離島の医者パロ(仮)プロローグ
あの日、人魚に出会った。
大学生になったばかりの夏、五条悟は何もかもが色あせ、生きていることすらめんどうになっていた。
そして、全てから逃げるように、放置されていた離島にある別荘に逃げた。
親友たちに言わせれば『天才の悲哀ってやつか』『何の苦労もないからそうなるんだ』と辛辣に言いはなたれたが、それはその通りなのだろう。
産まれた家は財閥系の名家で金の苦労なんて考えたこともない。悟自身も、物心ついた頃から神童と言われ、勉強もスポーツも全てが人並み以上に努力もせず出来てしまう。そのためか、成長するにつれ、世の中の全てが色褪せ、つまらないものに感じるようになっていった。
その上、自分の周囲にいるのは数人の友人以外は五条家に取り入りたい者、玉の輿狙いのギラギラした女たち。その全てが嫌になってしまったのだった。
別荘は海を見渡せる素晴らしい立地に建てられており、放置されていたと思っていたのは持ち主である五条家だけらしく、島の気のいい老夫婦がいつでも使えるよう手入れをし、室内も整えてられており、到着したその日から快適に過ごすことができたことに驚いた。
そんな驚きを知ってか知らずか、老夫婦は昔からそうしていたように悟を歓待し、食事の準備もしてくれた。
「今日は満月ですので、お部屋の窓の景色を楽しめますよ。先代様はその景色がお好きでこの屋敷を御造りになったくらいなんですから」
「そういえば、人魚に出会ったなんて冗談も言われてました」
「人魚」
「はい。島の伝説で、こんな満月の夜には海底から年若い人魚が月を愛でに水面に姿を現すそうですよ。そして、その人魚の独りがこの島の人と交わり子をなした。この島の人間はそんな人魚と人との間に産まれた子の末裔という伝説です」
「へぇ人魚…」
「ほほほ…伝説ですよ。私たちも長年この島に住んでますが見たことはないです」
穏やかに微笑みながらそんな話を悟に聞かせ、夕食の片づけまでして老夫婦は自分たちの家に引きあげていった。
ポツンと屋敷に残された悟は、先ほどの老夫婦の話を信じたわけではないが、部屋から見える景色を見ようとカーテンを開いた。
その目に飛び込んできたのは満ちた月の冴えざえとした光で白銀に照らされた穏やかな海、ポツリポツリと、遠くに見える島影。全てがひとつの絵画のような素晴らしい景色だった。
その景色も悟の冷めた心には響くものもなくただ、ぼんやりとその景色を眺めていた。
その時、穏やかな水面がパシャリと跳ねた。思わずそちらを見ると水面に1人の少年が姿を現した。その姿に何事にも動じない悟の心臓がドキリと跳ねる。
しなやかで健康的な筋肉に覆われた肢体。海の珊瑚を思わせる濡れたピンクベージュの髪が月の光をうけ、キラキラとし、勢いよく、水を跳ねあげるたびに海水が彼を飾る宝石のように輝いていた。
息をするのも忘れ、魅いられたように少年を見つめる。楽しそうに伸びやかに水と戯れている少年を見ているうちに悟の唇には笑みが浮かんでいた。
もっと近くで見たい。という欲求に動かされ、悟は慌てて別荘から飛び出し、海辺に向かった。だが、海辺についたときにはあの少年の姿は忽然と消えていた。
翌朝、別荘にやってきた老夫婦にあの少年のことを聞いてみたが、この島に中高生くらいの男の子はいない。と言われてしまった。
それならばと他の島民たちにも聞いてはみたが誰もが老夫婦と同じことを答えた。
また、現れないかと何度も窓辺から海を見てみたが、静かな海の景色が広がるばかりで、その後、一度も少年は姿を表さなかった。
1章
『と、いうことで僕はあの時に出会った人魚を探してるって訳。もし、自分だって心当たりがある人は番組宛にメールしてね』
『悟、何度も言うけれどそれはきっと、君の見た幻だよ。それに人魚はメールしないから』
『んな、訳ねぇしこの五条悟が幻なんかに惑わされるわけねぇ。あれは、実在した』
『はいはい。リスナーのみなさんはもう、耳にタコができてると思うから次の話題にいこうか、悟』
『あ傑、てめっ…』
ラジオから聞こえる祓ったれ本舗の軽妙なやりとりを聴きながら、離島にある古びた診療所の診察室で、虎杖悠仁は患者のカルテを整理していく。
