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    レスエデに混ざる一般通過双璧とフェルヒューに混ざる一般通過レスエデが好き

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    書きかけのやつに反応頂けたのが嬉しいのでこっちも更新

    フェルヒュー子どもの頃に出会ってたらいいなというよくあるやつと御伽噺の魔女兼お姫様概念のヒュが書きたかった

    #フェルヒュー
    ferhu

    魔女の館鬱蒼と生い茂る高木の隙間から差す木漏れ日すら翳りがみえだした。もう日が沈んでしまったのだろうか。徐々に近づく夜の気配はより一層フェルディナントを不安にさせた。どこか遠くの方で狼の遠吠えのような声が聞こえた気がする。
     今にも泣き出しそうな顔で辺りを見回すが、視界に入るのは同じような木々ばかり。今自分が歩いてきた方角さえ見失いそうな、同じ光景ばかりである。

     こんなはずじゃなかった。フェルディナントは何度目か分からない自問自答を繰り返す。フェルディナントは今日父に連れられてこの森に初めて狩猟を行うために来た。騎士道を尊ぶファーガス神聖王国程ではないが、アドラステアの帝国貴族にとっても狩猟とは舞踏会と同様に重要な社交の場である。フェルディナントもいずれ本格的に武器を持ち、立派な貴族としてまた戦士として、多くの貴族とともに雄々しく狩りに勤しむことになるだろう。その教育の最初の一歩として父に連れられて、この森を狩場とし初めて狩りというものを経験しに来たのだ。
     護衛の騎士とともに数々の兎や山鳥を狩って、己の力を過信し、人の手の入っていない自然の領域を侮っていたのだろう。フェルディナントは美しい毛並みの狐を見つけた。あれを狩ればさぞかしよい毛皮が取れる。それで裘を作って、是非母への贈り物としたい、きっととても喜んでくれる。そう考えたフェルディナントは護衛に何も告げず、狐を追って一人森の中の道なき道へずんずんと足を進めてしまったのだった。
     ふと、周りを見渡せば辺りに人の気配はなく、大声を出しても応える者は一切いない。そこでようやくフェルディナントは、自分が独りきりで森の奥深くに入り込んでしまったことに気がついたのだ。
     既に周囲は暗くなり始めていて、フェルディナントは必死になって来た道を戻ろうとするが、完全に方向感覚を失ってしまっている。周りに人気がなくなったことに気づいてから、何度も大声をあげて居場所をしらせようとしてきたが、日が暮れて獣の領域が色濃くなり始めてきたことを実感して、声を立てることも憚られるように思えてくる。
    「誰かぁ……」
    蚊の鳴くような声で助けを求めるが、それに答える者は誰もいない。
    このままここで夜を過ごすのか。恐怖と寒さで震えながらそんなことを考えている時であった。ふいに、近くの草むらが揺れる音がした。鹿か猪か、はたまた飢えた狼か。ここで獣に襲われて食べられてしまうのか、悪い方にばかり考えが頭にこびりついて離れなかった。

    「密猟者か?」
     声が聞こえた。人がいる。天は、女神はフェルディナントを見捨ててはいなかったのだ。声のした方向から矢をつがえ弓を引き絞るような音が聞こえ、慌てて力のかぎり身振り手振りを大きくして自身の居場所を示そうとした。
    「おい、撃つな撃つな。ちょっと待て、こどもがいるぞ」
    草むらから現れたのは猟師風の格好をした3人の男。
    「おおい坊や、どうしたんだ、迷子か?お父さんはいないのか?」
    「あ……」
     もう幾年も人と会話していなかったかのように声が出ない。抑え込んでいた不安と恐怖、それらが堰を切ったように溢れ出てしまい、安堵感から声を上げて泣き出してしまった。
    「おお、よしよし。怖かったな、こんなところで一人でよく頑張った。」
     それを見た男は泣きじゃくるフェルディナントに対して戸惑うことなく、頭を撫でながらてきぱきと怪我の有無と持ち物を確認する。
     「とにかく、おじさん達の家に行こう。寝床とご飯があるから。事情はその後に話してくれれば良いさ。」
     と、未だ泣き止まぬフェルディナントにそれ以上を追求することなく、背中を貸してくれた。
     
     男に背負われて、どこをどう歩いて来たのかは分からない。しばらくして目の前に現れたのは、背の高い柵で囲まれた大きな屋敷だった。彼らは森で狩猟を生業とする猟師の一団だと思っていたから、このように立派な門構えの屋敷に連れてこられたことに、驚きを隠せなかった。
     日没直後の薄暗さに加え、屋敷上空を飛び回る烏がおどろおどろしく、もっと幼い頃に寝物語で聞いた御伽噺の挿絵を想起させた。
     森に捨てられた子どもたちがお菓子で出来た立派な家で親切な老婆に助けられたが、じつはその家は子どもを騙して食べようとする魔女の館だったとか、あるいは森の中に住まう狼が、老婆の皮を被って赤い頭巾を被った女の子を騙して食べてしまうのだったか。
     自分を背負う人の良さそうな猟師風の男が、途端に恐ろしい人外のモノに見えてきた。
     あの扉を開けたら最後、背骨の曲がったわし鼻の魔女が、ぐつぐつと煮えたぎる大きな鍋をかき回していて、フェルディナントは服を脱がされ鍋の中に放り込まれて食べられてしまうのでは……そんな幼児じみた妄想が頭の中をよぎった。

     実際にはそんなことは当然無く、正面玄関の扉をくぐれば玄関ホール中は薄暗く、まばらな燭台がわずかな光源となって室内空間を照らしていた。
     フェルディナントを背負う男は、礼服をまとった使用人と思しき人物と二言三言話した後、奥の部屋に通された。
     応接間なのだろうか、この部屋には立派な設えの家具とソファが整然と置かれており、明るい照明に照らされた極々普通の部屋に、得体の知れない不気味な不信感がようやくいくらか和らいだ心地だった。
    「ちょっと待ってな。今この家のご主人様にお伺いを立ててくるから。」
    そういって中年の男は応接間を出て行った。
     残されたフェルディナントに、使用人と思しき年若い女性が温かいココアを出してくれた。怖い目に会って大変だったわね、坊や ――その温かい言葉が、不安に押し潰されそうになっていたフェルディナントにとって何よりもありがたかった。

