朝日がきらきらと金色に輝く彼の髪を照らす。
長い睫毛がゆっくりと揺れ動き。
「おはよ、ご主人様」
彼ってこんなに可愛かったっけ。
隣にいるだけでこんなにもどきどきして、鼓動が早くなったっけ。
布団を捲るとぼくも彼も、何も纏っておらず。
床にはパジャマと下着、そしてローションと使用済みコンドームが散乱している。
昨夜のことを思い出して、顔が火照りだす。
彼と一線超えたのだ。
取っておいたわけでもなくただ機会がなかっただけの初めてを、奪われた。
これからどんな顔すればいい?
今までどんな風に接してた?
***
彼の顔もまともに見られなくなってから数日、彼はというと。
「ご主人様!」
「ご主人様?」
「ご主人様」
相も変わらずにこにこと隣にやってきては、くるくる変わる表情を見せる。
それと。以前よりもボディタッチが増えた気がする。
「ね、ご主人様……」
ぼくの腕は彼の胸に押し付けられている。
柔らかくもない男の胸にされても嬉しくないはずなのに、心臓がばくばくうるさい。
これ以上はもう限界だった。
「っ、触るな!」
心を落ち着かせ一息ついたところで、呻くような声に視線を動かせば足元でうずくまる彼。
苦しそうに顔を歪めて、首輪を掴んでいた。
"罰"が作動していたのだ。
そんなつもりで言ったんじゃない、と訂正しようとしたが、「申し訳ございませんでした」と床まで頭を擦りつけて土下座する彼。
丁寧な謝罪なんて今まで一度もなかったのに。
その日から他人行儀な態度へと一変した。
常に敬語で接し、控えめに「ご主人様」と呼び。
一線引いたことを隠しもしない貼りつけたような笑顔をするようになった。
***
数ヶ月後、ぼくにお見合いの話が舞い込んできた。
彼に何か言ってほしくて相手の写真を見せたが、「お似合いですね」と貼りつけた笑顔つきの一言だけだった。
ぼくが聞きたかったのはそんな言葉じゃない。
ぼくは──。
そこではっとする。
気づいてしまったのだ、自分の恋心に。
そしてそれはもう叶わないものだということも。
ぼくが"ご主人様"だというのに、臆することもなくタメ口で話しかけてくる彼。
そんな彼がそばにいる日常が当たり前になって、別に寂しかったわけでもない1人部屋が明るくなって。
時には「構って」と鬱陶しくアピールされたこともあったが嫌いになれるはずはなく、仕方ないと情が湧いていった。
あの時、拒否しなければ。また我儘でぼくを困らせていたのだろうか。
***
相性がよかったこともあり相手との縁談はとんとん拍子に進み、婚約することになった。
その時も「おめでとうございます」と変わらない一言だけ。
婚約後も彼を使用人として屋敷に住まわせた。
以前よりは顔を見る機会が減ったが、婚約者の奴隷のニンゲンの女とは談笑しているようで。
ぼくの時とは違う、くしゃっと笑う姿にずきりと胸が痛む。
ぼくにはもう笑ってくれないのに。
一般的には、主人が許可さえすれば奴隷同士で付き合うこともあるらしい。
相手の女は彼に気があるようにも見える。
へらへらしているように見えて真面目だし優しいし、ぼくが困っていれば助けてくれる。
そんな彼を他のひとが放っておくはずがない。
いつかはぼくから離れていってしまうかもしれない。
不安を抱えたまま数日が経ったある日。
外出から帰宅したぼくは談話室へ入ろうとドアノブを捻ると、聞こえてきたのは感情をあらわにした彼の声。
「お前がシルヴァ・ノイルの屋敷を襲った奴らの仲間なのかって聞いてんだ!」
今日は確か、婚約者の友人が来るとは聞いていた。
それがどうしてそんな話に。訳が分からない。
「じゃあ、もしかして!あなたが報告にあった魔力持ちの奴隷?ますます興味が湧いてきたわ。ねぇ、"ご主人様"、彼の所有権を譲っていただけないかしら?」
気の強そうな令嬢がこちらに問いかけてくる。
ティーカップの置かれたローテーブルには似つかわしくない奴隷用の首輪が置かれていた。
即答できないぼくを見た彼の瞳が揺れる。
「……実力行使しかないわね。殺してちょうだい」
