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    SALVA.

    一次創作、低頻度稼働中。
    小説、メモ、その他二次創作など。
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    SALVA.

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    テライとサト様、最後の夜の話。
    しんどい。雑。
    気になったら読んでみてね。

    不幸な愛夜が深くなった頃。
    重い扉の音を響かせ、あの方が帰宅を知らせる。
    夜10:30分。いつもよりも少し遅かった。

    珍しく僕は今日、カトラとビャクニブの所へ行かなかった。
    あんなことの後で、ニコニコ笑うのは精神的にもきつい。
    まして少し勘づかれているのだから、一時的に距離を置いた方がいいと、自分なりに思ったのだ。

    それに、なんだかすごく寂しくて。
    自分に痛みをもたらすサト様にお会いしたくて、触れてもらいたくて仕方がなかった。
    自分から友人と距離を置いた心の鈍痛が、毎晩体に施される愛の痛みなんかよりもずっと苦しくて、涙が出そうだった。

    玄関先に行き、暗い電気に照らされたサト様を迎える。
    「おかえりな、さいませ、サト様」
    いつもの調子で。明るく、優しく。

    サト様は僕をちら、と見たが、すぐ下を向いてそそくさと靴を脱ぎ、肩をぶつけて通り過ぎる。
    いつも通りのサト様。いつも通り不機嫌で、この後に僕が癒してあげるルーティン。きっと今日もそうだ。
    僕が後ろからついて行き、いつものように話をする。
    「今日は外の気温が低かった、ようで…薄着のようです、し、寒くありま、せんでしたか…?」
    返事はない。稀に機嫌がいいと頷いたりしてくれるが、今日はいつにも増して彼の纏うオーラが暗くて、僕は不安になる。
    「…た、体調のほ、うは」
    「うるせえ、喋るな」
    やはり今日は、機嫌が悪い。
    僕が言いかけた言葉を遮り、サト様の低い声が、やけに広く感じる部屋の中で響く。
    僕は言われた通り口をつぐみ、サト様の命令を待つ。
    じっと待っていればいずれ服を脱げとか、そういう指示が出されるはずだから。
    僕にはそれしかできない。

    サト様は上着を脱ぎ、ダイニングテーブルに乱暴に投げる。
    この上着は後で僕がハンガーにかけてクローゼットにしまう。除菌と、シワ伸ばしをしてから。
    サト様はトップスの下にいつも薄くて密着性の高い黒いインナーを着ていて、僕をベッドに呼ぶ時はいつもその姿だ。やけに開いた鎖骨部分がとても綺麗で、思わず指でなぞりたくなる。
    サト様は、本当に綺麗な方で。
    悪魔の美貌基準は人間の数倍にもなると習ったし、実際最初近場の人間の顔を見た時は少し驚いた。目と鼻と口の位置とか、形とかにばらつきがあって、やけに痩せてたり、それとは反対に異常に体が大きい人もいる。
    食事によって体型が左右する生態は、やや厄介なものだと、僕も感じていた。

    それでもサト様は。
    人間であるのに、悪魔の基準を通り越して綺麗すぎる。
    自分で言うのもなんだが、地獄にいた時は女の黄色い悲鳴をかなり浴びてきたから、もしかして少し顔立ちに自信を持っていいのかもと思っていた。
    でもその考えはサト様によって完全に否定されることになった。
    悪魔の基準で見ればトップクラス並に顔の整ったサト様は、肌が白く、目が大きくて綺麗で、まつ毛も長く、鼻も高く、髪も艶やかで繊細で、どこもかしこも触れたくなるほど綺麗だった。

    トップスを脱いだサト様は、やや厚手のそのトップスを上着の上に投げて、僕に向き直る。

    さて、ご指名だ、と思った時。

    服を脱ごうとする僕を見つめるサト様が、今までになく顔をゆがめていた事に気づいた。
    首掛けを取ろうと添えた手をそのままにして、僕は口を開かずに、不安げに見つめる。

