マッサージさせて。マッサージしてあげようか。マッサージ好き? 健全に提案したいだけなのに、頭に浮かぶ誘い文句は、どれも妙にいやらしい。レッスンを終えてタオルで汗を拭くさわやかなチョロ松にかける言葉として、あまりにも不釣り合いである。もっとスマートに何気なく――チョロ松ってどれくらいの頻度でマッサージ行く? 俺、昨日行ってきたんだけど、人にマッサージするコツ教えてもらって、ちょっと試してみたいんだよね。トド松にも好評だったし、チョロ松もどう?――これくらいならどうだろう? 前置きが長いものの、トド松にもしたというアピールが、下心を半減させて、多少マシ。問題は発言内容がすべてでたらめという点だが、とにかくマッサージに持ち込めばこちらのものである。
そもそも、こんなどうしようもない邪念が生まれたのは、こないだのテレビ番組のせいである。
製作スタッフが作ったアトラクションを、体力自慢の芸能人が制覇していくという、人気番組の焼き直しみたいな企画に、シトラスが駆り出された。十四松の人間離れしたダンスを見たディレクターが、オファーをよこしたらしい。がめついイヤミ社長は、面白くて宣伝になればそれでよしという雑な経営方針だし、十四松は野球と勘違いして張り切るし、番組収録が終わったチョロ松も「僕たちめちゃくちゃ活躍してきたから楽しみにしてて」と豪語していたし、何も問題はないはずだった。
オンエア当日は、俺とトド松も家のテレビの前で夢中になって応援した。軽々とアトラクションをこなす二人の姿は文句なくかっこよく、縦横無尽の活躍ぶりは、SNSでも話題になった。
「さすがダンスで鍛えた肉体! 動作の一つ一つに無駄がありません! シトラス負け知らず!」
興奮気味の実況も誇らしい。そう、これがスッキリ松のシトラス。そして、俺のチョロ松。いくらでも褒めちぎってあげてほしい。
「シトラスのための番組って感じだね、二人ともかっこよくてズル〜い」
トッティもそう言いながら、抜かりなくSNSで実況を呟く。
今度会ったら、めちゃくちゃよかったよって直接言おう。上機嫌でそんなふうに思っていたのに、番組最後の〈ご褒美〉のコーナーを見て、さわやかな気持ちはすべて吹き飛んだ。
「では、完全達成者には、日本一予約が取れないマッサージ店の極上マッサージがプレゼントされます!」
達成できない人は激痛足つぼマッサージ、達成できた人は極上マッサージ、というが番組の定番らしい。
シトラスはアイドル枠だからか、やけにマッサージシーンが長かった。
気持ちよさそうな顔をする二人がアップになり、わざわざレポーターが「極上マッサージ、いかがですか?」なんて質問まで挟む。チョロ松ははにかんで「気持ちいいです」と答える。この段階ですでにちょっとどうなの!?という感じなのに、さらにカメラは、チョロ松がかすかに眉間にしわをよせて「……ん」とひかえめな吐息をもらすシーンをばっちり捉えた。いやそれはどう考えてもいかがわしくない?? そういう声、俺だってまだ聞いてないんですけど!? なんでわざわざ一般大衆に向けてオンエアするの?? 番組制作者の邪念が透けて見えるよ!?
画面は、マッサージを受けながら寝入ってしまった天使のような十四松に切り替わり、「いや~シトラスのお二人、本当に気持ちよさそうでしたねえ」というしらじらしい司会の声で締められた。
「え? 今の絶対おかしくない?」
隣のトッティを引っ張ると、限りなく冷ややかな声がかえってくる。
「全然おかしくない。二人とも撮れ高完璧。同じスッキリ松として誇らしいわー。はいお疲れ、はい解散」
そそくさと立ち上がるから、テレビの前にはぽつんと俺だけが残される。
――マッサージだ。
冷静ならざる頭で、それだけ強く思う。俺もチョロ松にマッサージをしなくてはならない。放送されてしまったものは取り消せないのだから、俺は、あれよりも色っぽい声を生で聴かなくてはならない。俺にはその権利がある。
不屈の闘志が燃え上がり、以降、俺はマッサージの機会を狙うこととなった。折しも、今は、全国ツアーに向けたレッスン中である。マッサージを提案する機会はいくらでもある。
「はー今日もよく動いた、お疲れ」
何気ないチョロ松の言葉すべてがマッサージへの布石に聞こえる。しかし、レッスン場にはジャマな人間が四人もいる。
「まったくだ、もうクタクタだな」
こんなふうにカラ松がチョロ松に賛同してしまったら、チョロ松だけを誘うことは不自然だ(余計なことをするカラ松め!)
マッサージさせて。マッサージしてあげる。マッサージしようか?
