魔界旅路思慕 封印されたギュータの地下深くにマトリフとポップはいた。かつては逢魔窟と呼ばれたそこは禍々しい魔力が澱んでおり、それらが見せる幻影に打ち勝って辿り着いた最深部に、魔界へと繋がる裂け目があった。
「大丈夫かよ、師匠」
ポップは気遣わしげに師を見る。攻撃してくる幻影への反撃に、マトリフはかなり苦戦していた。以前はマァムの父であるロカに担がれて通ったのだと聞いたが、ポップがマトリフを担いでいくには無理があり、二人で背を守りながら裂け目まで来た。しかし体力が限界まできているようで、マトリフは肩で息をしていた。
「……いらねえ心配すんじゃねえ。ここで開けられなきゃ来た意味がねえんだ」
マトリフは裂け目を睨め付ける。二人がここへ来たのは魔界へ行き、ダイを探すためである。マトリフはそのためにギュータの封印を解き、ポップをここまでへ連れてきた。
魔界へ通じる裂け目は黒い岩に走る赤い亀裂だった。その裂け目はマトリフの師であるバルゴートによって厳重に封印されている。マトリフも話には聞いていたが見るのは初めてだった。
「いいか、オレが魔界への裂け目をこじ開けられるのはせいぜい数秒だ。オレが合図したらオレを連れて飛び込め。オレはこじ開けるだけでへばって動けねえからな」
マトリフの説明を聞いたポップは悩むように首を振った。
「……やっぱ師匠まで魔界へ連れてくのは気が引ける。師匠はこっちに残ってくれよ」
「オレが行かなきゃおめえが帰って来られねえだろうが。魔界への繋ぎ方は今から教えられるほど簡単じゃねえ」
「けどよ……」
「気にすんな。オレも向こうにちょいと用があるんだよ」
マトリフの目に懐旧と苦痛の混じった色が滲む。ポップは何か落ち着かない気持ちがして口を尖らせた。
「なんだよ用って」
「うるせえなあ。野暮用だよ」
マトリフは法衣に手を入れるとあるものを取り出した。それは首から下げたペンダントだった。チェーンには金色のリングが付いている。人間の指につけるよりは大きいそれを、マトリフはじっと見つめると首から外した。
「……じゃあいくぜ」
「おう」
マトリフが裂け目に手をかざすと、チェーンについたリングが浮かび上がった。それはアバンが使っていた破邪の秘法に似ている。しかし破邪の秘法が聖なる光であるなら、これは正反対の光だった。まるで闇の力を高めるような邪悪さにポップは体を強ばらせる。
「……ッ!」
すると裂け目が大きく開いた。まるで空間を切り裂いたように、向こうの景色が裂け目から見えている。
「今だッ!!」
マトリフの声にすぐポップが動いた。マトリフの背を掴んでルーラを唱える。二人は一瞬で裂け目の向こうへと飛び込んだ。
***
ポップが目を開けるとそこは薄暗かった。吸い込む空気すら地上とは違って重苦しい。ポップはハッとしてあたりを見渡す。太陽のない冷情な大地が広がり、すぐそばにマトリフがうずくまっていた。
「師匠! 大丈夫かよ!」
マトリフは呼吸を荒げて胸を押さえていた。地面には血が広がっている。ポップは咄嗟にべホイミをかけるが、マトリフの手がそれを遮った。
「……無駄使いすんじゃねえ……すぐ敵が来やがるぞ」
「そんなこと言ってる場合かよ!」
その声をかき消すように地響きがした。大きな魔物の足音だとわかってポップが構える。
薄暗い中から姿を見せたのは巨大なトロルだった。しかしポップが知っている姿ではない。そのトロルは青い肌で引き締まった体をしており、眼鏡をかけていた。
相手の強さがわからないポップは、メドローアのために両手に呪文を作る。それを青いトロルが見下ろしてきた。
「君の弟子かね、大魔道士」