    そんな僕をじっと睨んだあと、サト様は、らしくない掠れた声で言った。
    「………気持ち悪い顔しやがって」
    僕はハッとする。僕の不安げな表情を見て言ったのか、ただのいつもの罵声か。僕は戸惑い、何かしら行動しようと身を揺らす。
    口を開いてはいけない。先程喋るなと言われたばかりだ。

    僕はどうしていいか分からず、とりあえずと笑顔を見せる。
    言葉をくれることがありがたいと、そう伝えるために。

    サト様はそんな僕を見て、突然目を見開き、そしていつものように僕の胸ぐらを掴みにかかって、壁にドン、と押しつける。強く当たった頭と背中が痛むが、サト様から目を離さぬようにじっと耐える。
    サト様は怒りの表情を浮かべたまま、僕に怒鳴った。

    「その顔だ!!
    自分がどんなに忌々しい顔をしているか分かってるか!?
    お前のその笑顔は俺を欺いてる!!
    本心を隠していることを強く主張している!!
    俺に無理やりされていることを主張している!!」

    僕は胸ぐらを押えられている圧迫感に耐えながら「も、申し訳、ございませ、ん」と伝える。
    そんな表情をしたつもりはなかった。
    ただ、サト様に貶される時、僕は行き場の無い感情を笑顔で誤魔化すことしかできないから。
    …いや、違う。そんな酷い理由じゃない。
    言葉をくださることがありがたいから、そのありがたみを込めた嬉しい笑顔のはず。
    だから笑った。でもそれが逆撫でになってしまったのか。


    笑うなと言うなら、どんな顔をしてサト様の暴言を受け止めればいいのだろう。
    どんな形で、受け止めてあげたらいいのだろう。


    「…そうか。そうだよな。

    お前も他の奴らと変わらねえんだ。
    俺の事を見下して、心の内ではバカにして、貶して、笑ってるんだろ!
    そんなに嫌か!?俺のことが憎たらしいか!?
    今更そうやって顔に出して俺に逆らったつもりか!?
    言いたいことがあるなら直接言ってみろこの腰抜けが!!
    嫌と言ってみろ!!

    どいつもこいつも同じだ!!
    同じ目で俺を見下しやがる!!

    どうせお前も俺が憎いんだろ!!

    なら言えよ!!憎いって!!」

    僕は驚いた。
    サト様が、以前言っていたことと逆のことを言っているのだ。

    初めて会った時、サト様は言った。
    「お前の感情も意思もどうでもいい。全て忘れて全て俺に捧げろ」

    だから僕は自分の気持ちを押さえ込み、洗脳して、ここまで来た。
    他者の心配を噛み殺してまで。
    それなのに今は、本心を言わない僕をこんなに叱っている。
    本心を出すなと、あなたが言ったから僕は。

    どうして?



    ……もしかして。
    もしかすると。


    サト様の中で、何かが変わったのか?



    思い出さなきゃ。
    塞ぎ込んでいた、本心を。


    僕は…サト様をどう思っていたろう。
    心の内で、サト様のことを。

    好きでいよう、ではなくて。

    …僕は。


    ………やっぱり。
    かなり昔に閉じ込めた本心が、すぐに出てくるわけがない。
    二度と思い出せないよう、固く閉じ込めたせいで。
    僕は目を閉じる。



    ………いや。


    なんだ、簡単なことじゃないか。


    嫌なら、お守りしなきゃなんて思わない。

    仕事だから、なんて気持ちだけで乗り切れるものじゃない。


    この地獄は、愛がなきゃ乗り越えられるわけがないはずだ。


    僕はずっと、サト様をお守りしたかった。









    「……………………す」
    「…あ?声がちいせぇよ!!はっきり言えよ!!」

    「愛して、います」


    静かな空気。暗くて、重くて苦い沈黙。
    サト様の、驚いたような顔。

    今僕は、義務的にサト様を好きでいた。
    サト様にこうしてもらえることが幸せなんだと自分に言い聞かせて。それが仕事だって。
    でもいつしか、そうして居れば幸せになれるなんて、不幸者の考え方をしていて。

    …え、今、幸せじゃないの?

