大人と子どもの境界線(タクルー)「タクシーさん、やっほやっほ♪」
「うわ…お前もよく飽きないなぁ……」
仕事帰り。ホテルのロビーの一人掛けソファに腰掛けて、いつものように競馬新聞を読みながら上司が来るのを待っていた。上司への業務報告をもってタクシーの仕事は終業となるのだが、いつもこの僅かな休憩時間にやってくるのが、頭にデカイルーレット盤を乗せたこのルーレット小僧だった。
「タクシーさんは歯磨きやお風呂に飽きたりするの??」
「……つまり、お前の中でこれはルーティンなの?」
「寝る前にお喋りするの、楽しいでしょ♪」
「もうド深夜なんだけどなぁ……」
子どもはもっと早く寝ろよ、成長出来ねェぞ?と、ゲンナリした様子のタクシーに言われて、ルーレット小僧はキャハハと笑う。
「ボク別に成長しなくても良いもん♪」
「……エ?」
丸い目をしたタクシーに、ルーレット小僧が何?どうしたの?と小首を傾げる。
「いや…成長したがらない子どもって珍しいなと…思っただけ」
「ウーン……そうかな?」
モラトリアムとかあるし、イマドキ珍しく無いと思うけどなぁと、ルーレット小僧がホップステップその場を跳ね回る。見えないケンケンパを、その場その場で紡いでいく。
「モラ…お前いくつだよ……」
「キャハハ♪」
小声で溢したタクシーの言葉に、ルーレット小僧は笑いながらくるりと振り返った。
「タクシーさんには、いくつに見える…?」
「……!!」
こちらを見てニンマリと微笑むルーレット小僧の表情には、先程のあどけなさの欠片も無く──言葉を失ってしまったタクシーは、年代バレしそうな文言だな…と辛うじて出た当て擦りで息を吐いた。
「あ~ぁ、そういうこと言うからモテないんだよ?タクシーさん♪」
「ハァ……そうですか…」
ガッカリしたと言う顔で両手をやれやれと上げたルーレット小僧に、タクシーは内心ホッとしていた。ルーレット小僧が時々見せるあぁ言った表情や間が、タクシーはどこと無く苦手だった。
「でもタクシーさんがモテちゃったら遊んで貰えなくなるから、これからもそのままで居てね♪」
「遊んでやってるつもり無いんだけどなぁ…」
「でも、ここに居てくれるでしょ?」
「そりゃ上司を待ってるからだよ……」
いつの間にかタクシーの股の間に座ったルーレット小僧は、ポケットから金平糖を取り出してポリポリと食べ始めた。小袋入りのそれを何粒か手のひらに乗せて、ハイ!とタクシーの口に押し付ける。不可抗力的に金平糖を口に転がせば、砂糖の甘さがジワリと身体に沁みわたる。あーぁ、なんでこんなとこで金平糖なんか食べてるんだ俺は…と、タクシーは肩の力がガックリと抜けた。
美味しいでしょ??とニッコリ振り返るルーレット小僧がなんだか小憎らしく映り、タクシーはその頬を気紛れにワシャワシャと撫で回してみた。柔らかそうな頬は揉んだり、軽く摘まんでみてもやはりモチモチで、うん、子どもだな…とタクシーは一人納得をする。適当に飽きて手を離せば、ルーレット小僧はポカンと口を開けていた。
「なに、してるの……?」
「エ、いや…触り心地良さそうだったから…?」
「……セクハラで訴えられても知らないよ?」
「せ、セクハラ……!?」
ジトッとした目で睨まれて、タクシーは思わず両手を上げた。主人に構って欲しい犬の様に、適当に撫で回してもてっきり喜ぶものだと思っていたタクシーはすっかり面食らってしまったのだ。それにしても、グレゴリーサン遅いなァ…と露骨に話を反らし腕時計を見るタクシーに、グレゴリーさんならさっき“あいどくしょ”を持って、部屋に走っていったけど?とルーレット小僧はあきれた顔で告げた。
「あ、あのジジイぃ……っ!」
片手に持っていた新聞をグシャリと潰したタクシーに、教えて上げたお礼、待ってるね♪とルーレット小僧は鼻歌交じりに言った。
「いや──何なら喜ぶんだよ……」
「ウーン、ドライブとか?」
「……外に出たいのか?」
「まさか!タクシーさんと遊びたいだけだよ?」
このホテルから外に出られない事は、すでに折り込み済みらしい。しかし撫でても喜ばないのに遊びたいとは、よく分からないガキだなぁ…とタクシーはタメ息をついた。
「じゃあまぁ……今度な…」
「……!楽しみにしてるね♪」
言質取ったからね♪と言い残し、ルーレット小僧はストンと椅子から降りると、そのまま走り去っていった。あぁ適当に返事をしなけりゃ良かったなあ…とタクシーはほんの少し後悔したものの。すぐ一服のタバコに火をつけて、どこに連れてってやろうかな…と思考を巡らせ始めたのだった。
おわり。