丸くて白いやつ「リスだ!かわいい」
イナがそう言って、ギョンフンに笑顔を向ける。
「うん、凄い」
丸くて白いケーキには苺がたくさんのっていて、リスと大小のウサギを模したクッキーが飾ってある。
「リスは室長のだ。イナはウサギを両方取っていいぞ」
いろんな角度からケーキを撮影する二人に呆れながら、サンウォンはそう声を掛けた。
「おっきいウサギはパパ食べなよ」
「アジョシ~ありがとうございます」
ギョンフンは『おたんじょうびおめでとう』と書かれたプレートをズームで撮りながら、そう礼を言った。
「はいはい、おめでとう。ろうそく吹いたりしなくていいのか?」
「やろうやろう」
「え~いいんですか~?アジョシ、暗くして暗くして」
そう言いながらも、ギョンフンは自らろうそくを用意して火を点ける。
またしばらくケーキを撮るのを待ってから、今度はサンウォンが動画を撮ることにした。
「ホ室長、おめでとう~」
「イナャ~ありがとう」
二人がハッピーバースデーの歌を歌って火を消す様子に、スンヒを思い出した。懐かしさと寂しさ、それから、日常を取り戻した嬉しさに目が潤む。
今日は、三月十三日。『ホ室長』こと、ギョンフンの誕生日だ。
*
クリスマスケーキの予約をするために、イナとギョンフンを連れてデパートに来た。
なんとか店は決まったが、今度は三種類のどれにするかで迷っている。店員は一通り説明してくれた後、「ごゆっくりご覧ください」と言って離れた。イナは真剣な面持ちでガラスケースを睨んでいる。
「イナャ、迷ったら全部予約しよ。パーティーでもすればちょっとずつ食べられる」
ギョンフンが雑な提案をする。
「室長、適当なことを言うな」
「音楽教室のパーティーでもケーキは食べるけど、うちではパーティーなんかしないよ。これはイナとパパと室長だけの、家族のクリスマス用だよ」
イナとサンウォンがツッコミを入れて睨んでも、ギョンフンは飄々と笑んでいる。
「三種類くらい、朝昼晩に食べれば何とかなりますよ。あぁ、見てるとお腹が空いちゃうな。あっちにあった海老のおかず買ってきてもいいですか?」
ギョンフンは細いのによく食べる。身体を動かしてはいるが、鍛えているというほどでは無さそうなのに、基礎代謝がいいのか。全体的に長いから誤魔化されているのかもしれない。細いところは細いが、肩周りも腿も筋肉はしっかりある。体型が特殊すぎて比較対象が限られるからよくわからないが、それでも多分、体重はサンウォンの方がある。
「ホ室長ならどれにするの?」
イナが尋ねた。別に、ギョンフンに決めて欲しいわけではなさそうだ。サンウォンも甘いものはそこそこ好きだが、クリームの多いものは少しでいい。イナもどちらかというと少食だ。チョコレートクリームのブッシュ・ド・ノエルと、ベリーを何種か使った赤いケーキのどちらかで迷っているようだ。何にせよ、食べきれない分はギョンフンの胃袋に収まることになるだろう。
「僕はクリスマスにしか食べられなくて、ここ限定のがいいから、チョコの。でも、ベリーが好きならこっちだよね。どっちも美味しそうだし」
「そう。それで迷ってるんだよね」
イナは神妙な顔で頷いて、選ぶポイントを再考しているようだ。
「いろんな種類を食べたいなら、そっちの、切ってあるのにしたらいいだろ。チョコもベリーもある」
我ながら雑なことを言った自覚はあるが、ギョンフンとイナ、離れて見守っていた店員が同じ表情で呆れる。
「アジョシ~」
「パパ~それじゃクリスマスじゃないよ!」
娘に怒られるのも慣れてきた。無言で寝たふりをされていた時よりはマシか。サンウォンは「わかったよ」と呟いて、そっとため息をついた。
*
結局、ブッシュ・ド・ノエルを予約して、今日食べる用に両方の味を試せるケーキをいくつか買った。大きいケーキを二つ予約して余らせるよりはいい。
イナは「悩み過ぎて疲れた」と言って、後部座席で目を閉じたまま眠ってしまったようだ。日に日に大人っぽくなる気がするのは、髪が伸びたからだろうか。
