Time flies by黒いローブを纏い、埃臭い地下室の中で立つ若い男。いっそティーンエイジャーにすら見える童顔だが、その年弱な容姿に似合わぬ妙な貫禄を背負っている。
彼の前には奇妙な円形の紋様が描かれ、怪しげに光っていた。その様子に若い男──イギリスは満足そうな笑みを浮かべた。
「──さあ闇の淵よりいでよ!」
年季の入った魔術書を片手に、イギリスは呪文を唱える。すると魔法陣の光は一気に強さを増した。魔法陣が正常に作動したことを確信したイギリスは、より一層笑みを深める。
イギリスは隣国の男を困らせたかった。
いつもいつも、1000年前から何かと絡んできて、余裕綽々の笑みを浮かべたあの男。その「お兄さん面」を今日という今日こそ引っぺがしてやろうと思った。
「成功したか!」
魔法陣が煙に覆われる。イギリスは興奮した様子で、ライトグリーンの目を輝かせた。
憎き隣国の男を今度こそこいつで、今に見てろ。イギリスはそう思いながら、召喚されたものへと近づく。一刻も早く、恐ろしい魔物の姿を拝みたかった。
「うえっほ、ごっほ、うぇ、何?」
しかし煙が薄まった魔法陣の真ん中にいたのは^魔物ではなかった。
ライトブルーのワンピース、いやチュニックを着た子供だ。陶磁器のような白い肌、サファイアのような瞳、なにより可憐な容姿をより一層引き立てる絹糸のようなブロンド。魔物とは対極線にいる麗しいひと。
余裕綽々の男の表情を崩したくて、とびきり恐ろしい魔物を召喚したつもりだったのだが。
何よりもその子供に、イギリスは見覚えしかなかった。
「おまえ…………ッ!」
「ちょっと!俺、これからアングルテールと遊ぶ予定だったのに!ていうか、お前誰?」
そう文句を言う声は、遠い昔に置いてきた記憶に焼きついたボーイソプラノだった。
「フランス………?」
「……なんで俺の名を知ってるの?」
今宵、イギリスが召喚したのはまさに、鼻を明かしてやろうと息巻いていたフランスそのものであった。
*
「ふーん、じゃあお前、アングルテールの家の子なんだ。まあ確かに雰囲気似てる」
埃っぽい地下室を嫌がった幼少期の姿をしたフランスを、仕方なく上の階に連れていってやった。今日、兄たちが全員出払っていたのは僥倖と言えるだろう。
やたらと古いフランス語を使っている彼は、ジロジロとイギリスのことを見て怪しんでいる様子だった。
紅茶を出してやると、「何この茶色い液体」といいつつ一口飲んで、驚きの表情と共に頬を赤くした。それはフランスが美味いものを口にした時に見せる表情で、内心イギリスはほくそ笑む。
しかし、これほど怪しんでいるわりに、そんな人物からの施しを受けるあたり詰めが甘い。今のフランスなら、得体の知れぬ人物からの飲食物など絶対に口にしない。尊大な口調でありながら垣間見える彼の「子供らしさ」に、イギリスはなんとも言えない気持ちになった。
フランスがこの姿の頃、彼があまりにも大人のように思えて、追いつけないのではないかとすら思ったものだ。しかし、今こうしてみると決してそんなことはなく、彼が無理をして背伸びをしていたことがひしひしと伝わる。
「あ、アングルテールって分かる?俺のね〜……召使い」
ビスケットを出してやると腹が減っていたのか、フランスはすぐに手をつけた。今の彼にとって、『アングルテールの子』というだけで信用に値するらしい。目の前の彼はこの時代の住人ではないのだが、それでも元いた時間に帰すのが少々恐ろしい。自分にペドフィリアの気がなくて本当に良かったとすら思える。もっとも、彼の見てくれは子供だが、年齢はすでに人間の老人を軽く凌駕するのだが。
「……誰が召使いだ」
「なんか言った?」
「いいや」
話を盛りやがって、イギリスはついボソリと口を挟んでしまう。しかし、過去の彼にあまり余計なことを吹き込むのは良くないはずだ。
「今はね、今は召使いなんだ」
「そうか」
「でもね、いつかは……あ、おい、今からする話はアングルテールには秘密なんだからな」
「わかったわかった。まったく、お前はよく喋るな」
昔から、本当によく喋る。そのくせに、大事なことは何一つ言葉にしないよな。
イギリスは、自分のことを棚に上げたそんな言葉を飲み込んだ。
恐らくだが、魔法が暴発して時空を歪ませた。暴発した魔法は大抵効き目が不安定で、すぐに切れる。だから、きっと彼もすぐに元いた時間へと還っていくだろう。
今よりも少しだけ素直な彼と、イギリスは少しでも長く話をしていたかった。あの頃、自分が今よりも意気地無しだったせいでできなかったことだったからだ。
「いつかはあいつと恋人ってやつになりたい」
「そうか。………え?」
「でも恋人っていうのは、好き同士じゃないとダメなんだって。なぁ、アングルテールは俺のこと好きだと思う?」
「っ、はぁ?」
突然幼いフランスに話題を振られたイギリスは、口に含んでいた紅茶を吹きかける。
今、彼はなんと言った?