トロルの理性的な言葉にポップは驚く。背後のマトリフからは微かに笑い声が聞こえた。
「ポップ、メドローアは消してくれ。こいつも二度もくらいたくはねえだろうしな」
「え……いいのかよ」
ポップはマトリフと青いトロルを見比べる。青いトロルは膝をつくと地面から何か拾い上げた。
「……まだ持っていたのかね」
それはマトリフが首から下げていた金のリングだった。
「おめえに会うには必要だと思ったからよ」
青いトロルは持ったリングをチェーンから外すと右手の中指にはめた。それはトロルの指にぴったりとおさまった。
「手を貸そう。弟子君もついてくるといい」
青いトロルがマトリフに手を伸ばす。それを見たポップは慌てた。二人が知り合いなのはわかったが、まだ警戒心を解くには早い気がした。
「お、おい」
しかし青いトロルは存外に優しく丁寧な手つきでマトリフを抱き上げた。マトリフも嫌がる素振りすら見せない。ポップは師と青いトロルの関係に疑問を抱きながらもその後をついていった。
***
ガンガディアの後をついていけば洞窟に辿り着いた。切り立った崖の下方に位置するらしく圧迫感がある。入り口は刃物で切ったように鋭利な断面であり、それがマトリフが住む洞窟に似ていた。
「碌なもてなしも出来なくてすまない」
ガンガディアの言葉を聞きながらポップは部屋を見渡す。天井はガンガディアの背丈の倍ほどあった。部屋は幾つもあるようで、別の部屋に繋がるドアのない入り口が三つある。部屋の真ん中にはテーブルと椅子が置かれてあるが、トロルサイズなのか見上げるほど大きい。
「部屋に案内しよう。こっちだ」
ポップはガンガディアの横に並ぶと腕に抱かれているマトリフを見上げた。
「師匠は?」
「眠っているよ。さあそっちの部屋を使うといい」
ガンガディアが指差した部屋を見てから、ポップはまたマトリフを見上げた。
「大丈夫なのか。回復呪文ならおれが……」
「案ずるな」
ガンガディアは別の部屋に入っていく。ポップはその後を追いかけた。まだガンガディアを信用したわけではない。もしマトリフに何かするなら燃やしてやるつもりだった。ガンガディアは後をついてきたポップを見て眼鏡を押し上げた。
「自己紹介が済んでいなかったね。私はガンガディアという」
「おれはポップ。あんたは師匠とはどういう関係なんだ」
そこでガンガディアは少しの驚きを見せた。言葉を選ぶようにわずかに沈黙してから口を開く。
「……マトリフから聞いていないのかね。まったく……」
ガンガディアは屈むとベッドにマトリフをそっと下ろした。ポップもマトリフの様子を見るが、寝息は安定している。ガンガディアはポップに向き直った。
「君も疲れたのではないかな。ギュータの幻影を相手にしたのだから」
「え、なんで知ってるんだよ」
ポップたちは魔界に来るためにギュータの地下で幻影を相手に戦った。体力や魔法力だけでなく、精神も削られる戦いだった。だがそれをなぜガンガディアが知っているのか。
ガンガディアはポップの問いには答えなかった。ガンガディアはマトリフに布団をかけると立ち上がる。
「よく休むといい。私は最初の部屋にいる」
ガンガディアが部屋を出ていき、ポップもあてがわれた部屋に入った。ベッドがあるだけの簡素な部屋だ。そこでポップはあることに気づく。この部屋もマトリフの部屋も、ベッドは人間サイズのものだった。
***
マトリフはぼんやりと熱を持った顔をガンガディアの肌にすり寄せた。寝起きの怠い身体はガンガディアに凭せかけている。ガンガディアのほうが体温が低いからか、そのひやりとした感触が心地よかった。
