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    ruicaonedrow

    エタるかもしれないアレとかコレとか/ユスグラ/パシラン/フィ晶♂/銀博/実兄弟BL(兄×弟)/NovelsOnly……のはず

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    ruicaonedrow

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    プロローグ

    カルカンサイト・アクト【ガウェラモ】 気に食わない奴――
     ガウェインの、『彼』に対する初期評価はその一言に尽きた。やけに馴れ馴れしく、やけに鬱陶しい。さらに、かの飄々とした態度はかつての幼なじみを彷彿とさせどうにも落ち着かない。
     それだけに、『彼』の助力によってもたらされた現在の状況も、ガウェインにとっては複雑というより他はない。……そう、件の依頼がどれだけ巫山戯たものであっても、『彼』が切っ掛けを与えてくれなければ国民の警戒を解くには至らなかっただろう。最悪、誰の署名も集められず、公王の理解も得られず、失意のうちに国を去ったのかも知れないことを考えれば多少は感謝すべきなのだろうが。
    「……」
     ふぅっと息を吐くと、ガウェインはその翠の瞳を大通りへと向ける。暮れなずむ空は地平の雲を橙色に彩り、山の端、建物の合間から、幾筋もの光の腕を街中へと伸ばしている。往来を行き交う人々を、呼び込みに精を出す売り子の顔を、おしゃべりに花を咲かせる主婦たちの顔を、それぞれに明るく照らし出している。平和で……どこまでも穏やかな日々の暮らしがそこにある。
     目が合えば、各々が軽く頭を下げて通り過ぎた。誰しもがにこやかに会釈をし、子どもなどは、ぱぁっと顔を輝かせ大きく手を振ったりしていた。だが、中にはいるのだ。引き攣った顔をする者、後ずさりする者、これ見よがしに逃げ出す者……ガウェインは、けれど、それらも仕方がないと思っている。過去の傲慢な振る舞い、傍若無人な態度、それらが招く失望や恐怖……改心したとはいえ、過程をつぶさに見ていない者たちに理解して貰えるなどとは到底考えていない。
     ――いや、だからこそ。
     俺は変わったのだと。声を大にして言えないのであれば行動で示すより他はないのだ。些末な困り事、日常生活の不便なもの、……城下の見回りなぞ暇な部下にやらせておけば良いのだと、過去の自分が鼻であしらったことを丁寧に紐解いていく他は。国民の、公王の信頼を勝ち得て、三国が集う重要な会談に同席出来ぬようであれば、再びこのダルモアの地を踏むことに何の意味があるというのか……――
    「……、む……?」
     ガウェインは不意に視線を上げた。自身を、思考の渦より無理矢理に浮上させた。
     穏やかに展開する風景の合間に妙なものを聞いたのだ。明らかに場違いな鋭い響き。悲鳴、喧嘩、あるいは。
    「カイヤ……、カイヤ……!」
     足が出た。次いで、壁に寄り掛かっていた背が離れ、組んでいた腕が解かれた。夕陽に染まる石畳を鉄靴が踏みしめ、カツコツと硬質な音が後を追った。ガウェインは真っ直ぐに前へ、声の方へと早足に進んでいく。待ち合わせをしていたこと、ここで待たねばならぬことなど、今このときばかりは頭からすっぽりと抜け落ちていた。
     群衆が割れる。険しい表情をした騎士の行く先を塞ぐ者などおらず、ある者は興味深げに足を止めて振り返り、ある者は無関心を装い通り過ぎていくばかり。ざわざわとした喧騒の中でガウェインは速度を緩めながら両脇を見遣った。耳を澄ませる。
    「……カイヤ!」聞こえる。か細くも切実な声が。「……何処へ行ったの……!」
     飲食店などが建ち並ぶ目抜き通りを左へ折れ、水路にかかる短い橋を渡る。往来の賑わいは僅かに遠く、街路樹の梢が風に揺れ、葉擦れが潮騒のように響く。家路を急ぐ人の影は一層まばらになり、ベンチの上でうたた寝をしていた黒猫などは、唐突に現れた騎士に驚いて飛び起きそのままどこかへ駆け去ってしまった。
     すると、いた。落ち着かない様子であちこちを歩き回っている、ひとりの若い女の姿。炊事の途中であったのかエプロン姿のままで、まとめ髪はほつれ、夕陽の照り返しをもってさえ顔面の蒼白は拭えない。
     誰かを、もしくは何かを探している。ガウェインの目にはそのように映った。先ほどから聞こえるカイヤというのは名前であろう。だとすれば可愛がっていたペットが逃げ出したのか、それとも、親しい友人や家族の誰かがいなくなったのか。
