人気者玄関の靴棚の上にはよく代引きのための金だったり、これから出す予定の郵便物だったりが置いてある。
ランニングへ向かう朝、靴棚の上には束になった年賀はがきが輪ゴムでまとめて置いてあった。本当に80人分書いたのだろうか。
俺は束ねていた輪ゴムを解きながら、まだ湿気っぽい早朝の廊下を歩き、その道すがらで一枚一枚ハガキを確認した。
宛先はすべて印刷だったけど、絵柄のある表面(実際はこっちが裏面だと菅原さんが教えてくれた)にはすべて菅原さんがメッセージを書き込んでいた。
主に仕事関係、生徒(卒業生含む)、友人、親戚で絵柄を変えており、仕事や親戚には谷地さんに送ってもらった厳つい虎の絵、生徒やそこそこ仲のいい友人にはかわいらしい絵柄のものを、そして親しい人達には俺の芋版が押されたものを使用していた。
仕事に関する人間なんかは同じ文面でもいいと思うのに、菅原さんは必ずその人にまつわる思い出やお礼の言葉を記した。
それは生徒もだった。宛先を確認すると菅原さんは一瞬目を瞑り、それからペンをとってメッセージを書く。書かれた後のものを勝手に読んだが、「マラソン大会は最後まで走り切りましたね」「いつも黒板を綺麗にしてくれてありがとう」「リコーダーがこの一年ですごく上達しましたね」等と書かれている。
「まさかひとりひとり思い出しながら書いてるんですか?」
「そりゃそうよ、年賀状ってのはそういうもんだろ」
「だって、クリスマス会も全員に手紙書くって言ってませんでした?」
「それはそれ、これはこれだべ」
もちろん書く内容は被らないようにしてある、と菅原さんはドヤ顔で言った。
大学、高校、中学の友達に対しては余白が全て埋まるくらいに書き添えをしていた。「また飲みに行こう」だったり、「この前教えてくれた映画めっちゃ面白かった」だったり、「赤ちゃんすごい大きくなってたな!」という内容だったり実に様々で、俺は読んでいるうちに目眩がした。
それは、菅原さんの字が気を抜くと実はそんなに上手くないから、という理由だけではなかった。
俺の知らない菅原さんがいることを改めて突きつけられたのだ。今までそんなことは当然だし、お互い様だとも思っていた。菅原さんの全てを知る必要はない。
そう思って生きてきたはずなのに、いざこの人の人生に関わってきた人々の片鱗に触れただけで何かに飲まれそうな自分がいる。
まだ俺が高校生のとき、廊下で友達と話をしている菅原さんとすれ違った時の感覚と同じだ。体育祭でクラスメイトと肩を組んで声援を送っていた姿を見た時と、同じ痛みだった。
それは嫉妬ですよ。
知らない奴の声が頭の中で響く。うるさい、黙ってろ。
気に入らないという気持ちはあった。俺と同学年らしい、大学の後輩だという人間は特に不愉快だった。それはどこかで、菅原さんの後輩は自分たちだけなのだと、子どものような思い込みをしていたせいだったのかもしれない。
いつのまにか、コンビニのポストの近くまで来ていた。
捲り続けたハガキがそろそろ一周しそうだった。何枚か投函せずにどこかに隠してしまおうか、と一瞬、頭をよぎった。年に一回の便りが、菅原さんから届かなかったらどんな気持ちになるだろう。俺は見たこともない大学の後輩のことを思った。
ポストの前で立ち止まる。パラパラと捲り、最後にあったのは澤村さんや東峰さん、田中さんや日向達宛のものだった。
コメントを書くように言われ、「今年も菅原さんをよろしくおねがいします」とペンで滲んだ文字のそばに、ライオンの芋版が押してある。
その芋版の横には菅原さんの字で「うちの影山が作りました!寅年なのでライオンです笑 かわい〜だろ♡今年も影山共々よろしくお願いします」と書いてあった。
集荷時間を確認する。手にしていたハガキを全てを輪ゴムでまとめると、そっとポストに投函し、いつもの道を走り出した。
終わり