今は真夜中らしいが魔界の時間の変化はわかりづらい。疲れ果てたところにガンガディアの腕に抱かれて、つい寝入ってしまったマトリフは今になって目を覚ました。そしてすぐそばにガンガディアがいることに気づいて、身を起こすと彼に身体を預けた。久しぶりに会った青い肌は変わらずにマトリフを受け入れてくれる。
「なあ……くれよ」
マトリフは渇きを覚えていた。それは地上にいた頃にガンガディアが作り変えた身体のせいだ。誰もいない部屋ではばかる理由もない。マトリフはガンガディアにねだるように見上げる。
「カップにでも入れようか?」
「そのままでいい。早くくれ……」
ガンガディアは指をマトリフに差し出した。その指先は針で刺したように血がぷくりと浮かんでいる。マトリフは躊躇いなくそれを口に含んだ。口に広がるのは人間の血のような錆臭さではない。甘くて濃厚な懐かしい味にマトリフはうっとりと目を閉じた。もっと寄こせと言わんばかりに吸い付けば、ガンガディアの苦笑が聞こえた。
「そんなに欲しかったかね」
「悪いかよ」
ちゅぱっ、と音を鳴らしながら口を離す。マトリフはぺろりと唇を舐めた。
「急にたくさん摂取しないほうがいい。今夜はこれくらいに」
ガンガディアの指がマトリフの唇に残った血を拭った。そして間髪入れずに唇を重ねる。ガンガディアの舌が口内に入ってきて、マトリフはその久しぶりの感覚に肩を震わせた。
「……っ……あ、ガン、ガディア……」
マトリフが苦しい息継ぎをするなか、ガンガディアは執拗にマトリフの口内を貪った。
「おめぇこそ……がっつきやがって……」
熱っぽい吐息を洩らしながらマトリフは拳をガンガディアの隆々とした胸に当てる。それがガンガディアには何のダメージを与えないとわかっていても、マトリフは意思表明としてそれを行った。ただの照れ隠しなのだが、ガンガディアにはそれが不思議だった。血は躊躇いなくねだるのに、キスのひとつで照れてみせる。だがそういったところもガンガディアを魅了した。
「私はずっと君が恋しかった。欲しかったのだよ」
「はっ……よく言うぜ」
言いながらマトリフは自分の身体がふっと軽くなるのがわかった。それが先ほど飲んだガンガディアの血のためだとわかる。
地上で生きる人間の身体は魔界に適していない。それを補うためには魔界のものを口にする必要があるが、なにも食物だけに限らなかった。ガンガディアは魔界の生まれであり、魔界のものというカテゴリーに入る。だからその血を飲めば、マトリフの身体は魔界に馴染んでいく。
「私の血は美味いのかな?」
「別に……」
マトリフは素直には認めなかった。だがガンガディアの血を美味いと感じてしまうのは事実だ。はじめて飲んだのは地上で、最初こそ抵抗があったものの、微量に魔法力を含んだ青い血はマトリフを夢中にさせた。それによりマトリフの身体が地上よりも魔界に適した作りになっていると気付いたときには、もう後戻りできないところまできていた。魔界に適した身体もまた、地上では生きにくいのだった。
「なあ……もっとくれよ」
マトリフはガンガディアの大きな手をそっと持つ。自己修復が早い魔族の身体は、もう傷口さえ残していない。ガンガディアは少し考えるようにしてから、尖った爪の先で指を突いた。すぐに溢れるほどの血が流れ出る。
「おっと」
マトリフは慌てて流れた血を舐めとる。ガンガディアの青い肌にマトリフの赤い舌が這った。暖かく湿った舌が指先をくすぐり、ガンガディアはその感触に背筋を震わせた。マトリフがせっせと指を舐めている姿はいじらしく、そして扇情的だった。マトリフは味に酔っているのか恍惚とした表情を浮かべている。それが夜に見せる姿のようで、ガンガディアは心頭滅却してそれに耐えた。
「っはぁ……」
