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    じゅん

    落書き、小説、進捗、ちょっとディープな創作など乗せたりします。

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    じゅん

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    創作BLです
    年上部下×年下上司
    おつむが弱いので階級とか役職とかはいい感じに考えました。
    軍が公に諜報機関って言わなさそうなので多分表向きは外交官みたいな感じです

    #創作BL
    creationOfBl

    犬も喰わない 一 世界地図を書き換えた戦争──シャッフルから二十年の月日が経つ。戦場となったイグルニスタ連合王国は、かつての惨状を忘れ去るほどの再建と成長を遂げた。そして、二度とあの惨禍を呼び起こすことのないようにと、王国軍は国防に何より力を注いだ。全ては、他国との協和を、民衆の営みを愛した女王の思し召しだ。と、ここまでは誰もが幼少期より学ぶ。しかし、いつの時代にも史実には載らない者たちが居るものだ。載ったところで傍から見れば誰も気にも留めないようなインクの染み。王国軍諜報機関ライブラもそのひとつである。
    王都からほど近い古都カルサルザ。古風な街並みを見下ろす丘に、ライブラは位置している。ライブラは、初代国防長官の屋敷を改築し最新設備を携えた王国軍諜報機関である。三つ首の犬がトレードマークになっており、旗や記章に刻まれている。三つ首の犬はライブラを組織した御三家の象徴だ。御三家は、王家貴族と長い信頼を築くエスメラルダ家、隣国との関係を取り持ったカグラ家、そして歴史は浅いが多人種渦巻く混乱を収めてきたモンスティ家から成る。現在ライブラの長を務めるはピンク・モンスティ氏。家の名声は少なかれど先の戦中、戦後処理において常に前線に立ちその大いな貢献を認められ、新進気鋭ながらも多大な信用と信頼を獲ていた。



    硝煙と血の匂いが染み付く草臥れたシャツとスラックスを纏い、男は帰還した。上等なスーツと身形を台無しにする彼は、とても上流階級の人間とは思えない。

    「任務ご苦労だった、セオドア」

    上司の労いを背中で、それも無言で受け取る彼を諌める人間はいない。皆その人相の悪さに怯え行先を避けるようにすれ違う。純イグルニスタ人特有の金髪は乱れ、鋭い浅葱色の瞳も深く刻まれた眉間のしわと隈のせいでその輝きがくすんでしまっている。
    セオドアと呼ばれた男は自席に着くと書類の丘を適当に避け、肘を置き煙草に火をつけた。

    「帰還早々悪いが呼び出しだ。参謀殿からのな」
    「要件は」
    「お前の今後の身の振り方についてだそうだ。仕事のやりすぎだってお怒りなんじゃないのか」
    「……わざわざ人事でもない参謀が?」
    「上はお前のワーカホリックぶりで頭抱えてんのさ。態度も悪いし」

    セオドアの咥える煙草をひょいと掬ったかと思いきや、灰皿にぐりぐりと押し付けそういう所だぞ、と嫌味ったらしく笑ってやった。舌打ちは聞かなかったことにする。第一、喫煙所で吸わないセオドアが悪いのだ。

    「可愛い恋人の一人や二人いれば、お前のその仏頂面も緩むかね」
    「さぁ。他人にうつつを抜かす暇は無いので」
    「家庭を持つと変わるぞ〜。慎ましやかな妻に元気いっぱいの娘、休日は公園でピクニック。これ以上の暮らしはない」
    「生憎俺は女も子供も嫌いだ」

