【ヴェラン】微睡みは腕の中「ヴェイン! ヴェイン、ほら、これカッコイイだろ? ねえ、寝るなってば」
「うん……、ランちゃ……、ねむい〜……」
小さな頭をゆらゆらと揺らし、目を擦りながらヴェインが言うのを、ランスロットは取り合わなかった。
だって、パパが新しく買ってくれた図鑑に載っているムシがカッコイイのだ。昨日からヴェインに見せたくて仕方なかったのに、ヴェインは今にも眠りそうで、ランスロットは頬を膨らませる。
リビングのソファーの上で、厚い図鑑を持ち上げ、該当のページを見せつけた。
「こんなにカッコイイのに、ヴェインは見たくないのか」
つい、強めの口調で言うと、ヴェインの瞳に涙が浮かんでくる。
「うぅ……、ぐすっ、ランちゃん……」
「こらあ、ランスロット! 無理強いしないの!」
キッチンで食器を洗っていたランスロットのママが飛んできた。
愚図るヴェインの小さな身体をママが抱き上げ、その背中を優しくポンポンとゆっくり叩きながらあやす。
「ヴェインちゃんはまだ小さいんだから、お昼寝の時間よ。ランスロットもお昼寝しなさい!」
告げられた言葉にますますランスロットの頬が膨らむ。ソファーに転がると足をバタつかせ、「お昼寝なんてしてるヒマないよ! 早くこの図鑑を全部見て、ヴェインに見せるページを選ぶんだ!」と駄々をこねた。
「もう! じゃあ、その間ヴェインちゃんはお昼寝するからね?」
「ヴェインと一緒に見たいのにー!」
けれど、ヴェインはランスロットよりふたつも年下なのだ。小さいヴェインがランスロットより出来ることが少ないのを、ちゃんと知っている。
ランスロットより早く走れないし、食べるのも遅いし、まだ文字も読めないし、ランスロットよりうんと眠らないといけない。
でもヴェインはランスロットよりずっと優しい心を持っていて、今も、一生懸命起きようとしてくれていた。
ランスロットはぷくっと頬を膨らませ、クッションを抱きしめながら、ママがヴェインを隣の部屋に連れて行くのを見送った。
ヴェインはママの肩へ頬をくっつけ、既に寝息を立てている。目尻が濡れているのを見て、ランスロットはもっとヴェインに優しくしようと思った。
「はは、どれ。じゃあ僕と一緒にヴェインに見せる昆虫を選ぼうか? ランスロットはどの昆虫が格好良いと思ったんだい?」
やり取りを見ていたパパが傍に来て、ランスロットの身体を軽々と抱き上げた。そのまま膝へ乗せると、図鑑をパラパラと捲る。
「ワマムツ」
「ワマムツ? ワマムツって、星晶獣じゃなかったか……? そんなものがこの図鑑に載っていたかな」
「ここ! このページ! 殻が硬そうでカッコイイよ!」
図鑑の後ろの方には『空の生物に似ている星晶獣』という特集ページが組まれていた。この空域には、動物や、昆虫、植物、微生物……あらゆる生物に似ている星晶獣がいる。
フェードラッヘに加護をもたらすシルフ様もちょうちょみたいだ。
「……そうか。ヴェインは泣きそうだな。もっとヴェインの好きそうなものも探してみよう。ほら、ヴェインは綺麗なものが好きだろう」
パパはそう言って、ランスロットの髪を大きな手のひらで撫でた。
自分の好きなものばかりを押し付けてはいけないらしい。確かにヴェインは綺麗なものや、可愛いものが好きだ。
綺麗な昆虫を見せたら、喜ぶかもしれない。ヴェインに泣かれるより、笑って欲しかった。
たくさん喜んで欲しい。
「うーんとね、背中が七色にピカピカなのも載ってた!」
「どれだい?」
ランスロットはまだ小さかった手で一生懸命ページを捲り、ヴェインに見せたら喜びそうな昆虫をパパと一緒に探した。