マトリフの舌先が傷口をこじ開けるように動く。それでじわりと血が滲めば、笑みを浮かべてしゃぶりついた。マトリフにとっては食事なのかもしれないが、ガンガディアには別の欲が刺激されてしまう。ガンガディアはそっとマトリフの顔に触れた。マトリフの舌は血で青く染まっていた。
「あまり飲んでは君の弟子に勘付かれてしまう」
魔族の血は人間にとっては毒だ。だがマトリフのように魔法に身を捧げた者にとっては薬にもなる。現にマトリフの身体はガンガディアの血で肉体の老いを遅らせていた。しかし多く飲み過ぎれば若返ることもある。ポップにはガンガディアとの間柄を説明したくないマトリフにとって、それは困る事態だった。
「……しょうがねえ」
マトリフは残念そうに呟くとガンガディアの指から口を離した。ガンガディアはほっとする。なんとか理性がもったのだ。だが心に引っかかりを感じる。
「……そんなに私とのことを弟子に知られたくないのかね」
「元魔王軍のおまえと、魔王軍にいた頃からねんごろでしたって言えると思ってんのかよ」
ガンガディアとマトリフの関係が始まったのは敵同士の頃だった。どちらが誘ったのかはもう覚えていない。ガンガディアがマトリフに血を与え、マトリフはそれに酔いしれた。そこからなし崩し的に唇を重ねたり、身体を交える関係になった。勇者が魔王を倒せば関係は終わり。マトリフはそう口にして、ガンガディアも頷いた。だが実際には違った。最終決戦でマトリフは未完成の極大消滅呪文でガンガディアの腕を消滅させた。それと同じ頃にアバンはハドラーを倒し、ガンガディアもそれを悟った。魔王軍の敗北を知ったガンガディアは、残った片手で魔法力のきれたマトリフを掴んだ。
「……ハドラー様が死んだ……私は魔界へ帰る。君も一緒に来てくれ」
ガンガディアが失ったのは腕一本だが、消滅呪文の余波で身体が侵食されていた。だが魔界に戻れば助かるとガンガディアは言う。魔界生まれのガンガディアは魔界にいるだけで治癒能力が上がるらしい。マトリフはじわじわと死に向かうガンガディアを見ながら答えに迷った。
勇者一行として正しい行いは、今ここでガンガディアにとどめをさすことだろう。少なくとも魔界へ帰すことを阻止すればいい。
ガンガディアを愛しているマトリフが選びたかったのは、一緒に魔界へ行くことだった。ギュータが封印された今となっては地上に未練もない。
だがマトリフはどちらも選べなかった。ガンガディアの身体が少しずつ消滅していく。まるで紙についた火が少しずつ燃え広がって行くように、身体は削れていった。
するとガンガディアはマトリフを離し、指輪を口で挟むと抜き取った。それをマトリフに差し出す。
「これを持っていてくれ……君を一人にはさせない」
マトリフが指輪を受け取ると、ガンガディアはキメラのつばさのようなアイテムを取り出した。
「また会おう……マトリフ」
それが魔界へと帰るためのアイテムだったのだろう。ガンガディアはふっと姿を消した。寂寥がトリフの胸に広がり、さっきまでガンガディアがいた場所を見つめ続けた。
マトリフはそれからガンガディアの指輪を持ち続けた。パプニカで宮仕えをしていた時も、その後に洞窟で隠遁を選んだ時もだ。その指輪さえあれば、ガンガディアの存在がすぐそばにあるような気がしていた。それだけがマトリフをこの世に繋ぎ止めている錨だった。
そして指輪はある日突然に輝き出した。何事かと引っ張り出して見れば、その指輪が思念を伝えてきた。まるで頭に直接語りかけるような声は、ガンガディアのものだった。ガンガディアは新しい魔法を開発したという。それが魂の繋がる者同士を魔法力で繋ぐというものだった。
