君と微睡む【君と微睡む】
魔界の果て。そこは罪を犯した魂、或いは帰る場所の無い流れ悪魔(もの)たちが最後に行き着くところ。そんな地の底、地獄にも新たなる年は訪れる。そして意外にも「新年らしい」様相を見せるのだから珍妙だ。
しかしそれは年の始まりを厳かに祝う……という趣きでは決してなく、何かにかこつけてお祭り騒ぎをしたい適当な悪魔が多く居るだけのこと。
そしてそれを知って、優れた地獄の統率者はささやかに今日という日の準備を進めていた。年に一度ぐらいは、罪人も、ろくでなしも、多少呆けても良かろうと。
◆
飾られた鏡餅の丸いシルエットを見つめ首を傾げている少女。デスコ、という呼び声に振り向けばその姉が少女に向けて手を差し伸べた。
「おねえさま!」
「ほら、行くわよ! 皆待ってるんだから」
少女が手を引かれ歩くいつもの拠点には正月の飾りがそこかしこに施されている。
時空ゲート上にはしめ縄が。そして、その両脇には首を吊るのに丁度良さげな用途不明の紐までセットでぶら下がっている。年中無休で職務をこなす時空の渡し人とてこの日ばかりは極力仕事をしたくないのだろう。「なるべく通行人が来ないよう不吉な装いにしてみました」と彼女は平然と言ってのけた。
ローゼンクイーン商会は福袋と称し中身不明のアイテム詰め合わせを売り出しているし、魔界病院では「沢山やられてきてください♡」と、何やら見慣れぬ怪しい縁起物をダメージ報酬にと設けている。
いつもとは違う地獄の装いに、デスコに備わる複数の目がきょろきょろと辺りを見渡す。
「お餅、食べるの楽しみね?」
フーカはデスコに向け笑いかける。それだけのことがとびきり嬉しくて、妹は視線を姉へと向け、目を細めた。
姉妹は地獄の大広間へと辿り着く。そこで待っていたのは死神と天使、そして漂うご馳走の匂い。
「お待たせ! さあ、宴会を始めるわよ──って、あれ? ヴァルっちは?」
「吸血鬼さんを追って狼男さんも出て行ってしまいまして……」
「へ? なんで?」
「ヴァルバトーゼ閣下は先ほどの年始の挨拶のあと、即行で執務室に戻られたッス!」
「仕事納めの一秒後に仕事始めを宣言した閣下に『いい加減ぶっ倒れますから今日ぐらいはお休みください!』とか何とか言ってフェンリッヒ様も追いかけて出て行ったッス!」
プリニーたちの手によって正月らしい食事が運ばれ、テーブルは彩られる。豪勢とまでは言わないが、今日を祝うには充分なだけの料理と酒。給仕を任されるプリニーたちも、この日ばかりは酒を飲むことを許される。ほろ酔いで主従不在の事情を説明する彼らにアルティナは運ばれて来た田作りを幾らか分けてやった。
「事実、ヴァルバトーゼの奴、働き詰めで疲れてるんだろうな。あの様子じゃフェンリッヒが今頃無理矢理寝かしつけてるんだろうし……少し寝かしておいてやらないか?」
エミーゼルの提案に僅かばかり唸ったあとで「賛成!」とフーカが笑えばアルティナ、デスコ、エミーゼルも「賛成ですわ」「賛成デス!」と続き、四人だけの暗黒議会は此処に満場一致した。
「お祝いはまだまだ始まったばかりですものね。お二人が起きて来たあとで、特製イワシおせち、披露しましょう」
四人は顔を見合わせ頷いた。忙しない毎日の中、地獄の住人の為にと奔走していたヴァルバトーゼとフェンリッヒに、秘密裏に作ったイワシおせち。味の保証は微塵もないが、想いだけはたっぷりと込められている。
「ヴァルっち、絶対喜ぶわね!」
「早く起きて来てほしいデス!」
「それじゃ本末転倒だろ」
二人を心待ちにするテーブルは、ここ一年の振り返りで話に花が咲き乱れる。
