月の下にて。(クロパパ)不気味な程大きな満月が、迷界の皆に平等に笑い掛ける深夜。今夜もクロックマスターとミイラ父ちゃんはグレゴリーハウスの二階、バーにて晩酌を楽しんでいた。二人きりの静かなバーで、このホテルの管理人が恐らく趣味で集めただろう少し高級志向な酒を呷る。
この瞬間だけはこのホテルにくすぶる鬱屈とした空気が、少しだけ居心地の良いものに変わるのだ。
「マスターさん、ちょっとだけ歩きませんか?」
「おぉ…?歩くかァ…?」
晩酌も中頃。フワフワとほど良い酩酊感の中、クロックマスターはバーを出て進んでいくミイラ父ちゃんの後をついていった。
たどり着いたのは一階のロビーで、管理人の老鼠が不在の無人のカウンターを前に一体何の用だと言うのか。
クロックマスターが頭上にはてなを浮かべ首を傾げると、ミイラ父ちゃんは躊躇なくその奥へと歩を進めた。
「お、おぬし……」
「グレゴリーさんには内緒ですよぉ…?」
人差し指を口元に当てる朗らかな笑顔とは裏腹に、ミイラ父ちゃんがカウンターの奥から取ってきたものは、このロビーにある玄関扉のキーだった。
にこやかに笑う柔和な雰囲気とは裏腹に、時折この様な大胆さを見せるミイラ父ちゃんがクロックマスターはずっと掴めなかった。
クロックマスターがホテルに迷い込んだばかりの時、グレゴリーママの魂のありかを教えてくれたのもミイラ父ちゃんだったのだ。この魂を持っていると健康になれるんですよ〜などと……まるで怪しい壺売りの様だったのは置いておいても。あのグレゴリーママから魂を奪おうと言う発想になるのは……今のクロックマスターにはとても考えられなかった。
「いやぁ……これでマスターさんも共犯ですなぁ…!」
「思いっきり巻き込まれただけじゃがなぁ…!?」
そんな事を言い合いながら、二人は玄関扉の鍵を開けた。
────
玄関扉を抜けた先。ホテルの外でクロックマスターが最初に目にしたものは、グルリとホテルを囲む朽ち果てた墓標だった。
趣味が悪い…と溢したクロックマスターに、ミイラ父ちゃんは私達も死んだらここに入るんですかなぁ?と笑いながら言う。つられて少し口を歪めてしまったクロックマスターはフンッと鼻を鳴らし、まぁ死なんがな…と呟いた。
気味の悪い墓地を抜け、ホテルのすぐ横は鬱蒼と木々が繁った森になっている。
ミイラ父ちゃんはその薄暗い森へと歩みを進めた。クロックマスターは黙ってその後ろをついていっていたが、やがてスタスタと進んでいくミイラ父ちゃんと距離が開いてしまい、まてまてと静止した。
「折角じゃ…ゆっくり行こうじゃないか…」
「ハッハッハ、それもそうですなぁ…」
ゼェ…ハァ…と膝に手をつき肩で息をするクロックマスターを見て、ミイラ父ちゃんはマスターさんも明日から一緒にジョギングはいかがですかな~?と提案する。基礎体力は大事ですからなぁ~!と笑うその額からは、真っ赤な血がポタリポタリと落ちている。説得力と言うのは、時に見た目も大事だと言うことをクロックマスターは思い知らされた。
「あ~……走るのはゲストを追い掛ける時だけで十分じゃな……」
「アレも良い運動になりますからな~」
今までホテルに来たゲストの話などをしながら二人が暫く歩いていくと、薄暗かった森が更に一段と濃い闇に包まれた。クロックマスターが富士の樹海かここは…とミイラ父ちゃんの袖を引く。これ以上進んだらもう戻れなくなりそうだと思ったのだ。振り返ったミイラ父ちゃんはもうそろそろですよぉと呑気な声をあげた。
何が…と言い掛けたクロックマスターの目の前を、真っ白く輝くものがスッと横切った。うお!?とその場で大きくよろけたクロックマスターはズテンと尻餅をついてしまった。おやおや、大丈夫ですかぁ?とミイラ父ちゃんに手を差しのべられて、クロックマスターはなんなんじゃ…とバツが悪そうに立ち上がった。
「で……?」
ズボンに付いた土を払って、クロックマスターは改めて前を見る。ミイラ父ちゃんの横にフワフワと浮いている少年(少女?)は全身が青白く光り輝いていて、その顔に下げた薄布から時折ザザァやプツリ…といった人ならざる音を出していた。
「誰じゃ…?」
