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    ruicaonedrow

    エタるかもしれないアレとかコレとか/ユスグラ/パシラン/フィ晶♂/銀博/実兄弟BL(兄×弟)/NovelsOnly……のはず

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    盛り上がってきました

    WS 4章6.
     雪の街の空気は、凛と冷え込んでいた。吐き出した空気は真っ白い塊となって、ふわりと空へ立ち上る。
     星晶獣の調査のためこれから向かうノース・ヴァストは極寒の地と称される。生半可な装備では凍えてしまうだろう。そのため、一行はノース・ヴァストにほど近いこの港町で、出航のための最終調整を行っていた。
     とはいえ荷物の大半は艇に積んであるし、燃料も食料も十分だ。後は操舵士を待って出発するだけなので、グランはルリアとビィを連れて街中へと出ていた。路面の端には未だに残る大量の雪があちこちに山を作り、白を被る常緑樹の緑と、陳列窓にずらりと並ぶ商品の色とが実に鮮やかに映える。ルリアなどは嬉しそうに弾んで歩きながら、あちこちを見て回っていた。華奢な首元を彩るマフラーは彼女の蒼い髪に合う水色で、ボリュームも相俟ってとても温かそうだった。
    「だから、あたしも行くって言ってるでしょ!」
     女性の大声が聞こえてきたのは、ちょうど、一行が船着き場近くの露店を冷やかしていたときだった。
    「あの子を放っておけないのよ!」
     人通りのいっとう少ない時間帯であったので、彼女の怒気を孕んだ声は一字一句しっかり聞き取れるほど良く通った。周囲の通行人は、ぎょっとして足を止めたり、何が起こったのかときょろきょろしたり、無関心を装ったり、逆に関わってはいけないとそそくさと往来を去っていく。
    「な、何だぁ……?」
    「一体、どうしたんでしょう……」
     思わず立ち止まり、一行は顔を見合わせた。
    「まぁ待て」低い声が宥めるように言い聞かせている。「少しは落ち着け。俺達には次の任務があるだろう。この男に任せておけ」
     何となく、聞き覚えのある響きだ。どこからだろうとぐるりと見渡せば、ちょうど船着き場の入り口あたりで、鎧を着た二人組とエルーンの青年がひとり、向かい合っているのが見えた。豊かな金髪を二つに結わいた女騎士を、ドラフらしき角のある大柄の鎧男が抑えている。相対する青年は壁にもたれ掛かったまま腕を組んで目を閉じている。女騎士が幾ら喚こうとも全く意に介さない様子で。
     ルリアが、あっ、と声を上げた。ぶんぶんと大きく手を振る。
    「ゼタさん、バザラガさん!」
    「ん……?」金髪の女騎士――ゼタの目が、不意にこちらを向いた。ぱちぱちと瞬く。「ああ、何だ……グランたちか」
    「お前たちもここに来ていたのか」声を上げたのは大柄の鎧男――バザラガ。「とんだ偶然だな」
     二人はログノス島での一件からグランの率いる騎空団に身を寄せていたが、ここ数日は任務があるからと艇を降りていた。それが、こんなところで再会と相成るとは。
     しかし、久しぶりの邂逅を果たしても、ゼタの顔色は何故か冴えない。駆け寄った三人を順繰りに見つつも、後頭部を掻いて、はぁ、と大きくため息を吐く始末。ルリアは怪訝そうに眉をひそめ、小首を傾げた。「あの、何かあったんですか……」とおずおず話し掛ける。
    「あぁ……」
     ゼタは、ふっと視線を逸らした。ルリアから目を背けたというよりは、壁に寄り掛かっている青年を気にしているようだった。青年は、けれど、ゼタを気にする素振りも見せず、いつの間にか開いていたアイスブルーの瞳を眇めて、静かにこちらを見ていた。ルリアやビィ……そして、グランを。
