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    oto_882

    @oto_882

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    oto_882

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    タイシンが屋上でチケットの事を色々思い起こしたりするチケタイ話です。(タイシンとチケット二人ともに両片思い状態な感じです)

    Untitled 14 seconds mp4「うわ……いつの間にこんな容量圧迫してたの」
     スマホ画面を見ながら吐き出されたアタシの独り言は、春もとうに過ぎ去ろうとしている新緑の季節の生温い空気の中で、直射日光を浴びたチョコレートみたいにゆるゆると溶けていった。

     午前の授業も過ぎた学園の屋上。
     今日は誰もいない。
     建物に鋭角な影を形作る太陽の光。
     遠くの方で聞こえる生徒たちの声。
     寒くも暑くもない五月晴れの下で。

     アタシは片膝つきながら、軽めの昼食を食べ終えた。

     屋上は、どこまでも、穏やかだった。頬を撫でる風すらもささやかな衣擦れみたいな感触を残すだけだった。

     日常のあわただしさや、過酷なレースのトレーニングの日程のスキマにぽっかり顔をのぞかせた、真空ポケットみたいな場所。

     そのうち、あの騒がしいあいつが……チケットがまたここにやってくるのかもしれない…しれないけれども。もうそれはその時だ。
     きっと今頃、アタシの行先をあれこれ探しつくして、きっとこの屋上も当然その候補に入ってるだろうし。まあ、今更。今更だよね。もし本当にここにやってきたって、もうアタシは動じたりはしない。
     ちょっとしたサトリの境地ってやつだ、これは。
     たぶんハヤヒデに言わせたら、そういうのは仏教の悟りとはだいぶ違うぞ――なんてお説教が始まりそうだな、とか思いつつ。


     そんな感じで。ちょうど日が当たらないいつもの場所で、壁にもたれかかって、スマホの中身を見ていた。ちょっとここのところ、気になってることがあったからだ。
     ここ最近、スマホゲームのローディングがやたら重く感じられることが多くなった。それで、スマホん中のデータ容量を確認したら。案の定。
     容量を示すグラフの棒が伸びきって、真っ赤な色に染まっていた。
     アタシとしたことが、こういう所で杜撰なザマを見せるなんて。なんだか口惜しい。
     チケットのデカボイスを日常的に耳に吸収しすぎたせいで、アイツのずぼらさまで一緒くたに吸い込んでしまったんじゃないかと思いそうになった。
     ……ん、いや。(いくら相手がチケットでも)人のせいにしちゃいけないな。気になるゲームアプリはとりあえずダウンロードしておくか……の精神が仇になって、この結果なんだから。

     そんなわけで、屋上で一人、地道なスマホのデータ整理作業に精を出すことになっていた。

     ――そうして、十分前後は作業に没頭していただろうか。

     ロクにプレイしなくなってたゲームやら、不要なアプリなんかもあらかた削除して。
     よし。これで大分容量も軽くなった筈。


     そして。ついでだから――ってことで、写真や動画の入ったフォルダも、確認してみた。
     写真動画データなんてまあゲームに比べればそれほどの容量も食わないだろうが、一度整理し始めたからには、キッチリ隅から隅までやり切らなきゃってなるのがアタシの性分だ。
     幸い昼休憩の時間はまだまだ残ってる。
     ということで、さっそくフォルダ内を覗いてみると――。

    「へーー……、——こうして見ると……写真とか随分たくさん撮ってたんだな」
     思わず、またそうして独り言ちる。

     元から一人で出かけて、公園の猫だとか、写真撮影可の水族館の水槽だとか、そういったものは以前からちょくちょく、写真や動画に収めていたりしたけれど。
     ここ数年は――明らかに、それ以外のものが増えた。
     それは言うまでもなく、この学園に入って。
     あの二人と、チケットとハヤヒデとつるむようになってからだ。
     タイシン写真撮って~だの、タイシン一緒に写真を撮ろうかだの、とにかくあの二人は事あるごとに写真を撮ることを要求してくる。チケットだけじゃなく、ハヤヒデもだ。
     そのうちにアタシも、二人がバカなことやってる所の写真を勝手に撮ったりだとか、そんなことするようにも徐々になっていって。
     せっかくだからこの写真おそろいのスマホの待ち受けにしようよ~みたいなバカの言う事はスルーしていたけども。