    ふとそう思った時に、僕の中で押し殺されていた本心がなんだったのか、分からなくなって。
    僕がサト様を好きでいるのか、そうでないなら逆にどう思っているのか、それすらもう分からなくなってしまった。

    でも、今わかった。
    僕は、サト様のことを心から愛している。

    それはなぜか。どうしてそう思うのか。

    僕は泣いてしまった。感情に任せて。
    まだ完全に消えてはいない本心を、必死にしぼりだして泣いた。


    いつもは酷く考え、翻訳しながら話している人間の言葉が、不思議とスムーズに出てくる。

    「…僕は、あなたを好きでいることが仕事だと、そう思っていました。そうすることで、僕は幸せで、サト様も幸せだと。
    でも、いつしか僕はそれでは自分が幸せでないのかと思い始めて…そうしたら、もう何が何だか分からなくなって…サト様を愛する気持ちすら、本当の愛ではないんじゃないかって…

    何より、サト様だけじゃなくて、自分も幸せになろうとしてたってこと自体が傲慢なのかって…」

    サト様は、何も言わず僕を見ていた。
    その顔に驚きを宿したまま。


    僕の本心は、ほんの少しだけしか残っていなかった。

    そのほんの少しを逃さないよう、ゆっくりでいいから外に出す。
    もう、忘れることのないように。


    「…でも僕は、もう自分の幸せなんでどうでもいいです。

    痛くて苦しくて、心と体が傷つくだけの毎日のはずなのに、それを僕は嘘でもありがたいと思って、嬉しいと思って乗り越えてきた。
    不幸であることを、押し殺してきました。
    本当に嫌だと思うなら、そんなこと出来ないはずでしょう…?
    できたとしても一時的で、いずれ壊れてしまう。

    あなたが、壊れてしまったように。

    でも僕は我慢できたんです。全部、全部。
    きっと愛があったから、僕は壊れたサト様に尽くすことが出来た。
    サト様が、幸せになれるようにと思えた。
    そして壊れた部分を治してあげたかった。
    そのためなら、何でもすると思えていたんです。

    そこに愛が無いわけ、ないじゃないですか。

    あなたが幸せになった時、僕もそのサト様の幸せこそ僕の幸せと思えばいいなんて、思えるに決まってるなんて、そう考えていたんです。

    だから、愛しています。
    僕が幸せでなくとも、サト様を愛しています。
    自分でも驚いていますが、僕は自分が思ってるよりずっと、サト様を愛しいと思っていたんだと、そう思います。

    僕の本心はもう薄れて、こんな軽薄な言葉でしか表せないし、自分のことのくせに確信も持ててないのが不安ですが………

    僕は、あなたを憎んでいません。

    僕はあなたを心から愛しています。
    今までしてもらったことを、全て不幸とは思いません。

    痛くても辛くても、その中にずっと、愛がありました。」

    自分でも言ってることが矛盾しているように感じた。

    本心は分からない。
    でも、こんなことをされて逃げ出さずにいられたのは、仕事だからという理由だけじゃない気がする。
    僕も、これに耐えたいと思う心があったはずだ。
    じゃなきゃ耐えられるわけがなかったから。

    その耐えたいと思う理由はなんだったか。

    それが、サト様への愛と直結するのではないかと。
    サト様を哀れに思い、支えてあげたいと願う度、その愛が大きくなって行ったのではないかと。

    僕が黙ると、サト様は胸ぐらの手を弛めた。
    ハッとしてサト様を見ると、サト様はよく分からない顔をしていた。
    悲しみ、驚き、怒り、色々な感情が混ざりあってるように見える。