     何の利にもならない、それは分かっていた。かつての自分であれば見捨てていたであろう者だ。俺には関係ないとばかりに、見て見ぬ振りをしていた者だ。だが、彼女は現に困っている。助けが必要である。空いている手があるのなら、……差し伸べて然るべきだろう。
     ――あいつらなら、確実にそうしている。
     ごちゃごちゃと考えるより前に動いている。頼まれてもいないのに駆け寄って、どうかしたのか、出来ることは無いかと聞いている。何というお人好しだ、馬鹿馬鹿しい、時間の無駄ではないかと呆れたこともあったが、今は違う。
     ――なら俺も、……あいつらに倣うべきだ。
    「おい」
     極力威圧的にならぬように声を掛けたつもりだった。けれど、何事かと顔を上げた女の瞳が、驚愕のあまり大きく見開かれたのが分かった。
    「……、ここで何をしている」
    「が、ガウェイン様……」
     おろおろと視線が彷徨う。話して良いかどうか、迷っているようでもある。真っ白い指が幾度も絡まり、陸に打ち上げられた魚のように、口元がはくはくと動いている。
    「カイヤ、というのは何者だ? ペットか? それとも家族か?」
     責め立てるつもりなど毛頭ないし、詰問している訳でもない。しかし、軍人としての性が厳しい態度となって現れてしまうのか、ガウェインは目元を鋭くして女を見る。
    「もしカイヤなる者を探しているのだとしたら、ひとりだけではどうにも力不足だろう。ここは協力者を集い、人海戦術で当たった方が……」
     ――もぉ、何その口調に怖い顔! 犯人を追い詰めてるんじゃないんだからさぁ。
     不意に蘇る『彼』の言葉。ガウェインははっと口を噤む。
     ――もっとこう、猫ちゃ~ん、出ておいで~って。優しく、優しく。ね?
     脳裏に浮かんだハーヴィンの『彼』の姿は、いつの間にか、ひとりの少年の姿に取って代わる。亜麻色の髪の下、くりくりとした朱華の瞳を悪戯っぽく微笑ませたかつての幼なじみは、『彼』――ルーソルの台詞をそのまま繰り返してパチンと片目を瞑る。ああ、そうだ、今思えば、人をからかうような、小馬鹿にするような態度もそっくりだ。気に食わない奴だが、何故か悪い気はしないところも……
    「ガウェイン!」
     唐突に名を呼ばれ、ガウェインは顔を跳ね上げる。声の方向にぐるりと首を回すその先に、通りの向こうから小走りに近寄ってくるローブ姿の女性を見る。
    「全く、どこをほっつき歩いているのかと思えば……!」足を止めると、浅く被ったフードの隙間、緩く巻いたキャラメルブロンドの一房が揺れた。「あそこで待っていなさいと、何度も言っておいたでしょう!」
     英雄ロットと賢女モルゴースの愛嬢であり、栄えあるダルモア魔導師団の長たるフロレンスは今、失態を犯した弟を叱る姉の顔をしてガウェインに詰め寄っている。ガウェインは、むぅ、と唸ったきり二の句を継げない。
     気付いてしまったのだ。
     待ち合わせをしていたこと……そして、逆に自分が探されていたという事実を。
    「皆さまをお待たせしてしまって申し訳ないと――」フロレンスはそこで、言い掛けた言葉を遮り、はたと動きを止めた。翠の瞳をぱちぱちと瞬いている。「あなたは……ディムリリー……?」
    「……ふ、フロレンス様……」
     女は呆然としている。元騎士団長ガウェインに引き続き、突如現れた現魔導師団長フロレンスに驚き、戸惑っているようにも見える。
     だが、フロレンスはそんな状況を的確に察知した。少なくとも、ガウェインにはそう見えた。女に向き直り、しっかりと視線を合わせて口を開く。
    「一体、どうしたのですか? 何かあったのですか?」
    「あ、……その」そこで口ごもり、けれど一呼吸置き、意を決したように顔を上げる。「実は、娘が、……カイヤがいなくなりまして……」
    「カイヤちゃんが……」
     知り合いか? などと無粋なことは言わない。なのでガウェインは黙って二人を見守る。
     何せフロレンスは散歩と称して街へ繰り出し、民の声を聞いて回るような心優しき女性なのだ。顔見知りも多く、このディムリリーなる者もそのうちのひとりだろう。日がな一日城に引きこもり、難しい顔で分厚い本や書類とにらみ合い、方々の会議に出ずっぱり……そんな肩書きだけの、現場を知らぬ長ではない。そこは姉として、また、同じ長と名乗る立場にあった者として純粋に尊敬できる。
