二度目があるとは、誰も思ってなかったはずだ。
クラージィ以外は。
すっかり恒例となった吉田宅での巨大料理の会に再び現れたのは、氷笑卿と呼ばれる高等吸血鬼だった。
「…どうも」
「…どうも」
前回同様、他に言葉が思いつかなかったろう挨拶に、三木も他に思いつかず同じ返しをした。
隣人であるクラージィは転化吸血鬼と聞いている。簡単な説明だけでもなかなかに複雑な事情と察せられる彼は、出会った当初は自分を転化させた親とも言うべき吸血鬼についてはどこか覚束なげだった。
間もなく、シンヨコで再会したと報告があり、なのにそれっきりになりそうだった様子に吉田から提案があったのだ。次のタコパに呼びましょうと。
どう考えても重大な再会が、聞けば自分たちとのタコパのために解散となったのは、さすがに良くないだろうと思ったので三木も同意した。
そして再びのタコパの夜、クラージィに連れられたのはシンヨコを危険に陥れたことのある氷笑卿ノースディンだった。
古い吸血鬼とは想像していたが、予想以上の大物の登場に驚いたものだ。
ノースディンはたこ焼きを食べることもなく、愛想もなく、ただクラージィがもりもり食べるのを見ていた。
楽しくないとは言わないが、なかなかに気の張った時間がお開きとなるころ、クラージィが言った。
「ノースディン、また参加してくれ。マタミンナデ、タコパシマショウ」
途中は異国語でわからなかったが、同じ内容だろう。
残る3人は肯定ともなんともつかないわやわやな反応をしたのだった。
そして本日である。最初の頃を思えば、ノースディンとクラージィが連絡を取り合っているようなのは進展だった。
「えー、本日は王蟲ライスにチャレンジです」
たぶんメニュー名をもっとシンプルなものと聞き間違えていたに違いない、作業に加わるでもなくクラージィの様子を見ていたノースディンの表情は、料理が完成に近づくにつれ険しくなっていった。
「リアル系で攻めて正解でしたね」
「オータムパンといい勝負ミキよ」
さながら王蟲の幼体の標本だ。乗せきれる皿がなくきれいなシートを敷きまくった上に鎮座したそれを、撮影会をして「解体ですね」とおどけながらざっくりと切り分け、めいめいで取り皿に取った。あとは腐海だ森だと言いながら作った野菜メインの副菜を何点か並んでいる。
今日もノースディンは何も食べない。渋い顔で無残な様子の王蟲ライスを見ていたあとは、前回のようにクラージィがたいらげていく様を見つめていた。
静かで、時折クラージィが話しかけては言葉短く答えるだけだ。
あとは飲めそうなものを吉田が提案したが、そっけなく断っていた。
打ち解けることはなく、前回と変わらない。
よく来る気になったな、と三木は思った。見た感じでは伝わらないが、想像以上に仲は良いのかもしれない。
「オーム、止マリマシタ」
そんな完食宣言だった。食べた量はクラージィが一番多い。
三木たちと一緒に片づけに加わろうとするのを、ゲストの相手をしてほしいと食卓へ返す。様子を伺ったが、話が弾んでるとは見えない。というか、クラージィの動きが緩慢だ。あ、と気付く。
「吉田さん」
声をかければすぐに吉田も気付いて「了解」と返事をして寝室に行った。
直後、クラージィの体が傾いで横たわった。やっぱり寝た、と三木が説明に行こうとすると、一瞬呆気に取られていたノースディンが、クラージィの腕を強く掴んだ。
「あ、起こさないで」
ゴウッと音がする勢いで冷気を浴びた。三木を睨む目が赤く輝いている。
まずい。
三木は全力で吉田の避難経路を考える。寒さで冷や汗も出ない。
あいつはクラさんは攻撃しない。猫は寝室に隠れてる。吉田さん、猫連れていけるかな。窓からは無理か。
そこへ三木が止める前に毛布をかかえて戻ってきた吉田が、震えながら話しかけた。
「あの、いつものことなんで、大丈夫です、すぐ起きます」
じわじわと部屋は冷えていく。
果敢にも吉田は続けた。
「食事のあと、クラさんはよく寝ちゃうんです。量で補給した分、食休みするみたいです。でも本当にすぐ起きます。普段も僕らが寝るより前には起きます。自分で起きなくても、起こしたら起きます。今も起こしたら起きます。でも」
寝かせてやってくれませんか、と。
三木は思い出した。クラージィが200年近く眠っていたことを。
眠ったまま一人で新横浜に流れ着いて、目覚めたら200年経っていたと言っていた。
その話で、てっきりノースディンに放置されたのかと思っていたのだが。
200年、待っていたのか?
「前回は、貴方を初めて招いて、クラさんも張り切ってたんです。今日はたぶん、ほっとしたんじゃないかな。それで、いつもどおりに」
ノースディンは厳しい表情のまま吉田を見ていた。動かない。しかし三木は部屋の気温が戻りかかっているのを感じた。
三木も説得に加わる。
「クラさんが今まで一睡もしてないなんて、貴方も思ってないでしょう」
鋭い視線が三木へ戻った。大丈夫、室温は上がっている。
視線の圧は強いけど、いける。話はできる。
「ここで待つのが落ち着かないなら、クラさんの部屋で寝かせてあげてください」
些細な刺激でずっと部屋を冷やされるのはたまらない。ノースディンがクラージィを攻撃しないのはわかる。あとは吉田の安全を確保したい。
しかし、三木の提案でまたシンッと気温が下がった。
なんっでだよと心の中で毒づいて、顔に出さぬよう見返せば、ノースディンの表情は不機嫌なりに揺らいでいた。わかるかよと焦る中で、ふと思い浮かぶ。
もしかして、この人、クラさんの部屋に入ったことないのか?
