Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    aiporonica

    @aiporonica ワクワクおじさん。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 4

    aiporonica

    ☆quiet follow

    これはまだ、俺が刀剣男士になれていなかった頃の話。

    本丸が出来て間もない頃、同じ平安刀のよしみで共に出陣を繰り返していた三日月宗近と鶴丸国永は島原の乱に出陣することになる。二人が向かった先はかつて山田右衛門作が暮らしていたという口之津村。その港口に潜んでいた歴史遡行軍と遭遇するが……

    #三日月宗近
    mikazukiMunechika
    #鶴丸国永
    kuninagaTsurumaru
    #パライソ
    paraiso.
    #刀ミュ
    swordPlay

    酷薄のインフェるノ②「オロロン、オロロン、オロロン、バイ」
    「変わった歌だな」
     男は幼子を大切そうに抱えながらその歌を謡っていた。
     皺が寄った口元に、穏やかな表情を浮かべて。
    「この土地に伝わる子守歌です」
    「へぇ」
     物珍しそうに近寄れば、彼は眉尻を下げて何かを懐古しながら嬉しそうに微笑んだ。
    「私が謡うとすぐに寝付くものだから、子守歌を謡うのは私の役割だったんですよ」
    「なあ、俺にも教えてくれるかい?」
    「はい、もちろんです」