     そんなことをつらつら思い出しながら、アルバムをスクロールしていくと――。
     とある動画ファイルのサムネイルに目が行った。

     ん。なんだったっけな、これ。
     覚えがあるような。ないような。
     ――いや、やっぱ、全然分からない。
     自分で撮ったものなのに。何の映像なんだか、これっぽっちも思い出すことができない。

     それは、ただただ、やたらと白っぽいだけの、ぼやっとした不明瞭な画面で。
     0:14——という数字だけが下部に表示されてる。
     サムネの画像だけでは、いったい何を撮影したものなんだか、皆目検討がつかなかった。
     そんな、なんだか訳も分からないものに、——不思議と。指が引き付けられる。
     そして。そいつにタッチして。拡大する。

     スマホ画面いっぱいに表示された動画の、「再生」のインターフェース記号を押すと――。


     画面で映り始めたのは。
     誰一人として視界に入っていない銀世界。
     季節は冬。——ま、そんなのは再生前から(時系列順でフォルダに並んでた位置からして)分かってたことではあったけど。
     周囲は真っ白な雪に覆われて様変わりいるけれども、そこは見慣れた雰囲気の風景で——おそらく、学園から寮に戻るまでの道のりの、あの辺りだろう――という、そんな撮影場所の推察をするのは、比較的容易だった。
     さて、何なんだろうなこれは――と思うや否や。

     画面に、チケットが。
     彼女が、元気よく入り込んできた。

     寒さにめっぽう弱いアタシと比べて、いつどんな時だろうと体温が高そうなバカチケットでも、流石にこの頃は学園指定のPコートをしっかり着込んでいる。
     でも、そんな冷え込みが心身に応える時期であろうにもかかわらず。彼女は普段通り、元気いっぱいにそこらを走り回って、飛び跳ねてる。
     スマホを構えてる撮影者のアタシは、チケットの無軌道な動きについていくのに大層苦労したと見えて、彼女を画面に収めるべくカメラがあっちへ行ったりこっちへ行ったりとやたら忙しない。
     ったく、おとなしくじっとしてろってのバカ、と、この動画を見てるこのアタシの口から思わず声が出そうになったくらいだ。まるでトリミングできゃんきゃん動き回りたがる子犬を見つめてるみたいな気分。

     そんな様子が数秒続いて――すると、前後左右に動き回ってたチケットが、こちらに、カメラ側に向かってくる。アップになった彼女は、笑顔全開で両手をぶんぶん振りながら、こちらに向かって、大きな声でしゃべりかける。

    『——えへへ!! 大好きだよ――、タイシン!!』

     それから、アタシの声。

    『……何言ってんだか。バーカ』

     それから数秒後。
     動画再生はぷつっと終了した。

     ――トータル14秒。


    「……はあ」
     スマホから目を離して、ため息をついた。

     いつもの光景。
     何の変哲もない日常。
     ルーティンめいた会話のやり取り。
     特別な物なんてなんにも感じられない。

     そんな14秒間。

     こんな動画。別段、特に残しておくほどのものでもないように思えた。
     なんでサムネでこの動画が気になったんだか。自分でもよくわからない。
     それくらいに。ありふれたワンシーンの切り取り。
     というかさ。なんでこんなの撮ってたんだっけな。いまだにさっぱり思い出せない。
     まったく、数か月前のことですら、当時のことをすっかり忘れてしまっているものなんだ。――というか、そもそも、あんまりにもどうでもいい思い出過ぎて、とっくにデリートされてしまっていたに違いない。
     
     それでも――それでも、なんとなしに気になって、この動画を録画し始める――その数秒前の出来事をなんとか思い出そうと試みる。


     おそらくこの日。スケジュール上、室内トレーニングを早めに切り上げて、帰宅の途に着くタイミングのかち合ったアタシとチケットは、二人そろって学園から出たところだ。
     周囲に人のいる気配はなかったーーのだから、二人っきりで雪道をてくてくとそぞろ歩いてたに違いない。そのまま寮に戻ったのか、どこかに寄り道でもしたのか、そこまでは分からないにせよ。

     雪が微かにしんしんと降り積もる、冬の帰り道。
     チケットが今日の学園での出来事だとか、次に出るレースのことだとか、そんな話をのべつ幕無しにぺちゃくちゃしゃべりかけてきて。あーはいはい分かったから。もうその話何べんも聞いたから。アタシは生返事で彼女の会話に合わせて。
     
     きっと――きっとそんな具合の。いつもの日常で。

     そして、チケットがふいに、何かを思いついたように、突然言い出す。

     ――ねえねえタイシ――ン!! このへんの雪景色すっごーいキレイだねえ!! ……あっ!! そうだそうだっ、写真撮ろう撮ろう~!! ……あ、動画の方が良いかな! こーやって雪がチラチラキラキラ~って降ってきてるのも一緒に写しときたいから――!! ね、一緒に撮ろうよ~!!