    「ちょっとそれは、……言えないわ」
     首を横に振って応えるゼタに、ルリアは驚いたように目を見開き、え、と零した。ごめんね、とゼタは苦笑するが、その視線はやはり、ちらちらと青年に向けられている。
    「掟ってやつでね……組織に深く関わることは、簡単には話せないのよ。全く、面倒なルールよね」
    「おい」バザラガが咎める。「喋りすぎだぞ、ゼタ」
    「うっさいなぁ、もう……」ゼタは、はぁ、と聞こえよがしに息を吐き、両手を腰に当ててバザラガを睨め付けた。「別にいいでしょ、これくらい!」
    「……」
     青年は、不意に、もたれていた壁から背を離した。足早にこちらに近づき、太股に括り付けられた鞘から音も無く長銃を抜き放つ。
    「説明しろ」
     静かな声だった。だが、有無を言わせない妙な迫力があった。
     ルリアが、えっ、と狼狽し、グランはすぐに彼女を庇うように前に立つ。青年の値踏みするような視線と真っ向から向き合う。
    「あっ、気にしないで、ルリアちゃん。大丈夫よ、コイツすごい無愛想だけど怖いやつじゃあないから」
     ゼタが割って入るが一触即発の空気は覆せない。それはバザラガも同様であった。
    「この者たちは騎空士だ。以前共に闘ったことがある。まだ若いが、腕前は本物だ」
    「そうそう、グランたちって凄いんだから! この子たちにかかれば星晶獣だって――」
     言い掛けた、そのときだった。
     小さく頷いた青年の銃口が、次の瞬間、グランたちの方を向いた。ビィとルリアが背の向こうで息を呑むのが聞こえ、相対するグランも反射的に得物に手を伸ばす。
     鋭い視線だった。獲物を狙う目だ。背筋がぞくりと粟立つのが分かった。
    「ちょっと、ユーステス!」ゼタが非難の声を上げた。「この子たちは敵じゃないって!」
    「分かっている」
     ユーステスと呼ばれた青年は、それでも、グランたちから狙いを逸らさなかった。少しでも気を抜いたら撃たれる……グランは剣の柄を握り、ぐっと身構え――
    「目を醒ませ、……グラン」
    「……え……」
     唐突に、何の脈絡もなく聞こえた台詞に、グランは思わず目を瞬く。
     目の前のユーステスは得物を構えたままだ。視線は抜き身の刃のように冷たく、グランを静かに見据えている。事の成り行きをハラハラと見守っているゼタも、バザラガも、……そして背後のルリアも、ビィも、誰もこの妙な違和感に気付いていない。
     ――何だ……?
    「何してんの? さっさと銃を下ろしなって!」
     ゼタが喚き。
    「まぁ待て」バザラガが彼女の肩に手を掛けて行動を抑止する。「ユーステスは、考えもなしに無駄なことをするような男ではない。お前も良く知っているだろう」
     勢いを削がれたゼタは、だけどさ! と口を尖らせるしかない。
     ――違う。……以前はこうじゃなかった。少なくとも、こんな展開ではなかった。
     グランは、……グランだけが混乱している。
     ――だって、彼は。
    「皆が待つ場所へ、帰ろう」ユーステスはすっと目を細める。「あの愛すべき平穏と静寂の日々へ」
    「な、何だよ気味悪ぃこと言いやがって……!」
     ビィが憤り、耳元でがなり立てる。
    「やっちまおうぜ、グラン!」
     ――グラン?
     ――一体、誰のことを言っている?
     ――僕は、……。
    「グラン」
     はぁ、とひとつ息を吐き、ユーステスは静かに名を呼ぶ。いつの間にか銃は下げられ、代わりに手が差し伸べられる。革の手袋に包まれた大きな手だ。いつもグランやルリアを守り、あるいは逆にこちらが助けてきた……
    「俺は……お前を迎えに来たんだ」


     ――え……?