「俺、アングルテールのこと本当は大好き。大好き、だけど……上手く、伝えられない。なんでだろう。気づいたらあいつのこと泣かせてるし。こんなんじゃあいつの兄貴たちと一緒だよ」
フランスはそう言って、自分の髪をいじった。口をつんと突き出す仕草は、イギリスが記憶している彼よりも、ずっとずっと子供っぽく見えた。
「何してあげたらいいんだろう。服あげたら嫌がるし。じゃあお花?宝石?城?」
「……そういうのは、モノじゃないだろ」
「そうなの?じゃあ、お前は何が良いって知ってる?」
あまりにも無垢な疑問がイギリスに投げかけられる。こちらを見てくるサファイアの瞳は、汚れなどまるで知らないただの幼子だ。
イギリスは言葉に詰まる。誤魔化すように咳払いをして、自分もビスケットを摘んだ。
落ち着け。落ち着け。
フランスはずっと、この関係をただの幼馴染と認識しているのだとイギリスは思っていた。アンタント・コルディアル以降、殴りあっていた時間よりは握手していた時間の方が長くはなった。しかしながら、だからといって何か特別なことがあるわけではなく、自分たちにそれ以上のことなどないはずだった。
──「ない」ことにしなくてはならなかった。
フランスの『お兄さん面』が気に入らないのは、対等な関係でありたいからというもっともらしい理由をつけて、納得していた。否、無理やり納得「させていた」。
本当はそんなに高尚なものでないことを、イギリスは誰よりも分かっていた。自分の感情のことだ、自分が一番理解している。
ただ、それを言語化したらきっとこの関係は崩れてしまう。きっとフランスを困らせる。何かと天邪鬼で尊大ではあるが、彼は溢れるほどの慈愛を持っている。だからきっと、その慈愛に溺れさせられる。良かれと思った彼の愛に、ゆっくりと殺されるのだろう。
そんなことになるぐらいなら、ずっとずっと腐れ縁のままでいいのだ。
「今、お前が思っていることを、そのまま伝えてやればいいだろ」
そんなこと、自分だって怖くてできないくせに。
自分で言ったことに、イギリスは呆れて笑いそうになった。
イギリスの回答に、フランスは少し暗い顔をした。
「それで嫌がられたら……」
「そんなことない」
「なんでそんなこと分かるんだよ」
なんどもなにも、お前の目の前にいるのがアングルテールそのものだからだ。そう言えたらどんなに良いだろう。
「……そいつのことを想って考えた言葉を嫌がるやつなんていない」
もしも、フランスに愛の言葉を向けられたら、この頃の自分は舞い上がるに違いない。今だって、彼の口から易々と紡がれる愛の言葉が、自分にだけ向けば良いと密かに思っているのに。
「それでも、」
「もし、」
フランスの言葉を、イギリスは遮った。
「もし、そいつが、お前の一生懸命に紡いだ言葉を笑うようなやつなら。恋人になるのは止したほうがいい」
イギリスはそう言って、控えめに笑った。フランスは不思議そうな顔をしたが、やがてつられて笑顔になった。
「たしかに。よくよく考えたら、この俺が好きだって言ってやるんだからね!」
「なんじゃそりゃ。弱気なのか強気なのかどっちかにしろ」
「でも、もし、だめだったら、」
フランスの言葉が続く。
「……お前のこと、恋人にしてやってもいいよ?俺のこと揶揄わなかったから」
この男は。