機会をうかがいながら、頭のなかで繰り返し唱えるうちに、チャンスは突然降ってきた。
シトラスパートのレッスンでしごかれたチョロ松が、俺の隣にいた十四松のところにやってきて、
「うーん、きつかった……十四松、ちょっとこの辺揉んでくれない?」
と言ったのである。
「俺する!」
脳内でイメージしていたどのセリフよりも簡潔な一言が、口から飛び出す。無意識のうちに挙手までしていた。
チョロ松はきょとんとして、十四松は目を丸くした。
「こっ、こないだ、疲労回復マッサージならったの、マッサージ店で。で、トッティにも好評だったから、やりたい、試しに。あ、いや、やらせてほしい」
早口の説明は完全にうさんくさい。それでも察しのよい十四松は、
「せっかくだから、やってもらいなよ、チョロ松兄さん。僕もこのあと個別レッスンあるから」とすらすら述べて、場所を譲ってくれた。
「十四松にもあとでしてあげるから!」
深い感謝をこめて叫ぶと、十四松はひらひら片手を振って立ち去る。
「……うーん、じゃあ、お願いしようかな」
渋々といった感じで、チョロ松が言う。
ここまでくれば俺の勝ちというものである。
「ほら、ここに寝て」
休憩用の長椅子に誘導する。チョロ松は端っこに座って、「首だけで充分なんだけど……」と抵抗したものの、「首をほぐすにはその先の背中からしたほうが絶対いいから!」という俺の気迫に負けて、不承不承うつ伏せになってくれた。
無防備な背中を見下ろすと、それだけでドキドキしてくる。服。その下に肌。筋肉。骨。うすい布の下にあるものが、簡単に想像できてしまう。「……ん」という、あのため息のような音(脳内で完全に再現できるくらい見返した)。あれが聞きたい。生でちゃんと。興奮で汗のにじむ手のひらを意味もなく握ったり開いたりしながら、下心を散らすように話しかける。
「シトラス、こないださあ、あれ出てたよね、アトラクションクリアしてく……」
「あ、見てくれた?」
くぐもった声がぱっと明るくなる。
「いや〜、十四松はともかく、僕まで完全制覇できるなんてね。やっぱりこういうレッスンの賜物なのかな。番組のディレクターさんも、動きにムダがないって褒めてくれてさ」
首筋、背骨、肩甲骨。そのディレクター氏は、一生知ることもないだろうけど、ムダがないのは、身体も同じ。さわると、それがハッキリわかる。しなやかで、ほどよい湿り気と体温をもって、生きている。
「うん、かっこよかった」
素直に褒めると、チョロ松の弁舌はますます冴えてくる。
「マッサージも気持ちよかったし、面白いこと言わなきゃってプレッシャーもなかったし、十四松ものびのびしてたし。空気読むバラエティより、一芸を見せるみたいな、そういう番組のほうが、僕たちあってるのかな〜なんて思っちゃって」
よどみない言葉の流れには、「……あ」とか「……ん」とか、そういう色っぽい気配は皆無である。力が足りないのだろうか。背骨に添わせた親指に、ぐっと力を込めたとたん、チョロ松は、むしろ非難がましい悲鳴をあげた。
「痛っ!」
「あ、ごめん」
手を引っ込めると、チョロ松は上半身を起こして、勢いよくまくしたてる。
「いや、さっきから思ってたけど、お前、自分からやりたいって言ったくせに、下手じゃない? 十四松のほうがずっとうまいんだけど」
ぐうの音も出ない。今までマッサージうまいなんて言われたことないし。なんなら以前トッティにも「ガサツさがマッサージに出てる、とにかく痛い」って言われたことあった。今の今まで忘れてたけど。
チョロ松は、勢いのまま完全に身を起こしてしまった。自分で首のあたりを揉み直している。
夢の「……ん」が打ち砕かれて、俺は、声もなくうなだれる。さっきまで、あの白い首筋をさわっていたのは、この手だったのに!
チョロ松は二、三度首を曲げると、平板な口調で言った。
「やってあげるから、寝て」
「へ?」
「絶対僕のほうがうまいから、参考にして」
傲岸不遜な言い方だ。しかし、チョロ松が俺にまたがって気持ちよくしてくれるというなら、それはそれで願ったり叶ったりというものである。すぐに寝っ転がる。さっきまでのチョロ松の体温で、ほんのりあたたかい。
「まず、力いれればいいってもんじゃなくて、筋肉とリンパの流れを意識して……」
講釈を垂れるだけあって、チョロ松のマッサージは気持ちよかった。撫でるような優しい動きと、指先を使った繊細な揉み方が、背中の様々な部位をちょうどよくほぐしていく。
「ほらこの辺凝ってる」
「……んん」
「こういうところはちょっと力こめていいから」
「あっ!」
「鬱陶しい声出すな、バカ!」
チョロ松は叱責するが、本当に声が出るほど気持ちいいのである。完全にこっちがあんあん言わされている。チョロ松の指と手のひらを熱心に想像しながら、その動きを背中で受け止めると、血の流れがよくなってくるのが自分でわかる。
「なんでこんなにうまいの?」
「十四松とよくストレッチしたりマッサージしたりするし。身体が資本だからね」
何でもないことのように返される。指や手のひら以外の部分が触れると、それもドキドキしてしまって、血の巡りはますます良好になった。
たった数分で、俺はすっかり骨抜きにされた。
「……身体軽くなった」
「でしょ、これがマッサージ」
言外に「お前のさっきのはマッサージではない」という含みがあるが、そんなことはもうどうでもいい。チョロ松に直接気持ちよくしてもらったという一点で、心も体もすっかり軽い。テレビ画面越しのちょっとした甘い溜息くらい、まあ、ファンのコにおすそ分けしてやってもいいかと思えるくらいに。直接聞く機会なんて、これからいくらも狙えるのだ。
「今度、またやって」
「トッティに好評だったお前のマッサージは、どこ行ったんだよ」
チョロ松は呆れたように笑って、俺の背中をたたく。それがいかにも親密な感じなので、さらに深く満足してしまう。
「俺もまたやってあげるから」
「だから、あれはマッサージじゃないってば」
完膚なきまでにダメ出しされても、俺はちっとも、めげない。振付でもなんでも、呑み込みが早いってよく言われるから、よいマッサージを受け続けていれば、同じように返せる日は遠くない、はず。まずは、十四松よりおそ松のほうがうまい、と言わせてみせる。
新たな目標のために、堂々とチョロ松にマッサージをねだっていく予定である。