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    はなねこ

    胃腸が弱いおじいちゃんです
    美少年シリーズ(ながこだ・みちまゆ・探偵団)や水星の魔女(シャディミオ)のSSを投稿しています
    ご質問やお題等ございましたらこちらへどうぞ~
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    はなねこ

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    幼なじみ高校生現パロのシャディミオ小話です。バレンタインネタ第4話(最終話)です。
    バレンタインシャミSS、これにて完結です!!めちゃくちゃ楽しんで書きました。読んでくださってありがとうございました!!

    #シャディミオ

    ミオリネ・レンブランの冒険4 夢をみた。
     ここは、九歳のわたしの部屋。
     お人形のようなベッドに九歳のわたしが潜り込んでいる。小さく小さく、みの虫みたいに身を縮こまらせている。
     わたしが作った生焼けブラウニーを食べて、シャディクがお腹を壊しちゃった。
     ごめんなさい。
     ごめんなさい。
     ごめんなさい。
     シャディクに謝りたい。
     でも、勇気がない。
     シャディクに会いに行く勇気がない。
    「君なんて大嫌いだ。絶対許さない」
     シャディクにそう言われるのがこわい。
     ああ、でも。
     今頃、シャディクは痛くて苦しくて、夜も眠れないかもしれない。
     わたしのせいで。
     わたしがブラウニーを作ろうなんて思いついたせいで。
     ごめんなさい。ごめん、ごめんねシャディク。
     神様。
     神様。
     おねがいします。
     シャディクの痛いを、わたしのところへ飛ばしてください。
     シャディクの苦しいを、わたしのところへ飛ばしてください。
     シャディクを元気にしてください。
     神様。
     神様。
     おねがいします。
     ――だいじょうぶ。
     毛布の上から、ぽんぽん、誰かの優しい手がわたしを撫でる。
     ――僕はだいじょうぶだよ、ミオリネ。
     ――だから、笑って。
     ――わらって。
    「ん……」
     鉛を詰められたみたいに重たいまぶたを持ち上げる。いつのまにか部屋の中は薄闇に包まれていた。
     いま、何時だろう……。
     首を動かしてヘッドボードの時計を確認する。まもなく午後九時になろうとしていた。四時間近く眠っていたことになる。さすがに家政婦さんは帰ってしまっただろうし、おとうさんも今夜は帰ってこないから、誰にも起こされることなく眠っていたんだ。懐かしい夢をみていた気がするけれど、どんな夢だったか思い出せない。
    「頭痛い……」
     泣きながら寝たからだ。きっとひどい顔をしてるんだろうな。
    「――顔、洗わなきゃ……」
     つぶやく。喉もカラカラだ。
     手の甲で濡れた頬を雑に拭いながら、わたしはベッドの上に起き上がった。そのとき――
     静寂を震わせるかすかな振動が続けて二回。
     音がした方――部屋の隅っこへ目を向ける。おそらくコートのポケットに入れたままにしていたスマホが震えたのだろう。
     緩慢な動きでベッドから立ち上がると、わたしは脱ぎ捨てられたコートの前まで行き、コートのポケットからスマホを取り出した。ロック画面に並んだ通知の一番上――メッセージの送り主の名前を見て、瞬間、息が止まりそうになった。
    「――!」
     シャディクだ。
     シャディクからメッセージが届いていた。
     慌てて通知をタップし、メッセージアプリを開く。
    『遅い時間にごめん』
     に続けて、
    『今から会える?』
     いまからあえる?
     イマカラアエル?
     文面はごく簡潔。なのに、思考が追いつかなくて、たった数文字の問いかけの意味を理解するまでに通常の何倍もの時間がかかってしまう。
    「え、今からって、え」
     返事を打ち込む指が震える。手のひらが汗ばんで、スマホを取り落としてしまいそうになる。
    『うん』
    『これからうちへ来る?』
     間を置かずに返信が届く。
    『実は今、君の家の前にいる』
    「――!」
     うそ……!