そんなことがあったと、執務室で微睡んでいるヴェインの寝顔を見つめながら思い出していた。
副団長室を訪ねると、珍しくヴェインはソファーの上で眠っていた。
肘掛けを枕にして仰向けになっている。
腹の上に読みかけの本が伏せられていた。本を読むのが苦手な男は、目を通している間に睡魔に負けたのだろう。
「ふふっ、懐かしい本だな」
ヴェインの腰の辺りへ起こさないようにと気を配りながら腰を掛け、本を手に取る。
それは昔、ふたりで眺めていた昆虫図鑑だ。父が購入してくれた図鑑は、何度も見返してボロボロになり、新しく買い直した二代目だった。
ヴェインは、そんなに昆虫を好きではないようだが――もっと、フワフワモフモフしている生き物の方が好きらしい――時々、図鑑を見返している。
今回は、恐らく先日戦った星晶獣ワマムツを見て、見返したくなったのだろう。
ヴェインの顔を覗き込むと、眉間に皺が寄っている。夢見が悪いのかもしれない。
今夜はヴェインが「星晶獣討伐の打ち上げだー! ランちゃん、いっぱい頑張って疲れも溜まったろ? 美味いもん作るぜ!」と言い、家に招かれているのだが。
ランスロットの好物を用意してくれたらしいので、楽しみにしていた。早めに仕事を片付け、私服に着替え、帰宅準備は万端だ。それはヴェインも同じようで、彼も私服姿ではある。
だが、当のヴェインはランスロットの気配にも気付かず微睡んでいる。疲れているのは、ヴェインの方なのかもしれない。
「なんの夢を見てるんだ?」
眉間に寄っている皺を伸ばすように指先で触れると、少し表情が和らいだ。口元がピクリと動く。
「おっ、悪い夢から覚めるのか?」
目覚めるのかと思わず声を出すと、ヴェインは瞳を閉じたまま、「ん……、ランちゃん……」と呟く。寝言だ。
「ヴェイン……」
名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がった。
本当にどんな夢を見ているのだろう。
夢の中でも自分を呼んだのか?
身を乗り出して、ヴェインの額に自分の額を付けてみる。
「こうしてると、同じ夢を見られるって言うよな」
額をつけて眠るくらい親しい間柄なら、夢だって共有出来る――そんな戯言だろうけれど。
ヴェインの夢に自分が登場していると言うのなら、気になるではないか。まあ、状況からして、夢の中の自分は、ヴェインに図鑑を見せようと無理強いしているのだろう。
額にヴェインの熱が伝わってきた。自分より温かい体温は、なんだかほっとしてしまう。
「なあ、起きないのか、ヴェイン?」
子供の頃、眠たがっているヴェインを無理矢理起こそうとした自分と変わらない行動に苦笑が漏れる。
仕方がない。自分はヴェインと過ごす時間が大好きで、ヴェインにはずっと自分を見ていて欲しいから。少しのお昼寝の時間も勿体なかった。
そんな子供の頃の気持ちを大人になった今でも持ち続けている。
「ヴェイン……」
本当に起きて欲しくて、身体を揺り動かそうと肩に手を置くと、再びヴェインがランスロットの名前を呟いた。
「ランスロット……」
「え……っ」
名前を呼ばれた瞬間、背中に腕を回され、そのまま抱きしめられる。ヴェインに額をくっつけていた身体は、抱きしめられ、引き寄せられて重なった。ヴェインの胸の上に自分の胸が重なり、鼓動が布を通して伝わる。
危うく唇も重なるところだった。回避した。けれど、唇の端を掠ったかもしれない。
頬が触れている。耳元に呼吸音が響いてくる。
「ヴェ、ヴェイン……」
意外にも柔らかな頬の体温が気持ちいい。離れたくなくて、困ってしまう。
誰が入ってくるか分からない副団長室のソファーの上で、いつまでもこんな体勢ではいられない――いてはいけないのに。
