リーチ兄弟 深夜「ジェイド〜ぉ……」
「何です?」
ハーツラビュルではもうとっくに全員が就寝しているだろう。オクタヴィネルのある一室でも、お互い、もう寝ようかという雰囲気だった。部屋は暗く、明かりといえば、それぞれベッドの脇に置いたランプを灯しているだけだった。ジェイドはその側で本を読み、フロイドは仰向けに、頭の下で手を組み天井を見つめている。
「なんかぁ、面白い話してよ……」
「今面白い話をしてしまったら、寝られなくなるかもしれませんよ」
「大した自信じゃん。そんな変な話あんの。キノコ以外で」
「おや、それは残念」
「ハァ?」
フロイドはゴロンと寝返りを打って、ジェイドの方を向いた。ジェイドは本を閉じて、少し体を起こして近くの机に置いた。うつ伏せのまま肘をついて、枕カバーと前に垂れる黒いメッシュを見つめる。
「そうですね……。これは監督生さんに聞いた話なんですが。フロイドも知っているかもしれません」
「ふーん?」
「人魚の肉を人間が食べると、不老不死になるとか」
メッシュの毛先を見つめながら、フロイドの目から興味の色が引いたのが肌でわかった。
「うん。……で?」
「『異世界の食べ物を食べると、元の世界に戻れなくなる』という話があるそうです」
「うん」
「監督生さんの世界では、人魚は伝説上の生き物とされています。そのため、『人魚』という異次元の生き物を食べることで、普通の人間ではいられなくなる……という仕組みのようです」
「ふーん」
ギシ、とベッドが軋む音がした。フロイドが仰向けに寝返りを打った。
「試してみたくありませんか?」
「うん………」
少し口角が上がって、鋭い歯が覗き、ほんの少しだけ声が上ずる。お互いにそれがわかる。
「でもさぁ、どーすんの。オレ痛いのヤなんだけど」
「そうですねぇ、アズールの足を一本貰いましょう。僕も痛いのは嫌ですから」
「あは。最高。適当言って多めに貰おうよ。オレらが食べる分」
「それは良い考えですね、フロイド」
「えーどうするぅ? 今行こーよ。寝てるだろうし」
「今起こすとアズールが怒りますよ」
ジェイドの意見を聞く気もなく、もう布団から出て靴を履き始めている。
「別にいーよ。明日ちゃんと働けばいいんでしょ」
「ふふ。いざとなったら泣き落としでいきましょう」
靴紐を結んで、寝巻きの上から寮服のジャケットだけ羽織って部屋を出た。
ガチャ
「あぁフロイド」
「しーッ」
雑に戸を開けるのをジェイドが止めようとして声をかけたので、フロイドは口をイーッとしてジェイドを睨んだ。すると、暗い部屋で人が動く気配がして、2人はパッとそちらを向く。
「な……なんです……おまえたち………」
部屋の奥から、布の擦れる音とアズールの低い声が響く。
「……起きちゃったじゃん」
「ドアの音で起きますよ、アズールは」
2人はもう足音を殺す気もなく、のそのそと部屋に入った。ジェイドが右側、フロイドが左側に立って、布団から出てこようとするアズールを覗き込んだ。
「邪魔するな…………」
掛け布団から腕が伸びて、枕の横の辺りを乱雑に撫でる。
「………どぉする? てか、足2本しかねぇじゃん」
フロイドはベッドの脇に揃えられた靴を爪先で突きながらジェイドの方を見た。
「う……足がなんです? メガネ……」
ようやく探し当てたメガネを掴んで、上半身を起こして掛けた。メガネ越しに目が合ったジェイドがニコリと微笑む。
「おはようございます、アズール。夜分遅くに申し訳ありません」
「全くだ」
キッとジェイドを睨み、カーディガンを掴んでベッドから立ち上がった。スタスタと勉強机まで歩いて行くのを、微笑んだ表情を崩さないまま見届ける。フロイドは空いたベッドにボフンと座った。
「ところで、足を2本ほど」
「3本」
「3本ほど分けていただけませんか?」
「は? 嫌に決まってるだろ。何なんだ」
「そんな! いつも嫌がる僕の兄弟を絞って荒稼ぎしているくせに! シクシクシク……」
ハンカチまで使って泣き真似をするジェイドを横目に、勉強机の椅子を引いてドカッと座った。デスクライトを点けて頬杖をつく。アズールが椅子に座ったのを見てから、2人は部屋に入ってきた時みたいに、のそのそと歩いてアズールの両脇を囲んだ。
「あーあ、ジェイド泣いちゃったじゃん。責任とって足寄越せよ。5本」
「増えてるじゃないか! いや、一本たりともお前たちにやる足はない。そもそも、人に頼み事をするならそれ相応の態度があるだろ!」
「何キレてんの。てかさぁ、寝てる間に持ってってあげよーとしてたのに、何起きてんだよ」
「理不尽な逆ギレはやめてください。場合によっては手が出るぞ」
「僕らは手でなく足をいただきにきたんですよ」
「うるさいな! わかってるよ! そもそも……」
ようやくアズールが顔を上げると、フロイドも視線を斜め上に……空中を見ていて、あー……と呟く。
「……いや、オレさぁ、気づいたわ」
「おや」
「何なんだ、用がないなら帰れ」
「小エビちゃんさぁ、もうオレらと同じ世界にいんじゃん。だからぁ、人魚食ったとこで不老不死とかないんじゃねーの」
「確かに……」
「用がないなら帰れ」
「でも、それはそれとしてタコは食べたいですね」
「陸に放り出すぞ」
「ここは陸ですよ、アズール」
「あは。もーいいや。オレ寝る」
「ではおやすみなさい。また明日来ます」
「早く帰れ。もう来るな」
そしてまた、のそのそと部屋を出た。
パタンとドアが閉じて、部屋は静かになった。机上の時計を見ると、01:36と数字が並んでいた。非常識すぎる。こんな深夜に人の部屋を訪ねてくる奴があるか。しかも足が……何だって? よくわからないが、早々に撤退してくれて助かった。さっさと布団に戻ろう……。しかし、ベッドの方を見はするものの、立ち上がるのが億劫で、頬杖をつくと、ハァ……とため息が出た。なんとなく机の端に積まれた教科書群を見る。1番上に乗っていたノートを手に取り、パラパラとページを捲る。それから、ページが落ちていくのと同じ動きで、目線がスッと下がって、ゆっくりと瞼が下りた。
廊下では、コツコツコツ……と2人分の硬い足音が響いていた。
「まだ起きてんのいんね〜」
「そうですねぇ」
黙って歩きながら、所々のドアの隙間から光が漏れるのを見て、言った。でもそれだけ言って、また黙った。フロイドはもう眠くて頭がぼんやりしていて、ジェイドも自分の足音とフロイドの声しか聞こえていなかった。自分たちの部屋の前まで来て、ジェイドがドアを開けた。暗い部屋に2人がヌルッと滑り込んで、無言のままボフッとベッドに倒れ込んだ。フロイドはギリギリ意識を引っ張り上げて、靴を脱いでベッドの側に揃えた。それから目線だけでジェイドの方を見たつもりで、瞼が閉じていたので気づかないうちに意識が飛んだ。おやすみなさい……