     シャディクがきてくれたの?
     わたしに会いにきてくれた?
     ――バレンタインの夜に。
     理由なんてどうでもいい。着の身着のままわたしは部屋を飛び出した。
     階段を駆け下りる。タイツの足先にボアサンダルをつっかけて――扉の鍵を開けるのももどかしい――玄関を出る。
     吸い込む空気が氷のように冷たい。一瞬で頭が冴える。
     門扉の近く、琥珀色の門灯に照らされて、ひとり佇むシャディクの姿が見えた。制服姿ということは予備校の帰りなのかもしれない。
    「シャディク!」
     わたしは叫んだ。叫んでからもう夜も遅い時間だと気づき、慌てて口を押さえる。
     無造作に振り返ったシャディクが微笑む。首に巻いたグレンチェックのマフラーが揺れる。
    「やあ、ミオリネ」
     わたしの名前を呼ぶ息が白い。
    「よかった。会えて」
    「うん……」
     シャディクがきてくれた。わたしに会いにきてくれた。
     胸がつまりそうになるのは冷たい夜の空気を吸い込んだからだけじゃない。
     きゅっと唇を噛みしめて、わたしは足早に門扉へ駆け寄った。
    「ここじゃ何だから、入りなさいよ」
     シャディクが首を横に振る。
    「もう遅いし、すぐにお暇するつもりだから、ここでいいよ」
    「じゃあ、わたしがそっちへ行くわ」
     門扉を出て、わたしはシャディクの前に立つ。シャディクの胸に今すぐ飛び込みたい気持ちを必死で抑えて、彼を見上げる。
    「こんな時間に呼び出してごめん」
    「別に、謝られるようなことじゃないし……。で、用事って何よ?」
    「どうしても今日中に、君に渡しておきたいものがあって」
     渡しておきたいもの?
     訊ねようとしたとき、くしゅん、くしゃみがこぼれた。
    「ごめん、寒いよね」
     そういえば、わたしも制服のままだった。
     シャディクが自分の首から外したマフラーをわたしの首に巻きつける。ふわり、シャディクの匂いがわたしを包む。――あったかい。
    「目が赤い」
     ちょっと腫れてると、シャディクがわたしをのぞき込む。
    「さ、さっきまでうたた寝してたから」
     シャディクの視線から逃れるように顔を背ける。――泣いていたこと、シャディクに知られたくない。
    「そ、それで? わたしに渡したいものって何よ」
     口に出してから自己嫌悪に襲われる。――ああ、どうしてそんなつっけんどんな言い方になっちゃうの。
    「そうだったね。――要領が悪くてごめん」
    「あんた、さっきから謝ってばっかり。わたし、あんたに謝ってほしいわけじゃないのよ」
    「ごめ……」
     言いかけて、飲み込んで、シャディクはきまり悪そうに笑った。片手で口もとを覆い隠すようにしながらつぶやく。
    「――緊張しているのかもしれないな」
    「緊張……しているの?」
     わたしは首を傾げる。だってシャディクはいつもこちらがくやしくなるくらい余裕たっぷりで、緊張したりだとか動揺したりだとか、そういう感情のぶれは見せないタイプだと思っていた。
     そのシャディクが緊張しているの? 動揺しているの?
     わたしのことで?
     ――やだ、かわいい……。ぎゅってしたい。
    「君の前で取り繕うとしても無駄だな」
     苦笑気味に頷いて、シャディクは手に提げていた紙袋を持ち上げた。スクールバッグとは別の、クラフト素材の小さな紙袋。
    「これを渡しにきたんだ」
     そう言って、シャディクが紙袋の中から取り出したのは――
    「わあ……」
     わたしの目の前に、水色と黄色のお花で作られた小さなブーケが差し出される。蝶々のかたちにふわりと結ばれたベビーブルーのリボンが、門灯の光を浴びてきらきら輝いていた。
     わたしはおずおずとブーケを受け取った。甘くて瑞々しい香りがわたしの鼻をくすぐる。
    「可愛い……。でも、どうしてわたしに?」
     シャディクを見上げて訊ねる。
    「だって今日はバレンタインだろ」
    「え?」
    「バレンタインは、女性が男性へチョコレートを贈る日だと思われているけど」
    「そうじゃないの?」
     最近じゃ友達同士でチョコレートを交換したりするけれど、バレンタインは、女の子が好きな男の子にチョコレートを贈って、想いを伝える日じゃないの?