     程なくして、応接間の扉から現れたのは全身黒ずくめの少年だった。
     ゆるく癖のついた長めの黒髪を後ろで一つに束ね、流した前髪で片目を隠した少年は、まとっている衣服も黒と白が基調で彩度がない。照明に照らされて揺れる金とも薄緑とも取れる左目の鋭い光だけが彼に色彩を与えていた。
     目の前にいるのに恐ろしいほど気配がなく、陽の光に当たったことがないのではないかと疑わしいほどに青白く陰鬱な雰囲気を抱かせる顔色と喪服のような黒服も合間って、さながら幽霊か吸血鬼のような妖しげな存在感である。
    「奇特な来訪者がいたものですな。この森で遭難され難儀しているとか。そもそもなぜこの森に足を踏み入れたのですか。貴殿はこの周辺の集落の住人というわけではなさそうですが…」
     近くで対峙すると少年は自分の背丈よりずっと高い。フェルディナントの母くらいはあるだろうか。とはいえ声変わり途中の掠れ気味の声音と、ズボンやシャツから覗く長く細い未発達の手足が自分とそう歳の変わらない年齢であると伺わせた。
     屋敷の主人と引き合わせる、と聞いて父親と同じくらいの年齢の大人を思い浮かべていたフェルディナントだったが、出てきたのが自分より少しだけ年上の少年であったので、先程安堵で人目も憚らず大泣きしてしまったことが今になって気恥ずかしくなり、平生の気丈さを取り戻してきた。
     「私の名はフェルディナント・フォン・エーギル。君の家人に命を救われた。本当にありがとう。」
     フェルディナントは礼儀として握手を求め手を差し出した。
     「エーギル…?」
     ピクリ、とそれまで落ち着き払った無機質な態度であった少年から、少しだけ棘のついた声で聞き返される。
    「エーギル、ということは帝国宰相エーギル公爵の縁者ですか。」
     父を知っている。やはりここは魔女の館などではなく、きっとどこかの貴族の別荘なのだ。目の前にいる人達も魔女の使い魔などではなかった。フェルディナントは安堵感から更に早口で我が身の置かれた状況を説明する。
    「よく知っているな!いかにも、私は誇り高きエーギル公爵家の嫡子、宰相を務めるエーギル公爵は私の父上だ!この森には父上が狩猟に、と連れてきてくれたのだ。狩りは貴族として当然の嗜みだからね!」
    「ほう、宰相が……」
     少年が口元に手をあて首を傾げる。周囲に控える使用人たちも戸惑ったかのように顔を見合わせている。
     数瞬ののち、その掌の裏から垣間見える口元が邪悪にーー少なくともフェルディナントはそう感じたーー三日月の弧を描く。
    「なるほど、何も考えず父君の背中についていけば絶対に安心だと呑気にかまえていたのでしょうなあ。この森一帯がどのような土地か、知識もなく土地勘もなく、ろくな装備も持たずに狩りですか。挙げ句の果てに単独行動で迷子とは。」
     遥か頭上からハ、と嘲りを込めた吐息が投げかけられる。
    「なっ…!」
     予想もしなかったその発言にフェルディナントは一瞬かたまり、次いで憤慨した。何たる無礼だろう。確かに軽率な行動をとった自覚はあるが、迷惑をかけた父や騎士団の大人にしかられるならまだしも、初対面の、少し背が高いだけの少年にここまでネチネチした嫌みったらしい暴言を吐かれる謂われはない。
     つい先程まで後ろの使用人に抱きついて大泣きしていたことも忘れて怒りが込み上げる。なにも知らないお前に何が分かるのだー
     が、ここでこの少年の無礼を責め立て不興を買い、屋敷を追い出されても困る。
     一瞬カッとなって頭に血が昇ってしまったが、開きかけた口をぐっと噤んだ。
    黙ってしまったフェルディナントを前に、少年はそれ以上畳みかけることはなく、冷ややかな瞳と感情を感じさせない口調で事務的に告げる。
    「無計画に森を歩き回って疲れたでしょう。湯を用意させますからまずは疲れを癒やして落ち着いたらいかがですか。」
     後は任せます。客人として、失礼のないように。背後に控える使用人にそう告げて踵を返す少年に向かってやっとフェルディナントは言い募る。
     「ま、待ちたまえ!まだ君の名前を聞いてない!」
     辛うじて言い返す事が出来たのが、それだけだった。
    「名前?」「人が名乗ったのだから君も名乗るべきだ。それが礼儀だろう。」
     じろり、と少年の値踏みするかのように見下ろす視線を真っ向から受け止める。
    煩わしそうな態度を隠そうともせずため息をつき、再びフェルディナントに向き直る。
    「ヒューベルト、と申します。」
     少年はそう名乗ると、右手を胸に当て、左手を背中に回し会釈する。社交界でも畏まった式典でもなければそうそうお目にかかれない、帝国式の優雅で完璧な、だからこそ嫌みったらしさのある美しい所作だった。

