マッサージ師見習いデンジ×サラリーマンアキ 思考がとろけていく。身体の感覚をただ受け入れることしかできない。
「んん…ぁ…っ…ゃ、あ……っ!」
自分からこんな声が出るとは思わなかった。
「ん、んぁ………、ゃ、ちょ待っ、痛"っ?!いた、いたい痛い、い"っ…………!」
「あ〜、ここ痛いッスよね〜」
容赦なく男の手がアキの柔肌を揉みしだいた。白を基調とした密室には悲痛な声が響いていた。
そりゃ、マッサージ店ですから。
自宅の最寄駅から徒歩3分、とグーグルが示した地図の上に、この街唯一の鍼灸院があった。
早川アキはどこにでもいる普通の会社員であった。だいたいの会社員が慢性的な腰痛、肩こり、頭痛、目の奥痛を抱えているように、アキもまたそうだった。それを見て見ぬフリをしてにして仕事に精を出していたのだが、ついに目を背けるわけにはいかなくなってしまった。
いつも通り会社のトイレで用を足し、手を洗おうと腰をかがめた。その途端のことだった。背骨に電流が走り、腰が痺れた。魔女の一撃、どこかの言葉でそう言うらしいと脳裏に浮かんだ。とにかく痛かったのだ、はじめてのぎっくり腰は。
この腰で満員電車に乗るのは無理だ、と本能で悟った。午後業務半ばであったが、これは諦めざるを得ない、と帰宅時間を早めた。憧れの女上司にぎっくり腰のため早退したい、と申し出るのは火が出るほど恥ずかしかったし、「あら、それは大変。お大事にね」なんて優しくされて舞い上がってしまう自分も恥ずかしかった。
こんな恥ずかしい思いは二度と御免である。早急に手を打たなければ。そんな経緯があって、「最寄駅 腰痛 マッサージ」の三単語で検索した結果の一番上に表示された店を目指すことになったのだ。
一生無縁だと思い込んでいた病症を抱え、グーグルマップが示すがままに見知らぬドアを叩いた。
とある雑居ビルの一室にその鍼灸院はあった。
「あの、ごめんください」
中は改装しているらしく、広々としていた。玄関口近くに作られた受付は無人で、カーテンで仕切られたベッドが二、三台並んでいるのは学校の保健室を想起させた。
「誰かいますか?」
さっきより声を張り上げると、奥からドタドタ音がして戸が空いた。
「エッお客さん?!」
奥の戸から出てきたのはマッサージ師らしい施術着に身を包んだ金髪の若い男だった。
「ここでマッサージ受けたいんですが」
要件を伝えると金髪の男は困ったように目を泳がせた。
「ア〜〜、お客さん予約とかしてないッスよね?」
なるほど、マッサージ店には予約が必要だったらしい。つい町医者に診察を受けに行くように来てしまったが、ベッドの台数に施術にかかる時間も考えれば予約が必要だと言うのは妥当だろう。しかし、アキにも譲れない理由があった。
この駅周辺にはこの鍼灸院以外に腰痛を治してくれそうな場所はなく、他の店に回るとなると駅に戻って電車で移動しなくてはいけなくなる。また他の店も予約が取れるかどうか確かではない。午後休をわざわざ取ったのは、体調を今日のうちに万全に整え、明日からまた仕事に真剣に取り組むため(ひいては女上司に認めてもらうため)なのだ。予約を取っていないことは申し訳ないが、ベッドも空いているようだし何か少しでも腰痛を改善する処置を与えて欲しかった。
「予約が必要だったのは知らなかった。すまない。ただ仕事の都合上どうしても今日中に腰痛を改善したいんだ」
「ウワッ、お兄さん腰やっちゃったんだ。はじめてだと痛いよな……」
俺はまだ見習いなので本当はダメなんですけど、と前置きされてベッドが一台あるだけの部屋に案内された。
自らをデンジと名乗った男は今年専門学校を卒業したので一応国家資格は持っているので安心して欲しいこと、店主に雇われており今日はもう予約がないので洗濯物などの雑用のためにひとりで残っていたこと、など聞いてもいないことをベラベラ話した。
施術着に着替えるように促されて、背中にホックがついている服を身に付け、ベッドにうつ伏せになる。
「それじゃあまず、鍼からしていきますね〜」
がばり、と背中のホックを開けられ心許なくなる。腰痛を治すことしか念頭に無かったが、よく考えたら鋭く尖った鍼を体内に刺すなんて狂っている気がしてきた。
「やっぱり、鍼はいいです」
グーグルに導かれるままにここへ来てしまったが、鍼を刺される、とイメージするだけで抵抗感が湧いてきてしまった。そもそも鍼灸院と接骨院と整骨院の違いもよくわかっていないし。
「いや、これだけ凝ってたら鍼したほうがいいって。痛くしないんで」
なんてにっこり笑ってデンジは言う。これはよくあるパターンではないか?歯医者でも、痛くないですよ、なんて言いながらゴリゴリ歯を削っていく歯医者にあたったことがある。絶対痛いパターンではないか?