    「はい……。昼までは家にいるのを確認したのですが、……」
     ディムリリーが語った内容は、おおまかにこのようなことであった。
     ディムリリーにはカイヤという一人娘がいる。いつものように自宅で、ひとりで留守番をしていたが、おやつを届けに行ったところその姿がどこにもなかったという。当初遊びに行ったのだろうと思ってはいたが、夕食の時間が近づいてもなかなか帰ってこない。さすがに心配になり、知り合いに片っ端から当たったところで、知らない、見ていないと言われ、慌てて家を飛び出し、今に至る――
    「ああ、……フロレンス様、お手間を取らせて申し訳ありませんが……、どうかカイヤを探しては頂けませんでしょうか……!」
     フロレンスはちらりとガウェインを見た。ガウェインは小さく頷いた。詳細がどうであれ手伝う腹積もりであったので、ここで確認されたとて返答に変わりはない。フロレンスはにっこりと笑う。
    「勿論です」
     こちらも同様、返事を待つまでもなく最初からそうすると決めていたのだろう。ああ、有り難うございます、と感嘆の声を漏らしたディムリリーを横目に、ガウェインは、フン、とおもむろに腕を組む。
    「フロレンス、この後ジータの元へ向かって団員たちを動員できるか交渉してくれ。何人でも構わん。地の利に長けた者が望ましいが……この際贅沢は言っていられんだろう」そうして息をひとつ、落とす。「街中を探すのはお前やジータが適任だろう。俺では話を聞いて貰えるかすら怪しい」
    「分かりました」
    「そうと決まれば急ぐぞ。直に日も暮れる。闇夜で年端もゆかぬ子どもを探すことくらい、難儀なことはないだろうから」ガウェインはそこで目を眇めた。「おい、何を笑っている」
    「いいえ、何でも」フロレンスは首を横に振り、それ以上の尋問をさらりと逃れる。「それよりディムリリー、あなたはすぐに家に戻って、温かいお茶でも淹れてカイヤちゃんの帰りを待っていて下さい。もしカイヤちゃんが帰宅していた場合に、すれ違ってしまう可能性も十分考えられますから」
     後のことは私たちに任せて――そう付け加えると、母親はとんでもないとばかりに一瞬目を見開くが、多少の逡巡の後にようやく頷いた。
    「申し訳ありません……」震える声で、何度も頭を下げる。「カイヤを、よろしくお願いします」
    「はい。……それじゃあ行きましょうか、ガウェイン」
     ――あいつめ、何処へ行ったんだ……!
     その脳裏に。
     不意に過ぎるものがあった。ガウェインはドキリとして、石畳を踏んだ足をそのままに留めた。沈みゆく夕陽に照らされる母親の背、ローブに覆われたフロレンスの影、……暮れなずむ街の風景に少年の幻を見る。目に眩しいブロンドに鈍色に光るブレストプレートを纏った少年は、翠の瞳を歪めて辺りを見回している。
     ――クソッ……早く、早く見つけないと……ああ、手遅れになる前に、早く……!
     鉄靴の音が、金属の軋む音が、忙しなく鳴った。苛立っているのか、少年の顔つきはひどく険しい。
     ――おい、ラモラック……! 何処だ、聞こえているなら、返事をしろ……!
    「……ッ……!」
     は、と我に返り、零した息が震えていた。ガウェインの横を駆け抜けた少年の幻影は見送るまでもなくそのまま往来に溶けて消え、後に残るのは茜色に染まる日常だけであった。遠くで立ち止まったフロレンスが、怪訝そうに振り向くのが分かった。
    「……、何だ……?」
     ぼそりと呟き、けれど、歩き出そうとした足は鉛でも付いているかのように重い。肌が粟立つようなぞくぞくとした感覚が、先ほどの幻影のようにしがみついて離れない。ガウェインはぐっと奥歯を噛み、それでも一歩を踏み出した。カツ、と石畳を叩く音が、その僅かな衝撃が、自身を現実へと引き戻す。
     ――あれは過去の自分だ。それは分かる。世間を知らぬ、青二才であった頃の。
     だが、行動に全く覚えがない。かつての幼なじみを――ラモラックを探して街を彷徨うなど、あっただろうか。忘れてしまったとでもいうのか。否、……それはない。言い切れる。何せ、相手は次男坊とはいえ隣国の王子だ。やんごとなき身分の者が行方をくらましたとして、国際問題に発展しそうな大事件を記憶の中から追い出せるとでも……
    「クソッ……一体、何が」
     起こっている。吐き捨て、頭を振る。いや、忘れろ。今は一旦忘れろ。先に解決しなければならない事象があるだろう、しっかりしろ!