    そして、突然サト様の目から涙がこぼれた。

    驚きで、声が出ない。

    サト様が、泣いている。
    今まで1度も見た事がなかった、泣き顔。

    悲惨で、可哀想な顔。


    でも。

    僕はそれを、自然と可愛いと思った。


    サト様のことを好きでいる。
    心から好きでいることの、証明だ。


    それとは別に。
    僕は泣かせてしまったことを謝ろうとした。

    しかしそれよりも先に声を発したのは、サト様だった。




    「………………嘘だろ…」


    僕は、また目を見開く。その声はか細くて、弱くて、儚い。
    いつものサト様からは到底想像のできない声だ。


    「お前…俺にされたこと……覚えてるだろ………?
    ……こんな俺の事…憎いにきまって…」




    あぁ、そうか。
    サト様は今、歪な形ながらでも、自分を憎まない者が目の前にいることをようやく認識できたのだろうか。

    それなら僕は、今度こそ、サト様の本心を。


    「憎まないです。憎めないです。
    僕は何をされようと、サト様を愛しています。

    なんでか、なんて分かりません。

    それでもそこに論理のない愛があって、ただそれだけで。

    ただ愛おしいと、そう思っています。」



    その途端。


    サト様は頭を少し振って、そして。


    「………………お前……馬鹿だろ…………………」


    その綺麗な髪の頭を、僕の胸元にグッと押し付けてきた。
    両手で僕の胸元あたりの服をシワができるほど握って。
    嗚咽を、大きくあげながら。

    ……ああ、これだ。

    サト様の、本心。
    サト様の、本当の姿。

    頼るものができて、頼っていいとわかって、泣いてくれた。
    もう、我慢の限界だったはずだ。

    僕は、サト様の頭に手を置いた。
    いつもなら殴られるどころじゃ済まないが、今は抵抗もしてこない。


    「あんなことされて…………それでも俺を好きでいるのかよ……
    なんで憎まないんだよ………なんでそんなに、俺を…

    頭…………おかしいだろ……………」

    いつも言われてきた言葉の中で、1番優しい暴言。


    僕は、サト様の体を優しく抱きしめた。
    抵抗してこないサト様は、そんな僕を受け入れてくれているようで。

    「……………お前、名前……、名前、確か…」

    僕は「テライです」と返事をする。

    サト様は小さく「テライ」と呟き、顔を伏せたまま、僕を見ない。
    ただ嗚咽を上げながら、僕の服を握りしめて、泣きじゃくる。
    だからその小さな体を、大きな体の僕が包み込んであげる。
    背中が、震えている。

    今、ありのままになったサト様を、こうして一番近くで見られていることへの喜びが、ひしひしと湧き上がってくる。


    「……………ご………」

    サト様が何かを言っている。
    嗚咽に交じっていて、よく聞こえない。
    それでもそのからだを僕に任せきって、僕が抱きしめていないと崩れ折れてしまいそうなほど力が弱かった。

    僕が名前を呼ぶ。
    「サト様………」

    すると、サト様はしぶしぶ顔を上げた。
    その顔は涙と鼻水で濡れていたが、やはり、とても美しくて。

    そして、そんな顔でサト様は言った。

    「………ご、め………」




    言葉というよりは、音だったけれど。
    それでも、サト様は頑張ってくれた。
    僕に、謝ろうとしてくれたのだ。
    生まれて、初めて。


    気づくと僕は、サト様にキスをしていた。
    サト様が教えてくれた、気持ちのいいキスの仕方。
    「絶対に落とせる最強のキス」
    そんな名前だったかな。

    サト様は最初体を強ばらせて、口を固くしていた。
    無理やりこじ開けたりしないように、少しずつ口をなじませる。

    サト様はまるで乙女みたいに手でギュッと僕の服を握ったまま、キスを受け止める。だんだん口が開いて、僕の口に慣れ切った味が広がる。アルコールの味。
    今日もどこかで飲んできたのかな。

    音を立てて舌をからめる。吐息をお互いに漏らしながら奥の奥まで愛を届け合う。今までと全然違う、甘くて、柔らかなキス。

    気持ちいい。
    痛くない。苦しくない。
    やっと出来た、ずっと望んでいた。

    愛のあるキス。


    僕は、幸せだった。




    涙がおさまった後、サト様は机の上に置いた上着を自分でハンガーにかけ、トップスを洗濯機に投げ入れた。僕がやろうとすると「自分でやる」の一点張りで、少し僕は戸惑った。
    この一瞬で、サト様が大きく動いた証なのだろう。
    僕は、胸の穴が少しずつ埋まるよう感覚を覚えていた。

