水の匂い、鈴の音、愛おしいあの人の気配 〜朝〜
太陽が燦々と輝く今日という日も従者の朝は早い。自分の支度だけではなく、主人の準備もあるからだ。
「じゃみる〜俺一人でもできるぜ!」
「そう言ってこないだもワイシャツのボタンズレてたろうが」
「うっ…それを言われると…」
「なら黙って手伝われろ」
カリムがうーだのあーだの言っている隙に手早く準備を済ませてしまう。最近のこいつは自分のことは自分でやりたがるようになった。周りの人間から「普通の友人の距離感」なるものを聞込みしているらしい…。まったく、黙って俺だけに面倒を見られていればいいものを、なんて口が裂けても言ってやるつもりはない。
「ほら、行くぞ」
「へへっ、ありがとな、ジャミル」
ターバンをキュッと絞めてやる。
今日も完璧に仕上げられた姿はいつ見ても良いものだ。
照れ臭そうに笑うこいつを見る特権を奪われてなるものか。
〜授業中〜
魔法史は予習復習していれば楽な授業だ。先生の小話をノートの端にメモを取りつつ窓の外を見る。
朝より少し曇ってきたかもしれない。雲の切れ目から太陽がのぞいている。まぁ、中庭で弁当を食べても問題ないくらいの天気ではある。
先生の声を子守唄代わりに船を漕いでいる生徒がちらほら居る。トレイン先生は何も言わないが、手元に名簿があるから内申点を引いているかもしれないな。
斜め前に見えるカリムの旋毛も例に漏れず、コクコクと上下している。まったく世話の焼ける…従者として見過ごすわけにはいかないな。
カリムに投げる…いや、起こす為に用意したノートの端っこを千切って丸める。旋毛目掛けてヒョイっと投げると軽い音がしてクリーンヒットした。
ビクッと肩を揺らして起きた主人は慌てた様に教科書をめくっている。
カリムがチラッとこっちを向いて手を軽くあげる。
口が微かに動き『すまん、ありがとな』と小声で言っている。
額に軽く付いたペンの跡が妙に可笑しくて思わずニヤけてしまう。上がった口角がバレないように、口に手を軽く当てて『ばぁか』と返してやった。
〜昼〜
曇り空だが、まだ雨の気配はない。
「カリム、中庭でいいか?」
「おうっ!腹減ったぁ…ジャミルの弁当楽しみだ」
「まったく、大袈裟だな」
渡り廊下を歩き中庭に出る。レジャーシートを広げて弁当を並べる。
ぐぅ〜、大きい音が隣から聞こえた。音の出どころは恥ずかしそうに腹をさすっている。
「そんなに待ちきれないか?朝もいつも通り食べただろ?」
「うぅ、、ジャミルの飯うまいからさ、早く食べたくなっちまって」
物欲しそうにこちらを見る紅い瞳はなかなか唆るものがある。
「ほら、これでも食ってろ」
フォークで甘酸っぱく味付けした蒸し鶏を突き刺してカリムの口元に持っていく。
カリムは迷いなくパクッと一口で頬張った。
もぐもぐ口を動かしながら、頬を膨らませて幸せそうに細まる瞳に心臓が高鳴ったのは、誰にも教えてやらない。
〜放課後〜
俺はバスケ部、カリムは軽音部の活動日だ。
「ジャミル、行ってくるな」
「ああ、迎えに行くから部室で待ってろよ」
「おうっ!」
万が一刺客が来たとしても、リリア先輩とケイト先輩がいるならそこまで心配は要らないだろう。
カリムを送った分遅れてしまっている為、足早に体育館に行く。
俺だけの短い時間、思いっきり体を動かす。走って、跳んで、ボールがゴールに吸い込まれる充足感。
汗が頬を伝う煩わしささえ楽しくなる。最近は前より楽しさを感じる事が多くなった気がする。
「せーんぱいっ!今日調子良さそっすね」
エースがニヤニヤしながら近づいてきた。
「そうみえるか?」
「あれ?違いました?なーんか口元緩んでんな〜って思ったんすけど」
「そうか…?自分じゃ分からないな」