この時代、ほとんどの病院は電子カルテとなっているため、悠仁自身が祖父から診療所を引き継ぐ際に導入した。これを使えば勤めていた総合病院や他の病院との連携も楽になり、患者の治療もスムーズにできるだろう。
そして、それを使うべく、診療時間外にコツコツと整理しているところだった。
「はぁ…とりあえず、今診察してる人の分は終わった…あとは…追々でいいか」
すっかり固まってしまった肩をほぐすべくグッと手を伸ばしストレッチをする。
その時、机の上に置いていたスマホが着信を知らせた。
「伏黒じゃん…もしもし、久しぶりどしたん」
電話の相手は同じ大学出身の伏黒恵だった。
お互いに違う総合病院に勤務するようになっても、時間さえあれば飲みに行ったりお互いのアパートを往き来するほど仲のよい友人だ。
『虎杖、すまん。明日から俺の患者が2人そっちの島に一週間ほど滞在するからお前に任せてもいいか』
「いいぜ。やっと電子カルテが運用できるようになったからそっちに送ってくれたら助かる」
『わかった。明日にでも送っておく』
「それにしても伏黒の病院の患者ってセレブだよな。なんでそんなセレブがこの島に」
『別荘があるからって聞いてる。ま、健康体だからお前の診療所に世話になることはないと思う。何かあった時のための保険だ』
「了解。そういうことなら、ここに来ることはことねぇと思うけど、患者には伝わってる」
伏黒が勤めている病院は、所謂セレブ御用達の病院だ。
政治家、芸能人、大手企業の重役等プライベートを知られたくないような患者たちが大多数をしめているらしい。伏黒曰く、『めんどくさい患者ばっかだ』と日々、苦虫を潰したように言っているので本当に大変なのだろう。
『一応、了承は得てるからその辺りは大丈夫だ。それより、そっちはどうだ』
「思った以上に忙しい。何せ島には俺しか医者がいないし診療所まで歩けない患者もいるから訪問診療もしねぇと。じいちゃん、よくやってなって思ってる」
『そうか、俺や釘崎も手が空くときは手伝いに行ってやるよ』
「ありがたい。期待してる」
そこからは島の医療の現状やお互いの生活のことなど他愛もない話をして通話を終えた。
電話を切るとさっきまで軽快な会話を流していたラジオも静かなジャズを流しており、1人しかいない自宅兼診療所の静けさが悠仁に沁みるようだった。
「なんかめちゃくちゃ静かだな。ま、急患なんか洒落になんねぇから平和が一番」
診療所の電気を消してドアをまたいだ向こうにある自宅へと足を向ける。
「ただいまっと」
今は誰もいない居間に声をかけて台所へ向かう。悠仁がこの島にやってくるのと入れ替わるように祖父の倭助は仕事を悠仁に引き継ぐと、以前からの宣言通りこの島の医者を引退し、悠仁の父の元へと引っ越していった。
台所に立ち、昼の間に煮付けた魚に火を通しながら味噌汁を作ろうと出汁をとっていると診療所の入り口の方でガタガタと物音がした。
慌てて火を止め、診療所へ戻る。
「どうかしましたか」
診療所のドアを開けるとそこには漆黒の髪をハーフアップにしたがたいのいい男が困りきった顔で立っていた。
「あれ祓本の…」
最後まで言い終わる前に大きな手で口をふさがれ、診療所の中へ押し込まれた。
「しー、目立ちたくないんだ」
驚きながらもコクコクと頷くと口をふさいでいた手がどけられた。
「手荒な真似をして悪かった」
夏油が綺麗な形をした眉を下げながら謝ってくる。
「いや、驚いただけっすから大丈夫っす。ところで、どうされましたか」
「そこの岩場で怪我をしてしまってね。医師がいるなら取り次いでもらいたい」
そう言われ、夏油をまじまじと見るとだらりと降ろされた左腕から血液が滴っていた。
「うわ、けっこう派手にやっちゃてんなぁ…あ、すんません。こっちに来てください」
夏油を奥の診察室に案内し、椅子に座らせた。
「あのすまないが、医師は」
「俺っす。じいちゃんが引退したんで俺が後を。心配しなくても免許あるんで」
ちらりと悠仁が壁にかけた医者免許証を見ると夏油も確認できたようでホッとした気配が伝わってきた。
悠仁はれっきとした医者なのだが、やんちゃそうな見た目とご丁寧にも、地毛がピンク、瞳が琥珀色と一見して医者とは誰も信用してもらえない要素ばかりが揃っている。