     ふっと口もとを弛めて、シャディクが首を横に振る。
    「バレンタインは――男性も女性も、大切なひとに贈りものを贈って、恋人や夫婦がお互いの愛を確かめ合う日だよ」
    「え……」
     バレンタインは、大切なひとに贈りものを贈る日。
     バレンタインは、恋人や夫婦がお互いの愛を確かめあう日。
     シャディクの言葉を反芻して、心拍数が高まる。
     それじゃ、そんな言い方じゃまるで……、シャディクがわたしにブーケを贈ったのは、わたしとシャディクが……。ううん、ミオリネ、そんな都合のいいこと考えちゃダメ。考えちゃダメよ。でも、でも……、少なくともシャディクはわたしのことを……。
     ――大切なひとだって思ってくれてるの?
    「白状するよ」
     シャディクが自嘲めいた口ぶりで言葉を継ぐ。「今日はバレンタインだから、ミオリネからチョコレートをもらえないかなって期待してた」
    「はあ?」
     思いがけない言葉を聞いて、声が裏返る。
    「な、何よそれ。だ、だ……、だって、だってあの女子達は?」
    「女子達?」
     シャディクがきょとんとした目でわたしを見返す。 
     放課後のミーティングルーム。ピンク色のリボン。宝石みたいなチョコレート。
     思い出すだけで胸が押しつぶされそうになる。わたしはお腹に力を込めて言った。
    「知らないとは言わせないわよ。今日の放課後、ミーティングルームで女の子達からチョコレートをもらっていたじゃない!」
     チョコレート……とわたしの言葉を繰り返してから数秒後、合点がいったようにぽんと手を打つと、シャディクはふふっと笑みを漏らした。
    「な、何がおかしいのよ」
    「ミーティングルームの、見られていたんだ」
    「見ようと思って見たんじゃないわ。スレッタと一緒に渡り廊下を渡っているときに偶然見えただけで……」
    「違うよ」
    「え」
    「あのチョコレートは違うよ。俺に贈られたものじゃない。彼女達が自分で食べるんだ。自慢っていうのかな、『どうだ、おいしそうだろう』って見せびらかしていただけだよ」
    「え……」
    「俺が家庭教師のバイトをしているの、ミオリネも知ってるよね」
    「え、うん」
     唐突に、何?