◆
執務室。不穏な静けさを纏う薄暗いその部屋はプリニー教育係の仕事部屋である。執務机のすぐ隣にはヴァルバトーゼが寝床にしている棺桶が無造作に置かれていた。此処で働き、限界が来れば仮眠をとって、目が覚めればまたデスクへと向かう……地獄のワーカホリックは繁忙を理由にそんな滅茶苦茶な生活をしばらく続けており、執事であるフェンリッヒは頭を悩ませていた。プリニー教育係は確かに魔界に於いて就きたくない職業No.1ではある。しかし、ここまで生真面目に職務を全うせんとする悪魔もする悪魔だと、彼の働きぶりを見れば誰しもが言うだろう。そこまでする義理も給料もないというのにヴァルバトーゼはひたすら熱心に仕事をこなし続けた。
フェンリッヒは部屋の主に声を掛ける。書類から顔を上げる吸血鬼のその顔にはやや疲れが浮かんで見える。椅子から立ち上がり、そのまま彼は伸びをひとつしてみせた。
「閣下。ここ最近で最後に休暇を取られたのはいつになりますか?」
「はて、いつだったろうか……」
「真面目な貴方様のこと。ストイックな仕事ぶりに口を出す気はございません」
ですが。そう言ってフェンリッヒは間合いを詰め、ヴァルバトーゼを後ろから羽交い締めにする。
「ム!?」
「まさか私如きに背後をとられる貴方様ではないでしょう。……ご自身のお疲れを自覚してください。このところ根を詰めて働き過ぎです。今日という今日はきちんと寝ていただきます」
フェンリッヒは顔色が優れないことを指摘し、あらかじめ準備していた毛布を主人へと手渡した。
「……私のもので恐縮ですが、それでも無いよりはマシでしょう。このところ随分と冷えますから」
お身体、どれだけ冷えているかお気付きですか? そう問われ、両手の白手袋を外される。自身の手に、ひと回り大きい彼の手が添えられればヴァルバトーゼは二人の間の温度差に驚いた顔を見せた。
「それでは、ゆっくりおやすみなさいませ」
フェンリッヒが棺へとヴァルバトーゼを半ば強引に押し込め、蓋を閉める。こうなっては仕方ないと腹を括り、吸血鬼はそっと目を閉じた。そして、気付く身体の重さ、どっと迫る疲労感に、なるほど、シモベが言ったのはこういうことかと彼はようやく思い知る。
暗闇の中、ヴァルバトーゼは手渡された毛布を引き寄せ、息を吸い、吐いた。陽だまりのように暖かく、月のように懐かしい匂いがした。
この匂いを、嗅覚は四百年前から知っている。その間、目まぐるしいほどの変化が訪れたが、毛布の持ち主はずっと側で仕えてくれていたのだった。それが嬉しく、けれども吸血鬼の胸をどうしようもなく締め付けた。
微睡みの中、男はぽつり、想う。寝床はもう十二分に暖かい。それでも──別のぬくもりが欲しくなるのは、冬の厳しい寒さのせいか。この毛布に包まれていると落ち着くのに、落ち着かない。身体の奥底から欲情を掻き立てるその矛盾が、ひどく不思議だった。
「フェンリッヒ」
小さく呟いた声が狭い棺桶の蓋の内側、すぐ目と鼻の先で反響する。
吸血鬼は、兆しを自覚していた。じく、と己の中心が熱を持つがこの衝動をひとり慰める気分にはなれなかった。自慰に耽れども、どうせ大した快感は得られまい。そんな理由で、彼はしばらく性欲の発散もしていなかった。それはひとりでする発散以上の方法を身体が知ってしまったからで……要するに、フェンリッヒと主人と従者以上の関係を結んでからというもの、ヴァルバトーゼの身体は自ら慰めるのでは到底物足りなくなってしまっていた。狼男の手技を想い、真似て己の肌に手を添わせてみても燻った熱を発散するどころか、溜め込んでしまう。