     心の中で活を入れ、頬を叩いてガウェインは歩き出す。胸に巣くった鬱々とした気分を晴らすように、あるいは吹っ切るかのように……その足下を、背後から近寄った一匹の黒猫がみゃあと可愛らしく鳴いて追い抜いていく。


     予感めいたものは確かにあったが、だからどうだということもない。なのでガウェインは、フロレンスと別れたその足でひとり、街外れの森の中を歩いている。頭上を覆うように茂る木々の葉の合間から、夕焼けに染まる雲が見える。
     幼い頃、修行と称しラモラックと駆け回っただけあって、この辺りには土地勘があった。陽光の照り返しを受けてきらきら輝くせせらぎ、道に張り出した大木の根、苔に彩られた大岩、どれも見覚えがあった。ただ記憶そのままとは違い、上背がある分遙かに小さく纏まって見えるが。
     カイヤ発見の報は未だ聞かれない。街はフロレンスやジータ、そして、彼女の率いる騎空団が捜索に当たっているはずなので、敢えてそこに混じる必要は無いだろう。愛想のない自分では聞き込みの役に立つとも思えないし、それよりは他の、少しでも可能性があるところを探した方が早い。
     ――だが……。
     ガウェインは思う。幼子がひとり、目的もなく、魔物達が跋扈する街の外へと出るだろうか。子どもというものはいくら親から言い含められようと危険なことをしがちではあるけれど、この距離を、しかもひとりで、誰にも見つからずに歩いて行けるとでも。
     ――誰かの手が、介入していなければの話だがな……。
     誰か。例えば、悪人。人さらいの類い。
     無能の王、そして富と名声ばかりを追い求める騎士団長の下、自分勝手に振る舞う騎士も多い。これほどの役立たず共が雁首を揃えれば治安維持機構が働くとは到底思えず、昼間の街中ですらごろつきがのさばっていると聞く。その中で、無防備にふらふらと出歩く子どもがいたらどうだろうか。良からぬ輩が身代金目当ての誘拐を企んだとしても何もおかしくないではないか。
     ――あのときだって、そう考えたはずだ。
     突然姿を消したラモラックを追って街に出たとき、真っ先に思い当たったのがその可能性である。彼はやんごとなき家の出身であるから、ファミリアを使って誘い出し、拐かし、国に対して巨額の身代金を要求するのではと。そうであるなら事は一刻を争う。無事と引き換えになるならいいが、応じない場合は彼に危害が及ぶ可能性だって考えられなくはないのだから、
     ――……、あのとき……?
     どき、と足を止めたガウェインは、ぱち、とその翠の瞳を瞬く。何だ、……何だ、今の記憶は。順序立ててきちんと並べられた書物の合間に、意味のない落書きを挟み込まれたような感覚。しかも、前後の内容が全く噛み合わずに酷い齟齬を生じている。
     木立に吹き込む風が下草を揺らし、ブロンドをかき混ぜた。頬を撫でる冷たい感覚に、ガウェインはハッとした。知らず鉄靴が枯れ枝を踏み込み、パキ、と乾いた音を立てる。
    「クソッ……」
     小さく毒づき、顔を上げた。気を取り直して辺りを見渡す。
     徐々に薄暗くなる森の中は、幼子がひとりきりでは心細いだろう。日が落ちれば気温もぐっと低下してくる。どこか虚のような場所でじっとしているのなら良いが、崖の下、沢の中……そういったところにいるとしたら。
    「おい、カイヤ! 何処にいる! いるのなら、返事をしろ!」