最初マトリフはそれが信じられなかった。ついに自分の脳がいかれたかと思ったのだ。しかしどうやら本当のガンガディアの思念だとわかり、彼が生きていたことを嬉しく思った。
それからガンガディアとマトリフの思念での通話が始まった。思念で地上と魔界を繋ぐには相当な魔法力を要するが、二人にとっては問題にならなかった。そして二人は地上と魔界を繋ぐ方法を考えた。それがマトリフがポップに見せた裂け目を開く呪文だった。魂の絆で繋がっている相手の位置を特定し、裂け目を開く。マトリフとガンガディアは、お互いにもう一度会うためだけにこの呪文を開発した。そして呪文が完成したのはつい数日前のことだ。まさかダイの捜索に役立つとは当初は思ってもみなかった。
「なあ、ガンガディア」
マトリフはガンガディアの指に頭を乗せた。懐かしい体温は身体を熱くさせる。
「……一回だけ、ならいいだろ?」
「君の弟子が起きてこないかね」
「さっさと済ませりゃいいだけだろ」
「君との情事をおざなりにはしたくないのだが」
それに君は人間としては高齢なのだろう? とガンガディアは気を遣いながら言う。それはひとえにマトリフの身体を心配しての言葉だったのだが、案の定マトリフの機嫌を悪くさせた。
「オレを年寄り扱いしやがるのか」
「扱いではなく、事実なのだろう?」
「だったら余計にヤればいいじゃねえか。そうすりゃあ出会った頃くらいには若返んだろ」
「しかしそれでは君の弟子にバレると……」
話が堂々巡りをはじめ、折れたのはガンガディアのほうだった。幸いポップはよく眠っており、朝まで目覚めることはなかった。
***
ポップが微睡から目覚めると見慣れない景色が目に飛び込んできた。驚いて起き上がったが、そこがガンガディアの洞窟だと思い出す。
「おう、起きたか」
その声に見ればマトリフが部屋の入り口に立っていた。帽子もなくラフな格好で、昨日の疲れは見えない。
「師匠、大丈夫なのかよ」
「あん? 何がだよ。そうだ、おまえも何か食っとけよ」
マトリフは言いながら部屋の前を通り過ぎていく。部屋の向こうでマトリフがガンガディアを呼ぶ声が聞こえた。
「ガンガディア、ポップが食えそうなもんあるか?」
「用意してある」
声を頼りにポップは部屋を出て進む。最初に通された部屋に入った途端、何かが飛んできた。咄嗟にキャッチする。それは果物のようだった。
「魔界の食いもんだ。食っとけばここの空気にも慣れるぞ」
マトリフは大きなテーブルに腰掛けている。ポップはトベルーラで浮かび上がった。
「……これ食えるのかよ」
ポップは持った果物を見ながら言う。地上の物のような瑞々しさはなく、どちらかと言えば芋のような見た目だ。
「さぁな。けどそれよりマシなもんはねえぞ」
「師匠は食ってねえのかよ」
「オレは別のもんがあるんだよ」
「えぇ、ずるいぜ師匠」
ポップはマトリフの横に腰掛けると果物を齧った。見た目に反して果肉はそれなりに味がした。苦味とえぐみがあるが、噛んでいくうちに若干の甘みがある。不味いと言えば不味いが、食べれないこもとない。
「食べられてよかった。人間の好みは難しい」
ガンガディアが籠にいっぱいの果物を持って部屋に入ってきた。それはポップが食べているものと同じ果物である。ガンガディアは籠をテーブルに置いたが、先ほどの味を思い出してポップは食欲が失せた。
「それで、竜の騎士を探す目処は立っているのかね」
ガンガディアの言葉にポップは果物をかじるのを止めた。
「こっちで練習したほうが上手くいくと思ってな。これからだよ」
マトリフの返答にポップは意味がわからずにマトリフを見返す。
「なんだよ練習って」
