バイク屋になるんだと思ってた。見習いから始めるのだと、照れ臭そうに笑った油まみれの洗いざらしのツナギ姿が似合ってた。
バイクが好きで、乗り回すのが好きで、いじるのが好きで。始めたばかりの見習いのくせに、いつか自分の店を開くんだって、遊びに来いよって言ったのに。
真ちゃんのツナギ姿を最後に見たのはいつだっただろう。
病院の通用口から現れた真ちゃんは酷く疲れた顔をしていた。伸ばしっぱなしの前髪が伏せた目元を覆う。オレンジ色に照らす日差しから目を背けるようにうつむいた横顔が、少し痩せたように見えた。
歩く前を遮るように車を乗り付け、立止まった真ちゃんに向かって窓を開ける。
「乗んない?メシ、食いに行こーよ」
「…ワカ」
焼けただれた喉から絞り出した声は、今にも抱えた痛みに押し潰されそうな、絶え絶えと枯らした声だった。
真ちゃんを車に乗せたのは半ば無理やりだった。腕を引いてドスンと革張りのシートにからだを沈めれば、諦めたように肩から力を抜いた。シートにからだを預ける真ちゃんと眉をひそめるオレを伺う運転席の気配をチ、と舌打ちをして追い払う。こんな顔の真ちゃんを誰の目に触れさせてはならない。オレ以外には、誰も。
「なに食いたい?やっぱ肉がいいか?なんでも真ちゃんの好きなもの、食おーよ」
覗き込んだオレに、真ちゃんは力なく首を横に振り、そのまま萎れるようにトンとからだを預けて小さな声を漏らす。
「…ワカ、」
「うん」
「…ワカ」
「うん、」
繰り返す短な問いと短い返事。ただ名前を呼ぶだけのそれだけのこと。なのに、ゾクリ走るのは一筋の甘く残忍な仄かな閃光だ。
寄せる頭を酷く神妙な手つきで抱き寄せて、乾いた髪にそっと触れる。弱々しくすり寄る気配とくぐもる声が小さく、小さく、微かに漏れる。
「ーーゥ、…ゥ、」
真ちゃんがオレにだけその綻びを見せる。オレに、だけ。
瀕死の獲物を目の前に飲み込むことも出来ないだろうと、臆病を思い知らせるように、誘うように。わざと自らの肉を、傷口を見せつける。喉を鳴らしながら喰らうことの出来ないサマを思い知らせるように。オレにだけ、真ちゃんは弱気を見せる。
真ちゃんが絶対に手に入らないってことを突きつける。
なんて憐れ無様なこった。滑稽なこった。なのに離れられない、どうしたって真ちゃんを見切ることなんて、どうせオレには出来やしないんだ。
「真ちゃんはいつでもカッコいいよ」
俯いた真ちゃんのつむじに気付かれないように密やかに唇を寄せる。それがせいぜい。
「カッコいいよ世界一。真ちゃんは誰よりもカッコいい」
う、と小さく漏れる声を真ちゃんはオレの胸で押し殺す。震え、堪え、心を枯らすほどに、たったひとりを思う。
情の深い男。オレ以外のヤツの、男。
なによりも大切で大事な宝物の弟のために、真ちゃんは泣く。
「―――、ぐぅ、ゥ、」
食いちぎらんばかりに奥歯を噛みしめる、たったひと息だけの嗚咽。吐き出されたひと息だけの、弱気。それだけはせめてオレのものだ。
けれど、グと真ちゃんはそれすらも奪うように飲み込むと、オレを振り払うように頭を上げるそうして上げた瞳には、もう翳りは失せていた。振り払った弱音はもういない。
「…モテねーけど、な」
なんて、少し拗ねたような顔をして真ちゃんは言う。
あれはたったいっときの、静かな咆哮。
「真ちゃん」
「…うん」
「真ちゃんはモテてるよ」
あれだけはオレだけのもの。
「オレにはずっとモテてるよ」
「…うん、」
そう微かに瞼を伏せて小さく頷いた返事には、いったいどんな意味があると言うのだろうか。それをきっと問いただすことは出来ない。ずっと。たぶんこの先もずっと。
「あーあ」
わかっているからこそ、せいぜいわざとらしく溜め息を漏らす。
オレはずっと真ちゃんだけが大事なのに。なぁ、真ちゃん。真ちゃんはいつまで、手も出させてくンねぇの?