    「知り合いのお家の小学生の、でしょ?」
    「そう。それとは別に、今部活内で、有志が集まって月に一度小学生向けの寺子屋を開こうって計画を進めているんだ。学校から空き教室を借りてね。今日の放課後はその件についてミーティングをしていたんだ。彼女達は寺子屋プロジェクトのメンバーだよ」
     それに、と、小さな子どもが秘密を打ち明けるような調子でシャディクが言葉を継ぐ。
    「彼女達はみんな、俺がたったひとりの女の子からしかチョコを受け取る気がないって知っているよ」
    「あ……」
     シャディクの、たったひとりの女の子。
     はっきり言葉にしなくても、わたしに向けられる大型犬みたいな優しい眼差しが、それが誰かを物語っている。それが誰なのか、わたしにも伝わってくる。
     どうしよう。嬉しくて、胸がいっぱいなのに、
    「ひょっとして、妬いた?」
    「はあ? ど、どうしてわたしが? 自意識過剰よ。チョコをもらえるかもしれないとか妬いたとか、自惚れてるわ」
     口からこぼれる言葉は、相変わらず刺々しくて可愛さのかけらもなくて。
    「うん、そうだね。俺は自惚れ屋だって、自覚しすぎるほど自覚しているよ」
     自惚れ屋だから分不相応な夢をみてしまうんだ、とシャディクが笑う。
    「自分でも往生際が悪いなって呆れてる。でも、往生際が悪いのなら悪いなりに、みっともなくてもいいから足掻いてやろうと思った。俺は、俺の大切なたったひとりの女の子に贈りものをしたいと思った。意地っ張りで、危なっかしくて、寂しがり屋で」
     シャディクの指がわたしの目尻に触れて、拭うように動いた。
    「俺の痛みを肩代わりしてやりたいって泣いていた優しい女の子に、俺の大好きな女の子に贈りものをしたいと思った。だから――実行した」
    「シャディク……」
     思わず顔を伏せる。優しい色合いのブーケが視界に飛び込んでくる。黄色と水色のお花達が、わたしに向かって「だいじょうぶだよ」とささやきかけている気がした。
     ――ミオリネさん。
     耳の奥で、わたしを鼓舞するスレッタの声が甦る。
     ――バレンタインのケリはバレンタインじゃないとつけられないんです。
     深く息を吸う。顔を上げて、わたしは真っ向からシャディクを見据えた。精いっぱい気持ちを奮い立たせて、口を開く。
    「――わたしも!」
     声が上擦る。
     膝が震える。
     でも、今しかない。伝えるなら今しかない。ケリをつけるなら今日しかないんだ。
     上擦るな、声!
     震えるな、足!
     何ごとかとシャディクが目をみはる。
    「わたしも、作ったの。バレンタインの……チョコクッキー。シャディクにあげたくて、食べてほしくて、作ったの。でも、全部食べちゃったの。あんたに……」
     目頭が熱くなる。
     鼻の奥がつんとする。
     泣くな。泣くな。泣くな。
    「あんたに渡せないって……、あんな……きらきらしたチョコレートのあとじゃ、受け取ってもらえないって、思ったから……、ぜんぶ、自分で食べちゃったの……」
    「そっか」
     深く優しい声でシャディクがつぶやく。
    「全部自分で食べちゃったのか」
     そう言うと、シャディクはおもむろに上体をかがめた。顔の前に影が射し、つられてわたしも首をもたげる。シャディクの瞳がとても近いところにある。シャディクの前髪がわたしの頬に落ちかかるほどの距離。
     あ、睫毛、長い……と思った瞬間――
     シャディクの唇が。
     わたしの上唇を。
     かぷりと噛んだ。
     ――え?
     シャディクの瞳に、ぽかんと目を丸くするわたしの顔が映っている。
     ――いまの、なに? なにが起こったの?
    「本当だ。チョコの味がする」
     自分の唇をぺろりと舐めて、いたずらっこみたいな顔をしてシャディクが笑う。
    「クッキーを食べた君をかじったら、俺もクッキーを食べたことにならないかな」
    「は……はあ?」
     徐々に状況を理解して、じわじわと頬が熱くなる。――わたし、いま、シャディクにキスされた!
     心臓が暴れ馬さながらに跳ね上がる。
     ブーケを持っていない方の手で隠すように口もとを覆って、わたしはシャディクを睨めつけた。
    「そ、そんなの屁理屈よ!」
    「じゃあ、予約だ」
    「よや……く?」
    「ひと月後のホワイトデーに、君からお返しを受け取るという予約」
    「お返しって……」
     わたしの顎に指をかけて軽く持ち上げると、シャディクは親指の腹でわたしの上唇をなぞった。
    「今のキスは、上唇を噛むだけのキスだったろ? つまりキス未満ってわけだ。三月十四日に、君からも俺にキスをして、今のキスを本当のキスにしてくれ」
    「――!」
     わたしからキスをしてって…!
     本当のキスにしてって……!