    緩んだ面の上司の言葉をばっさり切り、足早にデスクを後にする。そういう所だぞ、と声に出さなかったのは彼の矜恃である。


    今後の身の振り方、と問われてもセオドアは自分のことながら一切無関心であった。以前にも人事の人間に呆れられるほどの無関心っぷりを見せたことがある。仕事以外に興味が無いのだ。ただ心を無にして淡々と職務をこなすので十分だった。撃てと命じられた相手を撃ち、時に拷問をして情報を聞き出す、ごく普通のエージェント。他人の任務を奪う程には優秀。昇進を望んでいる訳ではないが、強いて言うならば、現在の階級からの降格は避けたい。給料にも不満は無い、というか使う金の宛がなかった。新しく趣味や人間関係を作る気など更々起きないので。適当に酒と煙草を嗜んで、組織の歯車として仕事をこなせれば満足だった。
    乱れたブロンドと服装を直す。セオドアにとって必要最低限の礼儀であり、それ以上の気遣いを持ち合わせていない。
    呼び出された部屋に着き、ノックとともに階級と名前を告げれば、どうぞ、と落ち着きのある声が返ってきた。

    「失礼します」

    多量の書類はあるものの整ったデスク、地形図や構造物の設計図が貼り付けられたクリアボードに囲まれ、キーボードを静かに叩く音が響いている。その中に、セオドアを呼び出した張本人の姿があった。淵の薄い眼鏡越しに輝く金の瞳と視線が合う。

    「こんばんは。帰還直後にすみません。お疲れでしょう」
    「いえ」
    「こうしてお目にかかるのは初めてですね。ミハイル・M・レイブンと申します」
    「初めまして。お噂はかねがね伺っています」

    黒い一級品のスーツに身を包み、所作は指先まで抜かりなく。格式の高さが伝わってくる。
    にこりと人当たりが良さそうに微笑む男は、この組織の中枢を担うモンスティ家の一人である。彼はその分析力と巧みな戦術で、弱冠二十四歳にして参謀の地位まで登り詰めた秀才だ。おまけに眉目秀麗、人格者ときて男女の偏りなくその視線は熱い。視線を逸らされる自分とは真反対の人物。あまりの若さとその見目から、切り売りでその地位を得ただとか、金で軍籍を買っただとか、出処も分からぬ噂話をよく耳にする。本当のところは知らないが、成程このかんばせの説得力たるや、頷かざるを得ない。
    簡単な挨拶を済ませると、立ち話もなんですし、とセオドアをソファーへ促した。紅茶好きの養父の影響か、戸棚にはいくつか茶葉の缶が見える。ミハイルは二人分のティーカップを用意し、手際よく紅茶を注いでいく。

    「乗馬がご趣味なんですか、Mr.バイロン」

    セオドアがソファーに着くなり話題を切り出した。ただの世間話だが、なぜ初対面の男がそれを知っているのか。妙な焦燥を感じる。が、セオドアもプロだ。少しの同様も見せない。

    「ええ、まぁ。……何故それを?」
    「先日貴方のデスクを訪れた際にカレンダーを見まして」
    「確かにありますが、これといった記入はしていなかったと」
    「あのカレンダー、エルバガーデンのものですよね。ここらで唯一の乗馬施設で、特別会員には毎年カレンダーが配られるとか」

    紅茶がセオドアの前に出される。揺らめく水面には自分の顔。意表を突かれるとはこのことか。

    「それだけで俺の趣味だとお考えに?」
    「まさか。貴方の任務記録も参照しただけです。以前は定期的に休暇を取られていますが、ここ三ヶ月は通われていないようですね」
    「世間話までならまだしもプライベートの詮索とは感心しませんな。いい加減本題に移ったらどうです」
    「ふふ、失礼しました」

    ミハイルは対面に座ることなく、戸棚にもたれたままセオドアを見つめる。

    「犬を飼ってみないかと言われまして」
    「……犬?」
    「それも血統書付きの、ね」

    血統書付き。その響きがセオドアの神経を逆撫でする。

    「その犬、仕事っぷりは良いそうなんですが、誰彼構わず噛み付く猛犬だそうで」
    「はあ」
    「興味があるんです。何が好きで何が嫌いか、実際どんな強さで噛み付くのか」