     ―――これはまだ、俺が刀剣男士になれていなかった頃の話。


         ◆

    「今回の任務もあなたたち二人にお願いします」
    「島原の乱か、……厳しい出陣になりそうだな」
    「なに、鶴丸と一緒ならば平気さ」
     本丸が出来て間もない頃、刀剣男士の数も少なく少数精鋭で歴史改変の阻止に赴かなければならない頃があった。二振りで出陣なんていうものはザラにある。中でも同じ平安刀であるよしみから、三日月宗近と鶴丸国永は中でもより難度が高いとされる地に出陣させられていた。顕現したばかりの刀剣男士はまだ感情が定まっておらず、出陣に支障を来すことが稀にある。特に、自分たちが辿ってきた歴史の地に出陣した時には自らの感情に飲み込まれてしまう者も少なくはなかった。
    「敵の狙いは?」
    「歴史遡行軍たちは島原に潜伏しております。恐らく、この島原の乱の唯一の生き残りである山田右衛門作の命を狙っているのやもしれません」
    「……島原の乱で大きく変えられる場所と言ったら限られているからな」
    「山田右衛門作の死、もしくは一揆自体の阻止か?」
    「いえ、一揆自体は既に起こっております。島原の乱を起こすきっかけとなった林兵左衛門は農民の手で討たれました」
     この戦を経験していない三日月と鶴丸にとって、知識は歴史上に残された事実だけ。その事実に基づいて歴史が進むようにするのが刀剣男士の務めである。今回の島原の乱に関しては、過去に介入した記録がなく、未だ残された事実しか知らぬ時代。実際、歴史改変の阻止にその時代に降り立ったら伝えられている史実とは異なる人物の存在や、作り上げられた虚像しかいないといったこともあった。歴史改変阻止を失敗しても、語り部さえ抑えれば歴史改変を阻止出来たといった事例もある。結局、人は見たいものを見、聞きたいことを聞く生き物なのだ。
    「山田右衛門作を守り続けて島原の乱を終えれば任務完了ってことで良いのかね?」
    「はい。……ただ、敵の狙いが途中で変わることもありますので、そのあたりは臨機応変によろしくお願いします。必要であれば島原以外の地に潜入することもお考え下さい。島原の乱を必ずや起こせるよう」
    「ははっ、相変わらず遠慮が無いな」
    「あなたたちのことを信頼しているんですよ」
     心配そうに見送る審神者に鶴丸は笑った。「大船に乗ったつもりで任せておけ」と。
     それが、如何ほど難しい戦になるとも知らずに。
     出陣の儀を終えて、いざ降り立ったのは寛永十四年の島原。岩壁の上から海が見下ろせる、それは美しい場所だった。穏やかで乱れることも白い飛沫を上げることもない。ただ遠くで波の音と鳥が健やかに啼いている声がする。
    「……綺麗だな」
    「ああ、こうも美しい海は初めて見たな」
     江戸の海とは違う、島原の海。陽の光を浴びてキラキラと輝く海面に思わず足を止めた。ここで日本史上最大級の一揆が起きたなんて思えぬ美しさ。だが、間もなくこの大地は赤く染まる。圧政に怒り苦しんだ農民たちとそれを討つべく攻め寄せた幕府軍の手によって。
     冷たい潮風に背を押されて歩き出す。立ち止まっている暇などない。既に歴史遡行軍はこの地に降りたっている。潜伏先の目星はついているとは言え、いつ行動に移されるかは分からない。山田右衛門作の死か、それとも別の狙いがあるのか。悠長に海なんぞ眺めている暇などなかった。
    「――行くぞ」
    「ああ」
     重心を落とし左手で鍔を抑えて走り出す。草原を駆け下りて目指した先は小さな小屋だった。そこから発せられる禍々しい気に吸い寄せられるように抜刀する。
    「――……ッ」
     小屋から飛び出してきた黒い影。それも複数体いる。三日月はその身を大きく跳躍させて、小さい黒い影を一瞬で薙ぎ払うと粉々に砕け飛んだ。だが、それはただの陽動に過ぎない。背後から迫り来る巨躯が振り下ろした大刀を寸でのところで避ける。しかし、相手も同じ刀の付喪神。愚鈍な相手ではなくその体勢はすぐに整えられ、力強い一閃が放たれようとしていた。
    「おいおい、飛ばしすぎじゃないかい」
     刹那、その巨躯の両腕が大刀ごと天に昇った。巨躯の懐に入り込んだ眞白の刀が、その腕を斬りあげたのだ。その細腕に一体どれほどの力が合ったのか。鶴丸国永は刀にこびり付いた黒い血を勢いよく振り払うと不敵に笑った。
    「助かった」
    「油断大敵だぜ?」
     鶴丸は背後から迫ってきた小さな影を鞘で叩き潰した。そして納刀して三日月宗近の背中に自らの背中を強く押し付ける。
     体が、心が高揚している。
     じわりと滲んだ汗に身震いした。
    「敵は全部で六体。……中に大物がいるぞ」