    予め作っておいた食事を温め直し、サト様に出す。
    いつもなら「いつになったら俺の舌に合う飯を」とかうんたらかんたら言われるのだが、今日は何も言わずに黙々と食べていた。
    気まずくなり、僕は声をかける。
    「…味、少しはマ、シになりましたか…?」
    するとサト様は、口を動かしながら僕を見て、ゆっくり飲み込むと低い声で言った。

    「元々、味を感じにくいんだよ。

    今までは…ほら…………それをお前のせいにしただけで…

    そんな、不味くねえ………」

    たどたどしい言葉。言いずらいけど、がんばって言ってくれているのが分かって、僕は思わず笑う。

    食事を終え、僕が食器を下げて洗っている最中に、サト様は横でそれを見ながらタバコを吸っていた。

    タバコ。
    少しだけ、寒気がした。
    あまりに機嫌が悪いと、その吸殻を僕に押し付けることがあったから。今も首の下にその跡があって、もう痛くないはずなのにヒリヒリする感覚がして、自然と身構えてしまう。

    できるだけタバコの方を見ずに皿洗いをする僕を見て、サト様は灰色の息を吐き出し、言った。

    「…外で吸ってくる」

    そして、タバコをもったままベランダへ向かう。


    まるで別人みたいだった。

    喋り方も、顔も、仕草も。
    全てが角が取れたように柔らかくて。
    少し寂しく感じながらも、僕は本当に心のうちが暖かくなるような気がして。

    ふと、ベランダに出ようとするサト様が、さっきのインナー1枚であることに気づく。
    ココ最近は夜が冷え込むので、少し心配になった。

    僕は手を拭いて、さっきサト様が自分で干した上着を取ってサト様に駆け寄る。
    「サト様、お外は寒いで、すから、せめて上着を」

    するとサト様は、勢いよく振り向いて怒鳴った。
    「悪魔のくせに知った口利くんじゃ…………」

    一瞬、元のサト様に戻った。
    でも直ぐに本人がハッとして、戸惑ったように言葉を失う。
    そして、また目を歪めている。

    仕方の無いこと。
    今まで誰にも心を開けなかったサト様が、不器用ながらに本心を吐き出そうと努力してる中で急に全て素直になれるわけが無いし、きっと癖になっているだろうから。

    サト様が震えているのを見て、僕は近づく。
    サト様が、ぴくりと跳ねて身構える。

    僕のことを、怖がるみたいに。

    僕は上着を後ろから回してあげて、優しく言う。
    「風邪、ひかな、いでくださいね。」

    僕は「大丈夫、分かってます」と、そう伝えたかった。
    でも直接言うと相手の立場がないから。
    だから、こうやって遠回しに。

    サト様は僕を不安げに見つめる。
    かけられた上着の裾を持って、物言いたげに。

    僕は微笑んで言った。
    「お風呂入れ、て待ってますね」

    サト様は決まり悪そうに俯いて、そのままベランダに出る。
    僕はサト様の背中を見送り、直ぐにお風呂の準備に取り掛かった。

    お風呂に入る時、たまに僕と一緒に入る。
    体を洗ってあげることが主だが、終盤は大抵お風呂場で犯されて、ポイってされるけれど。
    今日はどうするのだろう。1人で入るのであればバスタオルなどを外に出しておいてあげるのがいつもの事。一緒に入るなら入る時に出せばいいから…
    僕は少し迷って、お湯張りのボタンを押して蓋をし、洗面所で佇んで考える。
    本人に聞くのがいちばん早いかもしれないけど、わざわざ自分と入るかどうかを聞くのは図々しいというか、恥ずかしいというか。
    でも今のサト様じゃ、もし僕と入りたくても気持ちを押し殺して1人で入ってしまうかもしれないし。だとしたら直接聞くべきなのでは…
    そんなことを考えているうちに、あっという間にお風呂は沸き上がってしまった。

