立ち去る気配がまるでない。昨日は義勇さんの家でお泊まり会をした。
言い方は昔と変わらないけれど、内容は随分と変わった。
一緒に遊ぶ時間がもっと欲しくて、時には兄の自分を忘れるようにと心を配られ、騒がしい自宅では勉強もままならないだろうと場所を提供してもらえた。
そんな、何度も訪れた彼の部屋は少しずつ大人の男性の部屋に変化していき、俺達の関係も少しずつ変化していった。
色々あって、恋人として付き合うことになったのはつい最近のこと。
…体を重ねたのも、つい最近のことだけど。
そんな照れを押し隠しつつ、今日はその家で義勇さんを待つ事となっている。
勢いのままお邪魔した金曜日、勢いのままあれこれあったけれど、土曜に教師を必要とされる学校に呼ばれて朝から登校していく背を見送って数時間が経とうしている。
随分体も動くようになったのを確認したら、案の定溜まっていた家事を片付けさせてもらった。
シンクは掃除するだけだったけれど、洗濯物に掃除機がけに、とできることはいくらでも見つけられた。
冷蔵庫を失礼して拝見した所、随分と切ない環境だったので義勇さんが帰ってきたらお買い物デートもしたいところだ。
「…こんなもんかな」
見渡してみて、テレビボードのホコリも隠し棚のカーテンも満足な出来だ。
乾いた洗濯物を畳みたいところだけど、冬とはいえここまでちょこまかと動けばうっすら汗をかいてきた。
好きにして良い、と言われて勝手知ったる何とやら。
掃除がてらお風呂もお借りしようと思い立つ。
ガチャ。
脱衣所に響いた音に、用意したバスタオルを置いた手のまま固まれば帰ってきたばかりの義勇さんと目があった。
「わ、お帰りなさい」
下着一枚しか着ていない状態での『お帰りなさい』は何年ぶりだろうか。
小学校低学年で、芋洗いのように入れられた風呂後に会えた時ぶり以来ではないだろうか。
「お、おお…」
ノブに手をかけたまま、戸口で固まる義勇さんはいつもの『ただいま』も出せないようだ。
「あー!すみません、こんな見苦しい格好お見せして!」
そうかそうか、そうだよな。
帰ってきたら、こんなのがパンツ一丁でうろついてたら驚きもするよな。
「いや、そうじゃないが」
身じろぎ一つせず、じっと…いや、じっとじゃないなこれ。
上から下から、目線だけを動かしてじぃっとくまなく、もれなく見られている気がする。
「そうですか」
義勇さんの背後の廊下から続くリビングから漂う暖房の暖気に震えはしないが、それでも風呂場という水場の冷えがもう片側から漂ってきて少なからず肌が粟立つのを感じた。
かいたはずの汗も引いてきたが、それでもベタつきは変わらないだろうしここはシャワーでもさっと浴びておきたい。
が、義勇さんが全く動こうとしない。
開けた時からの変わらぬ姿勢、動かない表情。
それなのに、感じる視線はあちこち彷徨っているよう…主に、体の表面を。
俺の。
「あの」
「…」
声をかけてみたが、とてもお忙しそうで返事がない。
「義勇さん?」
「…ああ」
名前を呼んでみけれど、まだちょっと意識がこちらに向いていない…いや、一部に向きすぎていて目線が合わずに少しむっとしてしまう。
「俺、今からひとっ風呂宜しいでしょうか」
「うん、どうぞ」
希望を伝えるが、要望はちっとも伝わりそうにない。
「…」
これは…はっきり言わないと無理だな。
「扉を閉めて頂きたいんですが」
なんとかにも礼儀あり、ベッドの上と風呂場ではやはりこう…違うと思う。
「なんで」
「なんで!?」
扉を閉めてほしいことに、疑問が浮かぶとこあるっけ!?