誰かに見られたら、なんと言い訳をすればいいのか。
ランスロットが身動ぐと、逞しい腕にぎゅうと力が入り、緩やかな呼吸音が繰り返された。
一秒が永遠にも思える。
ヴェインの力は一向に弱まらず、ランスロットは腕の中から抜け出せなかった。
いや、正確には抜け出したくないのだけれど。
その気になれば、寝ている男の腕から抜け出すのは容易なはずだ。
「ヴェイン……、俺は、抱き枕じゃ、ないぞ」
いつまで抱きしめているつもりだという思いで呟きながら、腕には力が入らない。
いつまでも抱きしめていて欲しい。
眠っていなければ、ヴェインが自分を抱きしめるなんてありえないのだ。
心地よい体温に包まれ、寝息を聞いているうちに、ドキドキしていた鼓動もいつの間にか落ち着きを取り戻していた。
身体が弛緩していくようだ。
「重く、ないのか、ヴェイン……」
囁いても返事はない。
耳元で聞こえる呼吸音――吸って、吐いて。繰り返される。
ヴェインの呼吸に合わせているうちに、ランスロットもいつの間にか瞳を閉じていた。
「――で……だったんですよね」
「うん、そう……。あの場所は……」
遠くで聞き慣れた声がする。
途切れ途切れに聞こえてくる会話は、そのうちに意味をなしてきた。
「今回、俺たちは後方支援が多かったけど、ランちゃんは、最初から最後まで前線を支えてたんだぜ〜! かっこよかったなあ……」
ヴェインの声だ。どうやら先日、騎空団を手伝い星晶獣と戦った時の話をしているらしい。
彼が話すと、ランスロットの身体も一緒に揺れた。
――揺れる……?
それは普段感じない動きだった。温かな熱が布を通して伝わり、呼吸に合わせて上下している。
「へえ! 俺たちもいつか一緒に行ってみたいです!」
「その為には一週間戦える体力が必要だぜ!」
「走り込み頑張りますっ!」
「おう! ……ん、よし、この書類は大丈夫!」
ヴェイン隊の子供たちの安堵した声が響いて、紙を渡す音がする。書類の確認だったのだろう。
一日の終わりを告げる報告書だろうか。
――書類の、確認
ランスロットは今の状況を把握して、意識が覚醒した。
ヴェインと帰宅しようと副団長室を訪ねた後、自分は微睡むヴェインを覗き込み、抱きしめられて、そのまま彼の腕の中で眠ってしまったのだ。
そして今も同じ体勢でいる。
ヴェインの身体に重なって、うつ伏せの状態だ。子供たちの前で、ヴェインの腕の中に。失態もいいところだ。
ヴェインが話すたび、彼の身体が揺れ、一緒にランスロットの身体も揺れていた。
彼の体温と、落ちないように支えているのか、腰に腕を回されている感覚が伝わる。
「……ランスロット団長、よく眠ってますね」
「全然起きませんけど」
この状況で、どんな顔をして起きろというのか。絶対に起きられないと、寝たふりを決めこんだ。
「いやあ、俺もびっくりしたけどな。目が覚めたら、ランちゃんを抱き枕にしてて!」
「ヴェイン副団長のバカ力で抜けられなかったんでしょうねー」
「あはは! ヴェイン副団長、力持ちだもんな!」
「うへ~、悪いことしちまったよな!」
笑い声が響き、振動が伝わるけれど起きるわけにはいかず、呼吸が不自然にならないよう苦心した。
どうやら、子供たちには「抱き合って眠っていた」という誤解は受けなかったようだ。
それには安堵したけれど、早く部屋を出て欲しいと考えてしまう。いつまでも寝たふりをしているのが辛かった。
「起こさなくていいんですか?」
「んー、もうちょっと寝ててもらう。普段から寝不足だからな」
「はーい! では俺たち、お先に失礼しますね!」