    追い炊きすればいいけど、冷めないうちに入って欲しいから…

    僕は駆け足でリビングに戻り、机に置いてあった灰皿を取ってベランダをゆっくりと開け、外にいたサト様に声をかける。

    「サト様、お風呂、準備で、きました。」

    サト様は振り向いて、やつれた顔でタバコを咥えていた。
    今日は精神的にも色々来ているはずだから、ゆっくりお風呂に入って体を癒してくれれば…
    僕はそう思って灰皿を差し出す。

    サト様は少し戸惑った後で灰皿にタバコを押し付け、中へ戻る。
    上着を脱いで、またその辺に投げようとして少し固まったあと、ちゃんとハンガーにかけ直す。
    サト様は決まり悪そうに下の方を見たまま「風呂…入ってくる」と言う。
    僕は思わず声をかけようとして洗面所へ向かおうとするサト様を追いかける。
    サト様は洗面所について、すぐに上を脱ぐ。
    伸縮性のあるインナー1枚だったから、その身振りはとても軽そうに見えた。
    僕がぼんやりと見つめて話しかけるタイミングを見計らっていると、サト様は気まずそうに言った。
    「…何、見てんだよ」

    僕はハッとして弁解する。
    「いっ、いや、その……………今日は、一緒には、いる…のかなっ………って」

    するとサト様は目を見開いて僕を見つめ直し、また少し黙った後でジーパンのベルトを外しながら言った。
    「………お前はどうしたい?」

    初めて聞かれた。
    僕の意志を聞いてくるサト様に違和感がある。
    それに重なって、ものすごく嬉しくて。

    「…っは、入りたい…です」

    顔が熱い。今までこんなふうに緊張することもなかったのに。

    サト様は体の動きを止める。
    そして少し唇を噛んで、「好きにしろ」と投げやりに言った。

    僕は胸元が少ししわくちゃになった服を脱ぐ。首掛けを取り、上着を開いて脱ぐ。モンペを緩めて下げ、下半身に巻いた包帯をとる。

    裸になった僕が浴室の戸を開けると、サト様はチラリと僕を見て中へ入っていった。

    いつものように僕がサト様の体を洗おうとすると、少しだけ顔を赤らめたサト様が「自分でっ…」と言いかける。
    僕が苦笑いをしていると、サト様は僕からタオルを奪う。
    そして勢いよくシャワーを出して、タオルを濡らす。

    僕が後ろで立ち、椅子をサト様の座りやすい位置に持っていくと、サト様は言った。
    「お前が座れ」

    僕はポカン、と固まってすぐ、今までの命令反射ですぐにその椅子に座る。その様子を見てさぞ苦しそうな顔をしたサト様が、僕に振り返って立膝でしゃがみこむ。

    「…………俺が、洗ってやる」

    サト様にそう言われ、思わず「ぬ…?」と声が出る。
    人間の言葉でいえば「え…?」と同じなのだが、思わず悪魔の言葉が自然と出てしまった。

    サト様は泡立てたタオルで、無言で僕の体を丁寧に洗い始めた。いつもみたいに雑じゃなく、傷つけないように意識しているのか本当に優しく、力を込めすぎず。

    時々サト様が手を止めてじっと体を見つめてくる。
    何を見ているのだろうと思いその目線を追ってみれば、過去にサト様によって付けられた傷の痕を見つける度に固まっていたことが分かって、心が痛む。
    もう痛くないのがほとんどだ。
    ただひとつ、昨日付けられた鎖骨の傷を除けば。

    サト様は僕の鎖骨を見て、やはり手を止めた。他の痕に比べて血色のいいその傷をじっと見つめ、そして僕を見る。
    僕はここぞとばかりに微笑んでみせる。

    サト様はそれを見て息を震わせて吐いて、そして目をピク、と動かす。
    そして、傷を避けて、別の場所を洗う。

    「背中…」
    サト様がそう呟くので、僕は返事をして後ろを向く。

    後ろを向いてもなかなか背中を洗ってくれないので、僕は首で振り返り「…サト様?」ときく。

    サト様はまた固まっていて、目を潤わせていた。
    そう、また泣き出しそうな顔で。


    …そうだった。
    背中には、羽を切られた跡があるんだ。
    それを見て、残された残りの1本を見て、サト様は何を感じているんだろう。
    その悲しげな目に、どんな思いが…