     アタシはそれに、しかめ面でこう返す。

     ――何だよそれアホらしい、いつもの帰り道だろ。そんなんアタシはいいから……って、おいおい、そんなくらいで泣くなっての、もう……分かったよ、ほら、アンタだけでも撮ってやるから、そこ立ってなよ。あ、こら、動くなってのバカ――。


     こんな――こんな他愛ないやり取りが、あった――のかもしれない。
     アタシの大脳皮質にかろうじてへばりついてるあやふやな記憶と、「きっとこんなだったのかもな」っていうただの推測——その境界線が曖昧でぼやけてふやけて、現実とも幻想ともしれないチケットの姿と声を作り上げた。

     ――――。

     ――いやいや。っつうかそんな経緯なんて、やっぱどうでもいい。いいんだよ。それよりこの動画どうするかってことだよ、まったく。
     消す――まではしなくても、まあクラウドのストレージにでもとりあえずテキトーに放り込んでおけば、それでいいだろ。こんなん。
     実際、別になーーんも大したもんじゃなかったし。



     ――そう頭で思いながら。

     指はもう一度。

     動画の再生を押した。


     雪景色。
     チケットの声が流れる。
     アタシの声も流れる。

    『——えへへ!! 大好きだよ――、タイシン!!』
    『……何言ってんだか。バーカ』

     動画が途切れる。
     寸分違わずさっきとおんなじ光景を流した後で。


     ――。
     ん?
     えっ?
     あれ、何やってんだろ。アタシ。

     こんななんでもないような動画、なんでまた再生しちゃったんだ?
     寸分違わず——って、そりゃ、当たり前過ぎるだろ。
     録画したデータなんだから。
     ワケわかんないな我ながら。

     いや、まあ、確かにね。
     アイツが――現実の/幻想のチケットが、言った通り。
     雪の積もりきった学園外の風景は、それなりに綺麗だよ。
     うっすらと舞い落ちてくる粉雪も、まあまずまず、良い感じのフンイキ醸し出してたし。
     うん。ま、確かにさ、悪いもんじゃなかったけどさ。
     でもま、かといって、そこまで――っていう程度でもないじゃん。
     やっぱり、このまま残しとかなくても――――。
     ――――。


     親指が。
     もう一回。
     手垢のついた液晶画面をタップ。


     動画がリスタート。
     雪がちらついてる。道路や建物の端々にまで積もっている。
     チケットが画面に映る。

     ——えへへ!! 大好きだよ――、タイシン!!
     ……何言ってんだか。バーカ。

     さっきとおんなじ動きをして。
     さっきとおんなじ言葉を吐く。

     彼女の動く様はまるで、重力なんてない真っ白い水の中で、鱗を煌めかせながら流麗に泳ぎ回る魚みたいで。

     そして――。
     画面が止まる。
     騒がしくて賑やかな世界が静止する。


    「……————」


     またも。
     またしても、再生を繰り返してしまった。
     まったくアタシ何バカげたことやって――いや、これはあくまで、確認。確認作業だ。
     いったいアタシが何に気ぃ取られてるのかってことの、心の整理に過ぎないから。
     深いイミなんてないから。事務的なメンタル処理なんだから。


     ――そう、だった。
     雪景色とかじゃない。
     もっと。もっと注意して見るべきものは他にあった。
     なんだかすっごく悔しいけれど。認めなきゃいけない。
     心が惹きつけられていたのは――――。

     チケット。
     チケットだ。
     静かな白銀の世界をまっすぐ突き抜けてくる彼女の声。
     タイシン大好きだよ。
     大好きだよ、——って。
     その言葉がずっとアタシの頭に、心臓に、ゴム毬みたいに柔らかな響きを伴って、ずっとこだまし続けている。
     アタシはきっとそれが聞きたくって、…………。

     ん? え、違う。違うよ。
     こんなの、何の意味もない。何にも「特別」な「大好き」とかじゃないよ。
     というかそもそも。きっとアイツは、アタシが(おそらくぶつくさ言いながらも)チケットの言う通りにしぶしぶ動画撮影をしてくれ た、ただそれだけのことに対して、ああいう言葉を放ったんだ。


     ――ありがとう! タイシン、大好きだよ~~! なんだかんだでちゃんと撮ってくれるんだから、優しい子だよお~~! 感激だあ~!