    爛々と、夜空に浮かぶ月を思わせるその目を、セオドアは知っている。路地裏に住み着く黒猫のようでもあるし、ショーケースを眺める子供のようでもあるが、もっと違うものだ。もっと、もっと邪で、それでいて無垢な。そう、たとえば。
    たとえば、蟻の巣に水を注ぐような。
    たとえば、蜻蛉の頭を捥ぐような。
    純粋すぎるが故の、剥き出しの好奇心。それを意図的にぶつけられている。
    先程感じていたのは焦燥ではなく不快感。この部屋に入った時から、セオドアは好奇心の餌食だったのだ。
    奴は自分を推し量っている。どれほどの反応を示すか、どこをつつけば牙を剥くのか。言動だけではなく、それこそつま先から頭のてっぺんまで観察して、一挙手一投足を見逃すまいとしている。
    先程は才色兼備などとのたまったが前言撤回。確かに美しいとは思った。濡羽色の髪も、金の瞳も、精巧に作られた人形のようだと。口を開けばこちらを損なう言葉のオンパレード。人形は喋らない、当たり前だ。

    「……それに私、まだ騎士を持っていないものですから、これを機にと思いまして」

    騎士、いま騎士と言ったかこの美丈夫。
    その素晴らしく高尚な単語に思わず額を手で抑えたくなった。この騎士というのは王族直属の近衛を指すのではなく、尉官に与えられる権限であり、この国独自の文化である。その昔、イグルニスタが傾倒の危機に瀕した際、後ろ盾の無い第三王子が一人の騎士と共に立ち上がり、国を救ったという伝承から成る古い習わしだ。曰く四六時中を共に過ごし、いつなんどきでも傍を離れず護衛をしたとか。その習慣が今なお受け継がれ、仕事中だけでなく食事やプライベートを共にする尉官も少なくないと聞く。セオドアは伝統だとか因習だとか先祖代々とか、そういったお家事の堅苦しい言葉が一等嫌いなのだ。先程、血統書付き、の言葉に眉をひそめたのもそのためである。
    この男の、犬の躾ついでに地盤を確かなものにしようとするそのがめつさ、いや周到さには恐れ入った。慇懃無礼、傍若無人と評される——実際性格は宜しくないセオドア・A・バイロンという男に恭しく傅けと言ったのだ。

    「……俺には少々荷が重いかと」
    「そうでしょうか。貴方の腕は確かなものと聞きましたよ。先の任務でも他部隊の出る幕すら無かったとか」
    度々小言は言われていたが初めてあの子煩悩の上司を恨んだ。
    紅茶を一口啜り、再びセオドアへ視線を向ける。

    「給料は今の倍出しましょう。武器庫の権限も拡大します。多少の制約はありますが、他に望みがあれば、なんなりと」

    今より広い庭で走らせてやる、細まる瞳がそう語った。目は口ほどに、だ。

    「……制約とは」
    「そうですね。基本的に、私以外の命令は私の許可無しに受諾出来ません。あとは勤務態度の改善、就業時間の厳守、場合によってはプライベートに関することも……まあ細かい部分を除けばそんな所でしょうか」
     
     冗談じゃない。確かに騎士という役職は高給で特別措置や好待遇とあり、その座に寛ごうとする者、憧憬を抱く上官に仕えたいと志す者と溢れかえっている。しかし自分はどちらでもない。セオドアは生家のせいもあるが現在の役職で金に困ったことは無いし、常に仕えたいと憧れる上官もいない。そんな心中で職務に着けば金も上司も持て余すこととなる。私生活にまで口を出されたら溜まったものではない。たいした予定は無いが。しかし断る言い分が見つからない。ミハイルは与えてやっているのだ、騎士という大義名分を。仮にも王家貴族の血を引くセオドアが年下の、それも一代で名乗りを上げたモンスティ家の倅にその手網を握られようとしている。そんな光景を古狸どもが見たら腹を抱えて笑うだろう。悲しいかな、今もなお階級制度が染み付いた、頭の凝り固まった連中は古今東西存在する。どうでもいいと蹴散らして生きてきたセオドアだが、いつまでも家紋が云々血筋が云々と指を刺されるのは少々、いやかなり堪える。大人しく首輪を着けられるか、しかし跳ねっ返りの性分がそれを許すはずもなく。どう言い訳してもうまい具合に言いくるめられミハイルの下に着く未来しか見えないのだ。
     