夕飯を食べて帰るにはまだ少し早い。炊飯器をセットしてきたから、ギョンフンが食べたいと言った総菜の詰め合わせと、いつもよりいいビールを買った。
「アジョシ、誕生日いつですか?」
眠そうな声でそう尋ね、ギョンフンは助手席でぼんやりと外の景色を眺めている。
今日の運転はサンウォンだ。
昨日はギョンフンの帰りが遅かったから、家で寝ていてもいいと言ったのに。
「三月十一日」
「えっ僕、十三日です」
「おぉ、近いな」
生まれた年の話はした気がするが、そういえば言っていなかったか。
「ね。近いですね!真ん中バースデーしましょうか」
ギョンフンの眠気は覚めたようだ。嬉しそうにはしゃいでいるが、イナに気を使って声を落とす。
「何?」
「二人の誕生日のちょうど間の日に、お祝いするんですよ」
「それ、近すぎたら意味がないやつだろ」
そういうイベントごとが好きらしいのはわかってきた。
「じゃあ、逆向きにします?半年後の真ん中だと、九月かな」
「当日に祝え」
恋愛関係になってまだひと月くらいだ。なるべく先の予定を語りたいのかもしれないが、わざわざそんなことをしなくても、関係を終わらせる気はない。
「じゃあ、十一日に、今日見てたみたいな大きいケーキ買ってきますね。そしたら三日間食べられるし」
「……別々でいい」
「え~?丸くて白くて苺がのってて『おたんじょうびおめでとう』って書いたのがのってるやつがいいんですよぅ」
「だから、君のはそうすればいい」
「ん……?」
少しずつわかってきた。ギョンフンは自分の欲求は隠さないものの、別の誰かが関わることなら自分のことは二の次だ。誰より欲張ったっていいくらいの苦境を味わったはずなのに。
「俺のと君のを別々に買った方がいいんだろ?」
ギョンフンは目を丸くしている。食べている時はリスっぽいが、普段の顔の動きは猫っぽい。
「え?二回も?それは豪華ですね。セレブの発想」
サンウォンは読み違えてしまったのだろうか。ギョンフンは、喜んでいいのか戸惑っているようだ。
「別の人間の誕生日だからな」
ギョンフンは、人に無条件で甘やかされるのに慣れていない。流行りものやら新製品やらには詳しいくせに、普通のカップルと家庭での行事は、知ってはいても経験がなくわからないのだろうか。それとも、対価のわからない取引に思えて不安なのか。
「アジョシ、そんなに食べられます?」
さっきクリスマスケーキを全部買えと言ったのはただの冗談だと知っていて注意したのに、その注意自体は気にされてしまったというところか。
「俺は四つに切ってちょうどいいくらいのフルーツタルトとか――三人で食べ切れるのでいいよ」
「なるほど。おしゃれ人間ですね。おしゃれファミリーか」
「君だってもうファミリーだろ。うるさいお喋りリスだな」
サンウォンだって贅沢を覚えたのは社会人になってからだが、金銭感覚が違うのはわかる。
浪費は良くないが、金で解決できる願いごとならサンウォンが叶える。自分の考えや能力が足りずに助けてもらっていることが、たくさんあるからだ。
「……リスかぁ……リスの飾りものせていいですか?」
ギョンフンは背もたれに頭を預け、なんだかぼんやりした顔でそう囁いた。
「知るか。白くて丸いのにすればいいんだろ。一番小さくても結構大きいかもしれないが、君が責任持って食べきれよな」
「わぁ……夢みたい」
照れたような顔ではにかむようにしている。
「君、いつもは男子大学生みたいなノリのくせに、たまにイナより小さい子どもみたいになるよな」
「そういう風にしてもらえるの、久し振りで……ウサギさん親子ものせていいですか?」
冗談が出てこないほど嬉しいのか。
「だから、好きにしろって。そういうサービスがある店を探しとけ」
「はい。ありがとうございます」
ギョンフンは素直に微笑んで、また窓の外に目をやる。
「二つ買うのが無駄だと言われると思って、俺のと一緒でいいって妥協したんだろうけど、クリスマスケーキとはわけが違うだろ。全部を叶えられるかはわからないが、したいことや欲しいものは言ってくれ」
好きな人の喜ぶ顔を見るのは、嬉しい。それを自覚できたのも、ギョンフンが分析してくれたからだ。