    ********
     (何なのだ、あいつは!!)
     大理石の湯船にたっぷりの温かい湯が張られており、入浴剤が入れられているのか、乳白色をしている。身体中こわばっていた筋肉が解れていく心地よさに思わずため息が出る。しかし今現在最もフェルディナントの頭を悩ませているのは他でもない、あのいけ好かない少年のことだった。
     少年に対する憤怒はまだ収まらない。フェルディナントの怒りの対象は彼ではなく、彼の言動そのものに対してだったが。
     彼が言うことも一理あることは認めるし、実際フェルディナント自身も迂闊であったと思う。だがそれをわざわざ指摘されなければならない理由もないはずだ。
     それにしても腹立たしい。
     貴族として生きてきた中では当然、周囲の人間が善意だけで自分に接してきたわけではないことを知っている。宰相の息子へのこびへつらいだけではなく、ああいった世間知らずの子どもと見くびる蔑視の目には慣れているはずなのに、何故だかあの少年の言葉だけはひどく堪えた。
     「くそっ……」
     悔し紛れにバシャリとお湯を引っ掛けてみたが、苛立ちはちっとも治まらなかった。
     風呂からあがると、医療道具を持った女性が待機しており、清潔な着替え(ただしフェルディナントにはだいぶ大きかった)を渡され、歩き続けて血豆だらけの足に清潔な包帯を丁寧に巻かれた。その後、先ほどの応接室に案内された。
     中にいるヒューベルトが着席を促すままに椅子に座ると、応接室の卓に大きな地図が広げられていた。
     「この森近辺の地図です。屋敷はこのあたり、人が住む集落は一番近いものでこのあたり。貴殿の父君はどの辺りに野営地をとったのか、分かりますか?」
     正直、北も南も東も西も分からない。護衛の星騎士団と逸れたことに焦って、少しでも人が踏みならしていそうな道をがむしゃらに歩き回っていたのだから。
     正直にそう言うとヒューベルトは呆れを隠そうともせずにため息をついた。それで狩りなどよく言えたものだ――蛇のごとき金色の目が雄弁に語っていた。
     だが、この森に来る途中に地元民の集落に寄った記憶はなく、近くに住んでいそうな領民は一人も見なかった。とすれば、父の野営地はまったく村落からは離れていて別方向なのではないか。
     そう自分の考えを伝えると、ほう、と何故か感心したような語調をあげた皮肉げな相づちを返された。
     「わざわざ人里から離れた所で野営…案外、まだ後ろめたい気持ちでも残ってはいるのでしょうか。」
     「え?何か言ったか?」
     「まあいいでしょう。エーギル公の居場所に見当がつかないとなれば、人里に使いをやって公爵にこの場所をお伝えし迎えに来てもらうしかありません。さすがに近場の村落ならば居場所を知る者もおりましょう。公もそちらへ向かっているかもしれません。」
     「思ったのだが、この家にペガサスやドラゴンはいないのか?上空からなら父上の野営の場所が分かるかもしれない。」
    「残念ながらペガサスもドラゴンもおりません。それどころか馬でさえ。森から出て集落に着くには大人の足でもここから徒歩で一日はかかるでしょう。
    早く帰りたいのは分かりますが、お怪我もされているようですし。大人しくここで父君のお迎えを待つことですな。」

    ********

     招かれざる客だというのに、まるで賓客の来訪を予想していたかのように綺麗に調えられた客間の柔らかいベッドでぐっすりと眠ったフェルディナントが目を覚ましたのは、朝どころか太陽がすっかり中天にさしかかった時間だった。
     遅い目覚めにもかかわらず、あたたかな朝食が用意されており、ありがたくそれをいただいたフェルディナントに、無表情なメイドが礼儀正しく腰を折る。
     「主から言付けを預かっております。『陰気な館ですがどうぞご自由にお過ごしください。』とのことです。」
     何か御用があればお申し付けください。無感情なメイドがこれまた堂に入った完璧な礼をしてフェルディナントの面前を辞す。
     主とは、ヒューベルトのことだろう。自分の屋敷を陰気と言う主も主だが、それを一言一句そのままに伝える従者も従者である。
     とはいえ、招かれざる来訪者だというのにまるで賓客のように扱われると、さすがのフェルディナントも恐縮してしまう。
     じっとしているのも性に合わない。幸い、血豆のつぶれた足の裏は昨晩の丁寧な処置によって、フェルディナントの歩行を妨げるほどの痛みは消え去っていた。何か出来ることはないかと、この屋敷中を廻る事にした。

     明るい時間に敷地内を回ってみれば、何ということはない、古びた屋敷である。
     昨夜目にした時は寄る辺なき不安からか夕闇に聳え立つ尖塔が悪魔か魔女の住まう城かと大いに怯えさせたが、明るい昼間に館内を改めて見ると、華やかさはないが静謐さと威厳があり、邸宅の規模としてはそこまで大きくはないと見えた。壁には蔦や苔が張り付いており、天井は高い。装飾に彩度の高い塗料を使わず、直線的な印象を抱かせる石造りの建物は確か百年以上前の帝国建築の特徴で、中に人が住んでいることを知らなければ、打ち捨てられた廃墟だとフェルディナントは思っただろう。
     とても静かだ。人里離れた深い森の中であるのだから当然なのだが、帝都のエーギル邸は常に仕事中の使用人や訓練中の騎士たち、お抱えの楽団の演奏や出入りの商人の元気な声が絶えず聴こえてくる賑やかな館であったから、この館の静謐さは活気や生気に欠けているように思える。

     そういえば、フェルディナントは今日起きてからヒューベルトの姿を見ていない。
     昨日あれだけ当て擦るようなことを言われたのだ。敢えて探そうとも交流を持とうとも思わないのは当然であった。
     そしてすれ違う使用人たちもあまり積極的にフェルディナントに声を掛けるものはいない。それは彼にとっては新鮮なことであった。
     フェルディナントはいつも他者からの注目を集めてきた。人の輪の中心はいつも自分だった。
     誰かに話しかければ、何らかの意図を持って返される。それは媚びであったり、純粋な好意で合ったり、貴族に対しての敵意に近いものを向けられたこともある。
     平民に接すればへりくだられたり戸惑いを持って距離を置かれることもあるし、逆に物怖じしない子どもに出会い、一緒に遊んだこともある。
     貴族であれば宰相の息子である自分に媚びへつらおうとする者もいたし、将来の帝国を背負う者として頼もしい同志となれるだろうという予感を抱ける者もいた。
     いずれにしても、フェルディナントは常に他者からの注目を集める立場にあり、「フェルディナント・フォン・エーギル」に何を求めているのか、幼くとも知らず知らずのうちにそうした他者から求められる役割というものを感じ取るのに敏感になっていた。
     だが、あの少年は奇妙だ。昨日の初対面こそ悪意と嫌味を投げかけられたが、だからと言って嫌がらせを受けているわけではない。むしろ丁寧な扱いを受けている。
     かといって歓待されているとは到底言えない。淡々と、そう淡々とフェルディナントが父と再会できるように準備を進めているだけだ。
     仮に遭難者がフェルディナントでなかったとしても、彼は全く同じ対応をするだろうという予感があった。「フェルディナント」個人に対する関心は全くの「無」なのだ。
     (まあ、行き掛かり上世話になっているだけなのだし。私には関係ないことだ)
     そのはずなのに、こちらばかりが彼を気にしているようで、どうにも虫が好かなかった。
     