「じゃあ、まずは軽く指圧してからにしましょうか」
緊張で強ばったアキを見かねたのか、デンジが別の提案をしてきた。ぎゅっぎゅ、と背中に指圧がかけられるとそれだけで心地いい。背中なんてひとりではそうそうマッサージ出来る部位ではない。そうそこ!そこが気持ちいい!というところを的確にマッサージされて、心がほろほろ解けていくようだった。思わず気を許してしまった途端だった。
ぷすり。
「んぁっ…………」
全然痛くないのに、痛みの元のような場所がじん、とした。これはもう鍼を刺されているのだろう。謀ったか……。
「早川サン凝ってるから、ちょっと響くかも」
この感覚を響く、というらしい。次々に背中に鍼が打ち込まれ、自分の意思とは全く関係なく刺されたところがビクビク動いてしまう。なんだこれ。
「このまましばらく置いときまーす」
文字通り頭のてっぺんから、足の先まで鍼を刺されている状態なのに、妙にリラックスした心地だった。デンジに鍼を打たれると、自分の意思とは関係なく筋肉が跳ねるのも、他人に手綱を引かれる心地よさの欠片を知ってしまった気がする。
鍼を抜かれる頃にはもう、すっかり身も心も力が抜け切っていた。自宅のベッドでは寝付きが悪かったのが嘘のようにリラックスし切ってしまい、少しうとうと寝てしまったほどだった。背中に鍼が何本も刺さって、あたかもハリネズミのような状態だったというのに。
「じゃあ、少しずつ押していきますねー」
鍼の抜かれた脹脛を、ゴリゴリ揉まれていく。痛いと気持ちいいの違いがだんだんわからなくなっていく。
「ん……、っふぁ…………。んぅ、ぁっ」
自然と呼吸してしまい、肺の中の空気の抜ける音が、声と混ざって出てきてしまう。これじゃまるで喘いでいるようだ。
足の施術が終われば、腕、肩、背中と順に解される。
そのころにはとっくに思考がとろけていた。身体の感覚をただ受け入れることしかできなかった。
「んん…ぁ…っ…ゃ、あ……っ!」
自分からこんな声が出るとは思わなかった。腰を押していた手がどんどん下がっていった。
「ん、んぁ………、ゃ、ちょ待っ、痛"っ?!いた、いたい痛い、い"っ…………!」
「あ〜、ここ痛いですよね〜」
容赦なく男の手がアキの柔肌を揉みしだいた。人の身体でおそらく一番柔らかいだろう部位を容赦なく揉む。
尻がこんなに痛いだなんて知らなかった。
「は、ぐぅっ……〜〜〜〜!ぁ、が、ちょ、ちょ、ぁっ、ぁっ、い"たいっ、ぁう〜〜〜〜〜〜!い"たい"〜〜〜〜〜!」
逃げようにもがっちり尻を掴まれていて逃げようがない。その間にもゴリゴリと尻は揉まれ続けた。信じられない痛みだ。
「腰痛の原因のひとつがおしりの凝りなんだけど、早川サン酷いなァ〜」
きっとにこやかに言っているのだろうが、こいつはとんだ悪魔だ。クソ痛い。
「ぁう、ぁ、っひゃ、そこっ、ゃ…………、あ"!っあ!や、んぅ……、あ"〜〜っ、あ"っ、あ"っ、っ……」
「だいぶ解れてきた。わかる?」
「あ"ぐっ……、も"ぅ……、い"っ、……ひぅ、い"たい"…………、ぅぅ…………」
「痛いけど、気持ちいいですよねー?」
「ふぅ……、んぐ……、ぎもち、い"い"っ…………!っ、からぁ…………!」
「ぎっくり腰にならないようによく解しておこっと。これでスッキリ、明日からも仕事バッチリですよ!」
「お"ぉ"っ"っ"………!ちょ、待っ…………!………………っ!…………ふぐ、ちょ、ほん、っと…………!あ"、はぅ…………!」
鍼灸院ハンパなかった。
気がついたときには全身に汗をかき、身体中の重さがすっかり抜けていた。施術最中のことはリラックスしすぎていたのか記憶が薄いが、凄く効果があったように思う。
少し高い支払いも、この効果が得られるのなら妥当だと、寧ろこんなに腕のいい先生に施術してもらえたのに破格だとすら思う。
いい鍼灸院を知ってしまったなぁ。文字通りに軽くなった足取りで帰路に着いた。
今夜はぐっすり眠って、明日からはまたいつも以上に気合を入れて働こう、と自然と思えた。
「めちゃくちゃ喘いでたな」
閉店作業をしながら、今日の突然の客のことを思い出す。全身に程よくついた筋肉は羨ましかったが、あの凝り固まり方はいただけない。
「また来ねぇかなぁ……」
自分の詐術ひとつひとつに応えるような反応も、悪くなかった。
問診票の名前をそっとなぞった。