    そう思っていると、サト様は目を伏せて、残っている1本の羽を持ち上げて優しく擦り出す。

    その優しさが、あまりにも温かくて、一周まわって痛くて。
    嬉しさのあまり、涙がこぼれた。
    僕が顔を手で覆っても、サト様には見えていない。
    ほんの少しだけ目からこぼれたものくらい、シャワーでごまかせるだろう。

    静かに泣いて、僕はサト様が洗い終わるのを待った。


    結局僕が体を洗われて、サト様は自分で体を洗っていた。せめてと思い背中は洗ってあげたものの、サト様は恥ずかしそうだった。
    今はそれすら嬉しくて、泣いてるのがバレないように息を潜めていた。

    湯船に浸かる。

    そこそこ大きい浴槽なので、2人で入ってもほとんど問題ない。
    サト様が入りやすいように僕が体を縮こませると、サト様は「別に、そんなことしなくていい」と言ってくれた。
    本当に、昨日までのサト様はどこへやら。
    でも嬉しくて、そして愛らしくて。
    僕は幸せな気持ちでいっぱいだった。

    そうだ。
    今がとても幸せなんだ。
    こうして、ちゃんと愛し合えている今が。

    ふと、サト様が僕に触れた。鎖骨の新しい傷の近くに手を置いて、濡れた前髪を退かさずにじっと見つめている。
    力を込めていない、優しい触り方。
    こんなふうに触って貰えたこと無かった。
    気分が良くて撫でてくれる手だって、もっと乱暴だったのに。

    そして手を滑らせ、あちこちにある傷の痕を撫でたあと。

    その目で僕を見上げて、一言。

    「…………いてえよな」

    僕は、静かに答える。

    「痛くないです。少しも。」

    そして。

    「でも、「痛かった」んだろ…」

    また、泣いてしまった。目元を赤く腫らして、肩を震わせて。でも、何も抑えこんでいない、全てを曝け出したように、全てを吐き出すように、自分を開放していた。
    湯を揺らして、僕はサト様を抱きしめる。艶のある肩に手を添えて、爪が刺さらないように優しく擦りながら。
    サト様の髪の毛が胸にあたってくすぐったい。
    涙や鼻水が、僕の肌に垂れて、歪に刻まれたタトゥーをなぞっていく。
    それでも、ちゃんと抱きとめてあげたい。
    よく声の響く浴室で、サト様のすすり泣く声が響いている。

    辛いのは、サト様の方だ。
    ずっと辛かったのを我慢して、僕にだけ当たってくれていたから。

    今はどうだろう。僕に当たるのではなく、泣くことで解消できているのだろうか。

    当たって解消する方が彼に向いているかもしれない。
    そんなことを脳裏に過ったのは、僕が前のサト様をどこか恋しく思うせいだろうか。

    なんだ、これ。

    今が幸せのはずなのに、前の傷つけられる生活を、恋しく思っている?
    いや、そんなわけ…


    僕は難しいことを考えたくなくて、脳の動きを止める。
    ただ、腕の中で泣いているサト様を、優しく抱き留めることでしかこの心の痛みを紛らわすことができなかった。


    風呂からあがり、着替えてそのままベッドへ行く。
    サト様が横になったあとで、僕はインナーだけになってその隣に寝る。気を使って、少し距離をとって。

    すると何を思ったのか、サト様が僕に「ん」と手を伸ばす。

    さすがに、可愛かった。
    口角が上がるのを我慢して、身を捩らせてサト様に寄り、お互いを抱きしめて寝る。

    常夜灯だけの暗い部屋の中で、サト様は言った。

    「…背中、もう痛くねえの」
    僕は静かな声で、落ち着くように答える。
    「はい。もう全く痛、くないです」

    サト様は掠れた声で「そうか」と言うと、それ以降口を開かなかった。

    ふと腕の中に目をやれば、涙を零して眠りに落ちたサト様がいる。すうすうと寝息を立てて、いつもみたいに魘されている様子も無い。
    今までのように眉間にシワのない、安らかで、穏やかな顔。

