victory 盤面を埋め尽くしていた大小のグラスは、もう数えるほどしか残っていない。
数が足りなかったから陶製の指ぬきやエッグスタンドまで動員したが、残るは数機のみ。
「……チェック」
呂律の回らない、ヒュンケルの勝利宣言。
「俺の勝ちだ、ラーハルト」
元陸戦騎は、ふむ、と顎を撫でる。
相棒ヒュンケルは、ひとたびのめり込むと玄人並みの技を短期に会得する男だ。今彼が夢中になっているチェスにおいて、ラーハルトが勝てなくても不思議はない。
ただし、今回は特別だ。
ショットグラス・チェス。酒杯を駒として、ひとつ取るたびに酒を飲み干すルール。
キッチンをひっくり返して強い酒を探した甲斐があった。
銀色のテキーラと琥珀色のブランデーを景気よく倒していったヒュンケルは、いかに酒に強くとも限界のはずだ。
「盤面を見ろ。俺の勝ちだ」と、眠そうに繰り返す。
「どうかな」
ラーハルトは己のキングを滑らせた。
相棒は潤んだ目で睨み上げる。
「逃げたって無駄だ。もうお前に勝ち目はないぞ、ラーハルト」
肩をすくめる相手の意図をようやく察して、ヒュンケルの瞳が燃える。
「くそ」
おもむろに指を伸ばすと、テラン土産の素朴な茶器を動かして、オーザム名物の切子グラスにかちんと当てた。
「ああ、残念だ。ナイトを取られた」ラーハルトの三文芝居に眉を顰め、薬草酒を飲み干して少しむせる。
ラーハルトの番だ。
またキングを逃がし、残ったポーン、もとい、マグをどすんと置く。
ヒュンケルは一瞥して、唇を噛む。
中身は、なみなみと注がれた蒸留酒。
躊躇を見せるも果敢にポーンを奪い、マグを一気に飲み干した。
「――う」
幕切れはあっけなかった。
ヒュンケルは酔ったそぶりも見せない肌の持ち主だから、倒れるまでの限界が読みづらいのだ。
盤面に突っ伏す彼を難なくキャッチして、ラーハルトはふふん、と笑う。
「この場合、どちらが勝ちかな」
「うるさい。わざとか。ひきょうもの」とヒュンケル。
悪態をつく気力だけは残している。さすが俺が認めた戦士だ。
ぼやけた賞賛を抱くが、ラーハルトも相当足元がおぼつかない。
お互い支え合いながら、よろよろと寝室に向かう。
「たのひかった」
と、ヒュンケル。
「つぎは、まへない。おぼえてろ」
「言ったな」
ふにゃふにゃの元戦士をベッドに放り投げる。
「……通常の戦術に加えて、相手にどれだけ飲ませるかもポイント」
なかなか良く出来たゲームだ。
「すこしは相手を疑え」とラーハルトが呟く。
だからいちいち罠にかかるんだ。
俺が助けなかったら、何度死んでたと思う。
「とうさんに似たんだ。ひきょうな戦い方はしないぞ」ヒュンケルが言い返す。
不死騎団長でもアバンの使徒でも、そこだけは変われない。
愚かだと知ってる。
そう言ってあくびをし、「先生なら、わからないけど」と付け加えた。
即座に寝入ったヒュンケルの鼻をつまんでみる。
こんな雑なヒュンケルを見られるのは俺ひとりだ。
大勝利だ。羨ましいか。
誰にでもなく宣言して、ラーハルトもベッドに倒れ込んだ。