     セインは、がば、と冷水でも浴びたようにその場に跳ね起きた。
     瞬時全身に走った電撃のような痛みに、ひッ……と呻いてそのままベッドに倒れ込む。背後に置かれたクッションがセインの身体を難なく受け止め、ぼふ、と埃が舞った。
    「あ……れ……」
     ぼうっと瞬く視界に映るのは、穏やかな陽光の差し込む部屋。レースのカーテンが軽やかに翻り、葉擦れの合間に微かなせせらぎを聞く。見上げた天井には格子状に横木が組まれ、木製のシーリングファンが音も無くくるくると回っている。室内はあらゆる物が溢れて散らばり、まるで物盗りにでも遭ったかのような様相ではあるのだが、確かに見覚えのある光景に一種の安堵を覚える。
     ――僕の、部屋だ……。
     はぁ、と長々息を吐いて、不意に手を遣った額はぐっしょりと濡れていた。鼓動は未だにドッドッと暴れ回り、呼吸も何となく息苦しい。セインはぎゅっと目を閉じ、傍らのクッションをきつく抱き締めて、何度か深呼吸を繰り返した。まなうらに残る雪の街の風景が暗闇に溶けて消えていくまで、ずっと。
     それにしても、いつ部屋に戻ってきたというのだろう。気付いたらベッドの上にいた、という体たらくである。馬車の事故に巻き込まれた後兄に別れを告げ、エルーンの青年に抱え上げられ、村の入り口付近まで連れて来られたことまでは思い出せるのだが、如何せんその先がかなり曖昧になっている。自分が青年に道を教えたのだろうか。それとも、青年が村人から情報を収集したのだろうか。表札も掛かっていないし、自宅があるのは村の奥の方だから、自力で探すにしては大分難度が高いはずなので……
     そこまで考え、あ、と思い至ることがある。セインは、はっと起き上がり――ここでまた身体に鈍痛が走るが何とか堪えて――床に裸足を置いて駆け出す。その背中で、乱暴に扉が閉まる音を聞いた。
     ――彼は、……。
     あのエルーンの青年はどうしただろう。まさか、もう村を出てしまったのだろうか。
     ――僕に確認したいことがあると、言っていたのに。
     ――僕も、……彼に聞きたいことがある、のに。
     思い出したのだ。長身痩躯の彼の姿を。褐色の肌にアシンメトリーの銀髪と、狼にも似た大きな一対の獣耳。切れ長のアイスブルーの瞳は鋭く尖って、厳冬の雰囲気を纏って周囲の者を威圧する青年。ノース・ヴァストへと向かう準備をしていた一行に銃を突き付け、共に騎空艇へと乗り込んだ、組織のお気に入りとも称される腕利きのスナイパー。
     ――間違いない。彼は。
     ――件の墜落事故の。
     バタバタと階段を駆け下り、途中足を踏み外しそうになりながらもどうにか復帰し、階下へと到着する。そうして突き当たりのガラス戸を思いっきり開けたのなら、……
    「あ、……」
     セインははたと立ち止まった。扉の取っ手を掴んだままの体勢で固まった。
     彼は、……エルーンの青年はそこにいた。一面硝子張りの壁の傍に立って、イーゼルに置かれたカンバスを眺めていた。木漏れ日が床に点状の模様を描いて、木々の葉擦れに合わせてゆらゆら揺れる。
     獣耳がピンと立ち、彼は肩越しにセインを見た。銀色の前髪の向こうで、アイスブルーの瞳が僅かに細められた。
     ――やはり、……やはりそうだ。
     セインは知らず心拍が早まるのを感じる。
     ――彼は間違いなく、アーク・ヴァレーの事故の当事者だ。そして……。
    「お、お早う」
     こく、と喉を鳴らした後、セインは何事もなかったようにへらっと笑って後ろ手に扉を閉める。パタンという音が静かな室内に響き、エルーンの青年は、あぁ、とだけ応えて目だけで頷く。にこりともしない。
    「ここまで連れてきてくれたんだね、有り難う……」
     言いながら足早に室内へ入り彼に近寄る。隣に並ぶと硝煙の匂いがふわっと鼻先を過ぎった。彼は黙ったまま、けれど軽く首肯してまたカンバスへと視線を戻す。その姿は何故だか妙な懐かしさを覚える。
    「この絵は」しばらくして、彼は不意にぼそりと呟く。「お前が描いたのか」
     セインは彼の背中からそうっとカンバスを覗き込んだ。木炭の濃淡だけで描かれたモノクロームの世界は、ディアスポラという空の脅威を退けた後、騎空団一行が立ち寄ったレストランでのひとこまを表現している。明るく広い店内で沢山の人々が笑い合いながら食事を楽しみ、一件落着を祝うようなとても和やかな雰囲気である。
    「そうだよ、この絵はね――」
     あの賑やかな風景は今でもまざまざと思い出せる。卓に並ぶ様々な料理を前に、レンスとヨダルラーハが軽口を交わし、ファラとユーリは肉団子を賭けてじゃんけんで勝負をし、カシウスなどは運ばれてきたスパゲッティ・ミートソースに舌鼓を打っていた。何でも月に捕らわれてからずっと頭の片隅にあったという料理は、まさにこの、粗挽き肉がゴロゴロ入ったミートソースなのだと口元を赤くしながら嬉しそうに話していたっけ。しかし、そのイメージの元とやらは月のゴツゴツした岩肌などではなく……
    「そうだな、……確か」セインの説明を聞きながら、青年はぽつりぽつりと言葉を落とした。ふ、とその口角が僅かに上がるのを見る。「培養液に浮かんだ、……カシウス自身の脳だったな。……全く、質の悪い冗談だった」
     ……そうだ。そこで、グランは……
     彼が……この無口で無愛想な青年が声を立てて笑ったのを、初めて聞いたのだ。
    「やっぱり……」
     セインの中で何かがカチッと当てはまったのが分かった。解けないパズルの、最後のピースが見つかったような心地だった。セインはすぐに彼の眼前、カンバスと彼との間に入り込んだ。そうして青年の目をまっすぐに見上げた。
    「君は――」心を落ち着けるように大きく深呼吸をしつつ「組織に属する、フラメクの雷の契約者……ユーステス、そうだよね」
    「……、……」
     青年が、はっと目を剥くのが分かった。
    「そうか」彼は呻いた。「ユーステス……それが、俺の名か」
     ――ん……?