ぶつける先のない欲を誤魔化そうと小さく寝返りをうち、毛布を掻き抱いて目を瞑る。イワシが一匹、イワシが二匹……百匹まで数えたところでやはり上手く眠ることが出来ないと悟れば吸血鬼は遂に眠りを諦めた。棺の蓋を押し上げ、寝床から起き上がるとそこには求めてやまない男の姿があり、息を呑む。
「お呼びですか、閣下」
棺桶の中で発した声がどうか聞こえていないようにとヴァルバトーゼが願うよりも早く、フェンリッヒは主に悪戯に微笑んだ。
◆
「寝ろと言ったのは何処のどいつだ!?」
「私ですね」
「……寝かせる気、ないだろう……ん…ぅ…」
囁き声が執務室で交わされる。向かい合うようにしてフェンリッヒがヴァルバトーゼを膝に乗せ、衣服の上から下半身へと指を這わせていく。
「少々お手伝いを……何やら寝つきが良くないご様子でしたので」
ここ、張りつめておられます、一度出してしまった方がすっきり眠れますよ。そんな風にからかい、じゃれつくような視線を寄越すフェンリッヒに、ヴァルバトーゼは気まずそうに視線を泳がせる。
「ち、違う。これはただの生理現象で……仕事の疲れだ! お前も男なら分かるだろう!?」
「ええ、分かっておりますよ」
従者が主人の頭を撫でた。黒髪がさらさらと指の間からこぼれ逃げていく。不満げなヴァルバトーゼにフェンリッヒは告げる。
「閣下、眠れなくても良いのです。横になっているだけでも身体は休息するそうですから……日頃多忙を極める我が主、一日くらいだらだらと微睡んでもバチは当たらないでしょう」
ですから、ご一緒に。そう囁かれ、シャツの下に手が伸ばされる。するすると這う手とその手つきに期待するよう乳首が勃ち上がるのが分かり、咄嗟に腕を掴んで引き剥がす。
「バッ……昼間から何をしている……これではまるで変態ではないか?!」
「寝正月の何がいけませんか?」
「適当なことを言いおって……!」
適当な言葉で言いくるめ、ズボンのチャックを下ろすと既に湿り気を帯びるそこへフェンリッヒは優しく触れてやる。口でとかく言うほどには反応が悪くないのを確認すると、下着の下へと手を伸ばす。次第にその手の動きを強め、溢れる粘性の液を亀頭ににちゃり、焦らすように馴染ませていく。
「……ぁ…いやだっ、フェン、リッヒ…」
「こんなに悦んでおられるのに、何がお嫌ですか?」
「毛布、が……」
毛布の下で雄を扱かれ、控えめなペニスが勃っているのが目視で分かる。快感を逃そうと細腰が小刻みに揺れていた。
狼男の背にしがみつき、首を振ってヴァルバトーゼが必死に訴えること。それは、このままでは毛布を汚してしまうからやめろと、そういうことであったが、その言い分はフェンリッヒに手を止めさせるどころか煽ってしまう要素でしかないことに彼自身、気付かない。
「どうぞ、好きなだけ汚してください」
「ダメだっ……手を離せ! や、ぁ、出てしま…う…っ、……〜〜!」
嬌声が上がり、身体が跳ねる。ぐったりと脱力し、寄り掛かられるその重みが狼男には心地良かった。快感の証として主人から出された白濁が毛布に飛び散り、染み込んだのを確認して、さて、次は……そう、フェンリッヒが目の前の想い人の顔を覗き込めば、動きが止まる。そこには寝息を立て始める主人があった。
従者は惜しいような、ホッとしたような表情をつくり、眉を下げる。膝の上の軽い身体を柔く抱きしめ「おやすみなさいませ」と小さく囁いてフェンリッヒもまた目を閉じた。
彼らがイワシおせちにありついたのは、その日の随分遅い時間だったというが、それまでの間、如何様にして惰眠を貪ったのかは、二人だけが知っている。