「おやおやぁ…覚えていないんですか?」
「どこかで……?」
あぁ…!?と声をあげたクロックマスターは、お前か!とその丸々の瞳に詰め寄った。
それは時間にして数ヵ月前の深夜、ミイラ父ちゃんとバーで飲んでいた時の事だ。
酔っぱらって床にひっくり返ったクロックマスターが目を付けたのは、バーの端にひっそりと佇んでいたジュークボックスだった。
フラフラと近寄って、上機嫌なクロックマスターは適当にボタンを押したが、ジュークボックスはうんともすんとも言わなかった。
なんじゃあコイツは…壊れてるのか?と、クロックマスターはジュークボックスをバシバシと叩いた。するとジュークボックスは突然白い稲妻の様な光をバチバチと放ちながらガー!ピピー!と爆音で騒ぎ出したのだ。
そんな喧騒の中、ジュークボックスの隣の壁からスルリと姿を現したのが、この子どもだった。
「TVフィッシュさんですな〜」
「TV…?」
「顔の所が液晶になっているんですよぉ」
「フーン……」
画面には丸くクリクリとした瞳が表示されている。ジッと、クロックマスターが何の気無しに眺めていると、そこに突然映像が流れ始めた。
『ねぇ、コレにしましょう?──』
『こんな古ぼけた物じゃなくて、もっと最新の物にしよう──』
『ボクコレ欲しい──』
『今日は腕時計を見に来たんでしょう?──』
着飾った夫婦や親子、その他大勢の人々が行き交う光景がまるでコマ送りの様に流れていく。映像は何やら一枚ガラスを隔てた所から映されており光の反射で、人々の顔はよく見えない。
『貴方、あの子この店を継ぎたいなんて言うのよ──』
ふと、急に映像がスローになる。ガラスの前には夫婦が居るようだった。
『貴方が変な事教えるから、あの子その気になっちゃって…どうするのよ…!』
何やら揉め事の様で、女性は肩を落として首を振った。
『こんな古ぼけた店、やっていける訳無いじゃない…!こんな古時計ばっかり大切にしちゃって…!』
コチラを睨み付けた女性がバシンと、ガラスを叩いた──。
────────
「マスターさん……大丈夫ですかぁ?」
「あ……?」
はたと呼び掛けに気付いたクロックマスターが周囲を見渡せば、ソコには無数のTVフィッシュがフワフワと浮いていた。人の形をしている者は一人で、後は食べ終わった魚の骨の様な姿だった。驚きにクロックマスターが目を丸くしていると、TVフィッシュさんは過去を映すそうですよぉとミイラ父ちゃんが人の形をした個体の頭を撫でた。
「過去……?」
クロックマスターにはホテルに来る前の記憶が無かった。否、とても不明瞭なのだ。妻が居て息子が居て…自分は店を営んでいた…ハズだ。しかしその記憶だけスッポリと抜けてしまっている。
グレゴリーハウスに迷い込んだ今、過去の出来事を思い出したとて何かが変わる訳でも無い。それを考えると、あまり積極的に思い出そうとする気にもなれず今に至る。
「……ここに来たことがあるのか?」
話を反らそうと、クロックマスターはミイラ父ちゃんに問いかけた。このホテルに来たばかりの頃に一度だけですなぁ…とミイラ父ちゃんは思い出すように遠くを見つめ、話し始めた。
「最初は私も……ホテルから帰ろうと魂を集めて居たんですよぉ」
初めて聞かされる事実にクロックマスターは目を見開いた。取り留めのない話はしても、あまり確信めいた事はいつも話さない。踏み込みすぎない…と言った暗黙の了解のような物が二人にはある気がしていた。
「それで一度だけ外へも出たのですが…連れ帰られてしまいましたなぁ……」
その道中でここへ足を運んだ事があるんですよぉと、ハハハと笑うミイラ父ちゃんに、クロックマスターはなんと返したら良いのかが分からなかった。仕方がないので、ただ話してくれたその事実だけをクロックマスターは受け止める事にする。
マスターが沈黙していると、TVフィッシュさんはこの光りが綺麗ですよねぇ…とミイラ父ちゃんはにこやかに話し始めた。そんな呑気な声を聞いてクロックマスターはハァ~…と長いため息を吐いた。
「……そういや、コレを見に来たのか?」
「天の川みたいで綺麗じゃないですかぁ?」