仕方ねぇよな。と割りきり医者としての研鑽だけは人一倍してきた。おかげで生来の人見知りしないたちにも助けられ、目標にしてきた診療所の医師になれた。
「袖、もう破れちゃってるので切りますね」
ようやく医師と信用されたようなので夏油の腕をとり、ためらいなくシャツの袖を切り開いていく。
シャツを切り開くとそこにはかなり深くザックリと切ったであろう傷があった。まだ、出血も止まっておらず傷口は赤い血であふれていた。
「出血が多いのでとりあえず洗浄して…ごめん、ちょっとこっち来て。」
手際よく夏油を流しの所まで誘導し、生理食塩水で丁寧に傷口を洗浄する。
「ほい。綺麗になった。夏油さんこれ縫合しねぇとなんだけど傷残ったら困る」
上目遣いに四角眼の大きな瞳が夏油を見上げながら心配そうにたずねる。
「いや。気にはしないよ腕だしね」
「そうか、よかったぁ。丁寧に縫合してもこの傷、残っちゃうからさ、有名人だし不味いかなって思ったんだ。」
「相方なら気にするかもしれないけれど、わたしは別に本業ではないことはどうでもいいからね。気にしないよ」
「どうでもいいんだ。夏油さん、おもしれぇ。でも、なるべく綺麗に縫合すんね」
古びた診療台に夏油を寝かせると患部が見えないように覆い、縫合用の針と糸を準備する。
「麻酔すっからちょっとチクッとしますよ」
そこからの悠仁の処置は速く、ものの10分足らずで縫合し、薬を塗り包帯まで巻いていた。
「ほい。終了、お疲れさまでした」
診療台から夏油を優しく起こしながら悠仁がにっこりと笑い、ゴム手袋を外した。
「手早いね。驚いた」
少し驚いた顔の夏油が悠仁を見る。
「慣れてっかんね。俺ここにくる前は救急救命センターで働いてたから」
少し、誇らしげに悠仁が答えると夏油はなるほどねと小さく呟いた。それほど悠仁の手際は、よかった。
「夏油さん、抗生物質と痛み止処方しとくけどその傷、明日も見てせな」
「わかった」
「ほい。薬」
いつの間にか薬の入った白い袋が準備され、手渡された。
「お大事に」
「まだ代金支払ってないんだが」
「明日でいいっすよ。どうみても手ぶらの人から保険証は出てこんしょ」
にっかりと白い歯を見せて悠仁が笑った。
「んで、夏油さんどこに泊まってんの送ってくよ。この島、日が落ちると真っ暗だからさ、慣れてないと危ないよ」
悠仁の言葉に外を見るとすっかり暗くなっていた。
「…お願いするよ」
「了解。車まわしてくんね」
壁にかかったキーを持ち、悠仁が外へ出ていく姿を見送る。
残された夏油が面白そうにその背を見つめていることなど悠仁は気づいていない。
「悟、君の人魚、見つけたかもしれない」
2章
島の狭い道を小さなカーキ色の四駆が軽快に走っている。
すると、道端で網を修理していた老人が気付き手をあげた。
「こんちわ。たけるじいちゃん、腰はどう」
車の窓から顔を出した悠仁がにこやかに老人を気づかう。
「おう。すっかりようなったわ。若先生、今日は休みじゃろ」
島の住人たちは悠仁を若先生と呼ぶ。悠仁の祖父と呼び分けるための呼び名がそのまま定着したらしい。
「昨日、怪我した人がいてさ、ちょっと往診。あそこの別荘まで行くんだ」
「あー、昨日から誰か来てるみたいだな。若先生も休みに大変だ」
気のいい老人は気の毒そうに労るように、眉を下げた。
「往診だけだし大したことねぇよ。んじゃね。腰、気をつけて」
老人と別れを告げ、悠仁は再び四駆を走らせ、少し高台にある別荘へ向かった。
「改めて見てもでっけぇ別荘。お化け屋敷」
悠仁の目の前にはいわゆる、大正モダンと言われる和洋折衷の重厚な邸。に少々失礼な感想を呟きながら呼び鈴を押した。
ガチャリとドアの開く音がして出てきたのは、夏油だった。
「こんちわ」
「悪いね。来てもらって」
「目立ちたくないだろうし、いいっすよ」
先に立って歩く夏油の後について広すぎる玄関ホールを抜け日の光が差し込む広い部屋に通された。普通の家でいうリビングだろう。
「おじゃまします」
挨拶して部屋に入るとそこには長身の男性がいた。銀色に輝く髪、空のような蒼い瞳の美形、夏油の相方の五条悟がソファに長い足を投げ出すように座っていた。
部屋に入った悠仁をじろりと見た瞬間、バッと