     大声を張り上げながら、ガウェインは道なき道を行く。灌木を掻き分け、下草を切り払い、木々の根元を覗き込み、頭上に張り巡らされた枝葉を睨み上げる。そのどこかに見慣れぬ小さな影がないか、衣服や装飾品の一部が引っ掛かっていないか、異物が紛れ込んだ故に生じたであろう違和感を探ろうと刮目する。もしかしたらフロレンスたちが先に保護しているのかもしれない、それともこの時間だ、空腹を覚えて家に戻ったのかも……そうは思うものの嫌な予感はいつまでも拭えない。
     やがてその足は森の深部へと彼を誘った。夕陽の名残は山の端を赤く染めるのみで、紺色が支配する世界は灯りがなくては足下すら危うい。藍を背景にして影絵の如く浮かび上がり、風に揺れざわざわと音を立てる様はさながら、一匹の巨大な生き物のようである。
     ――いないか……。
     ふぅっと息を吐き、ガウェインは立ち止まる。ここからは山から流れ込む水路が広く道を塞いでいるので、子どもの足では進むことすら困難だろう。カイヤがここに来たとして、はっきりとした目的がないなら来た道を戻っていくはずだ……ガウェインはひとつ頷き、くるりと踵を返した。そうでないとしても、最早この薄暗闇では幼子の影を探すことなど出来やしない。低木を揺らすものが魔物かあるいは無害な動物か、即座に判断することすら難しいというのに。
    「……む……?」
     辺りを巡っていた翠の双眸が、不意にすっと眇められた。
     モノトーンの濃淡に染められた風景の中に、明らかに違う色を見た。連なる木立の向こう、棒立ちの幹のまにまに、確かに何かが青白く光っている。光量は周囲を照らし出すには尚暗く、じっとその先を凝視したガウェインはふと気付いた。そうか、月光だ。樹木が途切れ、広場になった草原を照らす月の光が、あたかもその場を輝かせているように見えるのだ。
    「……うん?」
     だが、その視線は同時に、存在し得ない、するはずのない何かの影をも捕らえた。ガウェインは思わず息を呑み、赤い鉄靴のつま先がよろよろと前へ出た。そのままふらふらと前進する。まさか、と呻くように零した声が掠れる。
    「ラモ……ラック……?」
     急に視界が開けた。草木を乱暴に割ってまろび出た騎士は、その身に蜘蛛の巣やら細かい葉やらを纏わせたまま、呆然と目の前の光景を眺めた。
     元は研究所か何かだったのだろう、建物の残骸らしきものがあちこちから生えている。苔や蔦がレースのようにびっしりと絡まり、一部は崩れ落ちて原形を留めていない。頭上の木々の葉はそこだけぽっかりと開けていて、差し込む月光が舞台に落ちるスポットライトのように辺りを青白く照らしている。木々の葉を透かし、辺縁が歪な模様を描いている。
     こんこんと湧き出る清水は小さな池を作り、静寂の中にも花の香が満ちていた。周囲には名前までは分からないまでも種々の花が咲き誇り、日光の下で見たのなら、古色蒼然とした見事な景色であったはずだ。そして、……そんな瓦礫の世界の影に幻影がいる。
     幻影と称したのは、それが幼いままの姿だったからだ。ラモラックは仕官を終えてダルモアを発ったあのときのまま、否……魔導師団に属し、共に切磋琢磨したあの頃の姿でそこにいた。池の畔に腰を下ろし、にこにこと、楽しげに花を摘んで編んでいた。自分と同い年であるから、生きてさえいれば三十路に届くであろうはずなのに。
     ……生きてさえいれば。その言葉に一瞬、ゾッと背筋が冷えた。まさか生き霊の類いか。旅先で事切れてしまった彼の魂が、空の底へと連れて行かれる今わの際に、思い出の地であるダルモアへと舞い戻ったのというのか?
     最期の別れを言うために……?