     暴れっぱなしの心臓が口から飛び出しそうになる。
    「女の子にキスをねだるなんて最低! シャディクのすけべ! タラシ! スケコマシ!」
     本気で殴るつもりはないけれど、思わず振り上げた右手を軽々と掴まれたと思った途端、掴んだ手を口もとへ引き寄せられて、小指の付け根にちゅっとキスされる。
    「人聞きが悪いなあ」
     くすくすっとシャディクが笑う。わたしも笑う。
     数分前まで胸が押しつぶされそうだったのが嘘みたい。暗くて重たい霧をシャディクが晴らしてくれた。
     ブーケを胸に抱え直すようにして、わたしはシャディクを見つめた。
    「ブーケ、可愛い。すごくうれしい。ありがと……」
    「俺の方こそ受け取ってくれてありがとう。喜んでもらえてよかった」
     そうそうと、シャディクが付け加える。
    「今日の放課後、水星ちゃんに会ったよ」
    「スレッタに?」
    「結果的には会っただけど、より正確に言えば言い逃げされた、かな。ミーティングルームの扉を開けて、開口一番『シャディクさん! ひどいです!』『はっ』『ああああ余計なことしちゃいました』『失礼します!』と言って去っていったよ」
    「スレッタったら……」
    「あの子が俺に何か言ってくるとしたらミオリネに関することだと思っていたけど、今の君の話を聞いて腑に落ちたよ。水星ちゃんは、君という存在がありながら俺が他の女子からチョコレートを受け取ろうとしている現場を見てミオリネがショックを受けたと思った。だからミオリネをそんな気持ちにさせた俺に腹を立てていた。違う?」
    「違わないと思う。わたしが急に帰っちゃったから、きっとわたしのことを心配して、あんたにひと言物申してやるってなったのよ」
    「想われてるんだね。友達のために一生懸命で、可愛らしいじゃないか」
    「スレッタは確かに可愛いけど」
    「けど?」
    「わたし、髪も爪も睫毛も、ぜんぶ可愛くしてきたのよ。今はちょっと、ぼろぼろだけど……」
     きゅっと、わたしは片手でシャディクのブレザーを掴んだ。
    「――わたし以外の女の子のこと、可愛いって言わないで」
     一瞬目を丸くしたシャディクが、手で顔を覆い、そっぽを向いた。まるでわたしから表情を隠すようなしぐさだ。
    「何よ?」
    「いや、ちょっと……」
     門灯の光の加減か、ごにょごにょと言葉を濁すシャディクの耳がほんのり染まっているように見えるのは気のせいかしら。こほんとわざとらしく咳払いをして、シャディクがこちらに向き直る。
    「すっかり長居しちゃったね。そろそろお暇するよ」
    「あ、マフラー返すわね」
     マフラーを外そうとしたわたしの手をシャディクが制する。
    「返さなくていいよ。俺のお古で悪いけど、もらってやってくれ」
    「いいの?」
    「勿論」
    「うん……。あ、あの、シャディク。――待っててね」
     ひと月後の三月十四日、ホワイトデー。
    「クッキーとか、キ……」
     スとかと続けようとして、思わず口ごもる。さすがに『キス』と、はっきり口に出して言えない。ばか。ニヤニヤしないでよ、ばか。
    「――とか、今度こそちゃんと準備しておくから。だから待っててね」
    「うん。待ってる」
    「あんたン家まで送っていこうか?」
    「気持ちは有難いけど、ミオリネに送ってもらったら、今度は俺が君を君の家まで送っていきたくなる。俺は構わないけどね」
    「それって」
    「そう。あれ」
     わたし達は同時に吹き出した。
     お互いの家まで送りっこ。歩いて一分三十秒の距離をいったりきたり。子どもの頃、日が暮れるまで何度も何度も繰り返した。
    「送ってもらう代わりに、君を抱きしめてもいいかい?」
    「……好きにしたら」
     シャディクの腕がわたしの背中に回される。壊れものを扱うかのように、そっと抱き寄せられる。