    「――ああ」
     ここは口之津村の外れに位置する港口。口之津村と言えば、山田右衛門作が島原の乱に参入する前に暮らしていた土地である。この村に住まう人々は既に一揆に加わっており、既に蛻の空と化した地域。恐らく、同じように人が暮らしていない村を根城にしているのだろう。
     この建物には六体。……だが、村全体から感じられる禍々しい気からして相当数の歴史遡行軍が潜伏している。二振りだけでどうにか出来る数かどうかは怪しいところだ。
    「鶴丸、中は俺が片付ける。お主は外の二体を」
    「任せろ!」
     まさに迅速果敢。鶴丸は、村に向かって飛び立った黒い影を一瞬で捉えた。一体は鞘で串刺しに、もう一体は空中で体勢を整えるや否や脳天に向かってそれを突き立てた。黒い影は声を上げることなく絶命し、黒い霧状となって空へと昇っていく。同時に、鶴丸の刀を染めていた黒い血液も霧状となって四散した。
     同時刻、三日月宗近は建物の中に入り込み、先ほど自分を襲ってきた巨躯以上の大太刀と対面していた。狭い室内で相手が大太刀を振るうのは不可能かと思われた。だが、それは三日月の侵入と同時にそれを振り回したのである。まさに紫電一閃。雷が落ちたような凄まじい力に建物は一瞬で粉砕された。大太刀の口元がつり上がる。粉々になった建物を見、不躾な侵入者を斬り殺したと考えたのだろう。だが、目の前には真っ二つになった遺体どころか血の跡すら残っていない。何処に行ったのかと視線を左右に動かしていると、不意に大太刀が軽くなる。何かと思い視線を寄越せば、目の前に振り下ろされた鈍色の刃が突き刺さる寸前だった。
    「――お見事」
    「ははは」
     動かなくなった骸が黒い霧になって天に昇ったのは、三日月が脳天に突き刺した刀を抜いて間もない頃。傍から見ていた鶴丸はその見事な戦いぶりに手を叩いた。
     三日月は大太刀が横に大きく一閃する瞬間、素早く跳躍して刀の上に飛び乗り、敵が油断した僅かな隙を突いてその刃を振り下ろした。昨今の歴史遡行軍たちは悲鳴を上げて仲間を呼ぶことがある。そのため、喉を潰すか、一回で仕留めるかが重要になっていた。
    「さて、強襲するかい?」
    「否、一度偵察しよう。敵の数を把握する必要がある」
    「じゃあ、三十以下なら強襲ということで」
     指を三本立てて、ヒラヒラと宙で手を振る。何気ない指遊びだ。だが、自らの殺気を散らすにはちょうど良い。刀としての本能に飲み込まれてはいけない。刀は所詮ただの人斬り包丁。一度、その感触を味わえば狂気に飲み込まれてしまう。それは人も刀剣男士も大差ない。付喪神と言われてはいるが神で居続けられるかどうかは刀剣男士一振り一振りの心に掛かっている。
    「そうだな、……驚きの強襲でもするか?」
    「いいね、きみに乗った」
    「ははは」
     同時に声を合わせて笑えば、心地良い感情が流れ込んで来る。二人ともいつもの調子を取り戻した。自らが纏う殺気が沈着していく。
    「――さて、行くか」
    「ああ」
     袖を払い上げて二人は同時に駆け出した。目指すは口之津村。港口にある小屋を潰した以上、ここの根城を潰さなければならない。複数に点在している敵の根城から同時に斬り込まれれば窮地に立つのはこちら側。迅速かつ穏便に片す必要がある。三十以下なら強襲と言ったが、それを上回っていても斬りかかる必要に迫られていた。
    「ひい、ふう、み……、なんだ拍子抜けだな」
     しかし、辿り着いたその先には数体の歴史遡行軍しか存在していなかった。あまりの少なさに鶴丸国永は肩透かしを食らう。だが、三日月宗近だけはその表情に厳しさを帯びていた。
    「鶴丸よ、お主は先に行け」
    「え?」
    「……もしや、既に山田右衛門作のところに向かっておるやもしれん」
    「――……ッ」
     その言葉に鶴丸はすぐさま重心を落として身構えた。だが、走りだそうとはしない。三日月の表情と敵の数を見定めて小さく息を漏らす。二人はまだ、冷静さを欠いていない。
    「ここに見えるものが全てとは限らないぜ」
    「分かっておる」
     先ほどの港口の強襲が何らかの形でここに伝わっている可能性も有りうる。少ないと思って攻め入って、それが囮作戦だった場合、三日月一振りを残して行くのは少々不安が残った。だが、任務で優先すべきは仲間の命ではない。この国の歴史を守ること。それこそが重要なのだ。
    「油断はせんさ。だからお主も」
    「はいはい」
     二人は目を合わせて小さく頷くとそれぞれの方向へと飛び出した。
     鶴丸が向かった先は原城である。ここは一揆勢の本拠地にもなっており、山田右衛門作が家族と共に身を寄せていた場所だと広く知られていた。