    「……ッ」
     そんな、……有り得ないことだ。彼は仮にも王位継承者候補なのだから、逝去の報が入ればウェールズが黙っているはずがない。それに、騎空団には彼の弟である炎帝パーシヴァルも属していると聞く。敬愛する兄ラモラックに何かあれば、それこそ何らかの反応を示すはず――
     だが、頭では分かっていても身体が止まれるはずもない。自身の目で確かめない限りは何であろうと断言出来ない、そう何度も繰り返し、ガウェインは月光降り注ぐ園へと駆け寄る。鉄靴が水を跳ね上げ、細かな飛沫が甲冑を汚す。下草を踏みしめ、瓦礫を砕き、その足がようやく池の畔へと辿り着いたとき、……眼前に広がるものにガウェインは三度、目を見張る。
     そこにいたのは、かつての幼なじみではなかった。かといって、何も存在しない空間に像を結んでいたわけでもなかった。
     少女だった。
     年端もゆかぬ少女は、幻影がそうしていたように池の畔に座り、鼻歌なぞ歌いながら花を編んでいた。膨れたワンピースの裾、そして亜麻色の長い髪が、彼女をラモラックと見紛う原因となったのだろう。ほっと胸をなで下ろし、けれど、ガウェインはすぐに思い直した。はて、……それではこの少女は何者なのか。こんな森の奥で一体何をしているのか。
    「あ、……」
     ガサリと響く物音に、少女ははっと顔を上げた。微かに響いていた歌がやみ、静寂が戻り、彼女はぱぁっと顔を綻ばせる。
    「わ、本当だ、本当に、来てくれたんだ」先ほどまで編んでいた花を放り投げ、さっと立ち上がり、ガウェインに駆け寄る。「カサンドラ様の言うとおりだ!」
    「……、カサンドラ……?」
     ――誰だ?
     その響きが語る名をガウェインは知らない。だが、何かが心に引っ掛かった。遙か遠く、思い出せないほど遠くの何時かに聞いたことがある、よう、……な……
     しかし。
    「ねぇねぇ早く帰ろうよ、お腹空いた!」
     足下で急かす少女の声に、記憶をたぐる手を止めざるを得ない。ガウェインは特大のため息を吐いて少女を見下げた。自分の腰ほどの高さから、にこにこ微笑みながらもじっとこちらを見上げてくる朱華の瞳は、確かにラモラックとよく似ている。こちらの都合など全くお構いなしのところなど、近親者かと思うほどにそっくりだ。
    「……分かった、分かったから静かにしていろ」額に手を当て、じとりと少女に目を遣る。「ところでお前は何者……」
     言いながら、はっと気付いた。
     いるではないか。ひとり、心当たりのある者が。
     街から突然消えてしまった少女が。皆の捜索対象が。まさか……
    (――ガウェイン、……聞こえますか……)
    「ッ、……フロレンス」
     不意に脳内に差し込まれた音。ガウェインは目を瞬き、耳元に手を当てる。
     念話。遠く離れていても互いに思念を飛ばし会話する術であり、魔導師団長フロレンスであればこれくらい容易い。詳しい仕組みなぞ魔導師ではないガウェインには分からないが、さすがに賢女モルゴースの血を引いているだけあって何となく扱うことは出来る。そもそも、直接対話した方が早いと考えているので、役に立つ場面などほぼないのだが。
    (――カイヤの足取りが分かりました。ちょうどあなたがいる森の中に、彼女もいるようです。ディムリリーと親しかった男が白状しました……)
     白状。その言葉に、ガウェインはかの男に起きたであろう惨状を悟った。ダルモアいち恐ろしい女性を敵に回した罰というやつだ。命があるだけマシだろう。
    「その、……カイヤという少女だがな」
     ガウェインはふぅっと息を吐いて、足下に纏わり付く少女にちらりと目線を送る。念話は謂わば思念の会話なので特に声に出す必要は無いのだが、今このときは彼女にも聞かせる必要があると考えた。案の定少女は、興味深げにガウェインを見ている。
    「つい今し方、俺が保護した」
    (――えぇっ……)
     そんな、何処で……そう聞こえた気がしたが、構わなかった。「そうだな、カイヤ」と確認を取ると、行方不明だった家出少女は「うん!」と元気に返事をし、にこっと白い歯を見せた。


     カイヤの話によると、事の真相はこうだ。
     カイヤの家は所謂母子家庭で、父親は戦死したのだという。カイヤが産まれて間もない時期でもあったので、カイヤ自身は父親の顔を知らない。これを聞いたときにガウェインはしまったと――恐らく俺が不在の間、ピートが指揮を執ったが故の犠牲者だろうと顔を歪めたが、カイヤは特に気にしていない様子で話を続けた。