     「頼まれてくれますね?」
     
     最初からイエスの選択肢しか、セオドアには残されていなかった。
     
     
     ◇
     
     
     ミハイルがセオドアをスカウト、もとい移動命令を下してから三日後、セオドアはずっと表情が険しかった。騎士たるもの常に主の傍にと昔から相場は決まっているためか、新しいデスクはミハイルの真隣の部屋だ。てっきり一人部屋かと思っていたのだが、小柄な先客が届いたセオドアの荷物に埋もれていた。ひょいと摘みあげれば栗色の短髪が顔を出す。
     
     「いやぁ〜助かりました。あっご挨拶がまだでしたね。私スズキと申します!ミハイル中尉の補佐をしております!」
     
     元気いっぱいを体現したような男だ。ミハイルよりも背が低くセオドアの大柄な体躯も相まって、まるで高いビルを見上げるような姿勢で敬礼をとる。地面の蟻を眺めるような首の角度で挨拶するのは初めてだ。補佐がいるならば自分は要らなかったのでは?と問うてみたが、スズキはいやいやご自分を卑下なさらないで下さい、一緒に頑張りましょうね、ミハイルさんはとっても指示が的確で素晴らしい方なんですよ、などと的違いの返答をされるばかりだった。このスズキという男は少々主観を語るきらいがある。
     
     
     荷解きも落ち着いたこの頃、セオドアは個人の任務に駆り出されてばかりだ。いわゆる私兵である。
     ミハイルが指揮する部隊と共に現地に赴き、補うのがセオドアの仕事だ。言ってしまえば尻拭いなのだが、スズキの言う通りミハイルの指示は的確で迷いがない。指定された時間に配置につけば、最初から仕込んでいたかのように獲物が現れる。そこを討ち取り報告する。ミハイルの実力は噂に違わぬ、それ以上のものだった。何時間もその場に待機することや情報の誤りで道を引き返したりといったことも無かったため、仕事のストレスは大幅に減った。三十路手前の人間から見ても、お世辞抜きに現場をよく見ていると感じた。さすがの御慧眼と言ったところだろうか。何より驚いたのは想像していた騎士としての職務が殆ど無いことだ。移動前日の晩、誰の目にもはばかられず酒を飲めるのも最後だと腹を括り、度数の高い酒を二つほど開けたのだが、四六時中傍に仕えるだとか常に周囲を警戒するといったこともなく過ごしている。自分の身は自分で守れます、とむしろ騎士という職務より犬の躾が大半だ。やれ同僚を睨むな煙草を控えろ書類をさっさと片付けろと穏やかな声と顔で小言を言われる日々だ。善処します。努力します。前向きに取り組みます。この三拍子でどうにかこうにかやっている。なお改善の兆しは見られない。
     ある日のこと。普段はオペレーションルームから指示を送るミハイルが、今回は珍しくセオドアに同行すると言うのだ。
     
     「現地班から情報共有が途絶えましてね。通信が繋がってもノイズが酷くて、負傷者がいるかも知れません」
     
     ノートパソコン、通信用端末、小銃、弾薬と忙しなくアタッシュケースに荷物を詰め込むミハイルを横目に、セオドアは書類に目を通す。麻薬密売を黙認している小企業が今回のターゲットだ。加えてそれを手がけている貴族院議員、マクスウェル氏の関与も見られる、といった文書が綴られている。他国では合法でもここイグルニスタでは違法薬物なら看過はできない。それも女王の庭と呼ばれるカルカルザで横行しているとなれば尚更だ。
     