    明日から、サト様との暮らしは今までと大きく変わるのかもしれない。今までみたいに傷つけられることもないのだろう。

    ……………それなのに。

    傷つけられたいと、そう願う自分がいる気がして。

    僕は、その気持ちをねじ伏せて、この幸せを噛み締める。
    ただ何も言わず、サト様を抱きしめて、夢の中へ落ちる。

    余計なことは考えなくていい。

    これが、僕の幸せだから…





    翌朝。
    僕は顔面に衝撃が走って目を覚ます。
    鼻が痛い。折れてはいないだろうけど、かなり痛い。

    僕が顔を押さえて唸っていると、聞きなれた声がした。

    「気持ちわりぃ」

    僕は目を開く。横に見える世界をぼんやりと眺め、ベッドから降りて立ち上がり、こちらを見るサト様がいた。

    僕は体を起こす。
    「おはよう、ございます。サト様。昨晩、はよく眠…」
    「口を開くな」

    冷たい声色に、僕はハッとした。
    サト様が、昨日の安らかな顔でない。
    例えるなら、数日前の、僕が1番知っている、可哀想なサト様。

    …昨日のは、夢だったのだろうか。

    僕は戸惑い、問いかける。
    「サト様…?あの、どこか身、体が?」

    サト様は鼻で笑って言う。
    「昨晩少し俺が弱音を吐いたくらいで調子に乗るな。

    キモイ勘違いするなよ?
    俺はお前に心を許すことは、一生ない」



    そうだ。サト様は、素直になれないお方だ。


    昨日言ったことに嘘は無いのだろうけれど。

    それでも。

    あれ、なんでだろう。


    その言葉に、酷く安心する自分がいた。
    いままでのように乱暴になったサト様に対して、ものすごい安心感を抱いている。
    どうして。
    昨日は、あんなに幸せだったのに。

    どうして今の方が、落ち着くんだろう。

    僕は答える。
    「…はい。
    これからも、御奉、仕させていただきます」

    サト様は、歪んだ笑顔で言う。

    「俺の先は長いぞ、テライ。覚悟しておけ。」

    今日のサト様、機嫌がいい。

    僕は、笑って答えた。

    「はい、サト様。」


    サト様はまた鼻で笑って、脱いだ服を僕に投げ付ける。
    そう、これだ。これを待っていたんだ。

    僕は、切なく笑った。


    サト様はすぐに着替えを済ませ、朝食も取らずに玄関へ向かう。
    それを見送りながら、僕はきく。

    「…今日は何時頃、お帰りになられま、すか」

    サト様は僕を見ずに靴を履きながら答える。

    「6時頃には戻る。

    それまでに…体の準備をしておけ」


    僕は、下半身が酷く熱く、痛む感覚を覚えた。

    でもそれが、それが


    「分かりま、した。いってらっしゃ、いませ」


    気持ちよくて。

    楽しみで。


    不幸な日々を、求める自分がいた。


    「…………は、いい子にしてろよ」


    玄関の扉を開け、サト様が外へ出る。

    扉を占める直前、サト様がまた苦しそうな顔をしたのを見逃さず


    扉が、重い音を立てて閉じた。



    僕はこの時、知らなかった。

    サト様がこの扉を開けることは、もう二度と無いことを。

    サト様が、此処にはもう戻られないということを。


    薄い色をした霞む空の下で。
    不幸な愛を嘲笑い見下ろす天使が1匹。

    「…哀れに麗しき人の魂よ
    我がありがたき情けを受け入れよ。
    憂へを胸に、獄の元へ落ち
    おだしき死を迎へたまへ。」
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