ギフト・フォー・ユー くあ、と欠伸をひとつして、ブラッドリーは早朝の魔法舎を歩いていた。
普段ならばまだソファーで寝息を立てている時間だが、どうにも目が覚めてしまったのだ。空腹を訴える腹の音に逆らわず、自ずと足はキッチンへと向かう。
何か作り置きでもあればいい。最悪の場合、包丁を手に追いかけまわされる覚悟で昨日のうちにネロが仕込んでいた朝食のおかずに手をつければ。そんなことを考えながらキッチンへと辿り着いたところで、作業台に先客が居ることに気がついた。
「よう中央のちっちゃいの。こんな朝っぱらから何やってんだ」
ブラッドリーが声をかけると、鮮やかな金の髪を揺らし、その少年は目を見開いた。
「ブラッドリー、おはようございます。今日は早いんですね」
「まあな。……なんだその不格好なのは」
む、と口を尖らせたリケの手元には、型抜きされた焼成前のクッキー生地が並んでいた。天板に所狭しと置かれたそれらは、どれもびろんと伸びてしまっている。
「ネロに前にクッキーの作り方を教えてもらったんです。ネロはいつも美味しいごはんを作ってくれるから、お礼に作ってプレゼントしたくって、でも……」
翡翠色の瞳が悲しげに伏せられる。ブラッドリーはちらりと天板の上を一瞥した。
別にこのまま焼いても味に支障は無いだろうし、多少不格好なクッキーだろうとネロは喜んで受け取るだろう。特にこの少年相手には甘いところがあるから尚更。
ただ、せっかく贈るなら綺麗な形で、というリケの気持ちも理解はできた。ブラッドリーは少し考えて、やがてにやりと口角を上げる。
「仕方ねえな。俺様が手伝ってやるよ」
手の温度でゆるくなるから生地を寝かしたあとは触りすぎるなとか、生地は近くに並べすぎると焼いた時にくっつくから少し離して置けだとか。そんなアドバイスをブラッドリーが横から飛ばせば、リケは怪訝そうな顔をしてじっとブラッドリーを見た。
「んだよてめえその顔は」
「いえ……ブラッドリーはクッキーを作ったことがあるのですか?」
「あるある。そりゃあもう芸術的なのをな」
実際はネロに隣で爆笑されながら、試行錯誤してブラッドリーが賢者に渡した其れは、リケのものと比べても不思議な形をしていたのだが、此処にその事実を知っている者は本人以外に居なかった。アドバイスの内容も、その時にブラッドリーがネロから聞いたものだ。
一度まとめて型を抜きなおした生地は、形も随分と綺麗になった。オーブンで焼くと、ほんのり甘い良い匂いがキッチンに漂う。くう、と鳴った腹の音で、ブラッドリーは自分が空腹だったことを思い出した。幸い、キッチンにはネロが『食うならこっちを食え』というメッセージとともに、冷めても美味しいおかずの作り置きを残していた。少し濃いめの味付けはブラッドリー好みだ。キッチンの主には全てお見通しだったようだ。
ブラッドリーが皿の中身を食らっている間に、クッキーは焼き上がったらしい。粗熱のとれたきつね色のクッキーを、リケは色とりどりのシュガーや、チョコレートで書かれた覚えたての文字で飾っていく。最後のひとつを飾り付けしようとして、リケは手を止め、ブラッドリーのほうを見た。
じっと見開かれた瞳は、穢れもまるで知らない色をしている。リケの、北の魔法使い相手にも物怖じしない肝の据わったところは、ブラッドリーも気に入っていた。オズへの態度は流石に命知らずと言わざるを得ないが。
「ブラッドリーもほら。ひとつくらい飾ってみたらどうですか?」
「あ? これはおまえから飯屋への贈り物なんだろ。俺様が手ぇ出してどうすんだ」
「あなたも僕にアドバイスをくれましたから。それに、ブラッドリーだっていつもネロのごはんを沢山食べているでしょう? 感謝の気持ちを伝えることも大切ですよ」
引く気はないとばかりにクッキーののった白皿をブラッドリーの方へと押しやるリケに、ブラッドリーは苦笑して最後のひとつ、星型の其れを見た。
「ったく……《アドノポテンスム》」
呪文と共に、色鮮やかなシュガーがいくつかクッキーの上に転がる。すかさずホワイトチョコレートでくっつけるのだと溶かしたチョコの入ったボウルを差し出すリケに、ブラッドリーはやれやれと肩を竦めてみせた。
さて、皆が起き出して朝食も済ませた頃。後片付けを手伝っていたらしいリケが、丁寧にラッピングしたクッキーをネロへと渡していた。蜜色の瞳が驚いたように見開かれ、やがて慈しむように細められる。
そんな様子を視界の端にとらえて、ブラッドリーは自室に戻るべく歩き始めた。朝が早かった分、少し寝なおしてもいいだろう。ちょうど腹も満たされたことだし。
結局、ブラッドリーの二度寝計画は聞き慣れたノックの音と共に中断されることとなるのだが、それはもう少しだけ先の話。