夜が明けるまで一緒にいよう「オペラオーちゃん、起きませんねえ」
「そう。じゃ、ここに置いていきましょう」
「アヤベさんってば……」
困ったように笑いながら、トップロードさんは手慣れた様子でオペラオーを背に負った。目をこすりこすり立ち上がったドトウが、手を添えてそれを支える。トップロードさんもドトウも、オペラオーも、誰かに手を差しのべることにまるで躊躇がないのだから、始末に負えない。息をするように自然に他人に優しさを向けて、なんでもない顔をしている。私にはそれが、少し眩しい。
穏やかに寄せる波間が、高く昇った太陽のきらめきを映して揺れている。海に向かってゆるやかな傾斜になっている砂浜を、いつもより短い歩幅で、私たちは歩き始めた。背中で呑気に寝息を立てている小さな王様を気にしてか、彼女の歩みはことさらにゆっくりだ。
あきれるほどのお人好し。そんな言葉が、喉の奥でため息に変換されて吐き出される。
「そんな人騒がせ、放っておけばいいのに」
「ふふ。ありがとうございます、アヤベさん」
礼を言われる筋合いがわからず、私は困惑する。表情で怪訝を訴えると、トップロードさんは目を細めて、いたずらっぽく笑った。
「心配してくれたんですよね?」
海からくる風が、私たちの髪の毛をふわり、巻き上げる。そんなわけないでしょと言い返してやりたくなったが、なぜか無性に頬が熱くて、苦しまぎれに私は顔をそむけた。トップロードさんはずり落ちてきたオペラオーを背負い直しながら、こともなげに言う。
「大丈夫ですよ。オペラオーちゃん、とっても軽いですから」
「……あなたが、いいなら。私はいいけど……」
寝不足の目に、砂浜の照り返しが眩しい。四肢も関節もひどく熱を持っており、浮ついた心地がするうえ、やたらと喉が乾く。そもそもこんな時間まで四人で海にいて、私たちは何をやっているのだろう。夏合宿の時期でもないのに。
けれどさらに奇妙なことに、私はこの身体のけだるさを、どこか心地よく感じてもいるのだった。
(……誰も彼も、みんな、お人好し)
関係ない他人のことなど、放っておけばいいのに。少なくとも私はそうしてきた。私は今まで、己を取り巻くさまざまなつながりから目をそらして、使命のためだけに生きてきた。それは自分の負うべきことではないと思っていたから。あるいは、自分にはとても負いきれないと、そう信じ込んでいたから。私は、親切を受けるに値しない人間で、だからこそ、私はひとりでよかった。ずっとひとりで、走っていたのに。
気がついたら、誰かが隣で私の名前を呼んでいた。
無視して走り続けても、声は大きくなるばかりで、いつしか私はたくさんの人の輪の中に立っていた。置き所のわからない私はいつも、輪のはじっこにちぢこまり、そっぽを向いてむくれていた。それでもいいと、笑ってくれた誰かがいた。まっすぐに伸びた静かでさみしい道に、ひとすじの光が差して、私は目を細める。
(みんな、私を放っておいてくれない。うるさくて、猥雑で)
――でも、それが、いいんでしょう? お姉ちゃん。
(自分勝手。お節介。走りに関係ないことばかり。人の気も知らないで)
――私、うれしかったよ。お姉ちゃんが楽しそうで。お姉ちゃんが、笑ってて。
(私は親切でも優しくもないから、気にかけてもらっても、何も返せない)
――ばかだなあ、おねえちゃんは。
風が、もう一度。
私の頬をなぞっていたずらっぽく巻きあがった。
吹き去る方向に目を向けると、遠くで彼らが私に手を振っていた。
「あ……タクシーが来たみたいですぅ」
「帰りましょう、アヤベさん!」
駆けてゆく背を見送りながら、私はもう一度だけ、かなたに広がる天上の景色を振り仰いだ。高く昇った太陽が、あたらしく生まれいずる朝の輝きで、私の目を射抜く。
(星。……もう見えない)
それでも、いいのだろうか。私には、あの子の声はもう聞こえない。あの子はもういない。この世界のどこにも。けれど、あの子がかざしてくれた小さな星明かりは、今も消えずに、この胸のうちにある。
明るい日差しを身体じゅうに受けて、私は笑った。
はじめて微笑みを教えられた人形のようにぎこちなく、けれど心からの笑顔で、私はそこにいた。