     さて、自由に過ごせと言われたが、何をするべきか。自分は招かれざる来訪者なのだから、何か手伝えることはないだろうか。フェルディナントはよく自分の屋敷に仕える使用人の仕事にも興味を示し、機会を作っては手伝わせて貰っていたから、簡単な雑務なら手伝える自信があった。
     中でも得意なのは厩での馬の世話だ。飼い葉を与えたり、毛並みを整えたり。雄々しく立派な馬の世話をするのが好きだった。だが、聞くところによるとこの屋敷に馬はいないという。
     ならば、この雑草が生え放題の庭の草むしりくらいなら出来そうだ。一回り見てきっとこの屋敷の広さに対し、使用人の数が少ない為手が回らないのだろう。
     そう考えたフェルディナントは腕まくりをして、草むらに足を向けた。
    ガシリ、
     突然後ろから、強い力で伸ばした手を掴まれる。
    「ひっ……」
     思わず息を詰める。黒いローブに身を包み、烏のような嘴を模した仮面で素顔を隠した男がいつの間にか後ろから腕を掴んでいたのだ。
    「坊ちゃん、その植物は危険だから触っちゃいけない。」
     恐ろしい人外のものかと一瞬ひるんだが、仮面の下から発せられる声は穏やかな大人の男の声で、恰好が不気味なだけで、仮面の下はただの人間であることが分かり安堵した。
    素手で触ればやけどのように皮膚が爛れてしまうし、花粉ですら大量に吸いこむと危険だよ。
     「あと、これは一応育てているものだから、むやみやたらに踏み荒らさないでくれ。」
    「そ、それなら花壇か何かに植えておくべきだろう!こんな危険な毒草を、直植えで人の手に触れやすいところに放置するなんて、危ないじゃないか!」
    「毒草の見分けが付かない者などこの家には不要ですんでねえ。もともとこの屋敷に客人など訪れませんし。」
     不気味な仮面をかぶった庭師はこともなげにそう言いながら、分厚い革手袋をはめて黙々とむしっていく。
    「子どもには退屈な屋敷だろうねえ。若様からは危険が及ばないように注意しておけってご命令があったから声を掛けたけどね。でもあんまり不用意に探検しない方が良いかもしれないよ。見なくてよいものを見つけてしまうかもしれないからね。」
     穏やかな声で不穏な事を言う。それが子どもを怖がらせようとする冗談なのか本気なのか、その素顔は仮面の下に隠れていて判然としなかった。

     初めはどこかの貴族の所有する別荘なのだと思っていた。しかしフェルディナントは段々とこの屋敷の異質さを肌で感じてきた。
     屋敷は深い森に囲まれ、庭には毒草だらけ。訪れる者もなく、一番近い集落は大人の足でも一昼夜はかかるというのに、屋敷では馬も飛竜も持たないという。
     これではまるで幽閉ではないか——。フェルディナントはそう思い至った。
    エーギル家には縁の無い話ではあったが、紋章を持たないが故に廃嫡されたり、両親に望まれぬ私生児が家の名を名乗ることも許されずに放逐されることも貴族にはあるという。こどもながらに卑怯で無責任な貴族に憤りを感じていた、そして自分の両親ならば、たとえ自分が紋章を持たずに生まれてきたとしても、愛してくれるという確信があった。それが立派な貴族という者だから。
     どんな事情があれ、こどもは親から祝福されて生まれてくるべきなのだ。
     ヒューベルトはそうした身勝手などこかの貴族の私生児なのだろうか——それならば家の名を名乗らなかった、いや名乗れなかったのも納得がいく。
     ヒューベルトが自分に投げた暴言は大層無礼なものであったが、この屋敷の人々が命を救っただけでなく、身に過ぎるほどの厚遇を与えてくれたのもまた事実。
     ならばその厚意にフェルディナントは貴族として応えなくてはならない——

     日没後、ヒューベルトは自室で伝書鳩から届いた手紙を読んでいた。フェルディナントの無事をエーギル公爵に伝える為、森の外に送り出した家人から送られた報告書だ。
     彼らは首尾良くエーギル公爵一行に出会えたそうで、明日には迎えがこの館に到着するだろう。
     失踪した息子の為に大々的な捜索部隊を出そうとしていた公爵はこの知らせに大層喜んでいると書かれていた。手紙の末尾は『貴家と我家の変わらぬ友誼に深く感謝する』という公爵の謝辞で締められており、ヒューベルトは思わず手から生み出した己の闇魔法で書面を跡形もなく消し去っていた。
     ――コンコン、
     控えめに自室の扉を叩く音がする。
    「ヒューベルト様。お食事の支度が整いました。」
    「部屋でとります。いつも通り部屋に運ばせて下さい。」
    「いえ、それが……」
     扉の向こうで侍女が口ごもる。常にない、煮え切らない態度だ。
    「お客人が、共に食事を取らないか、と……」