     って。そんなニュアンスの返事だったに違いない。それは間違いない。
     アイツにとっての「大好き」なんて、毎日の「おはよう」と「おやすみなさい」とおんなじくらいのものでしかない。
     まったく、言葉のひとつひとつが大袈裟なんだからさ。
     いちいち反応してたらこっちがバカを見ることになるんだっての。

     こんな動画ぐらいでちょっとでもココロが揺れ動くなんて、アタシもちょっと疲れてたのかもしれないな。なんでもない、なんでもないことなんだからさ。こんなの。


     そうやって気持ちをすっかり落ち着かせて一息ついたアタシはスマホの整理作業に戻るべく、————。
     ――。


     再び。
     動画が再生された。

     動画が終わった。
     また繰り返した。

     何度も、何度も繰り返し、くりかえし。
     彼女の世界を再生させ続けて。
     ………。
     ――――。


     ダメだ。
     今のアタシはどうかしてる。
     いったい何やってるってんだろう。
     なんでアイツの、チケットの動画を、こんな延々見続けてるんだ? これで何回目だ?

     完全にアタマがいかれてしまってる。
     こんなの、もしも傍から見られてたら、どう思われるだろう?
     今の自分はストーカーめいた、ただのヤバいヤツ以外の何物でもない。

     もうやめよう、こんなこと。
     今なら誰も見ていない。
     スマホのデータ整理なんて、もうどうでもよくなった。
     そんなの後回しにして、頭冷やしてさっさと屋上から降りて教室に戻って、————、————。


     それでも。
     もう一度——もう一度。
     もう自分のアタマが手を動かしてるんだか、指を動かす神経が脳から切り離されて勝手に動いてんだか。
     それも分からないくらいに、自然と、アタシは動画を再生する。
     再生。
     再生。
     再生。
     ――――。


     大好き。
     大好き。
     大好き、だよ、タイシン、————。


     この動画を最初に見始めてから。どのくらいの時間が経過していったのか、もうまったく分からない。
     どこまでも同じ映像が、アタシの網膜に何度もなく投射され続ける。同じ声が鼓膜に編み込まれていく。
     それは通り過ぎていくんじゃなくって、アタシのこの瞳の中に、耳の中に、心に、堆積していく。何層にも重なり合わさっていく。

     そう。
     思い違いをしていた。
     そうじゃなかったんだ。

     全く変わらないとか、寸分違わずとか――そんなんじゃないんだ。

     同じなんだけど。同じじゃない。

     そんなこと、いちっばん最初に動画再生した時から。
     とっくに分かってた。

     なぜかって?
     ――それは、これがデータであって、データじゃないから。
     アタシの中に入り込んでくる、一人ひとりのチケットは。
     そこで生きて動いてるから。
     肺で呼吸をして、血管に血が流れている、彼女そのものだから。

     不思議だった。
     何度再生しても。そこに映ってるチケットは、まるで、違ったチケットに見えた。
     例えばそれは。ドラマや映画の撮影なんかで、ずっとNG出し続けて何度も何度も同じテイクを撮り直し続けてる俳優みたいなものだろうか?
     ――それとも違う。
     彼女にとっては、それがどんな時でも。どの瞬間であろうとも。
     それが彼女自身の。
     紛れもない正解だからだ。
     いつも全身全霊で生きている彼女にとって。
     ミステイクなんて概念は存在しないからだ。

     ――冷静に見たら。こんな動画、単純に一つの映像のクオリティとして見れば、酷い代物だった。
     降雪の中でカメラの視界は不良好。
     チケットの動きに合わせるアタシのカメラを持つ手は終始ブレっぱなし。
     別に何かしら変わった出来事が起こるわけでもない十数秒。