足音が遠のき、ヴェインが子供たちに手を振った振動も伝わってくる。扉が閉まる音がすると、室内は急に静かになった。
呼吸音が聞こえてしまうのでは、寝たふりに気付かれるのでは――そう思ったが、ヴェインはまるで気付いていないようだった。
こうなると、どのタイミングで目覚めた振りをすればいいのか分からなくなる。
ヴェインより早く目覚めていれば良かったのだが、あまりの心地よさに寝入ってしまった。
「よく寝た」と言いながら起きればいいだろうか。しらじらしくはないか。
悩んでいると、そっと髪を撫でられた。
「ランちゃん……」
囁きで名前を呼ばれる。
このタイミングで起きるべきだろう。
ランスロットは伏せていた瞼をゆっくりと持ち上げた。続いて頭を持ち上げれば、寝起きを装えるだろう。
首に力を入れると、ヴェインがまたランスロットの名前を呼んだ。
小さな、消えそうな声。
ランスロットを起こそうと名前を呼んでいるのではない。
切なさを滲ませた声は、三度、名前を呟く。
三度目は、名前だけではなかった。
「ランスロット、好きだよ」
――すき? ヴェインも俺を?
静寂に消えそうな声は、空耳かと思う程だ。
けれど、腰に回された腕に力が込められ、ヴェインが告げた言葉は空耳などではないと伝わってきた。
ヴェインの告白だ。
それは、きっと初めてではない。
確信する。
自分も何度も同じことをしてきたから。
ふたりで飲み明かし、そのまま眠ってしまった時も、夜中に目覚めて隣で眠るヴェインに愛を告げた。
起きている時には伝えられないから、眠っている時に。
名前を呼んで、眠っているのを確かめて。
想いが溢れて、黙っているのは苦しかったから、少しずつ吐き出してきた。
ヴェインも同じなのか。
「――ヴェイン!」
「うわっ、ランちゃん」
ランスロットが勢いよく顔を上げると、ヴェインの身体が激しく跳ねた。寝ていると思っていたのだから、驚いて当然だ。
「び、びっくりした……っ」
「ヴェイン、今の」
もう一度聞きたくて、気が急いた。問い詰める口調になってしまう。
「へ え 起きてた……」
動揺したヴェインが身体を無理矢理起こすと、ランスロットはバランスを崩してソファーから落ちそうになる。慌てたヴェインが腕を引っ張って、再びヴェインの胸の中へ戻った。
「ご、ごめん、ランちゃん」
「大丈夫だ、そんなことより」
「ごめん! ランちゃん、よく寝てると思って……!」
「ヴェイン」
ヴェインからの告白をはっきりと聞きたいと思っているだけなのだが、彼は謝るばかりで、ランスロットからもあっという間に距離をとってしまった。
ランスロットの身体をソファーへ座らせ、自分は立ち上がって、今にも執務室を立ち去りそうだ。
――そうか。ヴェインは想いを受け入れてもらえないと思っているのか。
気付いたランスロットは、ヴェインを呼び止める。
間違ってしまった。想いをもう一度聞かせろと強要する前に言うことがある。
どうして自分は昔から、ヴェインに自分を見て欲しいとばかり思ってしまうのか。
好きなのだから、仕方がない。
子供の頃から変わらない。――いや、子供の頃とは違う。
もっと、ずっと。
「ヴェインが好きだ」
腕を広げて告げれば、一瞬、ヴェインの動きが止まる。
ドアノブから手を離し、振り返ったヴェインは目も口もまん丸に開いていた。
「ランちゃん、もういっかい……」
「お前が、大好きだ」
「……俺も! 大好きだぜっ!」
喜びで顔をくしゃくしゃにしたヴェインが勢いよく腕の中へ飛び込んで来て、ふたりは一緒にソファーの上に倒れ込み、お互いの身体を抱きしめる。
暫くの間、ふたりは笑いあった後、自然に唇を重ねていた。