     ヒューベルトが食堂に向かうと既にフェルディナントは席についていた。
    「こんな大きな食卓で一人で食べるのは味気ないのだ。ほかの皆にも、一緒にどうだ、と声はかけたのだが。」
     食卓の椅子に堂々と居住まいを正して腰掛けるその様は、まるで彼の方が晩餐会の主催者と錯覚させるかのようだった。
     そばに控える使用人たちを見回すが、その反応は苦笑するか困惑するかのどちらかだ。
     家人が困惑するのも仕方がないだろう。多くの貴族と同様、この家では主と使用人が席を同じくし同時に食事をとることなどありえない。常識外れの客人の誘いに対応を苦慮する家人の代わりに、家主のヒューベルトが同席すべきであろう。
     仕方なしにヒューベルトはフェルディナントから見て斜め前に座る。
     元々人の往来のない館である。突然客人が増えたとて晩餐が来客用に豪勢になるわけでもない。
     ヒューベルトにとってはありふれた、フェルディナントにとってはいくらか質素な食卓であった。
     山鳥の肉と細かく刻んだ野菜を卵でとじた簡易な料理で、普段食べている宮廷料理のように洗練されているとは言い難い料理だが、フェルディナントはこれが好きだったので、こんな場所で思いがけず出された好物に素直に喜んだ。
     「この山鳥は昨日私を助けてくれた方が捕ったものだろうか。肉付きがよくて美味しいな。礼を言わせて欲しい。」
     「そうですね、伝えておきますよ、ここでは大抵の食料は自給自足です。私もこの料理は好きですが。」
     「でも少し血抜きが甘いんじゃあないだろうか。」
     「私はこれぐらいが好きなもので。完璧に血抜きされた肉は淡白に感じます。」
     自分から誘っておいてなんだが、気まずい食卓になるのではないかと思われた夕食は食事を通して共通の好みが見出されたことで徐々に会話が弾み、多少は打ち解けた雰囲気が食卓を囲んだ。
     「食後に紅茶はいかがですか。あまり種類は有りませんが。」
     ヒューベルトはいくつか茶葉の種類を列挙した。その中で好みの茶葉を希望すれば、給仕の侍女が上品な茶器を用いて淹れてくれた。
     一方隣のヒューベルトの茶器からは、馴染みのない何かを焦がしたような香ばしい薫りが漂ってきた。
     「それは何という茶葉なのだ?」
     「これは紅茶ではなくテフと言います。テフ豆という豆を煎って細かく砕き、湯を加えて煮出したダグザ発祥の飲み物です。あまり貴族階級では飲まれないようですね。
     帝都ではテフを楽しむためのサロンがあって知識人階級や裕福な商人が好んで飲むと聞きます。」
     何故彼は帝都の文化について詳しいのだろうか。そんな一抹の疑問が浮かんだが、紅茶にはない香ばしい香りはフェルディナントの好奇心を刺激した。
    「召し上がりますか?とても独特の苦味があるので、子供の舌にはあまり好まれないと存じますが。」
    「むっ…君だって子供じゃないか。君が飲めて私が飲めないということはないはずだ。私もいただくよ。」
     子供扱いにムッとして好奇心に加えて対抗心から思わずそう言ってしまった。自分が苦みが苦手なことは自分が一番知っているのに。

     新たに注がれた茶器の中は、嫌がらせで泥水を出しているのではないかと疑わしくなるほどに真っ黒な飲み物で満たされており、思わず手が止まる。
     だがここで後込みしてなるものか。あまり品の無い飲み方ではあるが男気を見せるためあおるように一気飲みし、強烈な苦味に思わず咳き込んだ。
     「っ…!!なんだこれは!まさか毒が!?」
     「くっ……!くく、ふふふ……」
     客人の予想以上の大げさな反応にヒューベルトは思わず気をよくして声を立てて笑った。
     「貴殿のカップには入れてませんよ。テフはその独特の苦味を楽しむものなのです。子どもの舌には好まれないでしょう。糖蜜や牛乳を足すと飲みやすくなりますよ」
     淹れ直してきましょうか、そう言ってヒューベルトは席を外した。

    ********
     厨房でテフ豆を挽くヒューベルトの背後に、気配を消して壮年の男が立ち頭を下げる。
    「ヒューベルト様。あの子ども、本当にこのままエーギル公に引き渡すおつもりですか。」
    「その通りですが。それ以外に何が?」
    「あの子どもは宰相の息子ですよ。エーギルとベストラの癒着を切り離す絶好の機会ではないですか。」
     思い詰めたような震える声音で問い詰める男に、ヒューベルトは振り向かず手を止めることもない。
     「私も父祖の代よりベストラ家に連なる身。その事に誇りを持っております。フレスベルグに仇なすエーギル公へ加担する旦那様のお考えに納得しておりません。
     嫡子を害されたとあればエーギル家とベストラ家に不和が生じるでしょう。宰相一派の結束を揺るがし今一度皇帝派が権力を取り戻す機運も生まれましょう。」
     「不忠者の汚名をそそぐ事が出来なければ、父祖に会わせる顔がありませぬ。この身惜しくは在りません。どうか私にお任せください。処罰は全てこの私が。」
     
     言い募る従者の言を聞いたヒューベルトの反応は冷ややかだった。そもそもヒューベルトより二十ほど年嵩のこの男は館の雑事を取り仕切るまとめ役であるが、身の回りの世話役であると同時に、父親から付けられた監視役でもある。周り全てが信用ならぬ、父親から仕掛けられた罠かもしれない、彼にはその不信が拭えない。何より

    「……?嫡子などまた産ませれば良いだけではないですか。」

     ヒューベルトは事も無げにそう言った。
    「宰相とて息子を殺された程度で協定を反古にするほど愚かとは思えません。私と貴殿の首を差し出して手打ちにするのがせいぜいでしょう。お互い、一つしかない命です。使うべきときは慎重に見極めなければ。私も貴殿も。」

     男は悟った。これは己への不信感から来る方便ではない。一体何を無意味な提案をしているのかと。間違いを諭す風でもなく、純粋に、疑問であると。ただ当然の事実であるかのように述べている。本気でそう考えている。
    (……ヒューベルト様には実感がないのだ。貴族の家にとって紋章持ちの嫡子がどれだけ貴重な存在であるかを。紋章が無かろうともベストラの嫡子として厳しい教育を受け立派に果たして居られるヒューベルト様には。)
     だがヒューベルトの言う事にも一理ある。
     この森に宰相一行が訪れる。その事をベストラ家当主たる侯爵が知らぬことがあるだろうか。嫡男が遭難したことは流石に偶然の産物であろうか、いや、侯爵の人となりをよく知る者であればあるほど、疑心暗鬼になってしまう。何らかの意図があってのことなのか。いずれにせよ迂闊に動くのは危険だ。
     主君の為なら命など惜しくはない。しかし、生憎と命は一つしかない。だからこそ、使うべき時は今ではない。この少年はそう言っている。己よりも遥かにその先を見ている。
    (……少なくとも『今』ではない、か――)
     男はそれ以上何も言わずに一礼して面前を辞した。