ありうる。ここに残してクラージィが起きるまでの耐久戦にするか。だが、下手につつけばクラージィを自分のねぐらに連れ帰られる。
吉田はそれに気付いただろうか。冷気は無視して提案に乗ってきた。
「クラさん抱えたら両手塞がっちゃいますね。三木さんドア開けてあげて」
「はいミキよ。クラさんの尻ポケットにクラさんちの鍵あるんで、もらえます?」
もう隣に行くのが決まった前提で会話を進める。あえて軽い調子でノースディンに頼めば、ちょっと冷気が渦巻いた。なんでだよ。
ノースディンは今までクラージィの腕をつかんでいた手を放してその体を抱き上げる。鍵は念動力で飛んできた。
「じゃあ吉田さん、一旦出ますね」
「はい、ノースディンさん、おやすみなさい」
クラージィを抱えたノースディンが小さく頷くのを見てから、三木はノースディンと共に外に出た。
廊下に出て、クラージィの部屋の玄関を開け、三木は「どうぞ」とノースディンを招いた。
明かりはつけなくていいだろう。
脇によけた三木の前を通ってノースディンが部屋に入っていく。
正直これが最善の方法だったとは思えない。しかし、2回も巨大料理の会にきたノースディンを信頼しなければ、打つ手はなかった。
「鍵、ここに置いておきますね。それから、部屋は暖かい方がいいです。その方が目が覚めやすいみたいなんで」
失礼します、と玄関を閉める直前に見えたのは、暗がりでクラージィを抱えて立つシルエットと、赤い瞳だった。
吉田の部屋に戻ると、吉田は何事もなかったように皿を洗っていた。三木もキッチンに入って加わる。
「……寒かったですねえ」
「ですね」
「真夏に来てもらいましょうか」
「…それって怒らせるんですよね」
ふふふっとくだらない会話に2人で笑う。
「…クラさんの部屋に無断で入れてしまいましたね」
「……はい」
「…まずかったですかね、そこまでの仲か微妙だった、だって」
あれってきっとそうでしたよね、と招待のことをさして吉田は聞いてきた。
三木も知らなかったとはいえ、あそこからの方向転換が取れなかった。
「クラさんと俺の部屋を交換しますよ」
「三木さん」
真面目な響きで呼ばれて、あえてにっこりする。
今日のところは引いてくれるらしい。吉田はため息をついてそれ以上は言わなかった。
その代わりなのか、片付けが済んだところで、誘ってくる。
「さっき冷えたことですし、もう少しどうです?」
吉田がサイドボードから高めのボトルを取り出して見せてきたので、三木は今度は素直な笑顔で応じた。
「つきあいます」
次の日の夜、遅い時間の仕事から帰った三木を、クラージィが待っていた。見た様子では元気そうで三木は安堵する。昨日ノースディンがいつ帰ったのかはわからなかった。
招かれてクラージィの部屋にお邪魔する。吉田とは先に話をしたらしい。
内容を聞く前に、三木の方から切り出した。
「クラさん、昨日は勝手にあの人をここに入れてしまってすみませんでした」
「問題ナイデス。私、寝ルシマシタ。ハコブスル、親切」
一旦区切りが入ってから、
「ノースディン、部屋入ル、大丈夫デス」
それで三木の行動が帳消しになりはしないが、最悪のルートではなかったようだ。
三木がもう一度頭を下げるのを、クラージィは止めた。
「ノースディン、オ茶ニ招クシマシタ。今度ウチ来マス。私ガ招クスル」
「そうですか」
「ウチ招ク、ノースディンヨカッタ。シラナイデシタ」
昨夜あれから2人でどんな会話をしたのだろう。
やはり微妙な関係ではあったようだ。嬉しげな様子に
「よかったですね」
と声をかければ、ハイ!と明るい返事が返ってきた。
どうやら部屋の交換はしなくてもよさそうだった。
数日後、モブマンション周辺に季節外れの雪が舞った。
その翌日、今回は普通サイズの夕食で吉田の家に3人で集まる。
クラージィから手土産があった。
「ノースディンカラ、オフタリニ、デス」
「おお…」
出された2本の高級ワインに、思わず声が出る。
「あの、これはどういう…?」
どういういわれでこんなものをもらえるのか、恐る恐る吉田が尋ねると、クラージィは質問の意図がわからぬ様子で軽く首をかしげる。
「プレゼント、デス」
まだなにか入ってる包みを探りにきた猫に、「コッチネコチャンデス」と開けて中を見せてやってた。箱でチュールが入っていた。
「吉田さん…」
「ありがたく受け取っておきましょうか」
とりあえず害意はないようだ。三木は吉田と顔を見合わせてから、口々に礼を述べてプレゼントを受け取った。
ノースディンにも礼を伝えてくれるよう頼む。
クラージィが喜んでいるなら、それでいい。
「じゃあ乾杯しますか」
「俺の分のこれ開けます?」
「いやいやいや、今日はもったいないですって。もっといい食事のときに、三木さんが自分で楽しんでくださいよ」
「そうですか?」
結局いつもと変わらぬ内容で乾杯をして、いつもと変わらぬ気の置けない3人の会食が始まる。
この日々が続く一方で、クラージィの生活には新たな時間が加わるのだろう
できれば早く落ち着いてほしいミキ
友の幸せと昨夜の天候を思って、三木は氷雪の吸血鬼の前途に杯をかかげた。