バカップルごっこ「よし、ヴェイン! 『バカップル』ごっこするぞ!」
「なに、バカップルって? ランちゃん、酔ってる?」
同居している家のリビングでお茶の準備をしていたら、唐突にランちゃんが言い出して、俺は目を瞬いた。
ランちゃんの思考回路は、流石、神童と言われていただけあるぜ、凡人には考えが読めない――と、言いたいところだけど、俺はランちゃんの考えていることは大抵理解出来る。
ランちゃんが突拍子もない内容を話し出すのは、イタズラを思いついた時。だって瞳がキラキラしちゃってる。
騎士団長の時に瞳が輝くのは、手合わせする時だけど、プライベートの時は違うんだ。
イタズラを思いついたのは分かるけど、内容までは流石の俺も分からなかった。うん、子供の頃から、イタズラに関しては、いつもランちゃんがひとりで考えてたもんな。
怒られる時に俺を巻き込まないようにさ。
『バカップルごっこ』のイタズラって、何するつもりなんだろう……。
「お前、俺が変なこと言い出すと、決まって飲酒を疑うな」
「変なこと言ってるって自覚はあんのかよ〜」
俺が返すと、少しムッとして、「やるのか、やらないのか、どっちだ」なんて言う。
「やりたいのはランちゃんだろ」と言い返したかったけれど、テーブルに置いた時計の砂が全て落ち切ったので、ティーポットへ手を伸ばした。
ランスロットがあんまりヘンなことを言ったら、そりゃ飲酒を疑いたくもなる。ランちゃんがお酒なんて飲んでいないのは知っているけど、ウィスキーボンボンを食べたりしたのかなあとか。
「今日はランちゃんの大好きな、ヴェイン特製バニラとストロベリーのブレンドティーだぜ!」
「ふふっ、さっきからバニラの香りが俺を幸せな気持ちにしてるんだ」
うん、ランちゃんは甘い物が大好きだからな! その好みに合うように何度も茶葉の割合を変えたり、バニラの風味を加減したり、研究した甲斐があったぜ。
ランちゃんはティーカップを受け取り、ひと口飲んでから「お前のブレンドティーが全空一、ウマい!」と言った。
微笑む顔がバニラみたいに甘くて、その笑顔を見るのが好きなんだ。ランちゃんの笑顔を見るのが趣味みたいなもんだよな、俺。
ランちゃんと友達になれて、嬉しくて、どうしたらずっと仲良くしてもらえるだろう――ランちゃんの役に立てたら? ランちゃんの好きなプリンを上手に作れたら? そんな風に考えていた時期もあったけど。
ランちゃんは俺が役に立たなくても、プリン作りを失敗しても、傍にいてくれた。
背伸びをしない等身大の俺のままでいても、一緒にいてくれたんだ。
寧ろ、「お前はずっとそのままでいてくれよ」と言われたりした。
いや、俺も成長したいんだけど
まあ、そういうことじゃねえよな〜。
「で? バカップルって何するの?」
「んー?」
ランちゃん、もしかして今、紅茶に夢中になって『バカップルごっこ』を忘れただろ
も〜! 俺は、バカが付くけど『カップルごっこ』をしようと誘われて、ドキドキしてるのに!
「ん〜、今日もお前の紅茶が美味いな! ヴェイン食堂に、ヴェインカフェ、お土産にヴェイン特製茶葉を売る……、退役後の人生設計は完璧だな」
なんか勝手に二店舗経営することになってるけど、その時はランちゃんがウェイターをやってくれるのかな? 妄想するだけでも楽しくなってくる。
手作りクッキーを籠から小皿に盛り付け、ランちゃんの前へ置くと、「いただきます」と言って、華奢な指をクッキーへ伸ばした。緩んだ微笑みを見せて、頬ばっている。その顔でクッキーの出来が分かった。美味しかったなら良かった。
ランちゃんの笑顔って、心がフワフワするんだよな。
整った顔をしているから、黙っているとクールな印象になるけれど、少し口角を上げるだけで、胸がきゅっとなって、目を細められるともう、舞い上がっちまう。気持ちがあたたかくなる笑顔だ。
ずっと見ていたい。
「ん! ナッツ入りのクッキーは久々だな! ウマい!」
「まだあるから、いっぱい食ってくれよな!」
「お前も食え。ウマいぞ~」
瞳を輝かせて、幸せそうに食べてくれる。お茶のおかわり、三杯と共に。
いつもランちゃんは心から喜んでくれるから、おやつの時間は俺にとっても有意義で大切な時間だ。
この時間は、俺だけの時間だと思いたい。
「そうそう、バカップルごっこ……だったな。ちょっとこっちに来て、座れ」
クッキーをつまみつつ、ランちゃんは思い出したように自分のすぐ横の座面をポンポンと叩いた。
バカップルって言ったら、クッキーを「あ~ん」と食べさせ合ったりするよな? もしかして、それをやるつもりなのか?
差し出されたクッキーに「あ~ん」って齧りついて、指先にもうっかり食いつくんだろ?
「あっ、指まで食べちゃった♡」とか、やっているカップルを見たことあるぜ!
ランちゃんの指を噛んじまったら、「食べちゃった♡」なんて語尾にハートを付けて可愛く言ってられる状態じゃなくなるけどな〜。
反対に噛まれたら……?