     「留守はお任せ下さい!」
     「ええ、頼みます」
     「おふたりともお気をつけて〜!」
     
     ブンブンと手を振り見送るスズキを残し、ミハイルとセオドアを乗せた黒塗りの車は走り出す。街はツツジ咲きほこる春日。多種多様の花々は古雅な建築物を彩って、女王の庭たる佇まいだ。″歴史的建造物を保護し、子々孫々語り継いでいこう″という大層な条例のもと、この街の銀行、時計塔、スーパーマーケットから露店に至る商店まで、大戦前のそのままの景観を守るため旧時代の外観となっている。勿論この車も例外ではなく、かつて蒸気で走っていたクラシックカーのテイを成している。
     地形図と件の企業が所有している建物のマップを広げいくつか作戦を叩き込む。小規模ということもありセオドアが単身乗り込み、制圧後処理班と合流する手筈だ。車はぐんぐんと現地班の待つ郊外の森へと進んで行く。
     
     日も暮れだした頃、ようやく現地班と合流を果たした。ミハイルの予期していた通り現地班四名のうち二名が負傷、通信機器にも小細工をされたようで酷い有様だった。
     
     「申し訳ありません、中尉。私がついていながら……」
     「いえ、隊長の指示を仰がず突っ走った自分の落ち度です!」
     「謝罪は結構。反省なら報告書で見ますので。貴方たちはここで応援を待っていてください」
     
     セオドアよりも経験を積んできた壮年の男に続き、新人たちも頭を下げる。ミハイルは咎めず淡々と指示を出した。
     少しの黙考の後、凛と前を見据えた。彼の中で新たに作戦が完成したのだろう。
     
     「私とセオドアで乗り込みます。動ける者は合図が出るまで待機」
     「り、了解」
     
     変更された作戦は意外なものだ。先述した通りミハイルは中尉で、後方から指示を出す人間だ。滅多に前線に出ることはない。果たして庇い切れるか、セオドアの胸に疑念が湧く。
     
     
     「ラ、ライブラが嗅ぎつけてきやがった!ぐぁっ」
     「チッ。武器庫にあるもん全部使ってどうにかしろ!」
     「無茶言ってんじゃねぇ馬鹿が!」
     
     コンクリート壁の空間に、ばったばったと薙ぎ払われる影。チンピラたちの奮闘も虚しく、瞬く間に人の山の一丁上がりだ。
     セオドアに任された仕事はただ一つ、見敵必殺である。語弊のないように記述しておくが、あくまで武装を解除し無力化することだ。ミハイルが今回の事件の証拠を入手する間、四方八方から邪魔しにくる人間を一掃していく。真っ向からの進撃を健気と見るか愚行と評すか。これだけの人間が一度暴かれた塒に今もなお滞在しているということは、他に行く宛てがなくプラントも近くにあるのだろう。
     
     「一階オールクリア」
     「了解。指定したポイントで待機して下さい」
     「もう着いてる」
     「おや」
     
     指定されたのは吹き抜けの広間だ。廃屋寸前に老朽化した上階には柵すらなく、西日が燦々と降り注いでいる。人員も少なかったようで二階、三階から増援が来ることもなかった。ふと、ミハイルの向かった三階から気配を感じる。
     
     
     「こんにちはマクスウェル議員。ああ、もうこんばんはの時間でしょうか」
     にこりと笑みを貼り付け佇む。ただその行為だけで絵画のモチーフと化すのだから、見ているこちらは隷することしか出来ない。過ぎた美と快楽は暴力と同じだ。
     ミハイルは生まれてこの方、己の美しさに自覚はしていても関心はない。周囲の反応に応えてみたら、利益が回ってきた。更に答えれば更なる利益が返ってきた。その経験から自分は他人に取り入って生きるのがベストだと幼いながらに自覚した。ミハイルは賢い子どもだった。あとはその繰り返し。笑顔ひとつ貼り付けていれば口論も闘争もなく何事も上手くいく。ミハイルは平穏が好きだ。だからそれを乱す輩には制裁を与える。そのための権力も己の力で手に入れここまで駆け上がってきたのだ。身体を開いたなんて根も葉もない噂を吹かされることもあるが、勝手に吹いていればいいと思う。どうせミハイルの理想にたいした傷もつけられないだろうから。素敵な口笛だと拍手かチップを贈ってやればいいのだ。
     現れたのはマクスウェルと呼ばれた白髪混じりの金髪の男だ。走ってきたのか息を切らして、胸ポケットから取りだした木綿のハンカチで汗を必死に拭いとっている。
     「ホエル厶は違法薬物だ、なんて子供でも知ってる法ですよ。貴族院議員ともあられる方がこんな痴態を晒すなんて世も末ですね」
     「ち、違う!違うんだ!私は……そう、この企業の業績が不振と聞いて確かめに……!」
     「自ら足を運んでいただいて連行の手間が省けました。令状手続きは存外に時間がかかってしまいますから、国外に逃亡されることも多くって」
     
