鼈甲の忘れ形見御伽に参りました。
障子の向こうから聞こえてきた女の声には心当たりがあった。今日は一度も顔を見せなかったなと思っていたところだ。
桑島慈悟郎は、女に何と返そうか言葉を探していた。
言葉通り「御伽」なら看病とも受け取れる。容体を診ながら夜通し傍にいるのも「御伽」だからだ。けれども、桑島は怪我一つしていない。今夜の任務は夜が訪れて早々に終わった。夜の帳が下りるのと、桑島の刃で鬼の頸が落ちるのはほぼ同時であり、悪鬼はこの一体のみだった。刀を収めて、そこからこの藤の花の家紋の家まで来た。市井の人々よりやや遅い夕飯を食い、風呂をもらい、さて寝るか、と布団を被ったところだったのだ。
怪我もない病気もしていない健康な男の、夜の寝所での「伽」が意味するところはひとつしか思いつかない。共寝だ。その証拠に女の声は震えていた。いくら見知った顔と言え、帯を解き、我が身を差し出すのはいつの時代だろうと酷なものである。
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