ランちゃんの小さな口に俺の指が含まれ……ダ、ダメだ! ダメだ! 今の妄想はナシ!
俺の理性が崩壊する。
無理! バカップルごっこは無理です、ランちゃん!
でもイタズラだから、思いっ切り強く噛まれたりすんのか? 歯形が付くほど
――それもダメだぜ……。
呼吸困難を起こしそうになったけど、ランちゃんは俺の狼狽した様子に気付きもせず、クッキーを完食してくれた。
「ごちそうさまでした。今日も最高の出来だった」
俺を見ながら、わざわざ手を合わせてくれる。
「お粗末さまでした!」
「粗末じゃないけどな。はー、満足したら、眠くなったな」
今日は休みの俺たち。ランちゃんはリラックスして過ごしているみたい。両腕を思いっ切り上に伸ばし、身体の力を抜いたランちゃんは、「昼寝……」と呟いて、身体を丸めると、俺の足を枕にした。膝枕ってヤツ。
こんな男の太腿を枕にしても、なんの喜びもないと思うけど、ランちゃんは俺の太腿を気に入っている――と言ったら、ランちゃんがヘンタイさんみたいだな。
硬さと高さが丁度良いらしい。鍛えてはあるから、硬さがいいと言われたら、これまでの努力が報われた気持ちになった。
時々、こうしてランちゃんの枕になる。
ランちゃんは目を閉じて、昼寝の体勢だ。
どうやら『バカップルごっこ』は止めたらしい。それとも目覚めてからのお楽しみなのか……。
楽しいイタズラを思いついたみたいだったのに、それを披露しないで寝るなんて。
そもそも、何で『バカップルごっこ』なんてやろうと思ったんだろうな。
読んでいた本にそんなネタでも載っていたのか?
気になって、テーブルの上に伏せられている読みかけの本へ手を伸ばした。
「……ふふっ」
「ふえ?」
ウトウト寝始めていると思っていたランちゃんが、小さく笑い、太腿に振動が伝わってくる。
視線を向けると、目をぱっちり開いたランちゃんが、碧い瞳で俺を見上げていた。
「起こした、ランちゃん?」
俺が動いたから、眠りの縁から引き返してきちまったか?
悪いことしたなあと思って、ランちゃんの髪を撫でる。仰向けになって、俺の太腿を枕にしているランちゃんの額に掛かった髪を一筋、指先で払ってやった。
健康的に白いランちゃんのオデコは、なんだか陶器みたいだ。
どこのパーツも綺麗だから、ランちゃんは神様に愛されているんだなあって思う。流石、神童。
ま、俺の方がランちゃんを愛してると思うけど!
神様にも負けねえぜ!
「いや、寝てなかったから。……起こしてくれ」
昼寝をするのはやめたのか、ランちゃんが俺に腕を伸ばしてきた。この体勢から起こすの
ランちゃんの方へ首を差し出すように身体を縮めると、細い腕が首へ回された。少し浮いたランちゃんの背に腕を滑り込ませ、身体を起こしてやると、俺の膝の上に座ったような格好になる。
ランちゃん、俺の首に腕を回したままなんだもん。
「……近いんだけど……っ」
鼻先が触れそう。俺がランちゃんを見上げて、ランちゃんが俺を見下ろしているから。鼻先どころか、吐息だって。
「ランちゃん……、『バカップルごっこ』、始めるのかよ?」
聞いた声が掠れていて、俺の心臓が早鐘を打っているのがバレたと思う。ランちゃんは、クスリと笑い「この距離、バカップルみたいだろ?」なんて言って、俺の鼻先に自分の鼻先をくっつけてきた。
呼吸が一瞬止まる。
俺の鼻より、ランちゃんの鼻の方が小さい、なんて今日まで知らなかった。
「この距離で話してたらさ」
確かに 鼻先をくっつけたままイチャイチャ話をしてたら、バカップルに見えるかもしれないけど
でも、俺はランちゃんとバカップルじゃないから、こんな近い距離は、とても心臓がもたない!
――っていうか、キスの種類に「鼻と鼻をくっつける」があるって知ってるか、ランちゃん
「近い、近いって、ランちゃん……」
俺の首に回されていた手は、今、後頭部に回されている。俺の髪にランちゃんの指が絡んでいる。指の動きが愛しいものに触れるものじゃねえ?
だって、俺がランちゃんの髪に触れるのと同じだ。
混乱と期待で高鳴った心臓が、ホントに口から飛び出しそう!
ランちゃんは、鼻先を何度も擦り合わせて、……こんなの、キスなんだってー!
「嫌なのか?」
「嫌なわけないだろー 慣れてないから、困ってるー」
それに鼻先だけじゃ、物足りなくて。
目の前のやっぱり小さな唇に、触れたい。
「じゃあ、慣れろ」
――え?
慣れろって。
「このままキスしても、嫌じゃ、ないよな……?」
今度は俺の頬へ手のひらを滑らせ、じっと見つめられる。
至近距離で綺麗な碧い瞳が揺れていた。
ランちゃん、それって。
「……ごっこ遊び、は?」
俺が震える声で聞くと、ランちゃんは俺の大好きな微笑みを浮かべて、「遊びは終わりだ」と囁いた。