降谷さんがお見合いする赤井秀一はカレンダーを見ない。
リビングの壁にかけてある共用のカレンダーには同居人の予定が書き込まれることになっているが、用がある時しか目をやらないので今日の彼の予定を知らなかった。
起き抜けの寝ぼけ眼で、気まぐれに目を向けたカレンダー。
今日は日曜。
枠の中には『降谷 0900〜不在 昼食不要』と書かれている。
なんとなくそれを頭に入れ、キッチンで物色したロールパンを片手にダイニングテーブルに腰を下ろす。
パンに齧り付いたところで、ベランダで洗濯物を干していた宮野志保がリビングに戻ってきた。
「あら、おはよう。あなたのニット帽、洗濯カゴに入ってたから洗ったけどよかった?」
「おはよう。助かる。昨日同僚にコーヒーを浴びせかけられてな」
災難ね、と笑いながら、志保はカウンターキッチンの中に向かった。
電気ポットで湯を沸かし、インスタントのコーヒーを淹れて赤井の前に置く。
礼を言うと、薄く弱い香りの液体を喉に流した。
降谷がいれば、挽きたてのコーヒーを淹れてもらえるのだが、こうして出してもらえるだけでもありがたい。
「降谷くんは、朝から予定が?」
家事が一段落したのだろう、自分用にもコーヒーを淹れ、向かいに腰掛けた志保に尋ねる。
ああ、と志保はカレンダーに目を向けた。
「お見合い」
「……見合い? 降谷くんが?」
「警察の中では、今でも多いみたいよ。ずっと断ってたらしいんだけど、今回のは警察学校時代にお世話になった先生の娘さんで、断りきれなかったんですって」
カップを両手で持ってふうふうと息を吹きかける志保は、降谷が見合いに行ったことに関して、さして興味はないようだった。
「そうか。そろそろ降谷くんも身を固める気なのかもしれんな」
「……え?」
ぱちりと大きな緑の瞳が瞬かれる。
「日本の見合いというのは、男からは断れない仕組みだろう」
「なにそれ。知らないわ」
「男から断られた女性というレッテルが貼られたら、その後の縁談に支障が出るからな。見合いで断れるのは女性からだけだと聞いたことがある」
「じゃあ、もしお相手の女性が降谷さんのこと気に入ったら」
「トントン拍子に結婚だろうな。彼がそれを知らないとは思えんし」
「……降谷さんが、結婚」
ぽそりと志保が呟く。
赤井が言った言葉は嘘ではない。
少し前まではそういった風習がまかり通っていたのは真実だ。
だが、ジェンダーフリーが掲げられるような昨今は、その限りではないことも知っていた。
知っていて、志保の反応が見たかったのだ。
降谷は密やかにではあるが、志保に想いを寄せている。
彼女を狙う組織の脅威がなくなるまで、その気持ちを自発的に伝える気はないようだが、志保からのベクトルが向けられた場合はその限りではないだろう。
赤井は二人の気持ちが折り合うならば、その交際については歓迎する気持ちがある。
人の気持ちというのは外部からとやかく言うようなものではない。
静かに成り行きを見守るのが鉄則だ。
しかし、可愛い従姉妹と大事な友人の幸福のために、小さなちょっかいを出したくなるのは許して欲しい。
さて。
嘘ではないが、真実でもない赤井の言葉に、志保はどんな反応を見せるだろうか。
「赤井さん」
一口も飲んでいないコーヒーをテーブルに置き、志保は立ち上がった。
「お見合いぶち壊しに行くから付き合って」
「……なに?」
思っていた以上の反応に、赤井はぽかんと口を開けて彼女を見上げるしかなかった。