宿伏版ワンライ
(プレゼント/牽制/香り)
呪専宿、if高専
宿→→(?←)伏
計略家な宿と狙われた鈍感伏のお話
ベッドヘッドを背もたれに足を投げ出して本を読んでいた時、ページを捲った瞬間にピリッとした痛みを感じて、ああ…しまったな。と内心で舌を打つ。
「ッ…」
「どうした?」
ページを捲った際に左手の人差し指を切った。
小さな鋭い痛みに息を呑んだせいか俺の様子に気付いた宿儺が、キッチンからコーヒーを入れたマグカップを両手に戻ってくる。
犬のデザインが描かれている色違いのマグカップをローテーブルへ置いてすぐに宿儺がベッドへ近寄ってくる。
「紙で切った」
「治してやる、見せてみろ」
ぷくっと小さく浮き出てきた血を見れば傷口も薄らと浅いもので、拭き取ってしまえば簡単に止血できるだろう傷だ。
傷を見た宿儺が小さく眉を寄せ俺の手を取ろうとしてくる。
紙で切った傷は小さくてもジンジンと痛む…ただ、態々反転術式を使ってまで治す必要性も無くて宿儺の手を反対の手でやんわりと押し返す。
「これくらい平気だ、、」
"舐めれば治る"
そう続く予定だった言葉は喉で詰まってしまった。
というのも指を口へ持っていく途中で宿儺の空いた片手に捕まってしまいそのまま傷付いた指が宿儺の口内へ迎え入れられる。
「ッ、おぃ、宿儺!」
「ふん…」
ぬるりと生温かい感触に鳥肌が立ち傷口がチリッと小さく痛む。
慌てて離させようと頭を押したところでびくともせず不満そうな宿儺が目を細めて、ぢゅっと音が立つ。
「汚いだろっ、離せ」
ぬろぬろと舌が動き回って傷口から宿儺の呪力が流れ込んでくる。
舌が這うたびにチリチリと痛みを訴えていた指はいつの間にか痛みが引いていて、満足した宿儺の口から指が解放され唾液が糸を引き宿儺の顎を汚す。
解放された指を見てみれば唾液で濡れているだけで傷は綺麗に治っていた。
「っ」
「どうせ舐めるなら俺が舐めようが問題無いだろ。」
「…い、や、問題あるだろ」
不満そうな俺を見てまるで正論を言っているかの様に言い切る宿儺の言葉に一瞬それもそうかと納得しそうになって首を振る。
他人の体液、しかも血液を摂取するなんて感染面を考えても良く無いだろ…
「俺が無いといえば無い。それよりも手が乾燥しているな…少し待ってろ。」
何がおかしいのか分からない、そんな表情を浮かべる宿儺の指が俺の手の甲を滑って眉を寄せる。
乾燥していると言っても俺にはあまり違いが分からなくて宿儺が立ち上がり自室へ戻っていく背中を見送る。
ベッドサイドに読んでいた文庫本を置いてベッドから足を下ろして座る。
少ししてから宿儺が持ってきた缶は初めて見るもので、それを持って俺の足元へ膝をつく。
「ハンドクリームか?」
「まぁな、身体にも使えるやつだが」
「ふうん?」
手の平に収まる缶の蓋が手慣れた様に開けられて、白いクリームが入っているのが見える。
何度か使っているのか掬った跡があって、緩やかにツノが立っているところを見るに柔らかいクリームなのだろう。
「恵、手を出せ」
「ん」
中指で少し多めに掬い取られたクリームが宿儺の手の平に移されて、大きな手で器用にクリームを溶かして伸ばす。
宿儺自ら塗ってくれるのだろう…
何度か手を捏ねる様に動かしたそこからふわりと嗅ぎ慣れた匂いがして、スンッと鼻を鳴らしてみる。
柔らかい白檀の匂い
深く息を吸えば肺に満たされるその匂いに心地よさを感じる。
「お前の匂いがする」
「そうだな、よく使うからな」
「良い匂いだな、好きな匂いだ」
「……、そうか」
宿儺にそっと右手を取られて広がる匂いに好きだと伝えれば少し驚いた様な表情の後でなんとも言えない様な顔をする。
なんだ、その表情…
チラリと盗み見た宿儺の顔に首を傾げながら手元へ視線を戻す。
俺の指よりも太くてがっしりとした手に包み込まれて指の腹がクリームを塗り広げる様に動き、時々手の筋肉を揉みほぐされる様に力が込められる。
何故だか少しだけ宿儺の呪力を感じる気がする…
「痛くはないか?」
「ん、気持ちいい」
俺を見上げてくる宿儺の言葉に頷けば、満足そうに目が細められ綺麗に揃えられた爪が俺の手の平を擽ってくる。予想していなかった手の平に走る擽ったさに思わず手が引ければ、小さく笑った宿儺の手が今度は指を包み込んでくる。
さっきまで本を読んでいたせいで少しだけ冷えている指へ宿儺の体温が移ってきてぽかぽかと暖かくなってくるのが分かって、宿儺の手が俺の指の一本一本を優しく包み込み根本から指先にかけてゆっくりと揉み込んでいく。
