ミヤ誕(暦ミヤ?) 抱えた花束から、青くみずみずしい香りがしていた。体育館での取材が終わって帰ろうとしたとき、インタビュアーの人が渡してくれたものだ。両腕で抱えないといけないくらいで、ちょっと大袈裟すぎるんじゃないのと思ったけれど、せっかくの好意だし笑顔で受け取った。インタビュアーは嬉しそうにしていた。
親も友だちもみんな、朝から自分のことみたいに誕生日を祝ってくれている。主役っていうのは悪い気はしないし、僕もちょっと浮かれているところがあると思う。練習だっていつもは堅実にやるのにちょっと凝ったトリックに挑戦してみたりして。大きな花束を抱えて校門を出たら、それがなんだか急に恥ずかしくなってしまった。花束が大きいことにではなくて、自分がそんなふうに子どもっぽく喜んでしまうことが。
紫の香りに鼻先を埋める。誕生日が来たのに、成長しているはずなのに、花束はこんなに重く感じる。
「すげー! 体の半分くらいあんじゃん」
聞き覚えのある元気な声に顔を上げた。影が僕を隠すくらい、その人は間近で笑っている。
「持ってやろーか?」
やっぱりよく知ってる人、暦だ。スケボーバカと言ってしまってもいい、熱狂的なスケーター。今もボードを地面に立てて支えている。
「どうしてここに?」
Sやパークで会うならまだしもここは僕の学校だ。少なくとも暦の生活圏じゃない。今日は一緒に滑る約束もしていないし、ただの平日だし、何か意図がなければ僕と暦が会う必要はなかった。
暦は僕の問いかけに鼻をかき、あー、とか、えっとー、とか、意味のない言葉をいくつか口にしている。かと思うと、彼は急に姿勢を正して僕の肩を掴んだ。
「おごる!」
「……は?」
暦は僕の疑問には答えず、抱えていた花束を取り上げて脇に抱えた。暦が持つとちょうどいいサイズにも見えて、一瞬呆然とした隙をついて腕をとられる。
「このあと時間あるだろ? 行こうぜ!」
暦はボードを地面に倒して足をかけた。お前も、という妙にまぶしい目配せに負けて、僕も自分のボードを地面に置く。
暦は力強く地面を蹴った。容赦のないスピードに追い付こうと、僕も慌てて滑り出す。ほんの一メートル先で花束が風に揺られていた。
◇
横並びの僕と暦の間に花束が置かれる。スケートパークのベンチはアクリル製で、色落ちした青が物寂しいけれど、花を添えるには案外ちょうどいいかもしれない。
「こっちがミヤのな。クリームとイチゴ増量したやつ」
暦は三角錐みたいな形のクレープを僕に差し出した。てっぺんのクリームはバニラソフトくらいこんもりと盛られ、生地のふちから薄切りのイチゴが飛び出している。
「カロリー高いからふつうのでいいって言ったのに」
「いーだろたまには。イチゴ嫌いじゃねぇだろ? 栄養もあるし」
「クリームで台無しでしょ!」
受け取ったクレープが、言い合いをするうちに首を傾げてきているのが分かる。クリームがこぼれる、その瞬間に手首を掴まれた。
暦が身を乗り出して、こぼれそうになった部分をぱくりと食べる。クレープはほんのすこし形を変えたけれど、崩れずに僕の手の中にあった。
「これでカロリーちょっと減っただろ」
横を向くと、暦はニッと笑って自分のクレープにかぶりつく。暦のはチョコバナナクレープで、斜め切りのバナナがクリームからにゅっと顔を出した。
僕はまた呆然としてしまった。ある程度交流はあったし、性格も分かっているつもりだったけれど、今日は予測できないことばかりする。分かりやすいと思っていた横顔も急に謎めいたものに見えてしまう。
僕は観念してクレープをかじった。甘いものをとらないと、理解の追い付かないことばかりで、頭が動かなくなりそうで。
「……おいし」
久しぶりに、こんなに糖分たっぷりのものを食べたかもしれない。舌の上でなめらかに溶けるクリームも、噛むといっそう甘酸っぱくなるイチゴも、美味しい。文句を言っていたのも忘れて、一口、また一口と食べ進め、持ち手の紙をめくらないといけないところまで減ってしまった。