     「お待たせしました。どうぞ。」
     何事もなかったかのように食堂に戻ったヒューベルトは自らが淹れたテフと牛乳、糖蜜をフェルディナントに提供した。
     テフを口に含む度に顔をしかめて牛乳と糖蜜を次々と足していく様が可笑しくて、つい笑みを浮かべてしまう。
     「なっ!何を笑って……!」
     「いえ?随分と美味しそうに召し上がると思いましてね?」
     「嫌味な男だな、君は!」


    ********
     ……寝付けない。フェルディナントは寝台の中で何度も寝返りを打った。心臓の鼓動が早くなって、わけもなく気分が落ち着かない。
     寝台に横になっているだけでは埒があかず、こっそりと客間の扉を開けて外にでた。
     静寂が支配する深夜の廊下を、満月が明々と照らしている。誰もいない廊下を歩き、月の光に誘われるようにバルコニーに出て寄りかかった。
     「眠れないのですか。」
     突如後ろから発せられた声に心臓が口から飛び出るかというくらい驚いた。
     「うわあああっ!!ヒュ、ヒューベルトか…驚かせないでくれ。なんでこんな夜更けにこんなところに?」
     「それはこちらの台詞です。貴殿が部屋を出るのに気づいたため追ってきたまでです。」
     「そうなのか、わざわざどうして後を付けた?」
    「貴殿を保護した以上、我々には貴殿を父君の下に安全に引き渡す義務がある。獣が塀を越えて敷地内に侵入する可能性も無くはないのです。」
     「そう、か…それはすまなかった。軽率だったよ。
    なんだか胸がドキドキするというか、落ち着かなくて寝付けないのだ。」
     「先ほどのテフのせいかもしれません。眠気覚ましや強壮剤としての効用があるため、飲み慣れぬ者にはより効果が現れたのかもしれません。」
     会話が途切れ、若干の沈黙が二人の間に流れる。静寂の中で鈴虫の類や夜行性の梟の鳴き声に混じり、獣の遠吠えが聞こえた。
     「夜の森とはこんなにも鮮やかなのだな。こんなに鳥や虫の鳴き声がうるさいとは思わなかった。」
     「当然でしょう。帝都にも緑地はあれど、それは整備された都市のものですから。」
     「アンヴァルに居たことが?」
     何気ない質問にヒューベルトは失言した、とばかりに大きく目を見開いた後、すぐに目を逸らしながらチッと隠すこともなく舌打ちする。
     口も態度も愛想も悪いが、その立ち居振る舞い、所作。やはりヒューベルトは貴族として洗練された教育を受けている。ずっとこの深い森の中で、ごく少数の使用人に囲まれて誰とも交わらず隠されるように育てられたのではないのだ。
    ようやく、彼の事が少し分かった気がして、昼間から抱いていた疑問をぶつけることにした。
     「その……あまり他人の家の事情に深く立ち入るのは不躾ではあると自覚はしている。だが、君がこんな森の中でひっそりと暮らしているのは何か訳があるのか?恩義を受けた者が不遇を強いられているのは心苦しい。もしよければ私が父上に掛け合って……」
     続くフェルディナントの言葉は先ほどよりさらに苛立ったかのような盛大な舌打ちで突然遮られた。
     「……結局はそれですか。そうやって父親の威光に頼りきり、己の無力も自覚できず、自分では何も成せないのに何かを成した気でいる。さすがはエーギル家の嫡子。貴殿は実に貴族らしい貴族だ。」
     詰問するかのように語調鋭くまくし立てながらヒューベルトがツカツカと歩みを進め距離を詰めてくる。青白い顔に煌めく金の眼を間近に感じた一瞬の出来事だった。フェルディナントは首元に何か冷たい金属のようなものが当たっている感触を感じた。
     「この屋敷で、この森で、エーギル公の威光が貴殿を守ってくれますか。」
     無理に感情を押し殺したような小さな声で耳元で囁かれ、吐息が僅かに耳をくすぐる。
     「私が貴殿に頼ることなど億が一にもあり得ません。」
     嘲り、侮り、苛立ち。ヒューベルトから向けられる感情は紛れもなく「敵意」だ。
     厳冬の月のごとく冷え冷えとした視線が至近距離で突き刺さる。そこから目を離すことができない。ヒューベルトが伸ばした腕はフェルディナントの顔の横にあるが、その腕の先にあるものの正体を確かめようと少しでも首を動かせば、この首元に突き付けられた冷たいものが頸動脈まで深く食い込むのではないか。その予感で冷や汗が止まらない。

     どの位の時間そうしていただろうか。永遠にも感じたその時間はほんの一瞬だったかもしれないし、あるいは数秒のことだったかもしれない。
     ふっとヒューベルトの腕の力が緩んだかと思うと、そのまま身体ごと離れていった。
     生命の危機が去ったことを体が認知したその瞬間、ようやく息ができるようになって荒く呼吸を再開する。
     ヒューベルトはもうフェルディナントを見ていなかった。うつむき額に手を当て、大きく深呼吸してから「……失礼を」 目を合わせずに小声で一応の謝罪をすると、そのまま背を向けてバルコニーから出て行った。
    ――彼が背を向けて場を離れても、フェルディナントはしばらくは一歩も動けずにいた。