     どこまでも平行線の会話に、マクスウェルは焦りが滲み出ている。当然だ。言い逃れできない状況だった。なにせ今回の摘発は当事者でなければ知り得ない情報なのだから。
     通信端末をタップし、合図を送る。セオドアの働きもあって五分と経たずにここへ辿り着くだろう。あとはこちらに惹き付けるだけだ。
     
     「二年前の不祥事から資金繰りに手が回らなくなり、国外から薬物密輸の黙認とプラントの提供でどうにか食いつないでいた、といった所でしょうか」
     「あ、あれはデタラメなゴシップ記事だ!」
     「しかし貴方の地位を揺るがすには十分だったと。いやはや政界とは恐ろしい」
     
     ついにマクスウェルは突っ伏した。脂汗をだらだらと垂らして、肥えたスーツに土埃が付くのも躊躇わず膝と額を地面に擦り付ける。
     
     「っこ、この通りだ!どうか表沙汰には、そうだ。君の上に掛け合って君の待遇を」
     「貴方が想像している上司というのは下にいる彼のことですか?」
     「? あ、ああそうだ。バイロン公爵家の次男坊だろう?」
     「生憎とあれは私の部下でしてね。彼にいくら積んだとて私にはなんの利益ももたらされません」
     「な、そ、こんな若造に……っ」
     「ふふ、よく言われます。そうそう、多情は程々になさった方が宜しい。″生涯ただ一人と決める″のはイグルニスタ人の民族的特質ですから」
     
     そう言って、ミハイルはソファかベッドにでももたれ込むように重心を後ろに、柵もついていないへりに片足をかける。そのまま重力に身を任せた。ふわりとした感覚に包み込まれていく。マクスウェルが際限を知らずに目をかっぴらいて驚くのが可笑しくて、思わず笑みがこぼれた。
     
     「受け止めて」
     
     自由落下はどんどん加速する。
     
     天使がいる場所は、と問われたら大多数が空を指すだろう。なにせ彼らは羽を持っている。羽を持つ生き物は空にいると考えるのが自然だからだ。もしも人型の羽を持つ生き物が落ちてきたのなら、それは恐らく天使と判断される。その判断材料が今セオドアの眼前の光景にも適用されるなら、これは天使なのかもしれない。そう愚考する程に神聖な光景だった。
     酷くゆっくり時間が流れるように感じた。窓から射し込んだ夕日が、濡鴉の髪を、真黒のスーツを淡く照らし出す。考えるより先に身体が動いた。セオドアが落下地点へ向かい腕を広げると、初めからそこにいたかのように収まる。勢いを殺すよう抱き留めれば、身体の薄さが嫌というほどわかった。
     ——目が、合った。西日で透けて蜂蜜色に蕩けた瞳が、一心にセオドアを見つめている。瞬間、どくどくと生々しい鼓動が身を揺らした。まるでそれまで呼吸を忘れていたかのように、心の臓がその目に耳に焼き付けろと言わんばかりに拍を刻む。満足気に細まった双眸に一秒にも満たない間見とれていると、落ちないようにと首に回された腕によってぐっと顔が近づく。
     