「そうか…おぬしの感性はよく分からん……」
少しの間二人は木々の間を漂うTVフィッシュを眺めてから、帰路についたのだった。
────────
取り止めのない会話をしながら、二人が見えてきた森の出口へ近づくと何やら墓地の方が騒がしいようだった。叫ぶ声やけたたましく笑う声が、森の中まで響いている。二人が森の出口に立った時。目の前には真っ赤に燃え上がるホテルがあった。
「見てみろォ!今日は宴だぞォ!」
ワイン瓶を持った死体が、他の死体にヒューヒューと煽られて酒を一気に飲み干す。う〜楽しいなぁ〜!と死体同士肩を組んで、止めろ崩れるだろ!!と叫んだり、その横では今回のゲストはループすると思う?と何やらチップを賭けて居る集まりもあった。パタパタとソコへ走って行くのは物売りの少年で、オッチャン達に小銭を貰いピーナッツを渡して走り回って居る。
「お祭りみたいですなぁ〜?」
「祭りの起源が最悪じゃがな……」
ホテルではゲストが脱出を試みる度、こうして火事が起こるのだ。そして全てがリセットされる。また一から繰り返しになるかこの迷界を抜け出すか……それは当事者次第だ。
「それでは歌います、ララ〜朝焼けの──」
プップーというクラクションの後、ボカンっと大きな衝突音が墓地に響いた。歌い出そうとしたプアコンダクターを、タクシーが轢いたのだ。黄色い車体から出てきたのはタクシーと、大きな黒いルーレット盤を頭に乗せたルーレット小僧だった。
「歌わせてあげたらいいのに~」
「いや…あんなの聞いたら鼓膜破けるぞ?」
「何人倒れるか皆で掛けようよ♪」
「ダーメですよ。死体が消えたら俺が現世から補充しないといけないんだから…」
そんな会話をしながら歩き始めた二人と、ふと目が合いミイラ父ちゃんがどうもぉと挨拶をした。明らかにゲッ…と顔をひきつらせたタクシーとは逆に、ルーレット小僧は珍しいね?とキョトンとした顔で首を傾げた。
「あ~…コンニチハ」
「お久し振りですなぁ、タクシーさん……」
「なんじゃ、面識あるのか?」
「このホテルに来たばかりの頃に、タクシーに乗せて貰った事があるんですよぉ……」
懐かしいですなぁ…と笑うミイラ父ちゃんとは反対に、タクシーはアハハ…と乾いた笑いで場を濁した。何やらここの二人は確執があるらしい…と、目の笑っていないミイラ父ちゃんを見てクロックマスターは何やら察してしまった。まぁその辺にしておけ…とミイラ父ちゃんの肩にポンと手を置いて、その場を解散する。どうも過去の事になると思うところがあるようで。静かな水面に雫が落ち出来た波紋のように──ミイラ父ちゃんはゆらりと殺気立つ事があった。
「少し、静かなところに行かないか…?」
「そうですねぇ、ちょっぴり座りたいですなぁ……」
物売りの少年からビールとピーナッツを買って、二人は墓地の中心から森の方へ離れた。少し小高くなったなだらかな草原に、二人は腰を落ち着ける。ホテルはいまだに燃え盛っており、二人はそれを見つめて沈黙がその場を包んだ。
柱が燃え尽きたのかガラガラと崩れ落ち始めたホテルを見て、ミイラ父ちゃんは綺麗だねぇ…と呟いた。こんな状況を見てそんな感想が出るのはどう考えても狂っているな…とクロックマスターは思うものの。頭上の青龍刀にチラリと目をやって、そんな常識が通じない世界と言うことを改めて飲み込む。
クロックマスターが一人苦心していると、ミイラ父ちゃんがスルリと手を繋がれて、クロックマスターはドキリとその場に跳ね上がった。
「あっ…!今日はマスターさんとデートでしたなぁ?」
「デッ……!?」
いやぁ……坊やと間違いましたなぁ!と頭をかきながらミイラ父ちゃんはハッハッハと笑う。その本心はクロックマスターにはいつも読めない。コホンと一つ咳払いをし今度は息子達も連れてだな……とクロックマスターは冷静さを取り戻そうと前を向いた。シェフさんにお弁当を作って貰いましょうかなぁ~と上機嫌に言うミイラ父ちゃんを、それはどう止めようかとクロックマスターは悩んでしまった。
不気味な程に大きく輝く満月の下、開催されたこの狂乱の宴を──二人はそんな談笑をしながらその熱が冷めるまで見守ったのだった。
おわり。