    ********
     一夜明ければ、馬の嘶きが聞こえ、エーギル公とその配下の騎士たちが屋敷に到着したことを知らせた。随分と仰々しく人数だけはやたらと多い。
     敷居を跨がせることまかりならぬ、と厳命した訳ではないが、家人たちは示し合わせたかのように決然と門の前で公爵を押し留め対応している。
     応対にあたったヒューベルトは、肥え太った公爵の大層な感謝の言葉を半ば聞き流し、別のことを考えていた。
     ヒューベルトはヒューベルトで、昨夜の行いを後悔していたのだ。フェルディナントのあまりの物知らずに苛立ったのは事実だが、己が不快になった、たったそれだけのことで武器を用いてフェルディナントを脅し、口をつぐませたのだ。
     ベストラ家は領地を持たぬ特殊な立場であるが故に他の貴族と異なり、法を超越した権益と特殊な技術、——主に後ろ暗い方向での――を持つのは事実だ。それ故に、その全ては主家たるフレスベルグに捧げるものでなければならない。
     己の欲求を満たす為だけにその技術と権力を行使しないよう、常に己を律しなければならない——そうヒューベルトに堅く戒めた人物こそが真っ先にその掟を破ったのだけれど。
     ヒューベルトが何も知らないフェルディナントに刃を向けたこと。この事はフェルディナントからエーギル公を通して父に伝わるだろう。
     そうなったとき、あの男がどう出るか。今からあらゆる可能性を想定しておかなければならない。
     重く溜め息をつきたい気分だった。これが主君の為ならどんな労も厭わないが、己が失態を尻拭いするためだけにあれこれと対処を練らなければならないとなれば気は重い。有り体に言えば不機嫌だった。
     とは言っても、感情に流されて軽率な行動をとった自分が全面的に悪い。

     帝国の繁栄は我等大貴族の結束にある、息子とともに次代を担う朋友として云々、エーギル公爵の長々とした口上が一区切りついたところを見計らって口を開いた。
    「いえ、このような森の中に住んでいると、世情に疎くなりがちでして。この森一帯はフレスベルグ家の禁猟地としてベストラが管理していたものと記憶しておりましたので。一体誰の許可をとって立ち入ったのかと思えば…。よもやこの森がエーギル家に下賜されていたとは、寡聞にして存じ上げませんでした。しばらく見ないうちに我が父は宰相の猟犬に成り下がったらしい。」
     もちろん、この地がフレスベルグ家からエーギル家に下賜された事実などない。皇帝を蔑ろにし平然と私権の侵害と専横を行う宰相へのあからさまな皮肉にエーギル公はたじろぎながらも鼻白んだ。
     「ベストラ侯は息子の教育に失敗したと見える。子供とは言えこのような無礼な振る舞いは皇帝陛下の従者としての底が知れる。」
     どの口が言うか。どうせならこの恥知らずにもう少し嫌みを言ってやろうかと自棄になり口を開きかけた時、フェルディナントが館から姿を現した。
     途端、エーギル公が駆け寄り大袈裟に喜色満面で息子を抱きしめてては髪が揉みくちゃになるほど頭をかき回し、頬を撫でては息子の無事を確認する。フェルディナントは鬱陶しげだが、父親に会えたことには喜びを隠しきれない。その様をヒューベルトは冷めた目で見ていた。本当ならさっさとこの森を出ていけとばかりにこのまま表面上の無難な挨拶を交わし館に戻りたかったが、昨日の謝罪をまだフェルディナントにしていない。
     そのうち、父の腕から抜け出した彼はボサボサになった髪の毛を整えながら、こちらに向かってきた。その顔は昨晩のいざこざを責めるようでも怯えている様子でもなく、真っ直ぐにこちらを見据え、何かの決意表明でもしようかという強い光を帯びていた。

     「君には本当に世話になった。昨夜から一晩中、君の言葉を考えていたのだ。確かに、私は父上に頼めば何でも叶えてもらえると甘えていた。貴族に生まれたことによる特権を振りかざすつもりはなかったのだが、無自覚だったのだ。君の言葉は鋭くて無礼だが、しかし間違ってはいない。そのおかげで気づかされたよ。だから私は、」
     そういうとフェルディナントはヒューベルトの手をとって両手で力強く握りこむ。久しく感じていなかった他人の肌の温かさに思わず身を硬くする。
    「いつか父に頼らず、私自身の力で、君を迎えに来るよ。君が何の負い目も感じず陽の光の下を歩けるように、私が変えてみせる。」
     
     情熱的だった。まるで騎士道物語に登場する騎士が深窓の姫君に求婚するような口ぶりである。
    ヒューベルトは呆気に取られてしまった。この少年は一体何を言っているのか。
     用意していた謝罪の言葉を続けることも出来ず、ただ口を間抜けに開けたまま立ち尽くすヒューベルトをよそに、フェルディナントはそのままエーギル公が用意した馬にまたがり、大きく手を振った後で背を向けて、森の中へと消えていった。
    取り残されたヒューベルトは思考回路が立ち直った後、ただ一人こう言い放つしかなかった。
    「………………はぁ?」

    ********
     「まるで子どもの好む御伽噺の王子のようなことを恥ずかしげもなく言い出したものですから。思わず開いた口が塞がりませんでしたな。」
     クスクスと忍び笑いが響く屋敷の一室には一つの寝台、その上に大の男二人が寝そべって、酒宴を交わすという何ともだらしない空気が充満していた。
     「う、まあ私もあの後、君がベストラ侯爵家の嫡男だと聞かされた時には自分の見当違いに頭を抱えたものだが。」
     「おや、そうだったのですか。てっきりあの時のことなど都合よく忘れているのかとばかり」
     「そんなことはあるものか!私は、あの後も君のするどい言葉を胸に刻んで時折思い出し自問していたのだ。私の信ずる貴族とは何か、父上の子としてではなく、エーギル家に、貴族に生まれたからには成すべき事があるはずだと。……だからこそ、次に君と会った時にはエーデルガルトの後ろにくっ付いて唯々諾々と従うだけの腰巾着に見えて、正直失望したよ。あれだけきつく私の甘えを批判しておきながら、と」
     それにあの頃には流石に七貴族の変の概要位は知っていたからな。幼い君の辛辣な態度の理由も分かっていたし、流石に気恥ずかしくてな…
     「エーデルガルト様が王国に亡命して以来、私は一時的にアンヴァルの宮城からは遠ざけられていましたから。あの男にとっては、先帝陛下を差し置いて政権を掌握するのに私が邪魔だったというだけでしょう。」
     「今だから言うが、私はあの後本気で考えていたのだぞ!君をあの森から救い出す方法をだな、私は……無知な私だけが空回っていたのだな。笑わないでくれ、恥ずかしい。」
     ヒューベルトが悪戯っぽく揶揄う笑みを浮かべる一方、恥ずかしそうに目をそらすフェルディナントの頬が紅潮しているのをかわいらしく思う。
     ヒューベルトも子供の頃の無知から来るささやかな勘違いなど、今更何度も責め立てるような行為は性に合わないのだ。
     「私はあの後程なくしてアンヴァルに戻されましたので、幼き貴殿の可愛らしい決意は叶いませんでしたな。」
     「か、可愛い!?君の口からそんな言葉が出てくるなんて、……何ということだ。幼い私に嫉妬してしまいそうだ。」
     今でも可愛らしいと思うことがありますよ、と言えば喜ぶだろうか。君の前ではいつだって格好いい自分でありたいのだ、と常日頃から公言している男だというのに。