「キリストの生誕祭のバースデーケーキですよ。一緒でしょ」
「バースデーケーキではないんじゃないか?」
ギョンフンは仏教徒で、サンウォンたちはクリスチャンだが、それは違うと思う。
「じゃあなんでケーキを食べるんですかねぇ。不思議だな」
本気で疑問に思っているわけではなさそうだ。
「ケーキが好きなら普段から――」
信号待ちで目を合わせたら、ギョンフンは息を飲むようにしてから、気まずそうに目をそらした。
「そうじゃなくて……個別に祝ってもらいたい気持ちもありましたけど、二人一緒に祝えるなら、それはそれで嬉しいじゃないですか。だから、なんでも良かった。僕は浮かれるのが好きだから、ケーキがたくさんあったらもっと気分が上がるかなって思っただけです。わざわざ多めに甘やかさそうとしなくたって、僕は満ち足りていますよ」
しんみりするギョンフンには慣れない。美声で静かにまともなことを語っていると、直球のハンサムになるから困る。「満ち足りている」なんて言われたら、胸がいっぱいになるのはサンウォンの方だ。
「……いいのか?『退魔師☆ホ室長☆生誕』とかじゃなくて」
サンウォンが珍しくふざけたら、ギョンフンは不意討ちにはははと笑った。
「それは――配信用ですね」
「配信用?」
「一番投げ銭をくれるファンのお姉さんが、霊障相談と配信用によく使っているカラオケボックスに手配してくれます。ファンミーティング的な……なんとなく三月生まれだよ~くらいでぼかしてあるので、誕生日と違う日にね」
祝ってもらえなかったわけではないのかと、少しホッとする。
「たまに週末の夜、帰って来ないのはネット配信のためか。ああ、昨日遅かったのも?」
個別に深い関係の人間はいなくても、組合やらなんやらの会合には割とよく行っている。
ギョンフンいわく、お互い定期的に生存確認できる集まりは必要だからということだ。
「そうそう、それです。ファン限定でオンライン公開相談みたいなのを定期的にやってるんです。誕生日はそれのスペシャル版。配信とかやる前は自分で頼んだこともありましたけど、大きいケーキ黙々と食べるのは違いますね。嫌いになっちゃいそうでした。アジョシが買ってくれるんなら、食べ過ぎても胃もたれしない上品な甘さのやつだろうし、一人じゃないなら気が楽だな」
「そういうもんか?バースデーケーキなんて、学生時代は全然気にしなかったし、結婚するまではこだわらなかったな」
「アジョシはセクシーセレブだからぁ。洋酒が入ってて黒っぽい四角いしっとりチョコケーキで、上に金の筆記体で文字が入ってる、大人向けのやらしいケーキ食べてたんでしょ。どうせ。社会人になって未婚の頃は、彼女とかおしゃれな同僚とかに祝ってもらったりしてさ」
「やらしいってなんだよ」
確かにイナが生まれる前は、そういうケーキを食べていた。だからさっき、フルーツタルトと言ったことに反応されたのか。イナが生まれてから、家族全員で食べられるものに変わったのだ。
「嬉しいけど、イナちゃんのためならまだしも、僕のためにアジョシが無理してほのぼのファミリーっぽいことしなくても、いいですからね」
「――無理なんてしない」
ああ、さっき自分は「君だってもうファミリーだろ」と、あまりに自然に口にした。だから様子が少し変だったのか。サンウォンとイナの中にあるスンヒの想い出が消えることは無いとわかっているから、軽率に喜んでいいのかどうか戸惑ったのかもしれない。そういうことを気にしてくれるところを好きになった。嬉しいと思うが、気にせずに楽しんで欲しいとも思う。
イナだって『家族のクリスマス用』と言った時、ギョンフンをしっかり家族に含めていた。
「僕、図々しいと思われるのは嫌なんですけど――甘えてもいいんでしょうか」
「君は俺には、最初からそうだったろ。俺だって図々しいし強引な方だろうし。今さら気にするな」
その図々しさと率直さが無かったら、今頃どうなっていたのか。イナを連れ戻せず、独りきりでただ気を病んで自滅していたに違いない。
「アジョシは不器用だけど、いい人ですよ」
ギョンフンはまた眠そうな顔で、そう呟いた。