「ええと、その…脱ぐので」
「うん、どうぞ」
わあタイヘン、冨岡先生がなんだかポンコツだ。
開けた時からの変わらぬ姿勢、動かない表情。
先程と同じ返事まで返ってきたぞ。
「どうぞじゃなくて。だからほら、脱ぐから…」
「うん、どうぞ」
「そんな視線をぶつけられたまま、脱げるとお思いで!?」
変わらぬ事態に、少し声を荒らげてしまったが突っ込まざるを得ないこの状況が悪い。
こ、こい…恋人の前でさっと脱ぐには、ちょっと昨晩の覚えがまだあるだけにちょっと今日は難しいところだというのに、目の前のこの人は全く微塵も!これっぽっちも!!そこに気づいてはくれないようだ。
「義勇さんの前で脱ぐのが、恥ずかしいって言ってるんですけど」
むう、とふくれっ面が出てしまい子供じみた声に少しだけ反省してしまうが、目の前のこの人はそうでもないようだ。
「見守っておくので、どうぞ」
「いや、なんの見守りですか」
風呂に溺れないよう子供の監督でもする気でいるのだろうか。
それにしては目線がこう…いや、義勇さんに限ってそんな事はない。
断じてない。
首を振るって、一瞬でもよぎった考えを頭からふるい落とす。
いやいや、そんな。
子供の頃から知ってるわけだし、何度もお風呂に入れてもらったし、入りましたし!
何も…はっ!もしかして下着に穴でも!!
バッと下を覗き込んでみたけど、もしかすると見えない角度になにか不始末があるかもしれない。ええどうしよう…
「脱がないのか」
苦悩する心のうちは見えないようで、見守るはずの方から突っ込まれてしまった。
いや、確かに薄ら寒くなってきた気もするのでパンイチは止めたいのだが、なら全裸なら良いのかというとちょっと違うなと思って、わたわたと手を彷徨わせ、先程目の前においたタオルに手を伸ばした。
「何故隠す」
「いや隠すでしょう」
なんか穴とか空いてたら嫌ですし。
「隠す仲でもあるまい」
「ないですけど、見られてたら脱げないですよね」
なんとなく、そう。言われたから言い返してしまったけれど、さっきからこう…視線が延々と固定されている。
「俺は…そんなに見てはいない」
「ドア開けてからこっち、ガン見ですよね」
さっきから何分経っただろうか。
扉を開けた姿勢で止まっていて『見ていない』は流石に通じないでしょう。
「…」
返事のない義勇さんは、なんとなく『気に入らない』というような匂いをさせてそれでも視線がまだ交わる事なく立ち去る気配もない。
「パンツに穴でも空いてました?」
意を決して聞いてみる。
「いや、普通の可愛らしい…間違えた、空いてない」
いえ、もう良いです。
深緑の、なんの変哲もないパンツですし、最近もみたことがあるとは思いますがそんな穴が空く程見つめられては穴が空きそうです。
「じゃ、脱ぐんでドア、閉めてください」
気にするこちらが馬鹿らしくなってきて、ここは強めに言って退出を促そうと思ったけれど。
「なんで入ってくるんですか」
後ろ手に閉めてただでさえ狭い脱衣所に、もう触れるほど目の前に義勇さんがいる。
帰ってきたばかりで頬や耳まで赤い事に今更気づいた。
「あ、もしかして寒くてお風呂はいる気でした!?」
こんな寒い冬曇の中、そりゃあ帰って湯船に浸かりたいのかもしれない。
これはお風呂を譲ろうと、先に脱いでおいた上着をひっつかんだ片手を…ものすっごい速さで止められた。
「なぜ」
譲ると言わずに服を着ようとした事に疑問も湧いたのだろう、先程から予期せぬ事ばかりでうまく言葉も噛み合ってない気がする。
「義勇さん、寒いなら俺は後で構わないので先に入ってくだーーー」
最後まで口にする前に、帰宅されて初めて絡んだ視線に言葉を飲み込んでしまった。
「まさか寒い俺を放って一人で入れなんて言わないだろう?眼の前で脱いでもらうまでは、ここは出さん」
「なぜ」
どこでスイッチを入れたのかわからないけれど、事故のようなハプニングはいつのまにか一緒にお風呂に入るスイッチになったようだ。
「パンイチで恋人に出迎えられて黙ってる男はいないだろ」
お題:脱衣所で急に扉を明けられた炭。そこには驚いた顔の義が経っていて、明らかに事故の王なのだが、恐ろしいことに義は炭の下着姿を食い入るように見つめたまま立ち去る気配がまるでない。