     でも、そんな映像の中でも。
     チケットは、彼女は。
     はっきりと生きている。
     この動画の景色は明らかに冬なのに――そんなのデータの撮影日付を見なくたって一目瞭然過ぎる――のに。それだっていうのに、チケットの声は、その笑顔は、まるで、今ここで、すぐアタシのカオ数メートル手前で、5月の陽光の中で輝きを放っているみたいで。
     時間と空間の距離が、限りなくゼロに近づくほど圧縮されていて。

     どうして。
     どうしてこんな、電子上の情報媒体に過ぎないものが。
     こんなに、こんなにまで、生き生きと、色づいているんだろう。

     彼女が動くたびにゆらめく、金属製の耳飾り。
     空は厚い雲に覆われて、さほどの陽光も通していないはずなのに――それは、きらきらと、輝きを放っている。
     冬の光、初夏の光。
     ふたつが溶け合ってひとつになって。
     彼女の耳飾りを、彼女の瞳を、彼女の笑顔を、どこまでも透明な光の束のなかに折り合わせていくみたいで。


     イヤホンを取り出して、スマホにつなぐ。
     両耳に差し込む。
     こんなものを再生してるところを聞かれでもしたら――。
     って考えというよりも。
     チケットの声。
     彼女の口から発せられる、その音節の一つ一つ。
     それをはっきりと聞き取りたい。
     心臓に刻み込みたいから。

     イヤホン越しに聞こえる彼女の声。
     これまでよりもずっと明瞭な輪郭を伴って、甘く透き通った音階を形作るみたいで。
     視覚と聴覚、ふたつが重なり合って。チケットの体温と自分のそれとがない交ぜになってるみたいな、そんな――――。


     愛しい。
     愛し過ぎて、感情が、この液晶画面の中に投げ込まれてぐちゃぐちゃにかき交ぜられてるみたいだった。
     14秒間が。まるできらきらと光を放つメリーゴーランドの一回転みたいで。
     そんなどこまでも優しい時間の輪が、ずっとずっと、ぐるぐる穏やかに回り続けているのを眺めていた。


     この光景を、チケットと、この子と。
     いついつまでも分かちあえるのなら。
     それは、それはどれだけ――――。


     でも。
     それもまた、違う。
     分かち合う――分かち合うだって?
     何都合の良い事言ってるんだろう。


     ——えへへ!! 大好きだよ――、タイシン!!


     そんな彼女の声に応えてるアタシ、この動画の手前にいる、ナリタタイシンは――。
     この冬景色の中でそのまんま凍り付いてしまったみたいに。体温のない返事をしているだけ。
     はじめっから、アタシは、彼女にとっての傍観者。
     近いようで、遠い。
     どこまでも離れていた。
     並び立ってなんていなかった。
     チケットのいる場所に、あの美しい輪の中に、アタシは存在していない。

     どうして。
     どうしてあの時のアタシは、彼女に、血の通った言葉を、返さなかったのだろう?
     どうして今ここにいるアタシは、彼女に、何一つしてやれる事がないんだろう?

     スマホを握りしめているこの手。何度も画面をタップするこの親指。それだけのことしかできない右腕。

     この手も。この指も。こんなことしている場合じゃないのに。
     今すぐ、彼女の手に触れたい。
     彼女の暖かな手のひらを握りしめて――。

     それから。
     彼女に言葉を返したい。
     もっともっと、彼女に届けたい言葉がある。
     いくらだって、伝えなきゃいけない思いがある。

     なぜ今更になって。
     こんなことに気が付くんだろう。
     いや。気が付かないフリしてたんだろう。

     今。
     ここに。
     彼女がいてくれたら。
     すぐそばに、吐息が感じられるくらいに近くに、いてくれたら――――。


     ……シン、イシン……?


     ん?

     それは最初。音楽の楽曲でよくあるような、少しずつ音量が上がって、バンドの曲が華々しく始まるような――そういう、フェードインのエフェクトめいて感じられた。
     まるで浴室で聞いてるみたいなステレオ効果のようにして、チケットの声が、オーヴァーダビング加工されてイヤホン越しにアタシの耳の中に入ってくる――そんな具合だった。
     そして、それは声だけじゃなくって。何かが肩を掴んで、揺さぶっているのさえ感じるようになった。