     七貴族の変に際し、父ベストラ侯爵に真っ向から反発したヒューベルトは、父に捕らえられた後フレスベルグ領内のベストラ家別邸へと移された。外部との連絡手段も限られた森の中で一年以上の幽閉生活ののちアンヴァルに戻されたころ、すでに宮城は宰相一派に牛耳られた後だった。
     父の裏切りを知り、仕えるべき主を失い、不安と焦燥を抱えていたとはいえ、当時は随分と幼稚な真似をしたと今にして思う。
     今思えば、あの時期も無駄ではなかった。監視として付けられた家人の中から、父の息がかかった者、古来よりベストラ本来の務めを忘れていない者を峻別し、家中でヒューベルトの意に沿う派閥を構築する準備期間でもあった。現在ヒューベルトが信を置き、ベストラ本邸の一切を任せている家令が、あの時フェルディナントを殺そうと進言したことなど、今のフェルディナントは知る由もないだろう。
     当時のヒューベルトは幼く、同年代の多くの子どもがそうであるように、自分の周囲が世界の全てだった。
     ヒューベルトにとって父親と言われて思い浮かべる像は自身の父親しかおらず、嫡子の一人や二人殺された程度で、折角握った権力基盤に亀裂を入れる感情的で愚かな父親など居るはずがないと確信していた。
     しかし本当はどうだったのだろうか、先の宰相は権勢欲の深い醜い男ではあったが紛れもなく妻と息子を愛していたのだろう。フェルディナントは両親から惜しみない愛を注がれて育ったゆえに自信家で、根拠なく他者の善意を信じることができる。何事にも真摯に取り組み、結果が出せるかもわからないからと言って努力を怠らない。そして己の間違いは素直に受け止め改善し向上させ、前進する気概を持ち続けている。
     あの時彼を殺していたら、もしかしたら家令の進言した通り、七大貴族の結束に亀裂を入れ、フレスベルグ家が権力基盤を取り戻し、闇に蠢く者どもの甘言に乗った貴族どもに帝政を牛耳られることも、主君があのおぞましい実験に巻き込まれることも、なかったかもしれない。
     しかし、もしもを夢想するのは詮ないことだ。事実として主君は虐げられ、絶望し、しかしながら自らの力で立ち上がった。戦いは起こり、そして我らは勝利した。女神の力でも無い限り、時を巻き戻してやり直すことなどできはしないのだから。

     「エーデルガルトは、彼女が亡命中に私と君が出会っていたことを知っているのかな。」
     「どうでしょうか、私から話した事はありませんから。御存知ないかと。」
     「丁度良い。じゃあ私たちが初めて出会った時の事については今後もずっとエーデルガルトには秘密にしておいてくれ。」
     「構いませんが。しかし秘密にしなければいけない程の話でもないでしょう。やはり恥ずかしいのですか。」
    「しつこいな君も…そうではない。君とエーデルガルトの間には、私が割り込めぬ話が沢山あるのだから。良いだろう、一つぐらい。私と君、二人だけの秘密があっても。」
     ヒューベルトは生涯エーデルガルトの従者以外にはなれない。自分自身がそう決めた。フェルディナントも同じく、己が己自身に定めた在り方で帝国に殉じるのだろう。
     それでも何か、主君を介さない「フェルディナント」と「ヒューベルト」だけの秘密が欲しい、と。こういう所が愛しいのだ。
     「一つ、でよろしいのですか?」
     「ん?」
     「これから先いくらでも作れるではないですか、私と貴殿、二人だけの秘密は。」
     「ヒューベルト……!」
     軽い衝撃を感じヒューベルトの身体は寝台に沈み込んだ。次いで、酒瓶が倒れ中身が零れる水音が聞こえた。
     明朝は揃って侍女に説教を喰らう羽目になりそうだ。そう予感しながら、今はこの豊かな長髪に抱かれることを選んだヒューベルトは、穏やかな笑みを浮かべてフェルディナントの背に手を回した。
     
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    nabe

    DONE書きかけのやつに反応頂けたのが嬉しいのでこっちも更新

    フェルヒュー子どもの頃に出会ってたらいいなというよくあるやつと御伽噺の魔女兼お姫様概念のヒュが書きたかった
    魔女の館鬱蒼と生い茂る高木の隙間から差す木漏れ日すら翳りがみえだした。もう日が沈んでしまったのだろうか。徐々に近づく夜の気配はより一層フェルディナントを不安にさせた。どこか遠くの方で狼の遠吠えのような声が聞こえた気がする。
     今にも泣き出しそうな顔で辺りを見回すが、視界に入るのは同じような木々ばかり。今自分が歩いてきた方角さえ見失いそうな、同じ光景ばかりである。

     こんなはずじゃなかった。フェルディナントは何度目か分からない自問自答を繰り返す。フェルディナントは今日父に連れられてこの森に初めて狩猟を行うために来た。騎士道を尊ぶファーガス神聖王国程ではないが、アドラステアの帝国貴族にとっても狩猟とは舞踏会と同様に重要な社交の場である。フェルディナントもいずれ本格的に武器を持ち、立派な貴族としてまた戦士として、多くの貴族とともに雄々しく狩りに勤しむことになるだろう。その教育の最初の一歩として父に連れられて、この森を狩場とし初めて狩りというものを経験しに来たのだ。
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