狐と蝉時雨ジーワジーワジーワ
ミンミンミンミンミン
ジーワ、ジーワ
頭の上から降り注ぐのは暑苦しい陽光だけでなく、耳を塞ぎたくなるくらいに大音量の時雨。
山の奥だとはいえ、晴れているのにこんな大雨が降るなんて、真夏の狐の嫁入りはどうしてこうも騒がしいのだろうか。
ズキズキと痛み始めたこめかみを指先で揉み解しながら日陰に座り込んで葉と葉の隙間から溢れてくる光を仰ぎ見ていると、蝉と狐の単語にふと教訓のような童話が頭を過ぎり、
「そんなに良い声で鳴いてたら、狐に騙されて食べられちゃうッスよ」
なんて呟いてみた。
「キツネがいるの?」
突然、後ろからそう声を掛けられる。
一人きりだと思っていたのに、木陰の奥からひょっこりと顔を出したのは空から降ってきた太陽……に似た虹彩を輝かせる真珠だった。
たた、と軽い足取りで駆け出してくる真珠は、あっという間に隣にまでやってくると、体温が触れる程の距離に腰を降ろした。
じわ、と肌の熱が上がるのがわかり、思わず眉間に皺が寄ってしまう。
と言っても、どうせこの鬱蒼とした前髪のせいで相手には見えないのだろうけど。
口元に無理矢理貼り付けた笑みのお陰で案の定此方が不快感を得ているなんて気付きもしない真珠が呑気な声で言う。
「キツネ、もう逃げちゃった?」
「いや、そういう童話があるんスよ」
「童話?」
「まあ、人の失敗見て同じ轍を踏まないようにってヤツッスかね」
「おなじテツ……?ふーん、そっかぁ……」
腑に落ちてなさそうな顔に言葉の意味を理解していない事が直ぐに見てとれた。
あまり深く掘り下げても仕方が無いだろうけれど、真珠があまりにじっと此方を見つめるものだから、一応童話の内容を聞かせてみる。
3分も掛からない、短い短い話。
聞き終わった真珠は、
「おれならダマされちゃいそうだなぁ」
なんて笑っている。
ジリジリと肌を焼く暑さ、カラカラに乾いた喉、煩く鳴き喚く蝉たち。
逆上せた頭は上手く回ってはいないけれど、ただでさえイラついている所にこの屈託のない笑顔を見せられてしまえば、少しばかりの悪ふざけなんか思いついてしまっても仕方のない事だろう。
「ねぇ、真珠」
「ん?なに?」
「自分、真珠の声、好きなんスよね」
「……えっ、あ、ありがとっ」
思ってもいない事が、サラリと口について出る。
真珠は恥ずかしそうに頬を染めつつ、へにゃへにゃと顔を歪めている。
「ねぇ、真珠、」
そんな真珠に、わざとらしいくらいの猫撫で声で
「もっと真珠の声、聞かせて貰えないッスか?自分だけに、特別な声を」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
少しばかり空いていた体の距離を詰め、自分よりずっと高い真珠の体温が触れ合った場所を通じて伝わってくる。
頬を流れる汗が顎の先から一雫、真珠の膝の上に落ちた。
「……か、すみ」
はく、と吐き出された熱の籠った吐息ごと真珠の唇を食んでしまえば、そこからはあっけないものだった。
「かすみ、かすみっ……」
不安げに揺れる蜂蜜色の瞳。
嗄れた声は熱に浮かされ、ただただ名前を呼んでいるが、蝉の鳴き声に負けそうな位にか細い。
たった一度の過ちに、まるで命を掛けているような賢明な姿は騒音を奏でる彼らの姿に似て、妙に愛しく。
ぼたぼたと背中に落ちる雫が季節外れの時雨のようで、なんだか無性に面白く感じた。
end.