暫く続けていれば血行が良くなってきたのか、じんじんとした熱を手に感じ始める。
「反対の手を出せ」
気持ち良さに眠気を誘われながら右手は終わったのか、左手を出すように促される。
言われるがまま、左手を出せば左手も同様に手の平からゆっくりと揉み解しながらクリームが塗り広げられていく。
「…楽しいか?」
ふと、そう思った。
俺の部屋の床に膝をついて大きな身体を丸めて俺の手を両手で包み込む男…
特級の位を持ち、何事にも興味を示さない男のあまり動かない表情筋が緩んでいる様に見えたから。
真剣な目をしながら人の手のケアをするのも珍しくて、つい声に出して聞いていた。
俺の問いかけに手を揉み込む動作を止めて俺をじっと見上げてくる宿儺の瞳にどきりとする。
宿儺の瞳をまじまじと見たことは今まで無くて、濃い紅色に思わず見入ってしまう。
俺が持たない色は凄く綺麗で暖かい色をしていた…。
「ああ…何よりもな」
「?そうか」
何を考えているのか分からない瞳がスッと細まったかと思えば柔らかく笑いながら呟いた宿儺に今度は心臓がきゅんと締まった気がした。
見たことのない表情に目を丸めていれば止まっていた宿儺の手がまた動き始める。
「お前の戦闘スタイルを鑑みるに手には気を付けているのだろう…何かあれば俺の所に来い。」
あの女のところに行くよりは気を遣わなくて楽だろう。と付け足された言葉にはなんとも言えなかったけれど宿儺がそれで良いと言うのならと頷く。
それから暫くの沈黙が流れて、相変わらず宿儺は真剣に手をマッサージしてくれていて、なんとなしに宿儺を眺める。
「このクリーム、何処で売ってるんだ?」
「…特製だ、気に入ったのならお前にやる。」
「え、良いのか?」
「ああ、使いかけだがな」
特段意味はなく発した言葉が思いもよらない方向に進んでしまって驚きながらも、くれるという言葉にパッと食いついてしまう。
今使っているハンドクリームは少しベタつき油味が多いものだったため新しいものを買おうと思っていた所だった。
「でも特製なんだろう?」
「気が引けるか?そうだな…それなら時間がある時にまたこうやってお前の手に触らせろ。それで良い」
特製…と言うことはそれなりに値段が張ると言うことだ。そこに気後れして伺う様に宿儺を見れば俺の考えている事に気付いたのか少し考える素振りを見せてから両手を包み込まれる。
「そんなので良いのか?」
「ああ…、終わったぞ」
「ん、分かった。ありがとうな」
ぎゅっと握られてから解放された両手は驚くほど軽くなっていて何度か確かめるために握ったり開いたりを繰り返す。
冷えていたのが嘘のように手からの温もりが全身に広がっていく感じがして凄いな、と小さく言葉が溢れる。
すくりと立ち上がった宿儺がローテーブルに置いてあったマグカップを持ってまた戻ってくる。
「少し冷えたな入れ直すか?」
「いや、いい」
片方を差し出されて受け取ればまだじんわりと温かいのが伝わってきて両手でマグカップを持ち、ひと口飲む。
コーヒーは少し温いが匂いは落ちていないし味も美味しい…
いつも宿儺の淹れてくれるコーヒーは美味しくて、同じ物を使っている筈なのに違いが出る。
マグカップの中の揺れる水面を眺めて何が違うのだろうかと考える。
「なぁ、宿儺…」
考えたところで結果何も分からず隣に座っていた宿儺に聞けば良いと顔を向けたところで、あの紅色の瞳とばちりと目が合う。
思わず息を呑みこっちを見ていると思わなかったからぎくっと肩が跳ねコップからコーヒーが溢れそうになる。
呪霊に向ける瞳とは違う色合いの視線…
他の同級生や先生に向ける色とも違う。
落ち着かないような、心地いいような…どっちつかずなその視線にこくりと喉を鳴らして、言葉の次を促す宿儺から視線を外す。
「…コーヒー作る時に何か特別なことでもしてるのか?」
「いや、何もしていないが?」
「…そう、か」
沈黙…
何もしていないとなれば本当に自分の舌が可笑しくなったのかと疑わしくなる。
もう一度、マグカップに唇をつけてコーヒーを口に含む。…やはり自分の作る時とは違う味に首を傾げるしかない。
そんな俺の行動を笑ったのか、隣から小さくふっと漏れ出て聞こえた宿儺の声に目を向ける。
さっきと変わらない柔らかな色合いの筈なのにその中に真剣味を帯びている瞳が俺の事を見詰めていた。
「お前が望むのならいつでも、いくらでも淹れてやる。」
横から覗き込まれるように見詰められている事にじわじわと全身が熱くなり、手の平に汗が滲む。