     妙な返答である。セインは思わず目を瞬く。
    「それは――」
     どういう意味で、……と言い掛けたときだった。
     きゅううぅう。
    「!」
     いきなり響いた腹の音が一切の行動を停止させた。カッと赤面し、狼狽えつつも腹を押さえるがもう遅い。セインは、あ、あはは、と照れ笑いしながらも、タイミングの最悪さを呪った。確かに昨日の事故の後、もっと言えばその前から何も口にしていないのだから、育ち盛りの胃袋が空腹を訴えても詮無いのだが。
    「……と、取り敢えず食事にしよう。詳しい話はそれからでもいい?」
     セインの言葉に、青年――ユーステスはこくりと小さく頷いた。


     外へ出ると穏やかな風が頬を撫で、梢をさざめかせた。南天に至る陽光が降り注ぎ、道端に咲く名もなき花が揺れる。左手にデピス湖、右手に広葉樹の森を臨みながら、二人は、商店街へと続く細い道をゆっくり降りていく。
     言葉を交わすことはなかった。互いに黙ったままだった。セインは時折ユーステスの方をちらちらと見るのだが、結局何を話して良いかも分からずに口を噤むばかり。彼は彼でセインの半歩後ろくらいを歩きつつ、周囲の様子を静かに窺っているように見える。
     しかし、嫌な沈黙ではなかった。気まずいわけでもなかった。気の置けない友人と出掛けているような、身内と連れ立っているかのような……沈黙さえも心地よい、そんな雰囲気を感じていた。初対面ではないにしろ、それほど言葉を交わしたわけでも、一緒にいたわけでもないのに。
     ――一見すると怖い人みたいだけど……。
     セインはちらりとユーステスを盗み見る。長身痩躯のエルーンの青年は、氷のような色素の薄い瞳でもって、デピス湖を眺め遣っている。
     ――もしかしたら、見た目に寄らず、穏やかな人なのかもしれないな。
     ユーステスの視線が不意にセインを向き、セインはドキッとして慌てて前を向いた。もしかしたら見つめてしまっていたのかも、と思うと、途端に耳が熱くなってくる。いや、気のせいだ、きっとタイミングが悪かっただけだ……セインは何度も頭の中で繰り返し、気を取り直して顔を上げる。火照った頬に吹き付ける風が何とも気持ち良かった。
     そんな二人の傍を老夫婦が会釈をしながら通り過ぎ、幼い兄妹が飼い犬を追い掛けて走って行く。牛を連れた若者は道端で立ち止まり額の汗を拭い、その向こうでは洗濯物を捌きながら会話に興じる婦人たちの姿がある。目的地に近付くにつれ人々のさざめきは少しずつ大きくなり、遠く響く鐘の音を交えながらも周囲にじんわりと満ちていく。
    「はい、毎度どうも」
     商店街の入り口にあった露店でサンドイッチと飲料をふたつずつ買い求めて、近くのベンチに腰を下ろす。頭上に広がる広葉樹の葉を通した木漏れ日が、二人と、石畳の道の上に零れて微かに揺れた。
     まだ温かい包み紙を開くと、ビーフパストラミの綺麗な桃色が視界に飛び込んでくる。ライ麦パンをこんがりと焼いた間にザワークラウトをたっぷりと挟んだ、本日のお勧めルーベンサンド。ゴーダチーズがとろりと糸を引き、添えられたマスタードのスパイシーな香りが食欲をそそり、セインはすぐに大口を開けてかぶり付いていた。育ち盛りの身に、隣人を気遣ってお預けというのは少々過酷すぎる。