     しかし、歴史遡行軍が大胆にも城に立ち入るものなのかと疑問が残る。
     一揆勢側には、小西行長・佐々成政・加藤忠広と言った名の知れた浪人たちが多数紛れ込んでいた。城を持っている以上、歴史遡行軍の僅かな手勢では落とせるものでもない。かと言って、城攻めするほどの歴史遡行軍が集まっているとなれば、鶴丸国永一振りの手で何とか出来る状況でもなかった。それでも走るのは、山田右衛門作という男の命を守るために他ならない。審神者は、今回の歴史遡行軍の狙いは山田右衛門作だと言った。ならば是が非でも守らなければならない。きっと、すぐに三日月がこちらに追いつく。まずは自分の役割を果たさなければ。鶴丸は原城付近に到着すると、身を隠しながら木の上へと上がり掌ほどの望遠鏡を覗いた。
    「……城攻めをしている様子はないな。だが」
     歴史遡行軍があちらこちらに潜伏している。中の様子を伺い、誰かを探しているようだった。
     きっと、探している相手は山田右衛門作。……もしくは、この島原の乱の首謀者たる存在の誰かだろうか。
     この島原の乱の原城での様子はすべて山田右衛門作の手記でしか後世に残されていない。となれば、いくら重要人物であろうと山田右衛門作以上の価値はない。あるとすれば、天草四郎こと益田四郎だろうが、彼が実在したかどうかは定かでは無いとも言われている。言わば、行ってみなければ分からぬ歴史というやつだ。
    「山田右衛門作の顔が分からん以上、虱潰しに敵を討つしかないか」
     彼については人相画すら存在しない。絵師であったならば自画像くらい残して欲しかったものだとぼやきながら、鶴丸はよっというかけ声とともに木の上から降り立った。
     彼について分かっているのは六十歳ほどの老年姿であるということ。だが、この城には同年近い浪人も多数存在している。見た目の特徴もなしに年齢だけで人物を当てることなど出来るだろうか。とは言え、山田右衛門作は元を辿れば有馬家の家臣だった男。ある程度は貫禄なり凄みなり何かしら感じるものがあるかもしれない。
    「そっちじゃないぜ、―――こっちだ!」
     潜入している敵方は、短刀、脇差し、打刀まで。その細い刀身を巧みに使って軽々と敵を討ち取り、黒霧として昇天させていく。粗方の討伐を終え、いざ中へ潜入しようと考えたその時だった。
    「ぎゃあああぁぁぁ!」
    「――……ッ」
     老年の悲鳴に金眼をかっぴらく。そして持ち前の跳躍ですぐさま塀に飛び乗り、声がした方へと向かって駆け出した。風を切り裂き力の限り駆け抜けていく。
    (やられたか……ッ)
     中には敵がいないと踏んでいたがそれはどうやら見当違いだったらしい。力の限り足を振り回し、禍々しい気配がする方へと飛び込んだ。
    「――伏せろ!」
     鶴丸は襖を蹴飛ばして到着するなり鞘から刀を抜いてそれを振り投げた。絶叫とともに太刀姿の化け物が柱に突き刺さる。鶴丸は落ちた黒い刀を手にすると躊躇なくそれに向かって振り下ろした。まさに間一髪。老年の白髪交じりの男は怪我することなく助かった。
    「あ、あなた様は……」
    「……大丈夫かい?」
    「あ、ああ……、すまないね」
     尻餅をついている男の手を引き上げ、彼の顔を覗き込む。笑い皺が濃く、目尻が少し下がった優しげな風貌。浪人というよりも優しい老人といった男だった。
    「あなたは新しくこの一揆に加わった浪人でしょうか」
    「え、……ああ、まあ、そんなところだな」
    「そうですか。……それにしても助かりました」
    「それは?」
     老人が握りしめている白い文が結ばれた矢だった。
    「これは……」
    「矢文かい?」
    「はい、そうでございます」
     その言葉に鶴丸は考える。確か、この島原の乱で交渉役として先頭に立っていた男こそが探し求めていた人物。まさかと思いながらも鶴丸は「山田右衛門作か」とその名を呼んだ。
    「如何にも、私は山田右衛門作と申しますが」
    「やはりそうか!」
     嬉しそうに身を乗り出して老年の痩せた腕を掴む。どうやら第一段階は突破したようだ。鶴丸は頷きながら彼が持っている矢文を引き抜いた。
    「こ、これ……っ」
    「矢文だろ? せっかくだから俺が飛ばしてやるよ」
    「か、返して下さい……っ!」
     悲鳴にも近い声。歴史遡行軍に殺されそうになっていた時よりも青ざめたその表情に、鶴丸はその金眼を細める。
    「心配しなくとも俺は字が読めん。中も見る気は無いから安心してくれ」
    「で、ですが……」