ここで盛大に溜息をつかなかったことを、イギリスは自分を褒めてやりたい気分だった。
お前がこれから先、数多の有象無象の恋人を作っても、俺にだけはそんなことを言わなかったくせに。本当に酷い男だ。何回、人の心を奪えば気が済むのだろう。
「光栄だ。そんな日が来ないことを願う」
「それってどっちの意味?」
「さぁな」
「お前、ほんと不思議なやつだね。そういう喋り方とか、アングルテールにそっくり」
「そうかい。で、紅茶のおかわりは?」
「いる!」
「はいはい」
元気な返事を聞いたイギリスは、苦笑しながらポットをキッチンに持っていった。支度をしながら、ぐるぐると渦巻くやりきれない感情を飲み込む。なんだか、どうしようもなく泣きたくなった。ツンとする鼻の奥を無視しながら、紅茶の準備を終えてダイニングへと戻る。
「フランス……?」
そこは間抜けの殻だった。先程まで食べていたばかりだったのか、齧りかけのビスケットが白い皿の上に残されていた。反対に、ティーカップに入っていた紅茶は、きっちり全て飲み干されている。
イギリスは念の為に地下室の方ものぞきにいったが、幼いフランスの姿はどこにもなかった。
彼は淡い初恋の思い出だけを置いて、どこかへいってしまった。
結局こうしていつも振り回されてしまう。
イギリスが淹れたての紅茶を持て余して立ち尽くしていたところ、玄関のチャイムが鳴らされた。次いで、トントンと扉をノックされる音。兄たちならそんなことをしない。そして、こんな風になんでもない日に予定外の訪問をしてくるような間柄の人物など、広くはない交友関係の中でもさらに限られている。
イギリスは一度大きく深呼吸をしてから、いつも通りの表情を作って扉を開ける。
「よっ、坊ちゃん」
陶磁器のような白い肌、サファイアのような瞳、なにより可憐な容姿をより一層引き立てる絹糸のようなブロンド──まあ可憐というにはすっかり立派な色男育ったわけだが、初恋の面影を十分に残すその人が立っていた。
「ウィークエンドシトロン作ったんだけどさ。勿論食べるだろ?」
「……お前、今いくつだ?いい歳こいてアポも取れねぇのか?」
「カーッ!可愛くない!!」
と言いつつもフランスは、家の中に通してやると嬉しそうにいそいそと入ってきた。
きっと深い意味はないことは分かっているのに、『週末に大切な人と食べる菓子』を持ってきてくれた彼に、蓋をしたはずの想いがまた燻るのを感じた。
「あれ、今日お前の兄貴たちいないんだ。じゃあこれ独り占めしていいよ」
リビングに通されたフランスは、静かな家に驚きながらそう言った。そして勝手知ったる様子でキッチンに向かったかと思えば、皿とカトラリーを出してきて手際よく菓子を切り分けた。そしてイギリスの目の前に差し出す。
「ボナペティ」
フランスはそう言ってウインクして見せた。あまりにも様になっている。
イギリスはフォークでケーキを刺して口に運んだ。グラスアローも下のケーキ部分も、砂糖の甘みの中にレモンの爽やかな味がした。
「お兄さんも食べちゃお」
フランスはそう言って、横から皿に手を伸ばしてきてぱくりと食べた。うん、美味しい、と満足そうに笑って頷くフランスは、少し子供っぽく見えた。
「好きなんだよね。お前もだろ?」
「まあな」
あぁ、やっぱり好きなんだよな。
イギリスはまた一口ケーキを食べて、バレないように溜息をついた。
完