料を抱えて作業台の隅へ向かう。
ゴースト達がスペースを空けてくれた上、ついでと言わんばかりに必要な調理器具やエプロンを出してくれた。
「さあて、ちゃっちゃとやっちゃうッスよ!」
ラギーはエプロンを付けて腕まくりをすると気合を入れ、作業に取り掛かった。
※※※
「いやあ、ラギー君の手際よさには毎回驚かされるなあ…」
ラギーがてきぱき作業をする様をゴースト達が感心して見ている。
料理の合間に使った器具を片付けているので、作業台があまり散らかっていないのだ。
冷凍されていたパイシートが溶けるのを待つ間、ほうれん草を湯がく為に鍋に湯を沸かしてほかの材料を切っていく。
ほうれん草を湯がいてざるにあけた後、溶けたパイシートを打ち粉を振りながらめん棒で薄く延ばして型に貼り付け冷蔵庫へ入れておく。
ほうれん草が冷めたら食べやすい大きさに切り、フライパンにバターを溶かしてベーコンを炒めながらパイシートを伸ばしていた作業台を掃除し、めん棒や包丁を洗って片付ける。更にほかの食材を加えて炒め続けながら、ほうれん草を湯がくときに使った鍋やざる、切った食材を載せていたボウルを洗って手早く片付けていく。そしてオーブンの予熱も忘れない。
冷蔵庫からパイシートを貼り付けた型を取り出して炒めた食材を入れてチーズを散らし、ボウルに卵を溶いて生クリームを加えて調味料で味付けしたものを静かに注ぐ。それを予熱完了したオーブンに入れて様子を見つつ、溶き卵が入っていたボウルを洗って片付ける。
マスターシェフを何度も履修し、夜中にレオナの夜食を作っていたラギーにとってここは勝手知ったる厨房だったのだ。
「こんなに効率よく動けるんだったら従業員としてスカウトしたいくらいだよ~!」
「そうだね、ラギー君なら大歓迎だ!」
ゴースト達が次々にラギーを褒めている。
「いやいや、皆さんの指導の賜物ッスよ!お、そろそろいいかな…」
ラギーがオーブンの扉を開き、焼きあがったキッシュを取り出す。
表面には美味しそうな焼き色が付き、チーズがふつふつと音を立てている。
「うん、綺麗に焼けているよ。これはメニューとして出していいレベルだよ~!」
ゴーストがキッシュを覗き込みながら満足気に頷いている。
「あとは粗熱をとって切り分けたら完成ッスね!部活が終わる少し前には切れそうかな…?タイミングぴったりッス!」
キッシュを作るのは初めてではなかったこともあってか、ラギーが予想していたよりも早く完成させることができた。ラギーは最初大食堂にエースを呼び出そうと考えていたが、このタイミングならば直接届けに行くことができそうだ。ラギーはエースのスマホに、部活後に体育館裏辺りで会えないかという旨の連絡を入れておくことにした。
※※※
綺麗に切り分けられ、1ピースずつ包装されたキッシュを紙袋に入れて、ラギーは大食堂を後にした。途中サムの店に寄って飲み物を買うことも忘れない。
体育館前に来ると、部員と思われる生徒たちが寮へと戻っていくところだった。ラギーはそんな彼らを見送りつつ、体育館裏へと回る。
そこには、あきらかに覇気のないオーラを放ちながら壁にもたれかかっているエースがいた。
「エース君お待たせ~」
ラギーが手を振りながら近づくと、エースがゆっくり顔を上げる。
「うわひでぇ顔…‼とりあえずどこか座るッスよ!」
立っているのもやっとという状態のエースを支えながら、ラギーは近くのベンチまでエースを支えて座らせた。
「ほ~ら優しいセンパイがエース君に差し入れッスよ~」
そう言いながらラギーは紙袋からキッシュを取り出してエースに手渡した。
「…い~におい…」
受け取ったエースはのろのろと包みを開き、匂いにつられるようにもそりをキッシュを齧る。
途端、エースの動きが停止した。
「エース、君…?」
ラギーがそっと顔を覗き込むと、エースはキッシュに齧りついたまま目を僅かに潤ませていた。
「っ~~~まい‼んまいおこえ…んむっ!んぐっ‼」
『うまいよこれ』、とでも言っているのだろうか。ラギーとエースの目が合った途端、エースが無我夢中でキッシュにかぶりついていた。
あっという間に1切れ平らげたエースに半ば呆れつつもラギーは2切れ目を差し出した。
途中えづきそうになるエースにラギーは無言で飲み物を渡し、美味しそうにキッシュを頬張るエースを眺めていた。
恋人の逢引という雰囲気ではとてもないが、ラギーは不思議と心地よさを感じていた。自分が作ったものを、恋人が美味しそうに食べている。それだけでなんとも言えない幸福感で満たされているのだった。
「人心地ついたッスか?」
2切れ目を食べ終えたエースにラギーが問いかける。
「っはぁ…生き返ったあああ~!」
エースの目に生気が戻ってきた。やっとまともに会話ができるようになったようで、エースはラギーが手に持っている紙袋を見やる。
「やっと腹落ち着いてきた…あれもしかしてラギー先輩の手作り?」
「そ。エース君が部活頑張ってる間に厨房で焼いてきたんスよ。美味かったッスか?」
エースは満足気に大きく頷いた。
「すんげえ美味かった‼…でもオレ今金持ってないよ?」
エースがにんまり笑いながら言った。
「エース君、オレが恋人にまで金せびる奴だと思ってんの⁈心外なんスけど~⁈」
対するラギーはおどけたように言う。
「まっさか~⁈やさしいラギー先輩がカワイイ恋人にそんなことするわけないじゃん!」
「自分でかわいいとか言っちゃう⁈」
二人は頭をこつんとくっつけながらけらけら笑っている。
「もう1切れ食うッスか?」
ラギーの提案に、エースは小さく首を横に振る。
「ほんとはもっと食いたいけど、夕飯の時間まであんまりないからやめとく。マジで美味かったです。ごちそうさまでした!」
「はいはい、どういたしまして」
ラギーはテキパキと包み紙や飲み物を片付けながら返事をする。そんなラギーの頬に柔らかい感触がそっと触れた。感触がした方を見ると、わずかに顔を赤らめたエースの顔が目の前にあった。
エースがラギーの頬にキスをしたのだと気付くのに時間はかからなかったが、思わぬアクションにラギーはあっけにとられた顔をする。
「…エース、くん…?」
「キッシュ、本当に美味かったし…ラギー先輩が作ってくれたって聞いてすげー嬉しかった…ありがと」
エースはラギーから視線を逸らしながらそう言うと、ベンチから立ち上がった。
「早く戻らないと寮長に叱られるから…また明日…」
そういうや否や、エースはそのまま駆け出した。ラギーはエースの後ろ姿を見送っていたが、エースの耳が真っ赤になっていることに気づいて小さくシシっと笑う。
「さあて、残りはオレのお夜食にでもしようかな。半分以上あるから儲けッスね」
ラギーはそう言いながらゆっくりと立ち上がり、サバナクロー寮へ向かって歩き出した。
その尻尾はご機嫌と言わんばかりにリズミカルに揺れていた。