     字が読めないという言葉にホッとしたのか、右衛門作の表情から一気に緊張が抜け落ちた。だが、まだ彼には警戒されている。彼の反応から読み取れるものはあった。もうこれで十分だ。鶴丸は矢文を彼の胸元へ押し付ける。
    「じゃあ一旦返そう。これで良いだろ?」
    「は、はい……」
     戸惑う彼の腕を引いて外へと向かって歩き出す。と言っても目的は矢文を飛ばすことであり、彼を連れ立って何処かに行きたいわけでは無い。下手に出歩かれるより行動を共にした方が良いと考えたからだ。何より、内側に入り込む前に三日月と合流する必要があるため出来れば外に近い場所に居たいというのが本音だ。
    「しかし、良いのでしょうか。矢文を飛ばす場所は外でして」
    「じゃあ尚更護衛が必要だろ?」
    「それはそうですが……」
    「安心しなって、ちゃんと守ってやるから」
     先ほどとは打って変わって申し訳なさそうにする彼に笑みを浮かべて対応する。文字だけで相手の性格は計り知れないとは思っていたが、山田右衛門作という男は鶴丸国永が思い描いていた人物像と随分違っていた。
     彼の許しを得て馬に乗り、共に矢文を飛ばす場所まで馬で向かう。その草原には大きく間を空けて二本の木が植えられていた。こちら側の木には一本の矢文が突き刺さっている。山田右衛門作は馬から下りるとその矢から手紙を抜きとった。
    「では、あちらにお願い出来ますか?」
    「ああ、任せてくれ!」
     鶴丸は弓を構えると、易々と十数メートル先の木にそれを放った。それは一ミリの狂いもなく、木の中心を射貫く。素早さだけではない、その突き刺さった音の凄まじさに右衛門作は驚いたように目を丸くした。
    「お見事ですな」
    「ははは、大したことないさ」
     鶴丸は剛毅な笑みを浮かべながら弓を下ろすと、どうやってここで時間を潰そうかと考えた。天気の話でもするか、それとも妻子の話でも聞いてみるか。自分と共に居れば、歴史遡行軍がここに攻め入って来ることはない。少しばかり城外で過ごしても問題はないはずだ。しかし、それにしても遅いと口之津村で別れた相棒のことを考える。すると、すぐ横へと近づいてきた右衛門作に話しかけられる。
    「そろそろお名前を教えて頂けますか?」
    「しがない浪人っていうんじゃ納得いかないかい?」
     山田右衛門作は少しだけ困ったような笑みを浮かべる。それは何処か申し訳なさを帯びているような気もした。
    「語りたくない理由があるのならば聞きません。ただ私は、命の恩人であるあなたのお名前が知りたいと思っただけに過ぎませんので」
     理由はそれだけだという彼に鶴丸もまた困ったように笑った。そういうことなら何でも良いから答えるべきかと脳裏を過ぎる。しかし、この時代にあった名前など瞬時に思い浮かぶものではない。何より、名を名乗ることで下手に山田右衛門作の記憶に残るわけにはいかないからだ。
    「すまない。ただきみに名乗れる名がないのは本当なんだ」
    「そうですか。……分かりました」
    「納得してくれたのかい?」
    「はい、……あなたは悪い人じゃない。それだけ知れて居れば十分です」
     彼は草原に咲く野花を摘み始めた。何をしているのかと訊ねると、城に篭もっている女子供たちを喜ばせたいのだと微笑する。彼は戦を望まず和平派の命を救ってくれと懇願したと言われている。彼に残された事実を見れば悲哀と美談ばかり。本人が書き記しているのだからそんなものかと思っていたが、百聞は一見にしかずとはこのことか。羅列された言葉だけではない。直接触れることで見えるものがある。
    「俺も手伝おう」
    「ええ、よろしくお願いします。城にはいっぱい子供たちがいるんです。全員分とは言わないが、ひとりでも多くの子に花を渡したい」
    「花が好きなのかい?」
    「好きかどうかは分かりませんが、妻は花を貰うと笑ってくれます。私の子もそうです。花を貰って悲しむ人は居りません」
    「……ああ、そうだな」
     山田右衛門作は持ってきた風呂敷に野花を丁寧に包むと大切そうに抱えて馬に跨がった。
    「さあ、日が暮れる前に戻ろう」
    「そうだな」
     ふと、草原の向こうに佇んでいる人影に気づく。それはこちらに向かって手を振っていた。
    「……ん?」
    「如何したかな?」
     沈みかけた太陽というのは酷く眩しい。逆光で目をこらしてもよく見えない。だが、この時代で自分に手を振る人物など一人しか心当たりがない。
    「なあ、右衛門作さんよ、俺の仲間もこの一揆に参加したいようなんだが良いかい?」
    「仲間ですか?」
    「ああ、俺と同じくらい強いぜ」