     わしわし食べ進めながら横目で隣を見遣れば、彼もまた、黙ってルーベンサンドを食んでいた。良かった、取り敢えず嫌いなものではなかったようだ、と思っていると、彼の開いた口の端に尖った犬歯を見た。成る程……確かに狼っぽい耳だからなぁ、と妙な納得の仕方をして、セインは咀嚼していた食塊をこくんと飲み込んだ。
     二人はしばらく黙っていた。どちらも話し始めることなく、黙って食事に集中していた。何から話そうか迷っていたことは確かだし、どうやって切り出そうか考えていたせいもある。けれどセインは、時折ちらりと盗み見るユーステスの横顔が、周囲の穏やかな風景を眺め遣りながら何となく微笑んでいるように見えて、つい……今話し掛けでもしたら邪魔になってしまうのではないかと尻込みしてしまうのだ。なので、食べ終わって一息付いたあとも、二人の間にちょこんと置かれた飲料のカップをひとつ手に取り、ちびちびと啜ることしか出来ない。中身は無難に紅茶を選んだわけだが、冷め切っていることもあってか、味は全く分からなかった。
    「あ、……あのさ」
     カップをぎゅっと両手で握って、意を決してセインは声を上げる。中身は殆ど残っていなかったから、ぺこ、とへこんで間抜けな音が鳴った。
     ん、と応え、ユーステスはセインの方を向く。頭頂部で獣耳が揺れた。
    「君は……」言い掛け、一度言葉を切り、唇を舐める。「小型騎空艇に乗っていたよね。それで、そのままアーク・ヴァレーに墜落した……」
    「……、……」
     ユーステスが静かに息を呑むのが分かった。セインはそこで初めて彼の方を見た。驚いたように目を見開く彼の顔を、じっと見据えた。
     診療所の看護師たちと同じ反応だ。中には、何を言っているのかと眉をひそめる者もいたが、彼女たちは所詮第三者だ。話が届いていないのであれば、知らなくても仕方ない。けれど彼は違う。当事者だ。小型騎空艇から這い出してきた張本人なのだ。酷い火傷と怪我をしながらも、立ち上がりかけたセインの上に覆い被さってきて、そのまま意識を失ったはずなのに。
     ――やっぱり、あれは僕の夢だったのか……?
     セインの心に、ふっと影が差す。
     ――じゃあなんで、会ったこともないエルーンの青年がそのまま夢に出てきたんだ……?
     事故の当事者であった彼の姿形は、黒煙ではっきりとはしていなかったものの、今目の前にいるエルーンの青年そのものだ。初対面の人間を、夢という曖昧な世界で、ここまで具体的に描けるものだろうか……
     ――会ったことがない……?
     酷い違和感が胸中に去来する。セインは思わず顔を歪める。
     ――そんなわけがあるか。彼はいつでも僕たちを見守ってくれただろう。僕の叶えたい思いのためなら、いつでも僕らの助けになると約束してくれたじゃないか……
    「……え……?」
     思わず声が漏れて、セインははっと口を噤んだ。何度も目を瞬く。
     いや、……何だ。誰だ。一体、なんで……。
    「俺は……」ユーステスは、そんなセインを尻目にぼそりと呟く。セインがゆるゆると目を向ける先で、ふぅっと小さく息を吐く。「実はよく、覚えていない」
    「……え……」
     ――覚えて、いない……?