     「よくできました」
     
     どんな宮廷音楽も霞むアルトがセオドアの鼓膜を打った。透明で、甘美で、おぼこ娘が聴けば顔を真っ赤にしていたことだろう。幸いセオドアは壮年の紳士なのでそんな痴態は晒さない。自分が自分で心底良かったと思うのは後にも先にもこれきりだろう。
     ようやく世界が標準の再生速度に戻る。先程ミハイルが飛び降りてきた三階から確保の雄叫びが聞こえてきた。もう結構、とミハイルが肩をとんと叩き降下を促す。素直に従い地面に降ろすと、ミハイルはくすくすと肩を震わせ口元を覆っている。
     
     「ふふふ、びっくりしました?」
     
     悪戯っぽく爛々と瞳を輝かせて顔を覗いてきた。
     
     「……事前に仰って頂きたい」
     「すみません。貴方がどれだけ動けるのか見たくて、ふふ」
     「もしも俺が駆けつけられなかったら?」
     「そのときは受け身をとります」
     「五メートルはあるのに?」
     「ちゃんと訓練を受けてますので」
     「そうでなければ困る」
     
     けたけた、ゆらゆら、面白おかしそうに身体を揺らす。こちらの焦りも知らずにのらりくらりと呑気なものだ。明らかに受け身をとれる体勢じゃなかった。にも関わらず少しの恐怖も見せずに飛び降りたということは、セオドアが必ず受け止めに来ると疑わなかったのだ。
     無意識に緊張していたのだろう。はあ、と大きな溜息を吐く。未だ動悸も安らがない。仕方あるまい、人が降ってきたのだから。この拍動はその驚きと焦燥によるものだ。そのはずだ。なのに、なぜミハイルから目が離せないのか。美は等しく人間を隷属させる、かつて祖父から聞いた言葉だ。先の光景が脳内でチラつく。全ての物事がミハイルのための舞台装置と化したあの景色が。目を閉じていても焼き付いて離れてくれないのだ。それが今もなお激しく脈を打つ理由なのが度し難い。悪辣で、いとけなくて、もし小首を傾げて伺いを立てられたら許してしまうかもしれない己を認めたくない。
     
     「うんうん。私、貴方のこと気に入りました」
     
     自分勝手に納得して、さも愉快とばかりに伸びをする。
     
     「これから楽しくなりそうだなぁ」
     「……勘弁してくれ」
     
     かくしてミハイルの騎士となった訳だが、セオドアはまだ気づいていない。己が腹に吹き溜まる感情を、心臓が真に動き出した理由を。
     いずれ溢れ出すそれの、なんと醜く殊勝なことか。
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    じゅん

    DONE創作BLです
    年上部下×年下上司
    おつむが弱いので階級とか役職とかはいい感じに考えました。
    軍が公に諜報機関って言わなさそうなので多分表向きは外交官みたいな感じです
    犬も喰わない 一 世界地図を書き換えた戦争──シャッフルから二十年の月日が経つ。戦場となったイグルニスタ連合王国は、かつての惨状を忘れ去るほどの再建と成長を遂げた。そして、二度とあの惨禍を呼び起こすことのないようにと、王国軍は国防に何より力を注いだ。全ては、他国との協和を、民衆の営みを愛した女王の思し召しだ。と、ここまでは誰もが幼少期より学ぶ。しかし、いつの時代にも史実には載らない者たちが居るものだ。載ったところで傍から見れば誰も気にも留めないようなインクの染み。王国軍諜報機関ライブラもそのひとつである。
    王都からほど近い古都カルサルザ。古風な街並みを見下ろす丘に、ライブラは位置している。ライブラは、初代国防長官の屋敷を改築し最新設備を携えた王国軍諜報機関である。三つ首の犬がトレードマークになっており、旗や記章に刻まれている。三つ首の犬はライブラを組織した御三家の象徴だ。御三家は、王家貴族と長い信頼を築くエスメラルダ家、隣国との関係を取り持ったカグラ家、そして歴史は浅いが多人種渦巻く混乱を収めてきたモンスティ家から成る。現在ライブラの長を務めるはピンク・モンスティ氏。家の名声は少なかれど先の戦中、戦後処理において常に前線に立ちその大いな貢献を認められ、新進気鋭ながらも多大な信用と信頼を獲ていた。
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