心当たりは…正直ある。いつもよりカリムが、その、認めるのは癪だが可愛く見える、気が…する。
緩く、甘く心に染み込んでくる気持ちに戸惑いはするが納得はしている。
昔からいつもそばに居て、手を伸ばしてくる存在を好きになるのは自然なことだった。
家のことやお互いの立場がなければ、気付くのはもっと早かったかもしれない。
決して俺から手は伸ばせない。欲しいのに手に入らない存在。それがカリム『だった』。
過去形なのは、喧嘩というにはあまりに大きい俺がカリムを裏切った事件。
カリムは友達と言うけれど、それはもう、紛れもなく友愛を超えた感情があるだろう。
なら、カリムが許可したのだから、この気持ちを抑える必要はない。
勝手にそう結論付けた。
まあ、他人に教えてやる気なんて無いが。
「いや、エースの気の所為だ。今日も特別なことなんて無かったからな」
「あやし〜なぁ、…って分かりました!分かったから睨むのやめて下さいよ〜」
「ハハッ、分かったならさっさと練習に戻れ」
「りょーかいっス!」
あー、早く部活が終われば良いのに。
小降りの雨が降ってきた。部活が終わるまであと一時間。
〜帰り道〜
軽音部の部室に向かう。窓の外を見ると、案外雨が酷くなってザーザーと音を立て始めた。
空を見るとカリムを思い出す。笑って、悩んで、たまに泣いて…こんなに変わるものかと言うほど表情豊かな顔が頭に浮かぶ。
「いや、最近はあまり泣かないか…」
いつも太陽みたいに笑って、勉強に悩んで眉間に皺を寄せて表情が曇って、極々たまに雨粒が落ちる様に泣く。
「泣き顔は、もう懲り懲りだ」
自分が泣かせたのだけれど。だからこそ、胸にクるものがあるというものだ。
外を見ると、また雨足が酷くなっている。それがカリムの顔と重なって見えてーーー。
「俺のいないとこで泣くなよ、カリム」
近くにいないと肩を貸してやることもできないじゃないか。
泣いているはずなんてないのに、なんとなく、小走りで軽音部に向かった。
〜夜〜
夕飯の準備が整い、寮長室に向かう。
扉の前に着くと勢いよく部屋の主が顔を覗かせた。
「あっ、やっぱりジャミルだった!いいとこに来たなっ」
「おいっ!急に開けたら危ないだろうが」
「ははっ、すまんすまん」
こっちこっちと手招きするカリムに仕方なくついて行く。早くしないと夕飯が冷めるってのに…。
「じゃじゃーん!これ、いいだろ、リリアに貰ったんだ」
「鈴か?」
「ああ、鈴だ!」
嬉しそうにリンリン鈴を鳴らして遊んでいるカリムに内心苛立つ。鈴なら髪飾りの予備がある。
欲しいなら俺にせがめばいいものを他のやつから貰って、尚且つ嬉しそうにするなんて。
「なのなっ!さっきドアの向こうから鈴の音がしたんだ」
「ああ、これか」
自分の髪飾りをサラリと掬う。
「だからな、俺にとって鈴はジャミルの音なんだ」
ーーそう言って鈴を鳴らしながら綺麗に微笑むカリムに、息が止まるかと思った。
あとは、こいつも何かで俺を思い出す、なんてないと思ってたから。
驚きと嬉しさでごちゃごちゃの感情に振り回される。
私服のフードを引っ張って深く被り表情を隠す。
「どっ、どうしたんだジャミルっ!?俺、なんか余計なこと言っちまったのか?なぁ、じゃみるぅ」
どんどん弱っていく声に、笑いが漏れる。俺も振り回されてるんだ、カリムも俺に振り回されなきゃ不公平だろ?
「なぁ、カリム」
「なんだっ!ジャミルっ!」
嬉しそうにずいっと前のめりに身体を寄せてくる想い人。
「カリムは俺の事、好きか?」
「ああ、もちろん好きだぜ」
キラキラと輝く表情に軽く染まる頬。
気づいた瞬間、キスをしていた。
「えっ、えっ、じゃっじゃみるっ、えっ?」
「両想いだな、俺たち」
逃げそうな恋人を、指を絡めて繋ぎ止める。
リンっと二人の間に鈴の音が響いた。