         ◆

    「あらあら、今日はたくさん持ち帰ってきて下さったんですねぇ」
     城に戻ると穏やかな笑みを浮かべた老婦が出迎えてくれた。彼女は花の受け取るとそれを持って城の中へと向かって歩き出す。間もなく彼女をぐるりと囲うように女子供たちでいっぱいになった。右衛門作と鶴丸が摘んだ野花を皆が嬉しそうに貰っていく様を眩しげに眺めていると、「こちらへ」と右衛門作が古びた居室へと案内してくれた。
    「空き部屋がなく申し訳ないのですが、よろしければ私が頂いている部屋のひとつをお二人でお使い下さい」
    「ありがとう、助かるぜ」
    「俺から礼を言おう」
    「いえ、何もございませんがおくつろぎ下さい」
     右衛門作が部屋から出て行ったのを確認して、鶴丸と三日月はお互いの顔を見合わせる。短い別れではあったがこうして再会を果たしたのだ。今回の歴史遡行軍の標的である山田右衛門作と共に行動をしていた鶴丸は何処か得意げな表情を浮かべている。対する三日月はと言うと、山田右衛門作が怪我なく無事だった事実を喜んでいた。
    「それにしても随分と時間がかかったじゃないか。きみならあの程度ものの数分で済むと思ったが」
    「いやあ、ついでに近くの根城も潰してきたのさ。お主と会った草原の近くにもあれらの潜伏場所があってな」
    「さすが三日月。俺がいない方が敵陣を叩くのが捗るのかい?」
    「そうは言っておらんだろう」
     笑みを零す三日月の体には傷一つ存在しない。むしろ、砂埃すらないのだから恐れ入る。まるで優雅に散歩でもしてきたようだ。
    「それで、何か分かったことはあるか?」
    「――ああ、そうだなぁ」
     互いの表情から笑みが消える。
     ここからは刀剣男士としての語らいが始まるからだ。
    「山田右衛門作は既に幕府側と内通している」
    「少し早いような気がするな」
    「ああ、今の正確な日付は分かりかねるが、御書院番頭の板倉重昌がこの城を攻めに来た形跡はない。つまりは、寛永十四年十二月以前だと考えるべきだろう」
    「……確かに、些かおかしいな」
    「ああ、山田右衛門作の内通相手は板倉ではないはずだ」
    「では誰と内通している」
     二人は顔を見合わせた。歴史に残されていない不具合から繋がる道は、いつだって一つしか存在しない。
    「――歴史遡行軍」
    「可能性はあるな」
     山田右衛門作に内通せよと命じている者がいる可能性とてある。もしくは、そうせざるを得ない状況がこの城内で起きているのかもしれない。山田右衛門作が幕府と内通した理由は一つ。それは、妻子を守るため。彼は聡い男だったと残された文献からも理解出来る。そんな彼が今すぐにでも幕府と内通したいと考えているのだとしたら、一揆勢の上層部に異変が起きている可能性もある。
    「内通相手を探るか?」
    「否、探るべきはこの城の中だ。山田右衛門作以外に、歴史遡行軍の手にかかった者がおるやもしれん」
    「それもそうだな」
    「……ところで、鶴丸。天草四郎には会ったか?」
     その問いに鶴丸はニヤリと口元を歪めた。
    「いんや? 未だだが」
    「では、面白いことでもあったか」
     刀剣男士にとって歴史を守るということは遊戯のようなものでしかない。
     俺にも、そう考えている頃があった。
     天草四郎とは、この島原の乱の首謀者の一人にして大将を務めた少年を意味している。彼の本名は益田四郎。益田好次の息子であり、幼少期より神通力に優れた神に愛された子供とキリシタンから敬われていた存在。数々の逸話を残してはいるが、豊臣秀頼の落胤であった等と信憑性に欠けるものも存在するなど謎が多い。現代では、その存在すら危ぶまれている。実は、今回の任務には島原の乱の成立の他にもう一つ目的があった。