    「ママには『カレシ』がいて、あたしにも優しいんだけど、時々目が怖いことがあって。今日は午後からみんなでピクニックに行くぞって言われたから準備したんだけど、ママがいなくてあれってなったんだ」
     夜の森の中を、少女と騎士が手を繋いで歩く。日は既にとっぷりと暮れ、月光が木漏れ日のように降り注いでいる。世界は青白く、辺りはモノクロームに沈み、二人の会話と足音以外はしんと静まり返っている……時折思い付いたように、遠く夜行性の鳥がホウホウと鳴くくらいで。
    「この森に来たのは『カレシ』となんだけど、その『カレシ』がママを迎えに行ってくるからここで待ってろって言ったの。あたし、良い子だからずっと待ってたんだけど、そのうち日も暮れるしだんだん寒くなってくるし、ママ、いつ来るんだろうって……」
     研究所跡地と思われるあの廃墟。徐々に日が傾き、空が茜色に染まっていく中で、それでも少女は母親を待っていた。ガウェインは思った。恐らくこの母親の『カレシ』とやらは前夫との子であるカイヤが邪魔になったのだろう。だからこんな、子どもの足では到底来られないような森の奥深くに彼女を置き去りにしたのだ。
     ……だが、『カレシ』の目論見は見事に外れてしまった。
    「そうしたらね、カサンドラ様が現れて。お前のママは用事があって来られなくなったが、代わりにひとりの騎士がお前を迎えに来るだろう……って。金色の髪に翠の瞳の、赤い甲冑の騎士だ。それまで大人しくここで遊んでおいで。悪い者が近寄れないように、結界を張っておいてやるからな……そう言ったの」
     ――カサンドラ。
     やはり、何かが引っ掛かる。相づちを打つのを止めて、ガウェインはしばし物思いに耽る。カサンドラ。一体何者だろうか。カイヤの話をまるごと信じるのであれば、名うての魔導師のようにも思える。会ってもいないこちらの容姿を的確に言い当てるなど、並大抵の者では出来まい。ならば、フロレンスの率いる魔導師団のひとりだろうか。それも、かなり高位の……
    「おい、カイヤ」
     なのでガウェインは敢えて問うた。幾ら考えても分からない問いに、なにがしかの示唆、あるいは答えが欲しかった。カイヤの話は途中で切れ、ん、と顔が上がる。
    「カサンドラ……とは?」
     え、という顔だった。信じられない、というような表情だった。カイヤは元から大きかった目を更に見開いてガウェインを見た。「知らないの」と上がった声が意外と響いて、木陰から鳥が慌てて飛び立つ音を聞いた。
    「カサンドラ様はカサンドラ様でしょ! お兄ちゃん、本当にこの国の騎士様なの?」
     耳が痛い。しかし、知らないものは知らない。ガウェインが言葉に詰まっていると、カイヤはしばし無遠慮にじろじろと彼を眺め、仕方ないなぁ、とため息交じりに口を開いた。
    「カサンドラ様は森に住む魔女だよ。未来を視る力があるの。ファミリアっていう黒い猫を連れていて、それがすごく可愛いんだ」ピッと人差し指を立て、うんうん、と何度も頷いている。「大人たちはこわーい魔女だ、恐ろしい女だ、悪いことをすると攫われてしまうぞって言うけど、カサンドラ様は優しいよ。少なくとも、あたしはそう思う」
    「ほう……」
     何故、そう思う――そう重ねて問おうとした矢先。
    「あ、ママ!」
     嬉しそうな少女の声と共に、繋いでいた手が解かれた。少女と騎士の足はいつの間にか森を抜け、街の入り口に差し掛かっていた。門の側、ランタンを掲げたフロレンスの隣、顔をくしゃくしゃにした母親が駆けてくる愛娘を出迎える。「ただいま!」と大地を蹴ってディムリリーの胸に飛び込んだカイヤは「もう、皆さんに心配を掛けて……!」という母親の叱責など耳に届いていないだろう。二人はそのまま、固く抱き合った。
    「お帰りなさい、……無事で良かった」
     フロレンスがガウェインを迎える。多少笑いを堪えながらも、少し背伸びをして金色の髪に引っ掛かった蜘蛛の巣を払ってやると、ガウェインはフン、と鼻を鳴らしそっぽを向いた。
    「それよりフロレンス」ぽつりと聞く。「お前は、カサンドラを知っているか?」
    「……カサンドラ?」
     何度も頭を下げながら街へ戻っていく親子を見送り、……けれど、フロレンスは首を傾げた。ガウェインと同じ色の瞳を、ぱちぱちと瞬く。
    「……さぁ?」
     ああ、そうだ。これが普通の反応だ。俺は何も間違っていない……――
     だが、ガウェインは「そうか」と呟いたきり、それ以上を詳しく話すことはしなかった。ただその顔には不可解の三文字が大きくへばりついていたことを、フロレンスは決して見逃さなかった。


    ***