どういう意味なのか…
単なるコーヒーを淹れる話の筈なのに、重くて、簡単に答えてはいけない雰囲気を感じる。
宿儺の真剣な言葉に揶揄いの意味はなくて、はくはくと唇が言葉を探す。
「それは…流石に申し訳ないだろ」
辛うじて押し出した言葉は同級生として、特級の任務を請け負う彼の忙しさを考えての言葉だ。
なぜか、隣にいる存在に緊張しているのか…
ドッドッと速く強く鼓動する心臓の動きを自覚して、喉の渇きに再びコーヒーに口をつける。
単なる友達…同級生。
コーヒーなんて別に美味くても不味くても、習慣と暇潰しに飲む様なもので特別でもない。
それなのに…こんなに意識させられる。
突き刺さる視線にマグカップを包み込む手に力を入れて耐えていれば、宿儺の声が低くゆっくりと俺に向けられる。
「伏黒恵、…分からないか?」
「…ッ」
咽喉から悲鳴が上がりそうになってひゅっと空気が音を立てる。
宿儺の好意を甘んじて受けてきた自覚はある。
気を付けなね?と宿儺の双子の兄に幾度となく忠告も受けていた。
それをまともに取り合わなかったつけが今、きた…
驚きと混乱で固まる俺の手からマグカップを抜き取った宿儺の手がそれをサイドボードへ置くのがスローモーションの様に見えて、気付けばベッドへ押し倒されていた。
「は…」
横に座ったままの宿儺が覆い被さるようにベッドへ手をつき、距離が縮まる。
息が詰まって、碌に呼吸すら出来ない…
愉しげに細められた瞳が俺の顔を映していてそこに映る俺はまるで怯えた草食動物のようだった。
グルグルと喉を鳴らす獰猛な肉食動物へ目を付けられていた事にすら気付いていなかった愚かな草食動物…
「そう怖がるな…取って食ったりはせん、まだな」
「ッ、すく、な…」
「やっと分かったか?」
するりと頬を撫でられたかと思えば、白檀の香りが漂ってきて余計に意識させられる。
すりすりと肌の上を何度も往復する宿儺の指が少しずつ移動してそこにあるのを確かめるように柔らかく唇を撫でてくる。
「ッ」
「恵」
ドキドキと高鳴る胸に呼吸が苦しくなる。
宿儺は同級生だ…、そう思うのに次から次へと疑念が溢れ出してきて普通は同級生に感じる事のない感情が蟠(わだかま)る。
自分の抱いてるこの感情は同級生の枠に当て嵌めていいのか、それとも別の、もっとしっかりとくる枠組みがあるのだろうか、ぐるぐると回る思考についていけなくなる。
「伏黒恵…お前は俺の唯一だ、お前が望むのなら何だってする。出来る事ならお前の隣は俺のものであって欲しい。気は長い方だ…存分に考えろ。お前が俺の事を考えている時間すら愛おしい。」
こいつ、こんなに喋る奴だったか?
そう思えるほどに羞恥心を煽るような言葉がすらすらと口から吐き出されてその口を両手で覆いたくなる。
驚きで脱力してしまったかのか、俺の身体は全く動かなくて、どうか早くその口を閉じてくれと念じていると俺の跳ねる髪の毛が後ろへ撫で付けられ、甘く蕩けそうなほど優しい瞳が降ってくる。
ああ、キスされる…
それは期待か怯えか。
どちらか分からない気持ちに翻弄されている俺の額にふにりと柔らかな感触が押し当てられてゆっくりと離れていく。
雰囲気に呑み込まれて声すら出せない。
柔らかく笑う宿儺を初めて目にして、その表情を向けられていることに擽ったさを感じる。
今日初めて知った事実に慌てふためく俺とは違って、宿儺はずっと落ち着いていた。
いつから俺の事を…、なんて思いながらも額に押し当てられた唇が離れて開けた距離に寂しさを感じる…。
きっとこの感情は既に友達の域を脱している。
「待つとは言ったが、深く考え過ぎるのはお前の悪癖だったな。近いうちにまた尋ねる。それまでに考えておけ」
「…分かっ、た」
ぼーっと回らない頭で辛うじて頷いた俺にふっと笑った宿儺の手が伸ばされて頬を撫でられる。
それからゆっくりと目元を指が擦って、手が離れていく。
少し物足りなさそうな宿儺が俺から視線を外して、立ち上がる。
「そのまま寝るなよ、風邪を引く」
「…ん」
ひらりと手を挙げて背を向けた宿儺が扉の前で一度こっちを振り向き揶揄う様に言って静かに扉が閉まる。
見送るために頭だけを辛うじて持ち上げていた体勢から力を抜き、頭をベッドへ落とす。
「…はぁ、、、まじかよ」
宿儺の居なくなった空間…
身体が熱くてじわじわと頬に熱が集まる。
誰に見られるわけでもないのに赤面するのが恥ずかしくて両手に頬の熱を分け与える様に顔を覆えばふわりと白檀の香りが香ってきた。
end.