    「まさか」呆然と、セインは独り言つ。「『奪われた』というのは、君の記憶の――」
     カランカラン。
     乗合馬車の到着を告げる鐘が、高らかに鳴り響いた。
     セインは殆ど反射的に顔を上げ、以降を中断する。何せ、三年の間毎日欠かさず行っていた日課なのだ。未だに鐘の音に反応するし、到着した馬車を目で追ってしまう。しかし……今回ばかりは少し勝手が違った。
     視線を向けた先、遠く、港町へ伸びる石畳の道を、二頭立ての馬車が荷台を軋ませながらゆっくりと近付いてくるのが見えた。待合室からひとり、またひとりと出てきて、大きく伸びたり手を振ったりして馬車の到着を待っている。
    「……あれ……?」
     セインは呟き、目を懲らす。ユーステスもまた、アイスブルーの瞳を眇める。
     ガラガラと道を転がる車輪の音。荷台がギィギィと軋む音。馬がいななき、御者台の男が手綱を上下に振っている。禿頭で髭を蓄えた年かさの男性……セインはその姿に、確かに見覚えがあった。
    「……、何で……」
     言葉が零れ、思わず立ち上がる。そうしている間にも馬車は村の門を潜り、広場に滑り込んでくる。御者が手綱を引き絞り、馬の蹄が石畳を叩き、大きな広葉樹の影、停留所の傍にぴたりと停止した。御者が降り、扉を開け、乗客が村に降り立つ。
     なんてことのない、いつもの風景だ。いつもの日常だ。赤ん坊を抱いた母親が父親を出迎え、その向こうでは大きな袋を持った壮年の男性が子どもらに囲まれている。杖を突いた老婆がゆっくり歩み寄る先には、痩せぎすの男が婦人を伴って立っていた。「ただいま、母さん」と男は微笑み、「お義母様、何もここまで迎えに来なくても……」と婦人はひたすら恐縮している。「何だい、あたしゃまだそこまで耄碌してないよ」と老婆は声を立てて笑い「しかしまぁ……長いこと頼りも寄越さずに、いきなり帰ってくるとはどういった了見だい」と男に詰め寄っている。男はただただ苦笑しつつも「いや、……実は少し困ったことになってね」と声を潜めた。
    「入れ替わったな」
     ユーステスが呟き、セインは何気なく彼の方を向いた。彼の視線は鋭く、細く、停車場の馬車と、それに群がる人々に注がれている。セインの背筋に冷たいものが走った。
     ――行方不明になり、アーク・ヴァレーで発見された六人の男女。街で見掛けた、死んだはずの古い友人の姿。入れ替わったのかもしれない、と呟いた痩せぎすの男。次の標的は僕らかも、と……
    「まさか」声が震える。こく、と唾を嚥下した音が殊更大きく聞こえる。「でも、それって、どういう……」
     ユーステスは応えなかった。セインが呆然とする前で、ただ唇を真一文字に引き結んで、三々五々連れ立って去って行く人々の背中を見送っている。
    「奴の本当の狙いは何だ……? 一体、何を企んでいる……?」
     ぼそりと零れた呟きは、風と喧騒に紛れてセインの耳にまでは届かない。


    「つまり、……どういうこと?」


     ゼタの声が、静かな店内に響き渡った。
    「世界が、二重になってるって……」
     目の前の卓には、新たな焼き菓子が山と積まれていた。クッキーにフィナンシェにマドレーヌ、ドーナツにプレッツェル、果てはパルミエなど多種多様である。チョコレートや粉砂糖を纏ったもの、干しぶどうやナッツ類を練り込んだもの、キャラメルでコーティングされたもの。どれも甘さ控えめでそこまで重くなく、形も小さいため、話ながらつまんでいると無限に食べられそうな錯覚に陥る。
    「そのままの意味だ」ゼタをちらりと見た後、サンダルフォンは事も無げに珈琲を啜った。「分裂したか、それとも新たに創られたか、そこまでは俺にも分からない」
     ゼタは思わず窓の外を見た。誰もいない、否、街に住む人々だけが完全に消えてしまった光景。それなら、……彼ら住民はどこへ行ってしまったのか。それとも、自分たちがもうひとつの世界へと連れて来られたのか。
    「……《舞台》……」
     不意の呟きに、ゼタは視線を跳ね上げる。声の主――ルリアは考え込むようにしばらく睫毛を伏せていたが、次の瞬間にふっと目を上げてゼタを見た。
    「そうだ、《舞台》と……そんな名前で呼ばれていました。《舞台》にはここと同じような、うぅん、全く同じ喫茶店があって、サンダルフォンさんがマスターで……」
    「俺たちは、もうひとつの世界を便宜上舞台と呼んでいる」サンダルフォンが言葉を続けた。「《舞台》には《脚本》があり、《脚本》に沿って《役者》が動いている。このように、件の世界の概念は《舞台》に置き換えると理解が早い」
    「オレ様たちは、言うなれば《観客》ってとこだ」