    「かわいい」
    「ん」
    「かわいいよ」
     つま先立ちになって、わたしもシャディクの背中に腕を回す。シャディクの胸に頬を寄せ、目を閉じる。シャディクの心臓、とくとくとくって、すごくはやい。
     マフラーだけで充分あたたかいと思っていたのに、シャディクの腕の中は陽だまりみたいにあたたかい。ずっとこうしていたい。
    「ミオリネ」
     わたしの肩口に顔をうずめて、シャディクがささやく。
    「俺が欲しいのは君だけだ」
    「うん」
     うん。シャディク、わたしも――
     最後にわたしをぎゅうっと強く抱きすくめて、シャディクの腕が離れる。
     視線を絡めて、どちらからともなくおやすみの言葉を交わす。
     通りの角を曲がるシャディクの背中を見送り、ほうっと深い息をついて、わたしも家に入る。足もとがふわふわ覚束ない。まだ夢の中にいるような心地だ。
     今夜あったことをスレッタにも報告しなくちゃ。
     あんたが言った通り、とびきり甘くてハッピーな思い出で苦くてしょっぱい思い出を塗り替えてやったわよ、心配かけて悪かったわね、あんたのおかげよありがとうを、あの子に伝えなきゃ。今日はもう遅いから(スレッタは午後十時にはお布団に入っちゃうから)明日の朝一番に。ほわわと目をきらめかせてわたしの話に聞き入るスレッタの姿が――自分のことのように喜ぶスレッタの姿が目に浮かぶわ。
     扉の内側でシャディクのマフラーに鼻先をうずめる。外してしまうのが勿体なくて、マフラーを巻いたままブーケを見つめる。
     ラナンキュラス、ミモザ、かすみ草、デルフィニウム、ブルースター。どれもわたしの好きな花だ。
     お花もリボンも、シャディクが選んでくれたのかしら。
     本当に可愛い。花嫁さんが持つウェディングブーケみたい。
     そう思うと、胸がくすぐったくなってきた。
    「いけない、お花にお水をあげなくちゃ」
     ブーケを手に、ぱたぱたと洗面室へ向かう。
     ワークカウンターに花瓶を用意し、ベビーブルーのリボンをほどこうとしたときだった。
    「あれ?」
     リボンの結び目の中に、きらりと光る何かが見える。
    「何かしら……」
     もらったときは気づかなかった。しゅるりとリボンをほどき、結び目の中に隠されていたものを取り出して、わたしは目をみはった。
    「――ピンキーリング?」
     幸運を呼び込むという小指サイズの小さな指輪。
     お花屋さんが仕込むわけがない。とすれば、それが出来るのはたったひとり――シャディクの仕業に違いない。
     ブーケといいマフラーといいキスといい、ああもうシャディクってば、サプライズな贈りもののフルコースでわたしの心臓をダメにしちゃう気?
     少し迷って、右手の小指に指輪を嵌める。右手には『変わらぬ想い』という意味があると何かで読んだ。だから、右手につけて構わないわよね。わたしの思い上がりじゃないわよね。
     シンプルだけど華奢なアームが美しいその指輪は、誂えたように、わたしの右手小指にぴたりと嵌まった。
    「きれい……」
     ひとしきり指輪を眺めてから、わたしはリップを塗るときみたいに右手の小指で上唇を撫でた。シャディクにかじられた上唇がまだ熱い。
     シャディクと半分こにしたキス。キス未満のキス。
     二分の一はシャディクから。もう半分はわたしから。
     ふたりで一緒に本当のキスにするの。
    「待ってなさいよ、シャディク」
     ――クッキーも、キスも、伝えたい言葉も、ぜんぶ仕切り直してあんたの度肝を抜いてやるんだから。
    「わたしがどんなにあんたを好きか、分からせてやるんだから」
     右手小指に輝く銀色に、わたしは宣戦布告の口づけを落とした。
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