     え。
     え、えっ?
     これ、って?
     これ、もしかして、ひょっとして――。


    「————タイシン? だいじょうぶ、タイシン――」

    「うわああっ!!」


     驚いた。
     心底、驚いた。
     思い切り身体をのけぞらせた拍子に、有線のイヤホンが自分の意志で飛び出したみたいに、アタシの耳からポンと勢いよく外れた。まるで放流されたドジョウだかウナギだかみたいに。

     自分の口からこんな声が出るなんて思わなかった。
     ここしばらくの間で、もう最上級クラスの驚きだった。
     比喩表現じゃなしに心臓が喉から飛び出るかと思うほどだった。
     まるで冷凍睡眠されてた宇宙飛行士が、突然強制的にコールドスリープから解凍されてエイリアンといきなり鉢合わせしたみたいな。それくらいの驚異体験。
     アタシはあまりの出来事に、しばらく身動き一つすらとれなかった。

     すぐ隣には。数センチも離れてない距離には。
     そこには、チケットがいた。
     今度こそは、正真正銘、チケットそのものが――アタシのそばで赤い目ン玉をくりくりさせて、こっちを見つめ続けていた。


     いったい何で、いきなりこんな所にいるんだ――、とか。
     まさか今アタシが何やってたのかも見てたの――、とか。
     そんな、通常なら当たり前に出てくるはずの疑問符というか呆れというか怒りというか――そういったものは、アタシの中で順序良く並びたてられることはなかった。何もかもぐちゃぐちゃに散乱した部屋の整理整頓でまずは手一杯だった。
     そうやってアタシは、少しずつ現実の、リアルの体温と感情と思考を少しずつ取り戻しながら。
     へどろもどろしながら隣でへたりこんでるチケットのカオをじいっと見据え続けた。


     そんなアタシの目線に耐えられなくなったのか。
     ついに、黙りこくったまんまだったチケットの方が、最初に口を割った。

    「ご、ごめん、そんな驚かすつもりなんてなくて……! アタシがこんな近くまで寄っても、ぜーんぜん気が付かないなんて珍しいから、何スマホで熱心に見てるのかな~~って、気になっちゃって、それでぇ……」
    「……見たの」
    「えっ」
    「今。アタシが何見てたのか、アンタ、分かったの」
    「え、えっとえっとね、見たような、見てないような――あ、あはは、よく分かんないや! だってタイシン、すぐにスマホ画面隠しちゃったからさ――だ、だいじょうぶだからね、ぜーんぜんよく分んなかったから! ダイジョウブだから!」
    「……」
     無言のアタシに対して、チケットの両耳が垂れる。ドミノ崩しのドミノみたいにぱたんと。
    「ほ、本当に、ごめん、タイシン……! き、きっと、勝手に覗き見しちゃいけないものだったんだよね、アタシ、また無神経なことやっちゃって、ほんとに本当に……」

    両目が潤み始めてるチケットに対して、言った。

    「いいよ、もう。謝んなくても」
    「え?」
    「アタシが見てたもんなんて、別に、――別に、そんな、特別なもんじゃないから」
    「えっ、タイ、シンーー」


     そうして、アタシは立ち上がる。
     建物の影の外に出ると、5月初旬の太陽の強い日差しがアタシの目に焼き付いて、瞬時、頭をくらくらっとさせる。その様子を隣のチケットが心配そうに見てくる。
     今、この時間。この空間。
     自分がこの場所にいること――チケットと同じ空気を吸って、確かに生きていること。
     それを確認する。

     チケットに言う。

    「もう戻ろうよ。一緒にさ」

    「……う、うん……!」

     チケットも慌てて言葉を返して腰を上げた。

     そうして、チケットと肩を並べる格好で、屋上を後にする。


     そうだった。
     ある意味で、アタシがあの動画を見た時に、最初に思ったことは――その通りだった。
     それはきっと。特別なものなんかでもなくって。


     それは、とてもとても、ありふれたものだから――。
     いっつも、アタシの近くに。
     うんざりしちゃうくらい、すぐ傍に、ずっといっしょに、いてくれるものだから。
     それを気づかせてくれたのは。
     あの14秒間のチケットだった。
     もう通り過ぎて二度と戻ってこない――でも、ずっとずうっと、生き続けている、チケット。
     彼女自身だった。


     だから、だから今度は。
     今度、こそ、は————。


     そうして、アタシは。アタシ達は。
     屋上から階下に繋がるドアのノブを、二人並んで、呼吸を合わせて掴んで。
     そのドアを開けた。

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