     カリオストロはマドレーヌをひとつ摘まんで口に放り込む。
    「ただ……《観客》を名乗ったところで《舞台》上の様子は全く見えない。何の因果か、オレ様たちが《舞台》に上がることとは出来ないようだしな」まぁ通常、《観客》は《舞台》に上がれないものだが、とカスの付いた指をぺろりと舐めて笑う。「ただ《舞台》上からもオレ様たちを認識することはないようだ。ここと《舞台》は互いに干渉しないと考えていいだろう」
     ――《舞台》……。
     ゼタは、カリ、とクッキーを食む。バターの香りが口内に満ちる。
    「じゃあさ……やっぱり、ここの住民も《舞台》に連れて行かれたのか?」ベアトリクスがおずおずと口を開くと「あるいは、な」とカリオストロはひとつだけ頷いた。「言った通りオレ様たちは《観客》であるが故に《舞台》に上がることは出来ない。ただ……どうやら、ルリアとサンダルフォンだけは特別らしい」
     な、と同意を求めた彼女の視線が、つ、と上がった。ルリアは静かに首肯し、サンダルフォンはコーヒーカップを軽く傾ける。ゼタは目を瞬く。
    「《舞台監督》の意向だ」
     サンダルフォンはふぅっと息を吐いた。カチャリ、とソーサーにカップを戻し、癖のある前髪の向こうで真紅の瞳の目元を鋭くする。
    「そうだろう……キリエ・ルイゼ」
     ゼタは――
     いや、ゼタだけではない。ベアトリクスもルリアも、カリオストロでさえも、はっと目を見張る。
    「やぁやぁ、流石は天司長様だ」明らかに場違いな、飄々とした声が上がったのは、ちょうどその時だった。「やはりお前たちを招待したのは間違いではなかったな。いやぁ、お見事!」
     皆が一斉に顔を向けた先、翡翠の髪と赤の目の青年は、そこに座っていた。窓際に設置された大きなソファに鷹揚に腰を掛けたまま、ニコニコ笑いながら拍手をしていた。
    「な……」ベアトリクスが絶句する。「お前、いつの間に……ッ」
    「いやぁ、随分と楽しげにお茶会をしていたから、いつ声を掛けようか迷ってたのさ」
     言うなり彼は立ち上がり、大仰な身振りで片腕を広げ、足を一歩後ろに引いて頭を下げた。随分と大袈裟な仕草は、カーテンコールの役者を彷彿とさせる。
    「皆々様、お初にお目に掛かります。不肖このわたくし、しがない舞台役者のキリエ・ルイゼと申します。以後どうぞお見知りおきを……」
    「舞台役者?」カリオストロが目を眇め。
    「ってかアンタどっから来たの?」ゼタはアルベスの槍に手を伸ばしながら、静かに睨め付ける。「事と次第によっちゃあ、燃やすけど」
    「まぁ待て」息巻く二人を、立ち上がったサンダルフォンが制する。「彼は、敵じゃない」
    「そうだぞ! 暴力反対!」サンダルフォンの後ろに駆け寄って隠れつつ、キリエは拗ねたように頬をぷくりと膨らませた。「第一、おれを排除したところで何にもなりゃしない。そればかりか、お前らが必要としている、消えた特異点の情報だって得られないままだぜ、それでいいのかい?」
    「特異点……」
     そう呼称されるものに心当たりがあった。考えに沈むゼタの瞳が不意に、は、と丸くなる。
    「グラン……?」
     ――そうだ。
     ――そういえば、……あたしは……。
    ゼタの脳裏にとある光景が浮かんだ。雪の降りしきる港町。任務を終えて久々の休暇を楽しんでいたゼタとベアトリクス。そこへ、ルリアが駆けてくる。酷く顔を強張らせた彼女は、そういえばこんなことを言っていたのではなかったか。曰く、数刻前からグランの姿が見えない。気配もぷっつりと消えてしまった。どうか彼の捜索に力を貸してくれないか、と――
    「こんなことしてる場合じゃないわ!」
     叫んで、ゼタは急に立ち上がった。隣でベアトリクスが何事かと目を剥き、背後で椅子がガタンと音を立てて転がるが、知ったことではなかった。
    「ちょっと、アンタ」強い語調の声に、サンダルフォンの背中の向こうからそうっと覗いていた紅玉の目がひゅっと引っ込んだ。「グランの居場所を知ってんの?」
     サンダルフォンは、はぁ、と息を吐く。
    「知ってるもなにも、彼がやったんだ」どうやら庇う気がないらしい。やれやれと肩を竦めている。「なぁ、キリエ」
    「その言い方じゃあ、まるでおれが諸悪の根源みたいじゃないか!」対するキリエはすかさず抗議の声を上げた。「まぁ確かに誘ったのはおれだけどさ、別に、特異点を拐かしてどうこうとかじゃなくて協力を仰いだんだよ。彼も同意の上だぜ?」
    「協力」カリオストロは彼の言葉を繰り返し、片眉を上げてキリエを見据えた。「おい、何をさせようとしやがった?」
    「別に悪事の片棒を担がせようとか、そういうことはじゃあないぞ、断じて!」