どこからめくろうかとクレープをくるくる回しているうちに、ふと横からの視線を感じて顔を向ける。目が合うと暦はまた笑った。温かい目を優しく細めて、むずがゆくなるような表情をしている。
長男だと前に聞いた。暦は、きっと見守ることが得意だ。
「……子ども扱いしないでくれる。スライムのくせに」
僕は紙をちぎることにした。ぺりぺりと、間違えても力を入れてクレープを崩さないよう、慎重に。
「つってもまだ子どもだろ」
「僕のこと怒らせるの趣味なの?」
「ほんとのこと言ってるだけ。俺だって子どもだし」
いつもなら、僕はそれに同意しただろう。でも今日の暦はなんだか、同じ『子ども』ではないような気がする。年齢としては僕が一歩近付く日のはずなのに、どうだ成長しただろうなんて、口が裂けても言えないような。
「……花束、貰ってくれない?」
食べやすくなったクレープをかじり、咀嚼して、呟いた。暦が紙を丸める手を止めたのが分かる。
「僕には大きすぎる気がして」
生地を押すと、柔らかくなったクリームがはみ出る。もうイチゴは無いらしい。甘くまったりとした味が、食べるたびに増幅していく。
僕と暦の間の花束は、あれだけ風に揺られたにも関わらず、どれも萎れずにぴんとした花びらをしている。紫色の花が多かった。僕の誕生花なのだと言う。
「たぶんファンだと思う。インタビュアーの人にもらったんだけど、取材中も妙に僕のこと詳しくて、熱意があって。昔ちょっとスケートやってたみたいなことも言ってて」
「それって嬉しくねぇの?」
「嬉しいよ。嬉しいけど……こんな大きいと、重くてさ。僕、まだこの花束を抱えきれないんだ、って思っちゃって」
暦はじっと僕を見る。顔を上げなくてもこめかみに刺さる視線が分かる。何言われるだろう、呆れるかもしれないし、怒るかもしれない。暦って人の好意を大事にする人だろうし、それを重荷に感じる僕のこと、もしかしたら。
不意に、暦は花束を持ち上げた。包み紙がくしゃりと鳴って香りを撒き散らす。
「ん。これは重たかった」
ニスか何かを触ったらしい、色のついた指先が、柔らかく花びらを撫でる。小動物を触るような優しい手つきだった。
「グラムの話な。普通にでけーし重てぇし。七日と千日……俺の妹な、双子の。こんなん押し潰されちまうと思う。でも七日と千日だとさ、たぶん持てもしねーんだよ。重さも分かんねぇ」
いい匂いだな、と言葉の合間に暦は呟いた。僕もその青くて甘い香りを好きだと思う。
「重いかどうかって自分で抱えなきゃわかんねーもんな。それが予想より重いとちょっとびっくりすんの、すげー分かる。俺もバイト先で店長が軽々持ってたやつ受け取ったら重くてびびったしなー、なんかすげー悔しくて……なんの話だっけか」
ふ、と僕は笑った。我慢するつもりだったけれど無理だった。くたくたになったクレープの欠片を握りながら、ちょっとずつ笑いを大きくしていく。
「ばかじゃないの」
僕は、笑いすぎて涙をこぼしていた。僕は暦がばかだと思うし、暦に弱音を吐いてしまう僕もばかだと思う。本当に不本意だけれど、朝から抱えていたほんのりとした不安が、いまこの瞬間から解放されていくのは確かだ。
「どーする。花」
「……持って帰る」
「ん。途中までは俺が持っててやるよ」
「いいよ、持てる」
腕を差し出して受け取った花束は、不思議とさっきよりも持ちやすい。重さは変わらないけれど、それすら心地よく膝に乗っている。
「これ何の花だろ。シャドウに写真送ったら見てくれっかな」
「ちょっと、カメラ僕に向いてない?」
「いーだろせっかくなんだし、記念記念。はい、はっぴーばーすでー!」
「そんな掛け声聞いたことない!」
スマホの向こうでけらけらと笑う、その顔が案外嫌いじゃないし、つられて笑ってしまう自分も弱い。
認めるのは悔しいけれど、暦はどうしたって、僕より年上らしかった。