ソファから立ち上がり、信じられないものを見るように悠仁を凝視する。
「あ、はじめまして。医師の虎杖悠仁っす」
何でこんなに凝視されてるのか不思議に思いながら頭を下げたが、それでも五条は固まったように動かなかった。
「」
「悪いね。今はそっとしておいていいよ」
夏油がものすごく嬉しそうに悠仁の肩を抱いて隣の部屋へ案内してくれる。
「夏油さん、傷の具合どうっすか」
じっと見つめる五条の視線を気にしながら処置に必要なものを準備し、椅子に座らせた夏油の包帯を解いていく。
「おかげさまで、夕べから痛みはなかったよ」
「それはよかった。ガーゼ剥がすね」
ガーゼを剥がし、傷口を確認しているとすぐそばに人の気配を感じ、そちらを見るとすぐ側に五条が立っていた。
「うおっび、びっくりした…」
「悟、治療が終わるまで待っててくれないか。悪かったね」
しっしと空いた方の手で五条を追いはらう。
「いや、夏油さんのことが心配なんすね。後で説明しといた方がいい俺、見た目で医者って信用してもらえないからさ」
五条の行動は相方である夏油を心配してのことだと思っている悠仁は眉を下げて少しシュンとしていた。
「ん~。あれはそういうのじゃないと思うけど時間があるなら悟と喋ってやってくれるかな」
「いいっすよ。信用してもらえるように説明すんね。傷の方は問題なし。抗生剤だけちゃんと飲みきってな。風呂は濡らさなければシャワーだけ解禁。ほい、処置終わり」
夏油の傷に薬とガーゼを乗せ、包帯を巻き直しながら的確に注意事項を伝えていく。
「ありがとう。そうだ、保険証渡しておくよ」
「預かります。コピーできんから写真でっと。はい。返却。精算は明日診療の合間に集金に来るよ」
お互いニコニコと笑いながら和やかに話をしているところにふっと影がさす。
「おや、悟」
「おい、お前ちょっとこい」
五条がいきなり悠仁の腕を掴み連行するように引っ張っていこうとする。
「え、ちょっと。うわっ」
助けを求めるように夏油を見ると心底楽しそうな笑顔で手を振っていた。
「え~~げとうさん、助けてぇ」
本気で抵抗するわけにもいかず、五条に腕を捕まれたまま悠仁は連れ去られた。
悠仁の腕をつかんで五条は邸の中をズンズン歩き、一際立派な部屋に悠仁を連れてきた。
「あの、五条さん、俺こんな見た目だけどちゃんとした医者だから、何なら主治医の伏黒に連絡してもらっても」
朝になり、伏黒から送られてきたカルテは夏油と五条、2人のものだった。悠仁はさすがセレブ御用達の病院。と感心した。
「そんなの、どうでもいい」
「へ」
「お前、名前は」
「虎杖悠仁、27歳独身っす」
さっきも名乗ったよなと思いながら頭1つ高いところにある顔を上目遣いにおそるおそる見上げると、そこには白い頬を赤く染めた五条の顔があった。人形のように整った顔が赤くなるだけでとたんに人間くさくなる。
「あの、俺が何か」
「お前、この島の出身なのか」
「いや。違うけど…」
というとあからさまにがっかりした顔を五条がする。
「でも、じいちゃんがここで医者やってたから俺もよく来てたよ。んで、この島が好きんなって、ここの医者になったんだ」
「もしかして、夜の海で泳いだりしたか」
五条が期待のこもった顔でグイグイと悠仁に迫ってくる。その圧に半歩下がってしまう。
「い、一回だけ…満月の日に…」
そう。この島に悠仁が遊びにきた日、夕食を食べ終わってから外に出ると月明かりで周囲が真昼のように明るく、悠仁は誘われるように海に入り、心ゆくまで夜の水遊びを楽しんだことがある。その後、祖父にばれて『危ないことをするな』としこたま叱られたのもいい思い出として残っている。
「見つけた俺の人魚」
突然、すごい力で抱きしめられ、悠仁の息が止まる。
「ぐっ」
「カニ、追いかけて怪我した傑、バカじゃねえのって思ってたけど、お前連れてきたのはグッジョブ」
グイグイと締め付けられ遠のく意識の中、夏油が海辺でカニを無邪気にを追いかけている姿が悠仁の頭に再生されては消えていく。
「悟、虎杖先生が死にかけてるよ」
五条の腕の中でぐったりした悠仁を指差した夏油が指摘すると締められていた力が緩んだ。
「ゲホッ、すっげぇ力。死ぬかと思った」
「悪い、感極まった。大丈夫か」