     キリエはむくれている。ただ、むくれながらも、紅玉の双眸をまっすぐにカリオストロへと向ける。
    「おれはこの滅茶苦茶になった《舞台》を何とかしたかったんだ。良からぬ輩の乱入で、折角の《舞台》を台無しにしたくはない。だから、特異点にはまずセインを――」
     言い掛けた、まさにそのとき。

     ドオォ……ン……

     突如響いた轟音が言葉尻を攫った。ルリアが、きゃ、と悲鳴を上げて身を竦める。
     サンダルフォンは大きくため息を吐き、ゼタとカリオストロが顔を跳ね上げ、ベアトリクスは反射的に得物に手を掛ける。振動がビリビリと硝子窓を震わせ、キリエは舌打ちをひとつ落とした。
    「ああ、もう嗅ぎつけやがったな」苦笑し、後頭部を掻く。「全く、せわしい奴らだ。楽しくお茶会をするくらいの余裕はあっても罰は当たらないだろうに」
    「何が起こってんのよ!」耳を塞いだ手を外して、ゼタが叫ぶ。「街には誰もいないはずでしょ!」
    「誰も。……あぁそうだな、誰もいない」キリエは独りごち、顔を上げた。「アイツを除いては誰もな」
     すっと手を横に薙ぐと、空を裂いて一本の杖が現れる。なかなか物騒な形状をしており、呪術やまじないに使うというよりはパルチザンやハルバードのような武器を彷彿とさせる。その得物の柄を、静かに握り込んだ。
     表情が変わったとゼタは感じた。飄々とした道化の仮面を外し、彼は今、戦士の面を手に取った。どちらが本当のキリエなのかは判断が付かない。あるいは、……どちらでもないかもしれない。
    「さぁて、皆々様。世界を救うため……なんて大それたもんじゃあ御座いませんが」
     キリエは杖を掲げ、ニッと口角を上げる。
    「茶会を邪魔する不届き者を、共に成敗しに行こうじゃありませんか」
    「んもうっ、仕方ないなぁ」
     カリオストロは椅子から跳ねるように立ち上がり、貸しを作るのも悪くないしねっ、と愛らしい微笑みを浮かべる。彼女の手にはいつの間にかウロボロスの杖が握られている。
    「これが終わったら、グランの行方、絶対に吐いて貰うからね」
     ゼタもアルベスの槍を手に取った。キリエは苦笑しつつも、あぁ、と首肯する。
    「まぁ、……相対するうちに分かるだろ。おれらじゃあどうにもならないところに特異点がいるってことが、さ」
    「は……?」
    「ただ、希望がないわけじゃあない。なので、お前たちのお仲間をちょっと拝借したんだ。彼なら問題なくやり遂げてくれるだろうと思ってさ。だって――」
     おれは、絆の力を信じているものでね。
     キリエがそう言い切った途端、今度は近い位置で轟音が鳴る。振動は大地を軽く揺さぶり、ゼタが問い返す前に、キリエは振り返って朗らかに笑った。
    「ほら、早くしないとここまで吹っ飛ばされちまうよ」
    「……分かったわ」
     一行は互いの顔を見合わせ、頷き合う。そうして喫茶店の扉を開け放ち、立ちこめる白煙と粉塵のあわいを三々五々、標的に向かって駆け出していった。
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    Replies from the creator

    ruicaonedrow

    DONE一幕一場(状況説明)
    KA-11.
     ここまで道が混んでいるなんて何時振りだろうと、ラモラックは思った。少なくとも、直近ではないことだけは確かだ。
     第一師団がブルグント地方で戦果を上げたときだったろうか。それとも、第三師団が見習いたちと共に近隣の盗賊団を壊滅させたときだったろうか。英雄ロットが不在の今、好機とばかりに攻め込んできた賊を、モルゴース率いる魔導師団が完膚なきまでに叩きのめしたときだったかもしれない。
     ああ、……あのときは本当にスカッとした。魔術の師匠たる賢女モルゴースの勇姿は勿論のこと、魔導師団と騎士団との一糸乱れぬ見事な波状攻撃。悲鳴を上げ、武器を放り投げ、這々の体で逃げていく奴らの情けない姿といったら! それと同時に、この国は前線基地ばりに、常に戦争と隣り合わせなのだと実感した。知識の上では理解していたものの、こうして目の当たりにするとみんなどうして仲良く出来ないのか不思議でならない。お腹が空いて気が立っているとかなのかなぁ。それなら、食べ物が沢山あるところが分けてあげたらいいのに。困っている人がいたら助けてあげて、食べ物も半分こしてあげる。それで一件落着だっていうのにさ!
    11028

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