「この広い魔界を闇雲に探してもしょうがねえだろ。だからダイがいるとこまでルーラで行くんだよ」
「ダイがいる場所知ってるのかよ!」
じゃあなんでグズグズしてるんだ、とポップは立ち上がる。マトリフはそれを見上げて違うと手を振った。
「ただのルーラじゃ覚えている場所にしか行けねえだろ。だからリリルーラの応用でダイを見つけるんだよ」
「出来るのかよ、そんなこと」
そこでマトリフは不遜に笑うと頷いた。
「オレが適当な場所に魔界の裂け目を繋いだと思ってるのか。こいつを目標にしたんだよ」
そう言ってマトリフはガンガディアを指差す。ポップとマトリフが魔界へ来てすぐにガンガディアは二人を見つけた。ポップはそれを偶然だと思い込んでいた。
「オレがこいつの居場所を突き止めて、そこに繋いだんだよ」
「そんなこと……どうやって」
「コレだよ」
ガンガディアは右手をポップに見せた。その中指には指輪がはまっている。それはマトリフが魔界への裂け目を開くときに使ったものだ。
「コレは元々私のものでね。私は地上を去る前にコレを大魔道士に預けていた。リリルーラは相手に目印を付けておきそこへルーラするが、これはアイテムを介して相手との繋がりを元にルーラする」
どうやらガンガディアはかつては地上にいたらしい。その時にマトリフと知り合ったのだろう。ポップはそう思ってから、指輪を預けるというのはどのような間柄なのかと頭を悩ませた。
「あ、じゃあ」
ポップはふと思い当たって懐から包みを取り出した。それはダイの剣から取り外した宝玉だった。魔界へ来る前にロン・ベルクとノヴァに頼んで取り外してもらった。それがダイを探すのに必要不可欠だとマトリフが言ったからだ。
「じゃあこれをそのルーラに使うってことか?」
「そうだ」
「だったら、最初からコレを使ってダイのいる場所に裂け目を開けりゃよかったじゃねえか」
「そう簡単じゃねえ。このルーラは繋がりが必要だと言っただろう。魂が共鳴するほどの絆がなきゃ出来ねえんだ。だからオレとダイでは無理だ。だからお前がやるんだよポップ」
「おれが……」
「これからそのルーラの修行だ。魔法なら地上よりここの方が馴染みがいいぞ」
マトリフはふわりと浮き上がるとガンガディアのほうへ飛んでいった。
「研究資料は?」
「奥の部屋にまとめてある」
「ポップ、それ食ったら呪文の説明するからな」
マトリフはそのままトベルーラで部屋を出ていった。その様子をポップは見つめる。マトリフは地上にいた時よりも元気そうに見えた。呪文が魔界のほうが馴染みがよいと言っていたが、何か関係するのだろうか。
***
(省略部分)
【ポップが魂絆ルーラを修行する】
【ポップ、マトリフ、ガンガディアで魔界温泉に入る♨︎(ポップがマトリフの若返りに気付く。理由はバレない)】
【魂絆ルーラが成功する、ダイと再会(ダイの剣を持ってこれなくてゴメンね。重くて持てなかったわ魔法使いだし)】
【めっちゃ強い敵と戦って倒すけど、ガンガディアが負傷する】
***
地上へと繋がる亀裂は発現が稀であった。先ほどの戦いで偶然に時空が歪むほどの圧がかかり、そこから亀裂が生まれた。だがそれも長くは持たない。そしてこれを逃せば次にいつ亀裂が生まれるかも定かではなかった。マトリフはガンガディアの回復を止めて亀裂に手をかざした。
「急げポップ!」
マトリフは呪文を唱える。亀裂が光を帯びた。力を使い果たしたダイはもう一寸も動けない。ポップはなんとかダイを助け起こすが、ポップも魔法力を使い果たしている。ダイを支えるのがやっとの様子だが、なんとか亀裂の前まで来た。
「ポップ。地上にはおまえら二人だけで行け」
マトリフの言葉にポップは目を見開いた。ポップが何か言う前に、マトリフは言葉を続ける。