     ザ、と土を擦る音が聞こえ、青白い世界の中で女は物憂げに顔を上げる。月の光を背に青白い輪郭で切り取られた影が、すぐ目の前に立っている。
    「……何、その傷」青年は顔を歪めている。「誰にやられたの」
    「誰? ……フフ、さぁ?」
     女は力なく笑った。誰の仕業かなど些末なことだ。元から決まり切っていたことを覆すなど、出来はしないのだから。
     だが彼は納得がいかない様子であった。足早に女に近付き、屈み込んではじっと傷を凝視している。腹を真一文字に割いたそれは思ったよりも深く、手でしっかりと抑えていても尚、赤黒い血液がじわじわと溢れてくる。
    「無駄だよ」女は言った。嘲笑うかのようだった。「銀の刃だ。デルピニオスの、呪いの一種さ。人の身では最早、……どうにもならない」
    「……だろうね」
     青年は身を起こしてはぁとため息を吐く。冷たい言いようではあったが、朱華の瞳には明らかな哀れみの色が宿っている。
    「あなたがいなくなったのなら、彼もまた、全てを思い出してしまうのだろうな」
     今でもその兆候はあるしね。ぽつ、と呟いて目を伏せる。長い睫毛が三日月型の影を象る。
    「成る程」女は、くく、と喉で笑う。「カディナダムールは……未だ健在、というわけか」
    「解く必要がなかったからね」青年は応えて言った。亜麻色の髪を肩から背に流し、立ち上がる。「ああでも、……この一件が終わったらもう必要ないかな。ただ、少なくとも今は、……彼に、死なれては困るから」
    「そう、か……」
     会話はそこで途切れた。青年は女を見た。死期が近い。呼吸すら辛いのか、肩が大きく上下している。だが、どうにもならない……少なくとも、自分ではどうすることもできない。
    「若者よ」
     去りかけた背に呼び掛ける声がある。青年は肩越しに振り返り、彼女を見遣った。崩れ落ちた廃墟の壁に寄り掛かり、草木に埋もれた大地に両足を投げ出し、周囲を血でしとどに濡らしながらも……凛と意志の強い瞳でこちらを見る、その視線を受け止めて見返した。
    「ゆめゆめ、忘れるなよ……お前と同じ、あるいはそれ以上に、……彼もまた、お前を想っていたことを」
     その一瞬、青年の顔が歪んだ。寂しそうに……あるいは今にも泣き出しそうに。
     けれど彼はすぐに表情を引き締める。首を振り、肩を竦める。そうだね、と自嘲的に独り言つ。そうだと、良いんだけどね。
    「……さようなら、……良い、旅を」
     女の言葉に青年は頷き、ひらりと手を振った。前を向き、そのまま歩き出す。瓦礫を踏み、下草を踏み、せせらぎに入り込んだブーツのつま先が細かな飛沫を跳ね上げる。
     ざ、と風が渡った。紺碧の空に花びらが舞い上がり、潮騒のように葉擦れが鳴った。青年はふぅっと息を吐いて空を見上げた。足を止め、祈るように目を閉じる。
    「おやすみ、……カサンドラ。良い夢を……」
     ぽつり、呟いた声はそのまま、夜の闇に紛れて溶けていった。
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    Replies from the creator

    ruicaonedrow

    DONE一幕一場(状況説明)
    KA-11.
     ここまで道が混んでいるなんて何時振りだろうと、ラモラックは思った。少なくとも、直近ではないことだけは確かだ。
     第一師団がブルグント地方で戦果を上げたときだったろうか。それとも、第三師団が見習いたちと共に近隣の盗賊団を壊滅させたときだったろうか。英雄ロットが不在の今、好機とばかりに攻め込んできた賊を、モルゴース率いる魔導師団が完膚なきまでに叩きのめしたときだったかもしれない。
     ああ、……あのときは本当にスカッとした。魔術の師匠たる賢女モルゴースの勇姿は勿論のこと、魔導師団と騎士団との一糸乱れぬ見事な波状攻撃。悲鳴を上げ、武器を放り投げ、這々の体で逃げていく奴らの情けない姿といったら! それと同時に、この国は前線基地ばりに、常に戦争と隣り合わせなのだと実感した。知識の上では理解していたものの、こうして目の当たりにするとみんなどうして仲良く出来ないのか不思議でならない。お腹が空いて気が立っているとかなのかなぁ。それなら、食べ物が沢山あるところが分けてあげたらいいのに。困っている人がいたら助けてあげて、食べ物も半分こしてあげる。それで一件落着だっていうのにさ!
    11028

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