    「――いやなに、面白い物語になりそうだと思ってな」

     人の心は海に似ている。
     満ちては引いて、嵐があって。
     その塩のみずの底には何があるのだろうか。
     深海の色は、いつだって淀んでいる。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭🙏🙏🙏🙏🙏👍💖🙏✨🙏🙏😭👍🙏😭🙏🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    aiporonica

    DONEこれはまだ、俺が刀剣男士になれていなかった頃の話。

    本丸が出来て間もない頃、同じ平安刀のよしみで共に出陣を繰り返していた三日月宗近と鶴丸国永は島原の乱に出陣することになる。二人が向かった先はかつて山田右衛門作が暮らしていたという口之津村。その港口に潜んでいた歴史遡行軍と遭遇するが……
    酷薄のインフェるノ②「オロロン、オロロン、オロロン、バイ」
    「変わった歌だな」
     男は幼子を大切そうに抱えながらその歌を謡っていた。
     皺が寄った口元に、穏やかな表情を浮かべて。
    「この土地に伝わる子守歌です」
    「へぇ」
     物珍しそうに近寄れば、彼は眉尻を下げて何かを懐古しながら嬉しそうに微笑んだ。
    「私が謡うとすぐに寝付くものだから、子守歌を謡うのは私の役割だったんですよ」
    「なあ、俺にも教えてくれるかい?」
    「はい、もちろんです」

     ―――これはまだ、俺が刀剣男士になれていなかった頃の話。


         ◆

    「今回の任務もあなたたち二人にお願いします」
    「島原の乱か、……厳しい出陣になりそうだな」
    「なに、鶴丸と一緒ならば平気さ」
     本丸が出来て間もない頃、刀剣男士の数も少なく少数精鋭で歴史改変の阻止に赴かなければならない頃があった。二振りで出陣なんていうものはザラにある。中でも同じ平安刀であるよしみから、三日月宗近と鶴丸国永は中でもより難度が高いとされる地に出陣させられていた。顕現したばかりの刀剣男士はまだ感情が定まっておらず、出陣に支障を来すことが稀にある。特に、自分たちが辿ってきた歴史の地に出陣した時には自らの感情に飲み込まれてしまう者も少なくはなかった。
    9367

    aiporonica

    DONE刀ミュ新作のパライソ前日譚序章部。
    観劇後にご覧下さい。今回は主にその後の部分のみ。前日譚に関しては随時ポイピクに投げていきます。年明けくらい纏め&書き下ろしを添えて本にします。

    【全体を通しての内容はこんな感じ】
    鶴丸は二度目の島原の乱だった
    三日月と鶴丸が二人だけで出陣した過去がある
    今回よりももっと凄惨な歴史改変を試みている
    鶴丸国永が山田右衛門作に残した仕掛けの話
    みかつるではない
    酷薄のインフェるノ「――オロロン、オロロン、オロロン、バイ」
     男は、海に向かって謡っていた。
     白髪頭、皺が寄った手、決して若くはない。
     太陽が赤く染まる逢魔時、その男は海に向かって歩き出した。


          ◆

     彼らが本丸に帰城したのは、黎明の刻。言葉も交わさず、それぞれが自室へと帰って行く。しかし、出陣した六振りのうち一振りだけはこの本丸の主である審神者のもとへと向かった。
     白く美しい眞白の刀、平安時代に五条国永の手によってこの世に生まれた名刀、鶴丸国永。あちこちを転々として辿り着いた先は明治天皇のもと。今では御物として納められ、人目に触れることはない。彼は今、刀剣男士として顕現を果たし、歴史改変を目論むとされる歴史修正主義者と相対する者としてこの世に存在している。今回の出陣で部隊長を務めたのは彼だった。
    6443

    related works

    recommended works