「オレはこっちに残る」
「なッ……なに言ってんだよ師匠!」
そう叫んだポップの前に裂け目が表れる。まるでひびでも入るかのように空間が広がった。そうなっては時間がない。いくら全盛期ほどの魔法力と体力に戻ったマトリフとはいえ、地上と魔界を繋ぐのは十秒が限界だった。
「師匠も一緒に帰るに決まってんだろ!」
「ほれ、時間がねえぞ。せっかく助けたダイを地上へ連れてってやんな」
「師匠!」
裂け目が大きく開く。すると太陽が輝く青い空が見えた。広がる景色から、そこがダイの剣がある丘だとわかる。しかしポップはそれに目もくれずマトリフの方へ足を向けた。だがマトリフの視線がそれを制す。マトリフもポップにそれを選ばせることが酷だとわかっていた。こんな時に優しく説得なんてマトリフにはできない。だから建前も小手先の知恵も無しにした。
「もう後悔したくねえんだよ」
マトリフはそう言うと振り返った。マトリフのすぐ後ろには地に伏せたガンガディアがいる。青い血が流れ出ており、その傷は深かった。早く回復呪文を再開させなければ、いくらガンガディアでも命に関わる。
「行けよ。オレはこいつと一緒にいるって決めたんだ
マトリフはかつて魔界へ帰るガンガディアについていかなかった。そしてその事をずっと後悔していた。自分が捨て切れなかった幾つものことが、人間というものを失望させたが、それ以上にガンガディアを選べなかった自分自身に嫌気がさした。だから、もし次にチャンスがあれば、迷わずその手を取ると決めていた。
「ポップ!」
マトリフの声にポップはハッとする。呪文を唱えるマトリフの手が過剰な負荷で震えていた。時間がない。だがポップはマトリフを置いていけなかった。どうにかマトリフとガンガディアも一緒に連れて行く方法を考える。だがルーラをする魔力も残っていないポップには、ダイしか運べなかった。
「大……魔ドウ……シ……」
ガンガディアが立ちあがろうと地に手をついていた。動いたせいで身体から青い血が流れ落ちていく。ガンガディアはマトリフに手を伸ばし、その大きな手でマトリフを掴んだ。
「行く……ナ……ワタシ……ヲ……」
ポップはガンガディアの行動に息を飲んだが、マトリフは冷静だった。
「落ち着け。わかってる」
マトリフとポップの目が合ったのは一瞬だった。マトリフはポップの考えを読んだのか、ゆるゆると首を振った。マトリフの意志は既に決まっている。それを覆すことはできないようだった。
「ポップ……おまえも今度こそ手を離すんじゃねえ……ぞッ……」
マトリフは言いながら咳き込んだ。ポップはその口元から流れる血に驚愕する。それは見慣れた赤色ではない。青いそれは魔族のものだった。そこでポップはこれまでの疑問が氷解する。マトリフは単に魔界に適応したのではなく、その身体自体を魔族のものへと変化させていた。だがまだ変化しきっていないのか、呪文の負荷に耐えきれないでいる。
「し、師匠……」
「さあ行け。オレは最初からここに残るつもりだったんだ……行けッ!」
ポップはもう振り返らなかった。ダイの手をきつく握る。駆け出した足は魔界の地を蹴り、裂け目へと飛び込んだ。
地上の地面に触れた暖かさで太陽を思い出した。ポップは咄嗟に振り返る。閉じていく裂け目の向こうで、マトリフはガンガディアに寄り添っていた。マトリフがガンガディアを見る眼差しに温もりを感じる。それは常に冷静であれと言った大魔道士の、隠し通してきた情だった。
「……ッ!」
ポップはもう師の名前を呼ばなかった。その代わりに友の手を握りしめる。魔界へと繋がる亀裂は跡形もなく消え、そこには青空が広がっていた。
おわり