裏アカその日職員会議では「SNSの全面禁止」が言い渡された。他校ではあるが、市内の教諭が生徒の私的なやりとりを経て大変なトラブルに発展したのだという。
「他にもプライベートを保護者に見られてクレームに発展したり、また個人的な事情で炎上したのち、身元が特定され、学校に悪影響を及ぼすケースも存在します」
ネットリテラシーに関するトラブルをまとめたプリントを掲げて「ましてや未成年とやりとりをするなど言語道断です」と声を張り上げる教頭先生は、インスタとFacebook、Twitterの違いを知らない。職員室に今いるほとんどの先生が「クラブハウス」を大学の学生寮か何かだと思っている。
「ちなみにアカウントを非公開にすればいいというものでもありません。身内しか見ていない思って何もかも赤裸々にトゥイートしていたところ、内部から告発された、というケースもあります。非公開だから大丈夫、は慢心です!もし先生方の中で心当たりのあるSNSをお持ちの場合は、早いうちにけじめをつけていただくようお願い致します」
教頭の「トゥイート」発言に笑いをこらえている俺の隣で、浮かない顔をする先生がいた。隣のクラスを受け持つ女性教諭だった。
「菅原先生は、何かSNSアカウントお持ちですか?」
昼休みの職員室で弁当を食べていると、先ほどの先生が話しかけてくる。
「学生まではやってましたね。教員採用試験を受けるのをきっかけにやめちゃいましたけど」
「そうですか……やっぱりそうですよね」といいながら、彼女は無意識にか、机の上にあるスマートフォンを握った。
「私も学生の時からやってるものがあるんです。でも思い出が多すぎて、とても消せる決心がつかなくて……鍵アカなんですけど」
「今でも何か投稿したりしてるんですか?」
「まぁ、たまに……でも仕事のことは何も。子どものことも話さないし、ただ好きなアイドルの話とかしてるだけなんです!」
「なるほど……」
そのあと彼女は好きなアイドルの話をわっと話した後、「消した方がいいんでしょうか」と尋ねてきた。
「すみません、僕からは何とも……。ダメですよ、とも言わないし、いいと思いますとも言えません。ただ、先生のアカウントに思い出がつまっていることも、それを消すのに抵抗があるのもわかります」
彼女は少し黙った後、小さな声で「そうですよね」と呟いた。
「何見てるんですか」
風呂上がりの影山が、ソファの後ろを通り過ぎながら訊ねてくる。
「んー?俺の裏アカ」
裏アカ、というワードが気になったのか、影山は冷蔵庫から取り出した水を飲むと、俺の隣に腰掛ける。そして好奇心旺盛な猫みたいな仕草で、俺のスマホの画面を覗いた。
「インスタ、消したんじゃなかったんですか」
「表向きはな」
友人たちに教えた、“菅原孝支”としてのSNSアカウントはすべて消した。
ただ今の時代、情報収集にSNSは必要不可欠なものである。ましてや俺には影山飛雄という推しがいるのだ。
公式アカウントからのイベント情報やアップされる写真、それらはアカウントを持っていないと得られないものであるし、企業コラボの限定プレゼント企画も見逃せない。
結果、俺は鍵アカならぬ捨てアカ、もしくはなりきりアカのようなものをつくった。
女子大生になりきり、影山飛雄のファンを名乗るアカウントだ。もちろん女子大生と公言はしておらず、特に自分にまつわるツイートもしていない。ただ定期的に影山飛雄のツイートをRTし、いいねを推し、時々リプライで応援メッセージを送る。
教頭には申し訳ないが、そのアカウントを消すつもりはない。女子大生・ゆいが実は宮城の小学校に勤める20代後半の男だとバレたところで、何かに支障が出るとは思えない。ゆいは無害だ。
実はもうひとつ、使っているSNSアカウントがある。思い出だ、と言い切る彼女の言葉はよくわかった。
俺もインスタにひとつ、アカウントを持っている。誰一人フォロワーもなく、フォローもしていない。ただ“ゆい”のアカウントと違って時折投稿をしているのだった。旅行に行った時の集合写真や近くに住み着いている野良猫。すごく綺麗に焼けたまん丸のホットケーキ。影山がお土産にくれた高級七味唐辛子の缶。ファン感謝祭で撮ったツーショット。歯を磨いている影山の変わった寝ぐせ。木製のアドベントカレンダー。イタリアの小さなチョコレート。七色に光るうんこのおもちゃ。
ふとした瞬間に見返すとその時の気温や匂いまで思い出せるような気がした。楽しかったな。嬉しかったな。この時の影山のこと、すごく好きだと思ったな。
その写真を撮った瞬間に、投稿した瞬間に抱いていた気持ちがフラッシュバックする。
言わばこれは、俺なりの日記なのだ。
影山は勝手にタップして写真を見ながら「盗撮やめてください」と言う。やめてと言いながらもまるで嫌な顔はしていなかった。
「実はこれだけじゃなくて何回か影山の盗撮画像をアップしてる……お前の愛とSEX特集グラビア以上のやつ」
「エッチ」
「怒った?」
影山はキョトンとした顔を向けて「どうして?」と言う。
「勝手に自分の写真アップされてるの嫌じゃない?」
「でもこれ、鍵かけてるんですよね。見てる人もいないし」
「わかんないよ?俺が影山と付き合ってるの言いふらしたくて誰かに見せるかも」
「菅原さんはそんなことしないじゃないですか。でもまあ、やりたいなら別にいいです」
「……これ、俺の日記なんだ。いいことがあったときにここに載せんの。フォロワーもいないしいいかなって思ってたけど、今日学校で鍵アカでもやめろって言われた」
「ふうん……誰も見てないのに?」
「うーんまあ……でもエラーで外部に漏れたりしたら、そんな言い訳も通用しなぁ」
「学校のルールとかはわかんないですけど、菅原さんが楽しくてやってきたことならそのままでいいと思う。消さないでいい。菅原さんとの思い出が消えるみたいで俺もなんか……寂しいと思う」
影山は自分のスマホを取り出しながら「フォローしたい」と言った。
「ダメだよ、お前のアカウントからフォローしたら”誰?これ”って大騒ぎになるべ」
「じゃあ俺も他のアカウント作る」
止める間もなく、影山は慣れない手つきでアカウントを作ろうとした。が、選手としてのアカウントも他の人につくってもらったらしく、すぐに「???」という顔になった。俺は影山のスマホを借りると「いいのかなぁ」と思いながら鍵アカウントをつくった。そのまま手渡すと、影山は俺のアカウントにフォロー申請をした。許可ボタンを押し、俺もフォローを返す。影山はその日、一晩中俺が撮った写真を見ていた。
翌朝、インスタには大量の通知が残されていた。見ると「ケイ」というアカウントから大量に反応をもらっているのだった。
一瞬ギョっとしたが、それは俺が「影山のK」を基に適当につくった名前であることを思い出す。
ひとつひとつ見たという”足跡”を残す影山はなんだか可愛らしかったが、その日アップした”双子だった卵の写真”に秒で反応が返ってきたのはなんだか少し、怖くも感じたのだった。
終わり