刃物を持った令嬢の男奴隷から攻撃されそうになり、彼に庇われる。
"ご主人様"なら主人が死ぬと奴隷契約が自動的に解除されることくらい知っているだろう。
「殺すのは主だけよ。彼は傷つけないで」
武器のある男と武器を持たない彼。
どう手加減するか考えあぐねているらしい男の動きが止まると、黒い服装の男たちが入ってきた。
やはり刃物を持っている。
「めんどくさいな」
迷惑そうに溜息混じりに呟かれたそれは彼のもので。
ばきりと彼の魔力によって首輪が壊されていく。
「まぁ……!」
感嘆の声を上げる令嬢と、"ご主人様"ですらなくなったぼく。
終わった。彼との関係は終わってしまったのだ。
いつかは来ると思っていたけれど、心の準備もさせてくれないなんて。
「シルヴァ、目を閉じてて」
抱き寄せられて見上げるとふわりと柔らかく笑う彼に心臓が跳ねる。
名前を呼ばれたのが嬉しくて、頭をぶんぶん振って従えば「いい子」と頭にキスをくれた。
それからは匂いも音も聞いていられなくて、耳を塞いでうずくまることしかできなかった。
男の呻く声、刃の交わる音、血の匂い。
止んだ頃に聞こえてきた彼の話し声に目を開けた。
大量の血溜まりに悲鳴を上げそうになった口をおさえる。
男たちはもちろん、あの令嬢の姿も見えない。
"先程までの姿"が見えないだけで、ひとだったかもしれない物がごろりと寝転がっている。
それ以上は考えることをやめた。
「婚約破棄して。あんたに手荒な真似はしたくない」
血のついた刃を向けられた婚約者は驚いたものの、彼に敵意がないことを理解したようだった。
お願い、と言いつつ首元に近づけていく。
「……分かりました」
仕方なく発せられた返事にあっさり刃物を手離して、にっこりと笑う。
「シルヴァ、お家に帰ろっか」
ここは婚約者のお屋敷。
二人暮らししていた賃貸はもう引き払ってしまった。
彼と帰る場所といえば──。
***
ただいま、と見慣れたデザインの少し新しくなった玄関扉をくぐれば「お帰りなさいませ」と執事とメイドに迎えられる。
あの日焼け焦げたぼくのお屋敷はすっかり元通りだ。
静かな廊下を会話もなく進んでいく。
両親は旅行中で家を空けているらしい。
母がいたら根掘り葉掘り聞かれて落ち着かなかっただろう。
「シルヴァ」
ぼくの部屋に入ってすぐに抱き締められ、彼の優しい瞳に見つめられどくんと心臓が早鐘を打つ。
ずっと彼にこうされたかった。
もっと名前を呼んでほしい。
またぼくの隣で笑ってほしい。
彼の匂いに包まれて安心していると、首元にひやりと冷たい感触と、かちりと鍵のかかったような音。
そして、近づいてくる彼の指先。
鏡越しに血の塗り付けられた跡を見て理解する。
ぼくは彼の"奴隷"になったのだ、と。
「これでシルヴァは俺のものだよ」
顎を掴まれてにこりと笑いかけられれば、今の彼に相応しい呼称が自然と飛びだした。
「はい!ご主人さま!」
初めて口にしたはずのそれは嫌悪感も違和感もなく、まるでずっと昔からそう呼んでいたかのように身体に馴染んでいく。
満足そうに目を細めながら撫でられて、鼓動が高鳴る。
嬉しくてもっともっとと擦り寄せるぼくにくすりと笑って髪にキスを落とす彼。
いつもとは違った少し熱を孕んだ瞳にこの後の展開を察する。
彼ならいい、と腕を背中に回して返事の代わりにした。
帰ってきた両親に問い詰められて、「シルヴィちゃんがいいなら……」と事なきを得るのは数日後の話。
終わり
獣人くん×ご主人様の身分逆転if
『弱小貴族獣人年下主人×凹ゲイ面食い最強年上奴隷』が立場逆転して『獣人奴隷くん×ご主人様』になる話。後編
解説メモ:前編で受けと出会った時、外見に何の印象も持たなかった(言ってなかった)ので(描写)書けなかった。
受けが仲間って気づいたのは、屋敷を襲った奴らと同じマークが奴隷にあったから(ずっと攻め視点なので入らなかった)
令嬢の「ますます興味が~」のところは攻めのいない間に「彼(受け)が欲しい」ってわがまま言ってた。
たまにはすけべなしを書いてみたかったけど妄想上ではしてる。
2023/08/12